バードケイジ
02

 去年、消失≠オた世界。
エラーを起こした長門が、創造した世界。
あってはならない、改変された世界。

消滅したと思っていた。
俺が選ばなかったから、俺が消したのだと思っていた。
だが、この古泉がいうには、あちらの世界はちゃんと存続しており、消滅したのは俺の方なのだという。

「あのあと涼宮さんは、あそこに集まっていたメンバーでSOS団を作りました。と言っても、もっぱら週末に集まっては高校生らしい遊びをするだけの、サークルのようなものですけどね」
 古泉はおもしろくもなさそうな口調で、そう言った。
あのメンバーというと、お前とハルヒと朝比奈さんと、あの長門か?
「ええ。それと……あなた」
「俺?」
「北高に在籍している、僕らの世界のあなたです。あのことがあった翌日に、涼宮さんが北高に乗り込んであなたを見つけ、真相を問いただしたんですが、あなたは風邪をひいて3日間学校を休んでいたと言い張って、何も知らない様子でした」
 そうか……あの世界にも俺はいたんだな。そういや谷口も国木田も俺を知ってたし、5組に俺の席だってあった。
「それでも涼宮さんは強引にあなたをSOS団に引き入れて、今でも引っ張りまわしています。それはそれは……楽しそうですよ」
 そこで古泉は、苦々しく笑った。
「1年前までは日々退屈そうで不満そうで、自分でもわからない鬱屈をため込んでいた様子だったのにあなたときたら、何をするわけでもないのにあっという間に涼宮さんの興味をひいてしまって……まったく、参りますね」
 そういえばこいつは……ハルヒのことが、好きだと言ってたな。ハルヒに馴れ馴れしく声をかけた俺を、敵意のこもった冷たい視線で見ていた。

ちょうど、今みたいな。
突き刺すような視線。
古泉なのにな。

「…………!」
 と、そこで俺ははっとした。こいつがこの世界にいるってことは、こっちの世界の……いつもの古泉は、どこに行ったんだ?
「おい!」
 俺はそいつに詰め寄って、手首をつかんで問いただした。
「お前が、あの世界の古泉だってことはわかった。じゃあ、こっちの世界のあいつはどこにいったんだ。昨日までのあいつはっ!」
「知りませんよ。僕だって、今朝目が覚めたら知らない部屋にいて、家族はいないし制服もないしでパニックだったんですから」
 全身から、力が抜けそうになった。血が下がって、めまいがする。
まさか、消えちまった?
それともあのときの俺みたいに、たった独りであっちの世界に放り込まれてるんだろうか。
一体、どこに行っちまったんだ……古泉!

 だが、つかんでいた手首を離そうとして、俺はふとその指に可愛らしい猫の絵がついた絆創膏が巻かれているのに気がついた。
 これは確か、昨日の団活のときに朝比奈さんが湯飲みを割り、その片付けを手伝ってつけた傷に朝比奈さんが巻いたものだ。側で見ていたから、間違いない。
「お前、この傷は?」
 案の定、そいつは知らないと首をかしげた。とすると、やはりそうだ。こいつのこの身体は、本来の古泉のものなのだ。
ただ中身が……人格だけが変わっている。
「そういうことか、お前……っ!」
「そうにらまれても、僕のせいじゃありませんよ。僕だって、いきなりこんな世界に連れてこられて迷惑しているんです」
 うっとおしそうに俺の手を振り払い、古泉は俺に背をむけてコンロに火をつけた。
コーヒーでいいですか、インスタントですけどと投げやりに言うその背中は、見慣れたもののはずなのにひどく遠く感じる。
「そうだ、長門に……」
 本当は、あの世界に関することに、長門を関わらせたくない。
長門の積もりに積もったバグが生み出したあの世界は、あいつの心にも浅くない傷をつけているはずだから。
それでも、悲しいかな古泉がこんな状態の今、俺が頼れるのはお前しかいないんだ。すまん、長門。
 でも、かけようと取り出した携帯はなぜか圏外だった。
この部屋で圏外になったことなんてないんだが(古泉のバイト事情からいって当然だ)、おかしいな。
「ちっ……」
 しかたなく俺は、玄関ドアに足を向けた。こうなったら直接、長門のマンションに行くしかない。
古泉は俺のそんな行動に気づいているはずだが、特に何も言う様子はないようだ。
 だが俺は、そこでまた足を止めることになった。
「おい……」
「どうしました?」
「出口は、どこに行った?」
「はい?」

