パラレルdays
02
「まぁ、そんなにイライラすんなよ」
 トーストとサラダと卵焼きという朝食をテーブルに並べながら、彼はそう言って肩をすくめた。僕はこっちの世界の僕のものらしい服を適当に身につけて(もちろんサイズは一緒だった)、イライラと部屋の中を歩き回っていた足を止める。
「でもですね……」
「確かに異世界同位体とやららしいが、結局はお前なんだろ? そんなに自分自身が信用できんのか」
「まったく、できませんね!」
 自慢じゃないが、僕は本当に彼が好きすぎる。今現在の僕は、さまざまなしがらみや状況のおかげで強く強く自制を効かせているから、平気な顔をして彼と接していられるのだ。これがはじけ飛んだ状態の自分が、彼を目の前にして平静でいられる自信なんてカケラもない。
 そんなことをぐるぐると考えていたら、彼がテーブルの上に突っ伏して爆笑していることに気がついた。しまった。ちょっと古泉一樹らしからぬことをしてしまった。
「お前……やっぱ一樹なんだな。おもしれえわ」
「え……っ」
 今の僕は、かなり僕らしくなかったと反省したところだったのですが……。
「いや? 俺の知ってるお前は、けっこう面白い奴だぞ。まぁ、つきあい始めてから見えて来たんだけどな、そういういろんなところ」
「……」
 彼のその言葉は、僕の中のある気がかりを刺激した。彼に好かれるわけがないと思う、どうしようもない自分の事情。
「ひとつ、あなたに聞きたいことがあるんです」
「ん、なんだ? まぁ食えよ、朝メシ」
 勧められるまま席に着き、こんがりと焼けてバターまで塗られたトーストをかじる。卵の焼き加減も、完璧に僕好みだった。
「僕が、涼宮さん向けに古泉一樹という人格を演じていることは、知ってらっしゃると思いますが」
「ああ、知ってるが。それが?」
 豪快にトーストやサラダを口に詰め込みながら、彼が答える。
「そんな作られた性格の人間と、よく付きあう気になりましたね? もしかしたら、あなたが好きになった性格すら、嘘かもしれないのに」
 本当は、この性格はもう、なじみすぎて分かちがたい。真実生まれ持った人格など、とっくに“古泉一樹”に吸収されてしまっているのだ。でも、彼の前ではずっとずっと、仮面じみた微笑みを浮かべた嘘くさい人物を演じている。好かれるわけがない。
「嘘には見えなかったからさ」
 3枚目のトーストにかじりつきながら、彼がこともなげに言った。
「出会った頃は確かに、嘘っぽい笑顔に嘘っぽい言動のうさんくさい奴だと思ってた。でもさすがに1年も一緒にいれば、わかるだろうそんなの。その演じてる性格すら、もうお前の一部なんだってことがさ」
「……」
「お前の世界の俺だって、わかってると思うぜ? 鈍い鈍いと一樹はよく言うが、そういう点では間違えないんだ、俺は」
 今が、食事中でよかった。もし彼が今近くにいたらきっと、僕は彼を思いっきり抱きしめてしまっていただろう。後も先も考えず、きっと。
 その後、僕は黙りこくって食事を終え、食器洗いを引き受けてテーブルを片付けた。食器の位置も何もかも、僕の部屋と一緒だった。ただ、おそろいのマグカップや2人分の茶碗と箸などは、僕の部屋にはないものだ。
「いつ……じゃなくて古泉!」
 食器を洗い終えたところで、彼が僕を呼んだ。彼はこの世界の僕のことを一樹、僕のことを古泉と呼ぶことにしたようだ。
「なんでしょう?」
「いいもの見せてやる、ちょっと来い」
 ベッドを背もたれ代わりに床に座った彼が、僕を手招きしている。僕は彼の隣に腰を下ろし、彼が開いている冊子のようなものをのぞき込んだ。それはアルバムだった。
「ほら、けっこうマメに撮ってるんだぜ」
 ページには、SOS団のメンツと一緒に映った写真が並んでいる。その中にいる僕じゃない僕は、作り笑いとは言わないまでも、やっぱり営業用のスマイルで映っているものが多い。楽しそうではあるが……こうみると、どの写真でも同じ顔をしていますね。
「あなたはあまり映っていませんねぇ」
