パラレルdays
01
 いつも通り、目覚ましが鳴る少し前に目を覚まし、アラームを止める。
 優等生かつさわやかな好青年である“古泉一樹”としては遅刻をするわけにいかないので、寝坊はしない。だが、本来の僕は実は寝起きはあまりよくないのだ。だからベッドの上で身を起こしてしばらくは、そのままぼーっと壁を見つめていた。
 そのとき、ふと自分の隣に誰かがいることに気がついた。
 隣、というか同じベッドの中だ。僕の頭はいまだ寝起きでボンヤリとしており、特定の配偶者も恋人もおらず、行きずりの相手との交情を楽しむ性癖もないはずの自分にはありえない事態だ、などとは到底思い至らず、何も考えずに一緒にかぶっていたらしい上掛けをめくる。
 途端、体が凍りついた。
 ――そこで眠っているのは“彼”だった。
 しかも、なぜか全裸。
 さらに言えば、僕自身も何も身につけていなかった。
(な、何が……一体……)
 彼は上掛けをめくられても目を覚まさず、横を向いた状態ですうすうと穏やかな寝息をたてている。その肌にはあきらかな赤い鬱血の跡がいくつも刻まれていて、単に同じベッドで寝ていただけではないということを如実に物語っていた。
(お、落ち着け……落ち着くんだ)
 確かに僕は、彼に対して道ならぬ想いを抱いている。だけど、神の想い人であり世界の鍵でもある彼にそのことを告げる気はなく、世界や“機関”やその他の勢力を裏切る勇気もなくて、気持ちも何もかも押し隠して、友人としてふるまっていたはずだ。想いは日々ふくれあがっていくばかりで、どうしようもない苦しい気持ちを持て余してはいたけれど……。
 そこで、僕は一瞬脳裏に浮かんだ考えにぞっと身を震わせた。もしかしたら僕は、思いあまってついに彼に、何かしてしまったのだろうか。都合良く記憶を失っているだけで、何か策略とか暴力とかの手段で、嫌がる彼を無理矢理……?
 恐ろしい考えに支配されてぐるぐると思考を巡らせていると、彼が小さくうめいてうっすらと目をあけた。僕は一瞬どうしていいかわからず、体を硬直させたまま、起き上がって大きく伸びをする彼を凝視していた。
「ん……?」
 彼が目をこすりながら、僕に視線を向ける。
 本当の意味で僕が驚愕したのは、おそらく次の瞬間だったろう。彼は僕の顔を見ると、皮肉げではない柔らかな微笑みを浮かべて、言ったのだ。
「相変わらず早起きだな……おはよう、一樹」
 …………は?



