暖かなもの

     【お題】傍らで眠る、暖かな存在



 猫を預かってくれないか、とクラスメイトに頼まれたのは、
たしか中学1年の冬ごろだ。
 僕は、そのころにはすでに家を出て機関の寮に住んでいたのだけれど、
寮で猫が飼えるかどうかの確認もせずに、引き受けてしまった。

 機関の寮で、僕はその歳にしてすでに1人部屋で生活していた。
食事は世話係だった森さんが用意してくれたが、彼女は当時から
かなり忙しい人で、一緒に食卓を囲むということはあまりできなかった。
その代わり、掃除や洗濯などの雑務は完璧にこなしてくれて、僕は
ただ朝起きて学校に行き、閉鎖空間に対処して、食事をして1人で寝る
という生活を送っていた。
 機関の中ではほぼ最年少だったこともあり、大人ばかりに囲まれていた
僕は、あまり自覚はなかったが寂しかったのだと思う。預かって欲しいと
差し出された猫はまだ小さくて、ふわふわと暖かくて、一緒に寝たら
どんなに気持ちいいだろうと思ってしまったのだ。

―――2,3日でいいんだ。絶対、母さんを説得して、飼えるようにするから。

 拾ってしまった猫を飼うことを家族に承認させる活動の間だけ、
世話を頼むと頭を下げてきたクラスメイト。なんで彼は僕に頼んで来たのだろうと
思いながらも、猫のはいった段ボールを抱えて寮に戻った。

―――また、やっかいな案件を引き受けたものね、古泉。

 理由を説明して猫を見せると、森さんは困るとあきれるの中間みたいな
顔をして、腰に手をあてて首を振った。返してこいと言われるかと思ったが、
彼女は少し考えてから、わかったわ、子猫の飼育にくわしい人を探しておくから、
世話はあなたがするのよと許可してくれた。
 夜になって、子猫用のミルクや即席で作ったトイレなどを抱えて部屋に
来たのはなんと新川さんで、僕は彼のレクチャーを受けて一通り世話を覚え、
その日の夜は子猫を布団にいれることを許された。
 思った通りに子猫の身体はふわふわで温かく、ミルクの匂いがして、僕は満足だった。

 幸い、その数日は閉鎖空間の発生もそれほど頻繁ではなく、
僕は学校から飛ぶように帰ってきては、昼間預かってくれている
新川さんの元へと駆けつけた。
 子猫は僕になついてくれて、哺乳瓶でミルクを与えたり、排泄を
うながしたりといった世話も2日目にはなんとかできるようになった。

 クラスメイトの説得工作は難航しているようで、1週間ほどがそうして過ぎた。
僕は毎晩のように猫を布団に入れて、暖かな存在に触れて眠った。
気のせいか、眠りも深くおだやかであるように思われて、幸せだった。
 だがすっかり情も移り、このまま返したくないなと思っていた矢先、
クラスメイトが顔を喜びに輝かせて僕のところにやってきた。

―――やったぜ古泉! やっと母さんが許してくれたんだ! 預かってくれて
サンキューな。今日、さっそく引き取りにいくよ!

 彼の喜びようがあまりにもまっすぐで、僕はこのまま猫を引き取りたいとは
言えず、わかったと告げることしかできなかった。

 使うもののいなくなった哺乳瓶や段ボールの寝床やタオルを見ながら
ボンヤリしている僕を、森さんと新川さんがなぐさめてくれた。よかったら、
猫をもらってきましょうかとまで言ってくれたけれど、僕はただ首を振った。
 その夜、もぐりこんだ布団の冷たさに改めて気がついて、僕は声を出さずに泣いた。


************


「………………っ!」
 はっと目を覚ましたとき、自分が泣いていたことに気がついた。
目尻に涙がたまり、のどがつまって少し痛い。
はぁ、と息をついて手で目元を拭っていたら、隣から眠そうな声がした。

「……どうした、古泉」

 半分以上眠っているような顔で、彼が僕を見ている。
羽布団からはみだしているその肩はむき出しで寒そうだけれど、パジャマや
下着はベッドの下の床に盛大にばらまかれているはずで、拾い集めるのは億劫だ。

「何を泣いてんだ……怖い夢でもみたのか」

 彼は布団の中から手を出して伸ばし、僕の目元を拭う。
そのままぽんぽんと頭をなでてくる仕草は、まるで妹さんをあやしている
ときのようで、僕は思わずくすりと笑ってしまった。

「いえ……中学のときの夢を見ただけです」
「ふーん……? イジメにでもあってたのかよ」
「違いますよ。猫をね、預かったことがありまして、そのときの夢です」
「猫?」
「1週間ほどでしたけど……可愛かったですよ」
「……そうか」

 彼はそこで何かを納得したように再び目を閉じ、布団に潜り込み直した。

「眠いから、詳細は明日聞く」
「はい……」
「あと、寒い」

 ごそごそと、彼が布団の中で身動いて、僕の方に寄ってきた。さっきまで眠っていた
彼の身体は体温が上がっていて、触れあう素肌は温かく心地いい。
 彼は僕の肩に顔を寄せ、ぴったりとくっついて溜息をついた。

「あったけ……」

 聞こえるか聞こえないかくらいの声でつぶやいて、彼はすぐに寝息を立て始める。
僕は肩にその吐息を感じながら、手を伸ばして彼の髪をなでてみた。
彼の髪は短くて少し硬めで、子猫のふわふわな毛並みとは似ても似つかないが、
それでも与えてくれる幸福感は一緒か、それ以上だ。
そこに彼がいてくれる奇跡に、ただ胸がつまる。
 すぅすぅと穏やかな寝息をたてる寝顔にそっとキスを落とすと、眠っていると見えた彼が、
目を閉じたまま不明瞭な声でもう一度つぶやいた。

「寂しかったら、俺でも抱いてろ……返した猫の代わりだ……」

 ああ。どうやら彼には、すべてお見通しのようだ。
こみあげる想いに、再び目に涙がにじむのを感じる。
自分は今、泣き笑いみたいな顔になっているのだろうなと思いつつ、僕は再認識した。
中学時代のあの日、失ってしまった傍らで眠る暖かな存在=B
それを僕は、いつのまにか取り戻していたのだと。
今度こそ、このぬくもりを手放さなくて、いいのだと。

 僕は彼の言葉に甘え、温かなその身体をぎゅっと抱きしめてから目を閉じた。
さっきまでの夢の続きを、幸せな物語へと変えるために。

 
                                                 END→オマケ
(2009.12.08 up)
実は掲載中にちょっとだけ書き直しました。キョンの反応あたり。
あと、同じお題で書いた没SSをこっそり載せときます。