Missing
08

 【お題】再会10題(TOY*様より)
   01:美化しすぎかと思った記憶は逆だったらしい
   02:変わった、いや変わってない…やっぱり、変わったな
   03:思い出話をすれば昔に戻ったようで
   04:君の中ではもう過去のこと?
   05:冗談交じりに打ち明けた、僕の秘密
   06:お互いのイマ
   07:昔も今も、君は僕の心など簡単に奪ってしまうのだ
   08:焦れったい空回り
   09:成長とは恋に臆病になることなのか
   10:ここから始まる新たな関係

<8.昔も今も、君は僕の心など簡単に奪ってしまうのだ>

 彼が出て行ったドアをボンヤリと眺め、考える。
 どうしてわざわざ、明日でも間に合う忘れ物を、僕が帰るのを待ってまで取りに来たのか。今日僕がデートだと(実際はただのお供だが)、彼は知っていたはずだ。それなのに。
 都合のいい考えがじわりと湧いてくるのを頭を振って払いのけ、僕はなんとなく靴を履いてドアを開けてみた。もしかしたら、まだそのへんに彼がいるかもなんて、期待したのかもしれない。実際は、彼の姿はどこにもなかったけれど、ふと見た廊下の床に、さっき彼に渡したはずのキーホルダーが落ちていた。ジーンズの尻ポケットに入れていた気がするから、歩き出した拍子に落ちたのだろう。どこに落としたかと不安に思っているかもしれないと、僕は彼の携帯に電話をかけてみた。
 出ない。何度コールしても留守電に切り替わってしまう。その度に切ってかけ直しても同じことだ。急に不安になって、僕はキーホルダーを握りしめ、自室のドアに鍵もかけずにマンションの廊下を走り出した。
 階下に降りてから、そういえば彼の家がどこにあるか知らないのだと思い当たった。これでは追うことも、探すこともできない。こんなとき、機関≠フ力に頼れた昔が、ちょっとなつかしくなる。
「そういえば使ってる駅が違うとか、最初の時に話したっけ……」
 ちゃんとした場所までは聞かなかったが、その駅の周辺だと言っていた。そっち方面への最短距離を行けば、どこかで捕まえられるかもしれない。とにかくじっとしていられなくて、僕は彼の最寄り駅の方向を目指して走り始めた。