「俺はカメラマンのことが多いからな」
「やはりそうなんですか」
 彼は途中でアルバムを閉じると、もう1冊の方を開いた。
「見せたいのはこっちだ。二人っきりで出かけたときの写真」
 ……びっくりした。そちらのアルバムに映っている僕、この世界の僕は写真の中で驚くほど表情豊かだった。笑顔が基本なのは同じだが、それにバリエーションがある。時々、拗ねた顔や驚いている顔なんかもあり、特にどこかの海を背景に彼と肩を寄せ合って映っている写真などは、こっちが赤面したくなるほど幸せそうな、とろけそうな笑顔をしている。これは……恥ずかしい。
「いい笑顔だろ?」
 彼が、写真を見る僕の顔をのぞきこんでいた。
「間違いなく、その一樹は仮面なんかかぶってないだろ。……俺だけが見られる、スペシャルなんだ、それ」
 はにかむように笑う彼は、幸せそうだった。本当に、この世界の僕が好きなんですね。僕は自分に嫉妬するという、世にもめずらしい感情を覚えて、なんとなくおかしくなる。
 彼は寄りかかったベッドに頭を乗せた姿勢で、そんな僕をじっと見つめた。
「お前にだって、出来るはずだぜ? 同じ人間なんだから、こんな笑顔がさ」
 ダメだ。やめてください。
 そんな顔を僕に見せないで。
 優しい言葉をかけないでください。
 あなたはこの世界では古泉一樹の恋人だけれど、それは僕ではない。
 わかっているけどうらやましくて、思わず抱きしめてしまいたくなる。
 僕はあわてて、思考を別方向に切り替えた。
「そういえば……」
「ん?」
「涼宮さんのことは、どうなっているんですか……?」
 途端に、彼の笑みが暗いものになった。ふっと切り捨てるような溜息をもらして、彼は手を広げて首を振った。
「どうにもなってねえよ。あの妙な力が消えたとか、俺への執着をやめたとか、そんな都合のいい奇跡は起こっちゃいない。……俺たちの関係は秘密だ。機関にも未来人にも宇宙人にも、もちろんハルヒにも。ああ、長門は知ってて黙ってくれてるんだが、他にバレたらどうなっちまうのか、誰にもわからん」
「そんな……」
「それでも俺たちは、こうなることを選んだんだ。まぁ、どうにかなるさ。ならなかったらならなかったでそれまでだ。せいぜい俺たちの存在を消すぐらいですませてもらえるよう、努力するさ」
 僕の目の前で、彼は晴れやかに笑った。
「俺は後悔してないぞ。……お前はどうだ? 古泉?」
 次の瞬間、とうとう我慢しきれずに、僕は彼の体を抱きしめていた。
「すみません……ちょっとだけ、こうさせてください」
 彼は予期していた動きで、僕の背中に腕を回してくる。ただ、背中をポンポンと軽くたたくその抱き方は子供をあやす母親のようだ。
「いいさ。あいつも、さすがにこれは浮気にカウントできんだろ。自分だしな」
「ふふ。僕はやっぱり嫉妬深いですか」
「まぁな。心配しなくても、俺はそんなにモテやしないから大丈夫だと、何度言っても納得せん」
 なるほど。鈍感なのも同じか。こっちの僕もさぞかし苦労しているんだろうな。
 そう思って苦笑したとき、電話が鳴った。表示されている名前は……長門さんだった。


 ***********************


「……どんな気分です?」
「最悪だ。気持ち悪い」
「嘘ですね、顔が真っ赤ですよ」
 床に俺を押し倒し、がっちりと手足を固めておきながら、古泉はその姿勢のまま動こうとしなかった。ただ、顔がものすごく近い。あとほんの数センチ近づくだけで……く、唇がっ! 
「いけませんね。反応が初々しくて可愛らしすぎる。なんだか歯止めがきかなくなりそうですよ」
「お前……何をする気だ」
 古泉は至近距離でまた笑って見せ、耳元へと顔を近づけた。そこでささやくような声と息を、俺の耳に注ぎ込む。
「別に、何も」
「……っ!」
 いやいやおかしいだろ、俺の身体っ! そこはサブイボたててどん引きするところだろ? なんでゾクゾクしてんだ。しかも……なんで反応してんだよっ!
「仕方ないですよ。あなたは耳が弱いんです」
 そんなの知るか!