「な、長門さん長門さん長門さん長門さん長門さんーーーーーーーっ!!!!!」
『落ち着いて、古泉一樹』
 とりあえず彼に不信感をもたれないようにっこり笑って、おはようございます、なんて言ってのけてから、僕はちょっとトイレにと断って携帯電話をひっつかみ、個室に飛び込んで、この事態を説明してくれそうな唯一の人材に電話をかけた。
『事態は把握している。あなたはまず、落ち着くべき』
 彼女の冷静な声に、僕はなんとか自分を取り戻した。何度か深呼吸してから、努めて普段通りの声を出そうとしてみる。
「……失礼しました。僕としたことが、取り乱してしまいました。それで、これはどういう?」
『あなたにとって、ここは平行世界。パラレルワールド』
 パラレルワールド、だって……? 長門さんは淡々と、事態を解説してくれる。
『4時間34分22秒前に、小規模な時元震を観測した。あなたはそれに巻き込まれたと推測される。ここではあなたは、この世界の古泉一樹の異世界同位体。おそらく入れ替わったと思われる』
「なるほど……」
 つまり、ここは僕が本来いるべき世界ではないということか。原因は? と尋ねると、長門さんは淡々と、涼宮ハルヒと答えた。ああ、やっぱりそうなんですね。
『本人は憶えていない、昨晩の夢が原因。面白かった、という記憶が小規模な世界改変を引き起こした。すぐに元に戻る。影響は無視出来るレベル』
 おそらくパラレルワールドに行ったとか、そういう夢を見て、本当にあったら面白いのにという思いが変な風に作用したのか。なぜそれが、僕に起こったのかはわからないが。
『おそらく、夢の登場人物があなただったため』
 それはもう識域下の問題というか、ランダムと変わらないというか……まぁ、それはそれでいいとして、では一体どうすれば僕は元の世界に戻れるのだろう。
『大丈夫。あなたの本来の世界の私と同期をとれば、座標は割り出せる』
「そうですか……よかった」
『ただし、割り出しには少し時間がかかる』
「それは仕方ないですね。その点には問題ありませんので、よろしくお願いします」
 わかった、と言って、唐突に通話は切れた。とりあえず僕はほっと息をつく。なんとかなりそうだ。長門さん様々です、まったく。
 と、閉じこもったトイレのドアが控えめにたたかれた。
「おーい、一樹。どうしたんだ、具合でも悪いのか」
 そうだった。長門さんに、もうひとつ聞かなければならないことがあったのだった。つまり、この世界の彼と僕は、どういう関係なのかということだ。
 だが、同性同士とはいえ、週末の朝に明らかな情交の跡を残して同じベッドで目覚め、しかもファーストネームを呼び合う関係というのは、ひとつしか思い当たらず、聞くまでもない気もする。
 どうしよう、と思ったときにマナーモードにしてある携帯が震えた。出てみると、再び長門さんの声。彼女は僕が知りたかったことを端的に告げてくれた。
『説明を忘れていた。この世界のあなたと彼は、恋人同士。バカップル』
 ……そんな言葉、どこで覚えたんですか長門さん。
 トイレから出ると、ドアの前で彼が眉をしかめた仏頂面で立っていた。そんな顔をしていると、いつも見慣れた彼と相違ない。だけどその格好はなんなんですか。長めのTシャツ1枚だけで下着も穿かず、扇情的なことこの上ない。
「申し訳ありません。少し冷えたようです」
「冷えたってんなら、いつまでもそんな格好してんな」
 そういえば僕自身も、トイレに飛び込むときに携帯と一緒につかんできたシャツ1枚を羽織っただけの姿だった。彼はそっと近づいてきて、手を伸ばして僕の頬に触れる。
「熱いな。風邪でもひいたか?」
「いえ……」
 熱いのはあなたのせいなんですが。そんなに無防備に近づかれると、非常に困ります。
「なんかおかしいなお前。今日は土曜日だけど、ハルヒの都合で不思議探索はないんだ。いいからもうちょっと寝てろ」
 彼は僕の手をぐいぐい引っ張ってベッドに戻ると、僕を布団の中に押し込んだ。
「今日は俺が朝飯作ってやるから、イイ子で待ってろな」
 ポンポンと上掛けの上から僕の体をたたいて、彼は顔を近づけてきた。目をつぶったということは……えーと……もしや……。
「……一樹?」
 な、名前で呼ばないでください……。
 どうすることもできずに硬直していると、彼は不審そうに眉を寄せて首をかしげた。その顔がだんだん厳しくなってくる。ああ、気がつきましたね。
「……お前、一樹じゃないな?」
 やはり彼は察しがいい。ここは説明してしまった方が、よさそうですね。
「いえ、古泉一樹であることに間違いはありませんが、あなたの知っている僕ではないですね。長門さんが言うには、異世界同位体、だそうです」
「はぁ? ……またその手の話かよ」
 彼は溜息をつき、額に手をあててやれやれとつぶやいた。ああ、やっぱり彼は彼のままなのか。僕の世界の彼と、性格的には何も違わないようだ。
 彼は、僕の説明を黙って聞いたあと、不機嫌そうな顔をしたまま言った。
「そんで、異世界ナントカの古泉くんは、俺とはどんな関係なんだよ。キスのひとつも出来ないとこを見ると、付きあってはいないようだな」
「お察しの通り、ただの部活仲間で友人同士ですよ」
「ほう。だがただの友人にしちゃ、お前の反応はおかしいな」
 ニヤリとタチのよくない笑みを浮かべて、彼はいきなり上掛けをはぎ、僕のシャツの裾をめくった。
「ちょ、何するんですか!」
「ほら。こうなってんのは、俺を見てるからなんだろ?」
 確かに、男なら当然の朝の生理現象と言い張るには、ちょっと時間がたちすぎている。
 だって仕方ない。目の前にいる彼は相変わらずTシャツ1枚で、寝癖のついた後れ毛が頬のあたりに張り付いていたりして妙に色っぽいし、あり得ないほど近づいてきては無防備に触ってきて、あまつさえ僕を名前で呼んだりする。
 こんな状態で、反応するなという方が無理だ。
 真っ赤になって黙り込む僕を眺めながら、彼は楽しそうに笑う。
「まぁ、お前が一樹……古泉だってんなら、しょうがないな。あいつは俺にベタ惚れだし」
 ほんの少しの照れを含んだ、ちょっと自慢げなその声を聞いたとき、僕は長門さんの言葉を思い出した。……ああ、バカップル。確かにそうとしか言いようがないな、これは。彼がこんな状態だというのなら、確実に彼よりも愛情値の高い自信があるこの世界の僕は、いったいどうなっているのか。怖い。
 と、そう思ったとき、僕は恐ろしいことに気がついてしまった。同時に彼も、そのことに思い至ったらしい。
「ああ、それじゃこっちの一樹はお前の世界に行ってるってことだよな。大丈夫かな、あいつ……っていうか、あっちの世界の俺か」
 そうだ。彼と恋人同士……しかもすでに深い仲になっているらしいこの世界の僕と、ごく常識的な友人同士でしかない彼が出会ったら……この世界の僕はどんな行動に出るのだろう。
「まぁ……お前が戻れるまで、貞操が無事ならいいな」
「何を人ごとみたいに言ってるんですか! あなたのことですよ!?」
「といわれても、別世界の俺だしなぁ」
「大体、こっちの僕はそんなに節操なしなんですか!」
「いや、別に誰彼かまわず襲ったりはしないぞ? ただ俺に関しては抑制が効かないらしくてな。困ったもんだな」
 ……僕のセリフ、とらないでもらえます?


