パラレルdays
03
 座標の特定が完了。本日、16:00に次元移動を実行する。
 長門さんは単刀直入にそう告げて、その時間に彼女のマンションまで来るようにと言った。今は午前中だからまだかなり時間はあるが、とりあえず帰還のメドはたった。喜ぶべきことなのだが……困ったことに、僕はこの世界にいささかの未練を感じていた。
 それは当然、自分の世界では考えられないほど親しげに接してくれる、この世界の彼のせいだ。僕ではないにしろ、古泉一樹と恋人関係にあるのだから彼にとってはあたりまえなのだろうが、彼への報われない想いに懊悩している身には、かなりの毒といわざるを得ない。
「そっか、夕方に帰っちまうんだな」
「あなたの恋人たる僕が戻るまで、もう少しの辛抱ですよ」
 本当に申し訳ないと思っていたのでそう言うと、彼は少し眉をよせて困ったように笑った。
「まぁ、そう言うなよ。確かに一樹が戻ってくるのは嬉しいが、お前と別れるのが寂しくないわけじゃないんだぜ」
「え、いえ、そういうつもりでは……すみません」
「最近のあいつは、どうにも可愛げがなくなってきてるからな。ちょっとでも人目のないところに行こうもんなら、すぐサカるし。お前見てると、なんだかかえって新鮮だ」
 冗談めかした言い方で、彼は僕をなぐさめてくれる。
「あはは……僕って、実はそんなにこらえ性がないんですね。我がことながら、驚きです」
「身をもって知れるように、なれるといいな」
 ……それは暗に、告白しろ、とおっしゃっているんでしょうか。困って彼を見ると、彼は口元に薄く微笑みをたたえて、僕をまっすぐに見ている。
「けっこういけるんじゃないかと思うぜ? 仮にも俺なんだし?」
「そうでしょうか……」
 普段の彼の様子を見るに、僕はどちらかというと嫌われているのじゃないかと思うんですが。
「あー、そりゃ俺だからな。スマン」
 さっきと同じことを違うニュアンスで言って、彼の笑みは苦笑いになった。
 それはやっぱり嫌われてるってことですか。どっちなんです。そう問い詰めたら、彼は苦笑をさらに深めて、拗ねたような口調でつぶやいた。
「……俺の性格ぐらい、わかってると思うんだがな」
 それくらいわかれよ馬鹿、と軽く言って、彼は僕の頭を小突く。僕はまたぞろ、バカップル、という言葉を思い出していた。いつもの彼との会話も、僕はとても好きなのだけれど、これはこれでたまらない。
「帰りがたくなっちゃいますよ……こんなに甘やかされたら」
「そうか? でも、そんな訳にはいかないだろ」
「わかってますけど。あなたがあんまり優しいから」
 その言葉に、彼はまた笑う。あちらの世界の彼は、僕には滅多に笑顔を向けないから、もうその笑顔だけで僕はいっぱいいっぱいです。
「一樹とは結構ケンカすることもあるんだけどな。ケンカっつーか、俺が一方的に殴ったりしてる方が多いけど。けどお前は……なんだか可愛くて、つい甘くなるな」
「可愛いって……喜んでいいのか微妙ですね」
「はは、悪い。んー、そうだな……」
 何を思いついたのか、彼は内緒話をするように声を潜めて僕の耳元でささやいた。
「なんだったら1回、してみるか? ……俺と」
「は? 何を……って、えええええええっ!」
「お前、一応古泉だし、それなら俺も平気だと思うんだよな」
「いっ、いえっ! けけけ結構ですっ!」
 ぶんぶんと首を振って、僕はあわててあとずさった。一体、何を言い出すんだこの人は!?