 さんざん走り回り、行きつ戻りつした結果。彼を見つけたのは、僕は普段はあまり利用しないコンビニの前だった。家族経営タイプの小さなコンビニで、元は酒屋だったらしく酒の種類が豊富だと彼が言っていたところだ。2台分だけあるせまい駐車場の片方の車止めに、彼は座り込んでいた。
「ああ……こんなところに」
 額の汗をぬぐいつつ溜息とともに声をかけると、彼はゆるゆると顔を上げた。その顔がなんだか赤い。その上ひどく眠そうで、近づくと盛大にアルコール臭が漂った。見れば彼の足下には、缶ビールやらカップ酒やらの空き容器がたくさん転がっている。
「ずっとここで飲んでたんですか? お酒弱いのに、無茶しすぎですよ」
「だーいじょーぶだって。お前も飲むか?」
「飲みませんよ。ほら立って」
 立ち上がらせようと手を引くと、彼は平気だと僕の手を振り払う。だけどどうがんばっても、自力で立ち上がることは不可能のようだ。僕は仕方ないなとつぶやいて、強引にひっぱって立ち上がらせ、背負い上げた。
「やめろみっともない。おろせって」
 彼は僕の背中で暴れるが、うまく力が入らないらしく抵抗は弱々しい。はいはい、と適当にあしらいつつ、とりあえず僕の自宅へ戻ろうと足を進めた。
「どうしたんですか、今日は。あなたらしくもない」
 彼はあまり強くはないが、飲むのはいつも楽しいお酒だ。酔うごとに陽気になって、しゃべったり歌ったりしたあげく、ころっと寝てしまう。それなのに今日は、まるで酒を飲むのに慣れていなかったころみたいな、悪酔いしそうな飲み方に見える。無理にはしゃごうとしているのが、よくわかった。
「忘れ物なんて明日でもいいのにわざわざ僕を待ってたことといい、こんなとこで飲んでるのといい……何か、嫌なことでもあったんですか?」
 自分で言ってみて、ああ、そうかもしれないと思った。彼は何か悩み事とか愚痴りたいこととかがあって、僕の所に来たのかもしれない。だけど、背中から聞こえる彼の答えは素っ気ないものだった。
「……べっつに? ビールの旨い季節だから飲んでただけだ」
 ヘタクソな嘘だなと思う。あんな場所で一人っきりで、苦手だと言っていた日本酒まで混ぜて、無茶飲みしていてそれはない。
「嘘おっしゃい、そんな苦い薬を飲んだみたいな顔で。僕が力になれることなら、相談に乗りますよ。なんでも話してみてください。……親友でしょう?」
 親友。苦い思いを押し込めて、それがベストポジションなのだと自分に言い聞かせる。
 悩みにしろ愚痴にしろ、彼が頼って来てくれるその距離こそを、僕は望んでいる。僕が過去の記憶とともに胸の奥に閉じ込めようとしている想いはともかく、僕は彼にとっての特別でありたいのだ。許される限り、ずっと彼のそばにいたい。
 背中の彼をあまり揺らさないように気をつけながら、夜の道路を歩く。彼にとって幸いなことに、マンションや住宅ばかりのこのあたりに、人通りは少なかった。僕は背中の感触から気を逸らせるために、彼の悩みについての具体的な内容に思考を向けた。
「なにか、仕事に関することですか? 恋愛関係ってことはないかな」
 やはり僕たちの年齢からいっても、仕事関連がいちばん可能性が高そうだ。彼女との仲はうまくいっているように見えたから、恋愛関係は問題ないだろう。そう考えた上での発言だったのだが、言った途端、肩に置かれていた彼の手に力がこもってドキリとした。肩に擦りつけるように額が寄せられ、絞り出すような声が耳元で吐き出された。
「……俺が、恋愛事で悩んじゃおかしいか」
 それまではしゃいでいたのが嘘のような、低いトーンの声。痛々しいくらに、苦しいのだと訴えかけてくる。
 そうですか。あなたをこんな状態にさせているのは、あの可愛らしい彼女なんですね。もしかして、結婚話がうまく進んでいない? かなり若そうだったから、もうちょっと働きたいと言い出したのかも。それで僕に愚痴を言いに来たら、僕が女連れで帰ってきたから、言う雰囲気ではなくなってしまったとか。
 彼をこんなにも悩ませることのできる彼女に嫉妬心を感じつつも、一瞬喜んでしまった自分に嫌悪する。結婚が伸びたりモメたりすればあわよくばなんて、僕はまだ思っているのか。バカじゃないか。
 かなり酔いがまわったらしく、うわごとみたいに僕を呼ぶ彼の声に何度でも返事をして、僕は夜道を歩き続けた。見上げた空には、あの大学四年の時の別れの夜のような、綺麗な月がかかっていた。