 ***********************


「な、長門長門長門長門長門長門長門−−−−−−−−−っ!」
『……あなたは少し落ち着くべき』
 思いっきり玄関ドアを閉じて、朝っぱらから無駄スマイルの男を閉め出してから、俺はあわてて頼れる宇宙人に携帯から電話をかけていた。
「す、すまん。いや落ち着いてる場合じゃないんだ。古泉が変なんだ。いや、あいつはいつも大抵変なんだが今日は輪をかけて変というか、頭がおかしくなったとしか思え……え? 異世界……なんだって?」
 電話の向こうからは、いつも通りの冷静な声が聞こえてくる。
『その古泉一樹は、異世界同位体。平行世界の彼。本来この世界に属する彼本人と、入れ替わっている』
 つまり、パラレルワールドのあいつだってことか? ……またその手の話かよ。
『私が説明する。彼が近くにいるなら、電話を替わって』
 俺はおそるおそる玄関ドアを開けて、そこにいるであろう変態超能力者に通話状態の携帯をつきだした。なんとなく悲しそうな顔でそこに突っ立っていた古泉は、俺の顔を見るととたんに笑顔になった。
「長門だ」
「長門さん、ですか?」
 不思議そうな顔をしている奴に、とにかく出ろといって電話を渡す。
 おっと、それ以上近づくな。朝っぱらからいきなり人んちに押しかけてきて、また玄関先で抱きしめられちゃかなわん。世間体が悪い。
「冷たいですねぇ。仮にも恋人に向かって……」
「なっ!!!」
 なんか今、さらりと恐ろしいことを言ったぞこいつ。聞き返そうとすると、古泉はちょうど携帯を耳に当てたところだった。
「はい。古泉です。はい……おや、そうなんですか? 道理で……。平行世界ですか、なるほど。それは残念ですね……。はい、その点はよろしくお願いします」
 ピッ。通話を切って携帯を俺に返しながら、古泉はまた笑顔になった。さっき見せた心底嬉しそうなそれではなく、こいつのいわゆる営業スマイルだ。
「失礼しました。長門さんから事態の説明を受けました。あなたは、僕の恋人であるあなたではないのですね」
「……ったりまえだっ! 何で俺が、お前の、恋人にならなきゃいかんのだっ!」
「声が大きいですよ?」
 はっと我に返る。いかん、こんな不穏なセリフをご近所に聞かれたら、どんな噂になるかわからん。仕方なく俺は、古泉をうながして自分の部屋にあがった。