あまりに動転しすぎた僕は焦ってしまい、からかわれたことに気づいたのは、腹をかかえて爆笑している彼の姿を見てからだった。
「……悪趣味過ぎですよ、あなた」
「す、すまんすまん」
 ホントにもう。彼がときどきドSなのは知っていたが、悪趣味にもほどがある。腹がたつというよりなんだか情けなくて、僕は彼に背を向けた。背後から、彼が肩に腕をまわしてきて、さらにゴメンと謝られた。……いいですよ、もう。
「まったく。僕がホントにその気になったら、どうするんですか」
「だから、平気だと思うって言ったろ」
「……………………まったくもう」
 さらっと言われて、顔が紅潮するのを止められない。本当にこの世界の彼は、僕にとって毒性が強すぎる。甘さに酔ってやめられない、タチの悪いクスリのようだ。
 そんな僕の思いを知ってか知らずか、彼は笑顔で僕の肩をたたいた。
「まぁ、からかったのは悪かった。おわびに昼はおごってやる。遊びにいこうぜ、古泉」
「外に、ですか?」
「せっかくだから、時間までデートとシャレこもう」
 肩に腕をまわしたまま、彼は僕を玄関の方へと引っ張った。つられて歩き出しながら、彼の心遣いを感じて嬉しくなる。
「わかりました。お供させていただきましょう」
「おう! 行こうぜ」
 恋人のような、友達のような、微妙な距離のまま、僕たちははしゃぎながら街へと繰り出した。


  ***********************


「今日の16:00に、長門のマンションに来いってさ。次元移動? だかなんだかをするんだそうだ」
「そうですか。無事に帰れそうで、一安心です」
 俺も一安心だ。やっと、この心臓に悪い古泉に変わって、いつものあいつが帰ってくる。1日もたってないのに、もうなんだかあいつがなつかしいぞ。
「そうあからさまに安堵しないでくださいよ。悲しくなるじゃありませんか」
 たいして悲しそうでもない顔でそう言って、心臓に悪い方の古泉が肩をすくめた。
悪かったな。本心で安堵してるんだから、しょうがないだろうが。お前だって、恋人に早く会いたいだろ?
「まぁ、それはそうなんですけどね」
 なんだ古泉。人を妙な目で見るな。
「なんとなく……据え膳をみすみす食べずに帰るような、そんな気が……痛っ! 痛いですよ、ものを投げないでくださいって! 冗談です!」
「冗談にしてもタチが悪いわ!」
「だってはじめて同士だと、なかなかスムーズにいきませんよ? 練習しておくのもいいと思いますが」
「まだ言うか、この……っ!」
「椅子は止めてください椅子はっ!」
 本気で止めに来た古泉に免じて、椅子を投げつけるのはやめてやる。まぁ、壊してもまずいしな。椅子がないと困る。
「椅子より僕の心配をしてくださいよ。当たり所が悪けりゃ死にますよ?」
「大丈夫だ。バレないように埋めてやるから」
「ヒドっ! もうすぐお別れなんですから、ちょっとは優しくしてくださってもいいじゃないですか!」
「誰のせいだ」
 いかんな。
 こっちの古泉より格段に表情豊かなこいつとの軽口の応酬は、それはそれでなんだか楽しい気がしてきた。いや、こっちの古泉との会話が楽しくないわけじゃないんだが……あいつはいつも、何かに遠慮しているようなところがあるからな。
「……まぁ、僕とはそれでいいですから、こっちの僕とぜひ仲良くしてやってくださいよ」
 暴れているうちにゆるんだらしい襟元を整えながら、古泉が言った。ついでのように、俺のシャツの襟も直す。特に意識せずにしている行動のようだ。日常なのか、こいつにとっては。恥ずかしいやつだな。
 俺はやれやれと溜息をついた。
「お前のせいで、戻ってきた古泉とどんな顔で会えばいいのかわからん」
 古泉がくすっ、と笑い声をもらす。なんだよ。
「ではもうひとつ、思い出させてさしあげましょうか。いや、それとも気づいてるのに、知らない振りをしてるのかな」
「何をだ?」
「平行世界と入れ替わった、ということは、こっちの世界の僕は、僕の世界のあなたに会っていることになりますよね」
「あ」
 そういえば……そうか。その可能性には、気づいてなかったな。って、お前の世界の俺っていうと……。
「僕にぞっこんでラブラブなあなたですよ」
「いっ!」
「ちなみに、僕のことは一樹と呼んでくれてます」
 な、んだと……?
