キス×キス
01
「今年こそぜひ、夢のチョコレートプレイを希望しますっ」
「アホだろうお前。頭わいてんのか」
 俺の膝の上に頭をのせ、ゆるんだ表情でニコニコしてる男に、今年のバレンタインはどんなチョコが食べたいんだと聞いてみたら、恐ろしくアホな答えが返ってきた。
念のために聞いておくが、一樹。それはあれか。溶かしたチョコを全身に塗ってあれこれという、エロ本の定番ネタみたいな。
「もちろん、それに相違ありませんとも!」
「もう1度言おう。アホだろうお前」
 腕を組んで冷たい目で見下ろしながら再び言ってやると、一樹はとどめを刺されたような顔で、がっくりと大げさに落ち込んでみせた。
「二度もアホ呼ばわりだなんて……。純情青少年の、ほんのささやかな夢なのに」
「変態青少年の間違いだろうが」
 やれやれ。肩をすくめて溜息をつきつつつぶやくと、寝たまま首を傾げるという器用な姿勢で、一樹は酷いですねと口をとがらせた。
「誰もが抱く普遍の夢ですよ?」
「食べ物で遊んじゃいけません!」
 まったく、こいつの変態度はどんどん磨きがかかってきやがるな。つきあい始める前は、もうちょっとまともというか、それこそ純情青少年だった気がするんだが。

「純情少年、か」
 そのとき俺がふと思い出したのは、数ヶ月前に巻き込まれたある事件のことだった。
毎度のことだが原因はハルヒで、でもそのときに限っては、主犯は俺たちのこの世界のハルヒではなかった。長門が言うところの平行世界のハルヒがまたヘンテコパワーを行使したあげく、今、俺の膝の上でバカげた妄想を垂れ流している古泉一樹と、別の世界のなんだかやけに可愛らしかった古泉一樹が入れ替わったのだ。
 そいつの世界の俺に絶賛片想い中だと言っていたあいつは、確かに純情少年と言ってもいいような風情だったよな。

「……何を考えているんですか?」
「お前が、過去のどこかに忘れてきた可愛げの行方についてな」
「ああ……少し前にあなたが遭遇した、別世界の僕についてですか」
 こんな断片的な言葉だけでよくわかるな、お前。それとも、とうとうテレパシー的な超能力まで目覚めたのか。
「あなたのことなら、なんだってわかりますよ」
 いつも、あなたのことばかり考えているせいでしょうか、とかまた歯の浮くようなことをほざいてから、一樹は手を伸ばして俺の頬に触れる。骨張った指が、するすると動いて俺の頬から顎へ移動して、唇をゆっくりとなでた。
「甘いセリフのつもりかもしれんが、チョコレートプレイ発言のあとじゃ、変態の世迷いごとにしか聞こえんな」
 まったく残念な男だ。まぁ、とりあえず、くすぐったいからその手を離せ。
「あの彼がどんな純情少年に見えたのかは知りようもありません。ですが、彼だって僕には違いないんですから、おそらく中身は僕と似たようなものですよ? きっと」
「あっちの俺に告白すらできない純情っぷりを、一足飛びに変態にすんな」

「告白はした模様。こちらから帰還したあとに」

 それまで黙り込んでいた第三者が、そのときいきなり言葉を発した。
ああ。そういえば言い忘れてたな。
ここは一樹の住むマンションのリビングで、ソファの上には俺と一樹。そしてローテーブルをはさんだ向かい側には制服姿の長門有希が座っていて、俺たちのアホみたいな会話を聞きながら、黙々とクッキーや煎餅を頬張っているんだ。
俺と一樹の一番の味方でもある可愛い万能宇宙人は、何が気に入ったのか時々こうやって、一樹のマンションに遊びに来る。ただし、俺が来ているとき限定なんだが。
 まぁ、言いたいことはわかるぞ。
お前らはそんな可愛い長門の目の前で恥ずかしげもなくいちゃいちゃしてたのか、慎みってものがないのかこのバカップルめと、こう言いたいんだろう?
だがな。誤解してもらっちゃ困るから言っておくが、これは長門が推奨するからやってるんだぞ。
長門があの液体ヘリウムみたいな澄んだ瞳を光らせて、『あなたたちは、私の存在を気にする必要はない。むしろ大いにいちゃいちゃするべき』なんて言ったんだからな。しかもその通りにしてると、長門はすごく楽しそうなんだ。長門の願いなら、俺は大抵のことは叶えてやりたいと思ってるんだ。だからなんだ。わかったか、そこっ!