「ほら、靴脱いで……もうちょっと頑張って下さい」
「んー……」
 なんとか僕の部屋に連れ帰り、玄関先で靴を脱がせる。このままベッドに寝かせるのが正解だろうと思ったが、彼が水が飲みたいと騒ぐのでいったんリビングに連れて行ってソファに坐らせた。
「水持って来ますから、待っててください。そこで寝ないでくださいね」
「わーかったから、はやくみずー」
 大きめのグラスにミネラルウォーターを注ぎ、持って行くと、彼は感心にもちゃんとソファに座ったままで待っていた。沈み込むように寄りかかっているが、とりあえず意識はちゃんとあるらしい。テレビでよく聞くCMソングらしき曲をでたらめに口ずさんでいる。
「はい、お水です。気分は悪くないですか? 薬飲みます?」
「サンキュー。大丈夫だ、俺はぜんぜん酔ってない。なんかまわりの景色が勝手にぐらぐらしてるだけだし」
「ぐらぐらしてるのはあなたですよ。もう一杯、水飲みますか? あとその格好じゃ寝づらいでしょうから、僕のTシャツでもお貸ししますので着替えて下さいね」
「はいはいはい。ははっ、そゆとこ、相変わらずマメだねお前」
 自分のことにはズボラのくせになぁ、と言って、彼は笑い転げた。何か、昔のことを思い出しているらしい。水をボトルごと持ってきてあいたグラスに注ぐと、彼はそれを半分ほど飲み干して、なにがおかしいのかまたケラケラと笑った。
「お前んちにはじめて1人で遊びいったときは絶句したもんなー。ハルヒたちと一緒のときはチリひとつ落ちてなくて、ハルヒもさすが古泉くんねっ! なんて感心してたのに、俺がいきなり訪ねてったときは、なんか足の踏み場がなくてさ」
「涼宮さんがいらっしゃる前日に、業者をいれて掃除してもらったんだって何度も説明したでしょうが。どうせ僕は、掃除も片付けも苦手ですよ」
「そのあとは、遊び行くたび俺が掃除してたもんな。通い妻かっての」
 なつかしい思い出だ。僕の部屋には箒1本、雑巾の1枚もなかったから、彼はその後、遊びに来るたびに掃除用具を持ち込み、くつろぐ前に掃除をするようになった。買えと説得されて一緒に掃除機を選びにいったこともある。通い妻とは言い得て妙だな。
「俺だって別に、掃除なんて好きじゃなかったんだが。お前んちは清々しいほど散らかってたから、やりがいがあったんだよなぁ」
「それは……どうも」
「今はそんなに散らかってないな。そっかぁ。もう、俺が掃除する必要はないか……」
 広くもないリビングを眠そうな顔で見回して、彼がぽつりとそう言った。どことなく寂しそうな声色に聞こえるのは、気のせいだろうか。
「掃除とか、メシとか……高校の頃はしょっちゅう俺が世話してやってたよなぁ。お前、ほっとくと何日もカロリーメイトとゼリー飲料で過ごしたりするし、ホント、妹より手のかかる奴だった」
「あの……」
「今はもう、彼女の役目だよなそれは。あの綺麗な彼女の。……ああ、そういえば俺、また遊べるようになったのが嬉しくてずいぶん頻繁にココに来てたけど、ちょっと控えた方がいいかな。彼女に悪いし。いくら友達だっても、あんまり入り浸るのは」
 水の入ったグラスをじっと見つめて、やけに饒舌にしゃべっていた彼が、そこでぴたりと口をつぐんだ。その姿勢で固まったまま、身動き一つしない。名前を呼んでみたら反応はしたものの、顔を上げようとはしなかった。
「どうしたんですか?」
「なんでもない。もう寝る」
 また、ふいに気分のスイッチが切り替わったかのように、彼はそれだけ言ってソファにごろんと横たわった。背もたれ側に顔を向け、身体をまるめてしまう。僕はあわてて立ち上がり、ダメですよと肩を揺すった。
「今日ばっかりは、ちゃんと着替えてベッドに寝た方がいいです。気分が悪くなったり、風邪ひいたりしたらどうするんですか」
「いい、から、ほっとけ」
「そういう訳にはいきませんって」
 起こさせようと手を引っ張っても、起き上がる気はゼロのようだ。頑なにソファにしがみついて離れない。そんなにこのソファが気に入っているのか。僕は方針を変え、まるで駄々っ子のようになってしまった彼の肩にそっと手を置いて、なだめるように優しく説得してみた。
「そのソファの寝心地も悪くはないと思いますけど、ベッドの方がもっといいのは保証しますよ。きっと目覚めもいいはずです。――ね? ほら、行きましょう」
「…………」
 それでも彼は頑なに、首を振るだけだった。思わず、溜息がもれる。
「ホント、強情ですねぇ。……仕方ない」
 最後の手段とばかりに、僕は彼の脇の下と膝裏に腕を差し入れて、おもむろに抱き上げた。いわゆる、お姫様抱っこというやつだ。さすがにこの体勢で支えるには成人男性の身体は重いが、これでも高校時代に培った基礎体力がある上、今でも週二でジムに通ってトレーニングしているからなんとかなる。
「あ、にしやがる! おろせっ!」
「暴れないでください。危ないですからっ」
 一瞬あっけに取られていた彼が、はっと我に返る。途端にさっきまでのおんぶ以上の嫌がり方で、僕の腕の中で暴れはじめた。
 まぁ、気恥ずかしいのはわかる。だがこれが一番、酔っている彼に負担の少ない運搬方法でもあるので、僕はばたつかせている彼の足を押さえ込み、大股にリビングを横切って寝室のドアを肩で押し開けた。お姫様抱っこで寝室に直行なんて、本当に新婚みたいだな。
「はなせ! ベッドはやだつってんろ!」
「はいはい。もうろれつがまわってないじゃないですか」
 そっとベッドの上に彼の身体を下ろし、跳ね起きようとする身体を押さえつける。急激に暴れたせいかますます酔いがまわったらしく、あまり身体に力が入らないらしい彼をそうするのはたやすかった。が、それをいいことに着替えさせようとにベルトに手をかけたたら、彼が跳ね上げた足に頬を蹴り飛ばされてしまった。
「…………っ」
 幸い、暴れたはずみであたっただけのようで、クリーンヒットにはほど遠い。さして痛くはないが、思わぬ事態に彼もいったん暴れるのをやめて、あせった顔で僕を見ていた。
「ご、ごめ……」
 ふぅ、と僕は大きく溜息をついてみせた。
「いつまでも子供みたいに、駄々こねないでください。ほら、着替えるのが面倒なら、ジーパン脱ぐだけでもいいですから。ちゃんとベッドの中に……」
「やだ」
 まだ言うか。ぷいと顔を背けてしまった彼を、僕は腕を組んで見下ろした。
「もういい加減にしてください。何がそんなに不満なんですか」
「…………」
「もしかして僕に遠慮してるんですか? 大丈夫ですよ。このベッドは外国サイズのセミダブルですから、大人2人でも余裕で寝られま……」
 そう言った瞬間、びくっと彼の身体が揺れた。その反応に、僕の中で何かが閃めく。彼がベッドを嫌がる理由に思い当たった。
 そうか。恐らく彼は、あのことを思い出すのが嫌なのだ。たった一度、道を踏み外した記憶。友人としての境界を曖昧にしてしまった、あの行為を。だから、僕と同じベッドでは寝たくないのか。
「もし……」
 かたくなに目を逸らしたまま、彼の身体がもういちど震える。
「僕と、一緒なのが嫌だというのなら……僕はソファで寝ます。だからどうぞ、あなたはお気になさらず」
 そんなに、忘れたい記憶になっていたなんて。
 彼が、昔のコトだと言い捨てて気にしてない風を装ってくれていたから、全然気がつかなかった。いや……たぶん、気づくことを無意識に拒否していた。
 握りつぶされるような心臓の痛みとともに、はっきりと思い知らされる。彼にとってあのことは、思い出したくもない過去の汚点にすぎないのだ、と。
「すみません……嫌なことを、思い出させてしまって」
 クロゼットからTシャツと短パンを出して彼の足下に置き、ちゃんと着替えてくださいねと言い置いて、僕は寝室を出ることにした。そういうことならば、僕の前で服を脱ぐのは嫌だろう。
 おやすみなさい、と無理に作った笑顔で言って、彼に背中を向ける。どっちにしろ今、穏やかな気持ちで彼のそばにいるのは無理だ。胸の奥に開いた大きな風穴に、乾いた風が吹き込んでいる。普通に歩きながらも、僕の目は何も見ていなかった。