「あなたの身体に関しては、僕はあなた自身よりよく知ってるかもしれませんよ。教えて差し上げましょうか。……どこが感じやすいか、とか?」
「いらん!」
 間髪入れずに突っ込んだら、古泉は楽しそうに笑い出して、ようやく俺を解放した。俺はあわてて身を起こし、捕まれていた手首をさする。
「すみません。痛かったですか?」
「ああ……まったく、冗談にもほどがある」
「冗談……というか、僕の大いなる自制心の賜物と言って欲しいですね」
 うるさい。そういうことは、帰ってからお前の恋人の俺とやってろ。長門がなんとかしてくれるんだろ? 焦ってないところを見ると。
「まぁ、その通りなんですが。相変わらずですね、あなた」
「……何が」
「順応力が高いのかなんなのか、もう受け入れちゃったんですね、僕と異世界のあなたが恋人同士だっていうことを。それとも……まんざらでもない気分でしたか?」
 バカ言うな。俺はそっちの趣味はない。
「僕だってありませんよ。あなただけです」
「なぁ……」
 俺は、再び俺と距離をとった場所に座り込んだ古泉を見ながら、ためらいがちに口を開いた。こいつに聞くことじゃないかもしれない。でも。
「こっちの世界の古泉は……その、俺にそんな気持ちはないと思うんだが……」
「ありえませんね」
 なんだその断言。
「あなたの反応を見ているだけでもね、普段、こっちの僕があなたをどう扱っているのかわかります。あなただって、意識の奥底では感じているはずだ」
「……」
 なんとなく返す言葉を失って、俺は黙り込んだ。
 言われてみれば……いや、俺はそっち方面には相当鈍いらしいから、言われなきゃわからんのだろうが、心当たりはありすぎるほどある。それにたいした違和感を感じてなかった俺も、相当おかしいんじゃないか?
「古泉……」
「なんですか?」
「お前は俺の……そっちの世界の俺の、どこが好きなんだ……?」
 すると古泉は、見たこともないような表情になった。目を細めて、じっと俺に視線を注ぎながら、慈しむような愛おしむような、そんな顔。
「それは、大変難しい質問ですね。全部、といってしまえは簡単ですが、それではあなたは納得しないでしょうし」
 逆に考えてみましょう、と、こいつはこんなところでも解説を始める気なのか。
「いえいえ、解説というほどでは。たとえばあなたは、今、古泉一樹をどんな人物だと思っていますか?」
「うさんくさい変態超能力者だと思ってるが」
 そう率直に告げてやると、古泉は困ったように眉を下げた笑顔になった。
「これは手厳しい。……まぁ、うさんくさいというところは否定しませんよ。実際、SOS団で活動しているときの僕の性格は、演技しているものですからね」
 まぁでも、さすがに1年もつきあってりゃ、どのへんが演技でどの辺が素かもわかってくるぞ。素のお前が、意外と抜けてるってこともな。
「それに、演技してるたって、本質ばっかりは変えられるもんじゃないだろ」
 溜息混じりにそう言ってやると、古泉は我が意を得たり、というふうに微笑んだ。
「そこですよ」
「ん?」
「そんなことを言ってくれる人は、あなたの他に誰もいません。それで好きになるなという方が無理だと思いませんか」
 俺としては、そんなことで? という気持ちだった。俺にとっては当たり前なそんなことが、お前にはそこまで大事なことだったのか。
「もちろんそれだけではないですよ。この1年で知ることの出来たあなたの様々な面や本質などのすべてが僕にとっては……ああ、結局は全部です、と答えるしかないみたいですね」
 困ったものです、と、まるで人ごとのように、古泉は両手を広げて肩をすくめた。
 まぁ……なんとなくわかったような気はするよ。
 SOS団で活動しているとき、と現在進行形で言ったからには、ハルヒの問題がどうにかなっているわけではないんだろう。きっと、俺とそんな関係を続けて行くには、相当な覚悟が必要なはずだ。――それでも。
「お前、こっちの古泉より全然表情豊かだ。……幸せなんだな」
 はい、とうなずく古泉の笑顔は、またも俺が見たこともないような、心底幸せそうなものだった。その時俺は不覚にも、こんな顔をこっちの古泉にもさせてやりたいと、そう思っちまったんだ。
 そのためには、どうすればいいんだろうね?
 まぁな。あなたなら、わかっているはずですよ、と、お前なら言うんだろうよ……古泉。
 ――そのとき、俺の携帯が鳴った。表示されている名前は、長門有希だった。


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(2010.01.26 up)
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あとは帰るだけです。
ホントに淡々。