「帰還したあと、というと?」
「言葉の通り、帰還した直後。異世界同位体の古泉一樹はあちらの彼に告白し交際を申し込み、それを彼が了承した。あちらの私と同期して確認したから間違いない」
「それはそれは。大変、喜ばしいことですね」
 俺が心の中で誰にともしれない弁明に心血を注いでいる間に、ソファから起き上がった一樹と長門の会話はいつのまにか進んでいた。まぁ、聞こえていたから問題はない。
「そうか……。あいつ、がんばったんだな」
 あの日一日を一緒に過ごしたあいつの顔を思い浮かべて、思わず顔がほころぶ。……よかったな、古泉。
 ふと見れば一樹も、営業スマイルじゃない笑顔を隠しもしていない。
そうか。お前も俺みたいに、あっちの俺たちを見守りつつ応援するような気持ちを持ってたのか、一樹。まるで、弟とか後輩を見守るみたいな気持ちをさ。
「本当によかったです。今頃は彼らも、めくるめく愛欲の毎日なのでしょうね」
 ……おい。なんか今、ほのぼのした気分を台無しにするセリフを聞いた気がするんだが。
「初めて同士だと、失敗することも多いんですよねぇ。大丈夫だったんでしょうか。ああ、そういえば僕たちもそうでしたよね。思い出しますよ。初めてのときのあなたといえば、そりゃあもうこの世のものとは思えないほど可愛らしく、その身体は小さく震えていて……」
「……長門。とりあえず、そこの変質者を黙らせてくれ」
「わかった」
 長門がさっと手をかざすと、変質者の変態発言が止まった。どうやら息も止まってるみたいだが知るか。……まぁ、死なない程度にしといてやってくれな、長門。
 こくん、とうなずいてから、長門は少し首を傾げて言った。

「彼らはまだ、生殖行為における肉体的接触の第一段階を実行していない」
「せ……って、な、長門さん?」
「あなたが理解しやすい言語に変換すると、口づけ、接吻、キス、などにあたる行為」
「つまり……」
 いつのまに復活したのか、ぜいぜいと肩で息をしながら起き上がった一樹が、会話に加わってきた。
「晴れて恋人同士になったはずの彼らは、未だに清いお付き合いしかしていない、と」
「そう」
「あちらと時間の流れが同じだとすれば、もう数ヶ月はたっているはずですが……」
 やれやれと肩をすくめて首をふる一樹に、なんとなくあっちの古泉に同情的な俺はかばうような言葉を返す。
「お前と違って真面目なんだろ、あっちの古泉は」
「違いますよ。ただのヘタレです」
 なんだよ、その断定は。
「だって仮にも僕ですよ? 恋人になったあなたを目の前にして、手を出さないなんてことありえません。それがいまだにプラトニックのままだというなら、単に意気地がないだけですよ」
 いろいろとツッコミどころのあるセリフだったが、まぁいい。
それが本当なら、どうにかしてやりたいところだが、あいにくここからじゃどうすることもできんな。

「そうでもない」

「え?」
 長門がいつも通りの無表情で、きっぱりと言った。なんだって? どうにかする方法があるっていうのか、長門。
「そう」
「そんな方法があるというなら、協力するのに吝かではありませんよ。ね?」
 そう言って片眼を閉じてみせる一樹に、俺はうなずいてみせた。俺たちを順に見比べてから、長門は流れるように説明をはじめた。
「この世界とあちらの世界は、1度、古泉一樹の存在を通じて関わりを持った。そのため、不安定にして微細なものではあるが、相互にネットワークというべき回路が形成され、時空間的な共振作用が観測されている。その現象が特に顕著に顕在化しているのが、あなたと古泉一樹」
「つまり……?」
「こちら側を世界αとしあちら側を世界βとした場合、α側であなたが起こした行動が共振作用により世界βに伝達される。有機生命体における行動原理は恣意的な情動で決定されることも多いため、共振の振れ幅はより確定的な」
 長門長門。頼むから、もうちょっとかみ砕いて説明してくれ。俺が両手をあげて降参の姿勢を取る前に、こんなときだけハンサム面に理知的な表情をのせた解説役の超能力者が、重々しくうなずいた。
「なるほど。つまり、こちらの世界の僕らとあちらの世界の僕らは、微妙にシンクロしあってお互いに影響を与えているわけですね」
「そう」
「言われてみれば、僕があちらの僕と入れ替わったとき、僕らがとった行動はかなり似通っていましたよね。聞いた範囲で判断するに」
 そういえばそうかもしれん。長門に電話で助けを求めたり、デートしたり、冗談で誘惑してみたりな。
「それで、影響力がより強いのは、αとβどちらの世界なのですか?」
「α側。おそらく、行動の基盤たる情動がより安定しているため」
「なるほど。愛の力ですね。では、僕らが行動することによって、あちらの彼らの行動に方向性を与えることが可能だということですか」
「そう。時間的環境的情動的要因をそろえることによって、ベクトルは強化される」
「ならば、うってつけのイベントが目前にあるではないですか」
「推奨する」
 おいおい。俺を置いてけぼりにして、二人でわかりあうなよ。お父さんは寂しいぞ、長門。説明してくれ。一体、何をどうすることになったんだ?
 思いっきり眉をしかめて腕組みをし、不満をあらわにしている俺に、一樹は楽しそうな笑顔を向けて、もう一度キレイなウィンクを決めてみせた。