 顔が火照ってくるのがわかって、俺は思わず頭を抱えた。やばい。ますますあいつとあわせる顔がない。ちらっと目の前の古泉をみると、楽しそうにニヤニヤと笑っている。やっぱり殺しておいた方がよかったか。
「そんなに照れちゃって、可愛いですねぇ。本気で襲いたくなってきますね」
「照れてねえよ。可愛いとかいうな」
「おや、襲うのはいいんですか?」
「いいわけねえだろ!」
 だめだ、キリがない。というか、このまま部屋にいたら、本気で貞操が危ない気がしてきたぞ。いろいろはじけすぎてるからな、この古泉は。
 俺は立ち上がると、ぐいと古泉の手を引っ張った。
「長門のとこ行くぞ」
「えっ。まだかなり時間ありますよ」
「いいから! このままここにいたら、本当にお前に襲われそうな気がするんでな」
「信用ないですね。……でもまぁ、賢明かもしれません」
 おい。マジでそのつもりだったのか。
「いえいえ。そんなつもりはないのですが……事あなたに関しては、僕の自制心はかなりもろい自覚がありますので」
 ダメじゃねえか。
「もうちょっと、あなたとの時間を楽しみたい気もするんですけど、仕方ないですね」
 古泉は両手を広げて肩をすくめるお得意のポーズで溜息をついた。いつも通りの笑顔だけど、本当にちょっと寂しそうなのがわかる。わかっちまうんだよこの野郎。
「……まぁ、昼飯くらいは食っていこうぜ。ついでに、寄りたいとこがあれば寄ってやってもいい。あ、もちろんお前のおごりな」
 とたんに古泉は、ニコニコ笑顔になった。デートですねっ、なんてはずんだ声でいうのを無視して、俺はやつを引っ張って玄関に向かった。
 まぁ、そういうことにしといてやってもいいさ。


 ***********************


「それじゃ……元気でな。古泉」
「ええ。あなたも」
 15時58分。他の世界から来たという古泉は、あと2分で元の世界に帰還する。
 いまだ元の世界の俺と、友達以上の関係に踏み出せないでいるというこいつを見ていると、昔の一樹を思い出させられる。いろんな事で悩みすぎて、壊れる寸前まで追い詰められていたのに、表面上は平気な顔をしていたころのあいつを。
 なぁ、こいつの世界の俺よ。早く気づいてやってくれ。
 こいつの気持ちと、自分の本当の気持ちにな。
「古泉一樹、こちらに来て」
「はい」
 長門が古泉をうながす。いつも面倒かけてごめんな、長門。
「いい」
 こくりとうなずいて、長門は古泉の手をとった。長門の高速詠唱がはじまると、古泉はもう一度、俺の方を見た。
「いろいろ、ありがとうございました。楽しかったです」
「ああ、俺も。……がんばれよ。きっとうまくいくから」
 古泉はニコリと笑った。どこか吹っ切れたような、いい笑顔だった。
「はい。がんばってみます」
 さよなら、との言葉を残して、目を閉じた古泉の姿が一瞬だけブレる。
 そしてほんの数秒後、じっと閉じていた目を開いて俺を見た笑顔は、同じ顔だけれどやっぱり少し違って見えた。
「おかえり、一樹」
「ただいま戻りました」
 長門に丁寧に礼を言って、この世界の古泉一樹は……俺の一樹は俺に歩み寄り、抱きしめてくる。はは、なんかホッとするな。
 ふとみると、長門はいつのまにか部屋から姿を消していた。悪いな、気を遣わせて。
「僕がいない間、寂しかったですか?」
「いいや? なかなか可愛かったぜ、違う世界のお前も」
「おや、聞き捨てなりませんね。浮気なんてしてないでしょうね?」
 予想通りのリアクションに、俺は笑いをかみ殺す。浮気のカウントに入るのかよ、お前なのに。
「微妙なところですねぇ」
「そういうお前こそ、あっちの俺に悪さなんかしなかったろうな? 可愛い方の古泉がやきもきしてたぜ」
 そう聞いてやると一樹はさわやかな笑顔で、もう少しで椅子で潰されて埋められるところでした、なんて答えやがる。やっぱりか。やれやれ。
「でも、お前のことだから、何かよけいな世話焼いてきたんだろ?」
 たとえば、あっちの古泉をそういう対象として意識せざるを得ないようにするとかさ。
「まぁ、種は蒔いてきたつもりなのですが……芽がでるかどうかは、あちらの僕の努力次第でしょうね」
「がんばってみるとはいってたがな」
 本当に、うまくいってくれるといいな。俺たちみたいにさ。