 ドアが、消えていた。

 正確には、さっきまで玄関がだったはずの場所が、ただの壁になっていた。
周囲をぐるりと見渡しても、他にそれらしき場所が見あたらない。どうやらこの部屋は今、完全に閉鎖されてしまったようだ。
 これも一種の閉鎖空間なのか? 一体誰が、何がこんなことを。
「くそっ……!」
 携帯も通じず、外に出ることもできない。
つまり長門にも、機関にも助けを求めることができないということだ。
どうすればいい。
どうすれば俺は、いつものあいつを、取り戻すことができるんだ。

「籠の鳥ですねぇ。まるで」

 俺の背後に立って、じっとドアのあった壁を見ていたらしい古泉が、ぽつりと言った。
「出口のない部屋にふたりきり、ですか。恋人同士なら、ある種のロマンですよね」
 思わず俺は、背後を振り返った。
こんな状況でもあわてない、余裕すら感じられるそのセリフが、いつものあいつを思わせたからだ。
まさか元に戻ったのかと一瞬の期待が胸をよぎったが、振り仰いだ瞳はやはり無感情なままだった。

「また、その顔」
 ふいに、古泉が俺を見て言った。……なんだって?
「あなたがいらしたときから考えていたんですが……この世界での僕とあなたは、どんな関係なんですか?」
「どんなって……」
「僕を……この世界の僕を案じるあなたの表情は、どうもただの友人相手に見せるものとは思えません。それに今日一日この部屋を調べたところ、食器や歯ブラシなど、自分用とは思えないものがたくさん用意されているので、どうやらこの世界の僕には、たびたび部屋に泊まるほどの仲の彼女がいるらしいと推測したんですが……もしかしたら彼女≠ナはないのかもしれませんね?」
 意味ありげな古泉の視線が、突き刺さる。
じろじろと無遠慮に俺を眺め回すその視線は、まるで服を透過して肌を直接なでまわしてくるみたいで、俺はわずかに身じろいだ。
じっと、縫い止めるように見つめ続ける古泉のその唇が、ゆがんだ笑みを形作る。
そこから吐き出された言葉に、蔑むような響きを感じたのは俺の気のせいだろうか。

「もしかして、泊まりに来い、というのはそういう意味を含んでいるんですか?」

 わけもなく、俺はぞっとするものを感じて、あとさじった。
腕を組んだまま俺を見る古泉が、怖い。ジリ、と下がった背中が玄関だったはずの壁にあたる。
まずい。ここは上層階だから、窓から飛び降りることもできない。……逃げられない。
 古泉はそんな俺を余裕の表情で見下ろして、笑ってみせた。
「何をそう怯えるんですか。あなたは僕の、恋人、なんでしょう? 違いますか?」

 次の瞬間、俺はすごい力でぐいと引っ張られ、床の上に押し倒された。
「やめろ……!」
「なぜですか。僕は僕です。たいした違いはないでしょうに」
「違う! お前は古泉だけど、あいつじゃない。……触るな!」
 一瞬、微笑んでいた古泉の顔から笑みが消えた。
痛みをこらえるような表情に見えたがそれは本当に一瞬で、すぐにまた笑顔が戻ってくる。
「触るなとは、ご挨拶ですね」
「はなせよ。大体お前は、俺のこと……」
 敵視していたはずだ。今となっては、憎んですらいるんじゃないか。
ずっと惚れていた女を、脇から現れてさらっていったと、そう思っているんじゃないのか。
 すると古泉の笑顔は、ますます深くなった。いつも見ている顔のいつもの笑顔なのに、ぞくりと背筋に悪寒が走る。
「そう思っているなら……なおさら、おとなしくしていただきたいものですねぇ」
「お前は……っ!」


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(2009.12.19 up)

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次回、18禁パートに突入です。