「つまり、決戦はバレンタインデー、ということですよ」


*********************************


「おう、古泉」
「お待ちしてました」
 団活の終了後、メンバー全員で下校するいつもの坂道。分かれ道でいったん解散したあとに、僕たちは彼女らの目を盗み、密かに待ちあわせて再会する。彼が夕食の時間に間に合うよう帰宅の途につくまでのほんのわずかな時間、デートとも呼べないようなささやかなひとときを共に過ごすようになって、何ヶ月がたつだろう。
 いつの間にか年も明けてしまったが、あの日確かに変わったと思えた僕と彼の関係は、本当に変化したのだろうか?
 平行世界に飛ばされ、彼でない彼に出会ったのちに帰還するという、世にも珍しい体験をしたあと、意を決してこちらの彼に告白した。勝率の低い賭だと思っていたのに、どういうわけかその賭は、僕に勝利をもたらした。彼は僕の手を取り、僕の想いを受け入れると言ってくれたのだ。
 その日から、僕らは恋人としてのお付き合いをスタートさせた。
 ……わけなのだが。

 長門さん以外には悟られてはいけない交際なのだから、人目のある場所では友人同士の距離を保たなければならないことは覚悟の上。だから教室や廊下や部室では、ごく普通にいままで通りに接している。
 だが、人目をさけて二人きりになったこんな時でも、僕らは密着するでなく手をつなぐでもなく、ただ並んで歩いたり公園のベンチでしゃべったりコンビニで立ち読みしたりという他愛もない時間を過ごしているのだ。
 それは確かに楽しくて嬉しくて、心が温かくなる幸せな時間ではあるのだけれど。

 わかってもらえるだろうか。
こう見えても僕だって、年頃の青少年なのだということを。

「……っ!」
 ベンチに腰掛け缶コーヒーを飲んでいた彼が、いきなりむせた。ゲホゲホと苦しそうに咳こんでいるので、僕はあわてて背中をさすった。
「大丈夫ですか?」
「ああ……悪い。気管に入った」
 見れば彼は、相当苦しかったのか目尻に涙をにじませ、鼻の頭を赤くしている。唇の端をつたう唾液を手で拭う姿を見て、僕は頬に熱があがるのを感じた。なんというか、色っぽい。
 僕はあわててティッシュを彼に渡し、彼が唇をごしごしとこするのを盗み見た。
「サンキュ。……なんだよ、じろじろ見て」
 乱暴にこすったせいか、唇が赤い。瞳もまだ少し潤んで、目尻も赤くなったままだ。そんな顔でじっと見つめられていては、どうにも落ち着かない。
「いえ、別に」
「変なやつだな」
 どうとでも言ってください。僕は今、大好きでたまらない恋人を目の前にして感じる、原始的にして普遍的な生理的衝動に耐えているのですから。

 だけど僕は、まだこの衝動を具体的な形にする勇気が持てない。
たぶんこれは、罪悪感なのだろうと思う。
確かに彼は、僕のこの道ならぬ想いを受け入れると言ってくれた。が、もともと彼は、僕に恋愛感情はなかったはずだ。僕のことは友人として好意を持っていてくれたにせよ、まさか恋人ととして付き合うことになるとは思いもしなかったろう。
 同情かもしれない。単にほだされたのかもしれない。いずれにせよ、僕が好きになりさえしなければ、彼はこんな、あまり一般的ではない恋愛沙汰に足を踏み入れることは、なかったはずだ。……彼は本当に、普通の少年なのだから。
そんな彼が、僕とのその手の接触を望むとはとてもじゃないが思えないではないか。
 もしも手を伸ばしてドン引かれたら……いや、あいまいに笑いながら、そこまではちょっと、なんて言われたら……。ええもう、臆病者だろうがヘタレだろうが、好きにののしってくださって結構ですとも!