 どちらからともなく顔を寄せ合って、唇を重ねる。触れあうだけのキスを何度か繰り返してから、俺たちは身体を離して手をつないだ。
「では、帰りましょうか」
「ああ、そうするか。今日もお前んとこ、泊まっていいよな?」
「当然でしょう? むしろ帰しませんよ」
「……明日は不思議探索があるんだから、ほどほどにしてくれよ」
「確約はできかねますねぇ」
「お前は昔の可愛げを、一体どこに捨ててきたんだ」
「おや、僕は今だって充分に可愛いつもりですが」
「アホ抜かせ」
 見送ってくれた長門に手を振ってまた明日と告げ、俺たちは馬鹿みたいな言い合いをしながら帰路につく。夕暮れのオレンジの光の中を、2人、手をつないだままで。


 ***********************


 乗り物に酔ったようなめまいを、目をつぶってやりすごす。
 めまいが去ったことを認識してそっと目を開けると、目の前にいたのはいつも通りの制服姿の長門さん。
「次元移動は完了した。ここは、あなたが元から存在していた世界」
「ありがとうございます、長門さん。助かりました」
「……いい」
 くるりと僕に背を向けて、長門さんはさっさと部屋を出て行った。相変わらず、そっけないことこの上ないですね。
 拍子抜けしてその背中を見送っていると、後ろから声がかけられた。ついさっきまで聞いていたのに、なんだかひさしぶりな気もする、その声の主は。
「……おかえり。古泉」
「あ……」
 振り返るとそこには、不機嫌そうに眉をしかめ、腕を組んで立っている彼がいた。ああ……いつも通りのあなたですね。なんだかなつかしいです。
 あれ? でもあなたがここに来ているということは……いままで、あちらの世界の僕と一緒にいた、ということですよね?
「あ、あのっ! 無事ですか? 何もされてませんか、僕にっ!」
 思わず肩に両手をかけて、詰め寄ってしまう。いきなりの僕の剣幕に、彼はあっけにとられたように目を見開いた。気のせいか、顔が赤い。
「ば、馬鹿野郎! いきなり何だよ。顔が近いっての!」
「っと、……すみません。取り乱しました……」
 いけない。らしからぬ言動をしてしまった。僕はあわてて居住まいを正して、もう一度彼に落ち着いて問いかける。
「どうもあちらの世界の僕は、少々困った性格らしいと聞いておりましたので、あなたになにか無体なことをしでかしたのではないか、と……あの?」
 僕が言い重ねるごとに、赤くなった彼の頬がさらに赤く染まっていく。まさか、もしかして、本当にあっちの僕に……。そんな、嘘ですよね?
「えーと……失礼ですが、もしや貞操に関わるようなことを……?」
「んなわけがあるかーっ!」
 怒りとも羞恥ともとれるような色に耳まで染めながら、彼が叫んだ。
「貞操ってなんだっ! アホなこと抜かすな!」
「あ、えっと、すみません!」
 しまった。もしかしてあちらの僕は、意外と紳士的な人物だったのだろうか? でもそれならなんで、彼はこんなに赤くなってうろたえているのだろう。
 僕がおろおろしていると、彼は再び腕を組んで吐き出すように言った。
「確かに異世界のお前は、えらく変な奴だったよ。自分の世界では俺と、こっ、恋人同士だとか言ってさんざんちょっかいかけてきた。けど、あっちの世界の俺のことを話すときは、そりゃもう幸せそうに笑ってたさ! 俺が見たこともないような笑顔でな! 俺は……」
 そこまで一気にまくしたててから、彼はふいに目を逸らした。
「俺はな、古泉」
「は、はい……?」
 目を伏せて視線を少し先の床に投げ、相変わらず赤い顔でぽつりとつぶやく。
「……お前にも、あんな顔をさせてやりたいと、思ったよ」
 そのまま黙り込んでしまった彼の姿に、がんばれよ、と笑ってくれたあちらの彼の姿が重なる。ここは、勝負をかけるところなんでしょうか。
「あの……」
「……なんだ」
「あちらの世界の僕と、何をお話したんですか……?」
「ああ……恋人のどこを、どれくらい好きなのか、とか、さんざんのろけられたな」
「そうですか……」
 それはもう、ほとんど僕の気持ちを代弁されたのと同じなんじゃないのかな。
 踏み出して、いいのだろうか。うまくいってもいかなくても、待っているのは間違った道なのじゃないだろうか。
(俺は後悔してないぞ。……お前はどうだ? 古泉?)