「で、お前の世界では、どういうことになっとるんだ?」
「どう、と言われましても、言葉の通りですよ。僕とあなたは、恋人同士なのです。大変仲むつまじい、ね」
 その話は、マジなのか。
「えらくマジです」
 俺は勉強机に備え付けの椅子に座り足を組んで、床に正座しているハンサム面を眉をしかめて見下ろした。事態が判明し、こっちの世界の俺と古泉は単なる友人同士だと知ったあとは、こいつは必要以上に近づきもせず、紳士的なふるまいを崩さない。が、やっぱりそんなことを聞くと、いろいろ想像しちまうじゃねえか。
「えーと……答えにくかったら言わんでもいいんだが……そっちの俺たちは、どの程度のつきあいというか……」
 俺のその質問に一瞬目を見開いた古泉は、やがて悪戯っぽい笑みを唇に刻んだ。
「そりゃあもう、ばっちり肉体関係ですよ? くわしく聞きたいですか?」
「いやいやいやいや言わんでいい、言わんでいい! 耳が腐る!」
「なんですか、自分から聞いておいて」
 耳を押さえてのたうち回っているところに、おもしろがっているような古泉の声が聞こえる。いるような、じゃなくて、完全におもしろがってるなこいつは。
「信じられん……なんで俺が、古泉なんかと」
「おや……」
 ふいに、古泉が立ち上がった。2歩、足をすすめて、椅子に座った俺の肩に手を置いて、覆い被さるような体勢になる。……顔が近い!
「あなたは、僕がお嫌いですか?」
「き……っ!」
 耳元でささやくな! お前の声は、なんか知らんが腰に響くんだよっ。
「きらい……では、ない……と、思うが……」
「では、少しは好意があるのですね」
 あくまで、友達としてだがな。SOS団では唯一の同性だし、なにか事件があれば運命共同体だし。
「ほう……」
 なんだよ。なんか文句があるのか?
「いえ。ちょっと思い出しまして。なつかしいな、と」
「はぁ? なにがだ」
 何が楽しいのか古泉はくすくすと小さく笑いながら、意味ありげな目で俺を見ている。何を思い出すって?
「僕が思いあまって告白する直前ごろ、僕の世界のあなたも、そんな態度でしたねぇ。……まったく素直じゃない」
「なんだって?」
 突然、肩に置かれた古泉の手に力が入った。足を組んだ不安定な姿勢だった俺は、バランスを崩して椅子ごと床に倒れ込む。派手な音が響いたが、今日は両親が妹を連れて朝から買い物に行ってるんで、家は空っぽなんだ。
 しまったな、と思ったのは、仰向けに床に倒れた俺の上に覆い被さる、ニコニコ0円スマイルを見上げたときだった。


 ***********************
                                                   NEXT
(2010.01.24 up)
BACK  TOP  NEXT

すいません。えろ展開にはなりません。
このまま、淡々とした感じですすみます。

あとオープニングが「最低な男」と同じシチュだということには、気がつかないであげてください。