「……なぁ、古泉」
「え、あ、はい! なんでしょうかっ」
 僕の勢いにちょっと引き気味になった彼が、しばし逡巡したのち視線を泳がせた。
「明日。……どうする」
「明日というと……」
 頭の中でカレンダーをチェックする。
そうか。明日は、2月14日。世に言う、バレンタインデーだ。
それで先ほど、坂の下で解散したあとに、涼宮さんが長門さんと朝比奈さんを引っ張って、商店街の方に走っていったわけですね。
「去年ほど、大がかりなことにはならないと思いますよ。涼宮さんたちが、何かを企んでいる様子もないですしね」
「…………………………そうだな」
 あれ? なんでしょうか、今の微妙な間は。
黙り込んだ彼に話しかけようとすると、彼は残ったコーヒーを飲み干してベンチから立ち上がった。自販機のそばのくずかごに缶を投げ入れ、いきなり帰ると言い出す。
「そ、そうですか。では、自転車置き場までご一緒に」
「いらん。じゃあな」
 そのまま彼は、僕に背を向けて公園の出口へ歩いて行ってしまった。ベンチから立ち上がるきっかけを失ったまま見送る僕を、彼が1度だけ振り返る。
遠目でその唇が、バーカ、とつぶやく形に動くが見て取れた。

 とたんに僕は、先ほど彼がした質問の意図を理解した。
明日どうするか、というのは涼宮さん対策のことではなくて……自分たちはバレンタインをどう過ごそうか、という意味の質問だったのだ。

「あ……」
 しまった、と思っても、すでに後の祭り。
だって、まさか彼が……あの彼が、バレンタインなんてイベントを気にしてくれるなんて、思うわけがない。どちらかというと彼は、そういったことを面倒がる質のはずというのが頭にあって、バレンタインに二人でどうこうなんて考えもしなかった。
「僕ってやつは本当に……」
 ベンチに座ったまま、両手で頭を抱えこむ。せっかく彼が気を遣って提案してくれたんだろうに……本当に僕はバカだ。
 後悔のあまりどんどん考えが後ろ向きの方向に走り出し、死んでお詫びするには切腹と服毒とどちらがふさわしいか、なんてところまでシミュレートしていたら、目の前に誰かが立った。茶色の小さな革靴、黒いハイソックス、青い制服のミニスカート。
「長門さん?」
 目の前に無言でたたずんでいるのは、制服にカーディガン1枚で寒そうな様子もない、可憐な宇宙人だった。
「どうしたんですか? 涼宮さんたちと、お買い物では?」
「買い物は終わった。購入した品物は、明日まであなたと彼には秘密」
 そうですか。まぁ、この日に男性陣に秘密の買い物といえば大体わかりますけれど、秘密というならそうしておきましょう。
「あなたに、提案がある。明日のことで」
「明日? バレンタインのイベントについてなら、涼宮さんに口止めされているのではありませんか?」
 すると長門さんは、ふるふると首を振った。
「涼宮ハルヒ企画のイベントのことではない。これは、α世界の私からの要請」
「α世界?」
「便宜上そう呼んでいる。あなたが涼宮ハルヒの力によって時空間移動し、14時間47分54秒滞在していた世界のこと。こちらはβ世界と名付けられた」
 ああ、なるほど。あの悪魔のように優しい彼がいる、あの世界のことなのですね。
「……って、連絡がとれるんですか!?」
「同期は可能。会話をするわけではない」
「そ……うなんですか……」
「提案の内容は、あなたと彼に関すること。承諾するか拒否するかは自由。でも、聞いて」
 ガラスのように澄んだ瞳で見つめながら、淡々と告げる長門さん。僕は思わず目をしばたたき、わかりました聞きましょうと答えたのだった。


*****************************


                                                   NEXT
(2010.02.14 up)
BACK  TOP  NEXT

すいません。
続くほどの話じゃないですが、続きます……間に合わなかった……orz

あとでまとめてアップしなおすかもしれません。