 あちらの彼の声がよみがえる。
そうだな。
何が正しいかなんて、わからない。
ただ、後悔はしたくない。どんな結果になっても。
「あの……あなたに聞いて欲しいことが、あるのですが」
「ん……」
 彼が、顔をあげた。気のせいかその表情は、これから言われることをわかっているように見える。僕はありったけの勇気を振り絞って、その言葉を告げた。
「あなたが、好きです」
「……うん」
 やはり彼は、驚かなかった。ただうなずいて、視線を床におろした。
「友達として、という意味ではないです。出来れば、恋人、として、おつきあい願えればと思っています。……返事をいただけますか?」
「……」
 彼は床を見つめたまま、何かを言いかけては止めることを繰り返した。逡巡が伝わってくる。あげくに彼の口から出てきたのは、すまん、という言葉だった。
 ああ……そうですか。
「今、どんな顔をすればいいのか、わからん」
「……無理をしなくてもいいですよ。ダメなら、そのままここから立ち去ってくだされば、それが答えと了解しますから……。大丈夫、明日にはいつも通りの僕に戻ります」
 やはり、という思いが胸をふさぐ。最初から無謀だった賭けに負けただけだ。僕は自嘲と絶望に目を閉じて、彼が背をむけて部屋を出て行くのを待った。
 1秒、2秒、3秒。まだドアを開ける音は聞こえない。永遠かとも思えるほどの数分がたったとき、とうとうきしっと床が鳴る音がして、次に感じたのは……手を握るぬくもりだった。
「え……」
「そのまま目ぇつぶってろ。自分がどんな顔してるかわからんのだ」
 彼の、困ったような声が聞こえた。
「覚悟は、あるのか。なんといっても、世界の崩壊がかかってるんだぞ」
「……わかってます」
「間違いなく、お前の決めた道なんだな? 機関とか関係なく」
「もちろんです」
「たぶん、かなり厳しいぞ」
「望むところです」
「そうか。……なら、俺もお前と一緒に、その道を行ってやるよ」
 思わず、目を開けた。目の前で僕の手を握っている彼は、相変わらず仏頂面だった。
 でもその耳が、真っ赤に染まっている。手のひらは汗ばんで、かすかに震えていた。
「約束しろよ、古泉。いつかお前の、本当の笑顔を俺に見せるってな」
 あちらの彼に見せられた写真の中の笑顔が、脳裏によみがえる。あんな顔が、僕にもできるんだろうか。
「おい、泣くなって。俺が見たいのは泣き顔じゃなくて、笑顔だ笑顔」
「すみません……」
 思わずにじんだ涙を、彼があわててぬぐってくれる。やれやれ、とつぶやく唇に、微笑みが浮かんでいた。それにつられるように、僕もわずかに口元に笑みを刻んだ。
 今は多分、これが精一杯。
 でもきっと、そのうちあんな風に笑えるようになる気がする。
 ――彼と一緒にいられるなら。


                                                   NEXT
(2010.01.31 up)
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古泉の平行世界紀行でした。
ふたつの世界で、別人かってくらい性格が違ってますね、ふたりとも。
いつものヘタレ古泉も好きですが、パラレル側の変態古泉も好きです。