 ――が、部屋から立ち去ろうとした足は、ジャケットの裾を引っ張られたことで止められてしまった。
「なんです……?」
 ベッドの上に身を起こし、彼が僕のジャケットの裾をぎゅっと握りしめていた。何か言いたげな瞳が、振り返った僕の視線とあったとたんに逸らされる。
「大丈夫ですよ。今後はあなたにあまり触らないよう、心掛けますし……」
「お前、誤解してる」
 ジャケットを握る彼の指が、小さく震えている。顔はうつむけたまま、視線は布団の上に投げ出された、自分の足あたりをさまよっていた。
「何がですか」
「嫌な、思い出なんかじゃない。だってあれは」
「……わかってますか? 僕が言ってるのは、高校の、卒業式の」
「わかってる!」
 ジャケットごとぐいと強く引っ張られて、よろけてベッドに座り込んでしまう。彼は僕から手を離しはしたが、視線は相変わらずはずれたままだった。
「だったら、なぜ」
「お前が、嫌なんじゃない。ベッドが嫌なんだって……最初からそう言ってるだろ」
「ベッド?」
「……っ! 馬っ鹿野郎っ!」
 ぐっと彼が息をつめた。じわりと鼻の頭が赤くなり、目には涙がにじむ。子供みたいに右手の拳で涙をぬぐって、彼はヤケクソのように吐き捨てた。

「お前がっ! 俺じゃない誰かと、セックスするベッドになんか、寝たくねえんだよっ!」



 しばし、思考が止まった。
 彼は泣いている。必死に嗚咽を飲み込もうとしながら、それでも止められない涙を手のひらでぬぐってしゃくりあげている。
「それは……どういう意味で……」
 そろそろと再起動した思考回路は、一足飛びにこの上もなく都合のいい解釈を導き出そうとする。だけど自らそれを否定しては最悪の結果を想定しようとしてしまうのは、僕の悪い癖だと昔から彼に何度も叱られてきた。
 身体の向きを変えて彼と向かい合い、肩に触れようとして止める。僕の戸惑いが伝わったのか、彼の顔がまた悲しみに歪んだ。どうしてわかんないんだよ、と喉の奥から声を絞り出し、彼は拳で僕の胸をゆるく叩いた。
「意味なんてそのまんまだ馬鹿。俺は今でもお前が好きだから、お前と彼女がよろしくやってるベッドになんか寝られねぇっつてんだ馬鹿。察しろ馬鹿」
 馬鹿馬鹿と繰り返しながらも、彼の涙は止まらない。自分の耳で聞いたことが信じられなくて、えっ、とか、でも、とか要領を得ないことを言ったあげく、僕は我ながら気の利かないセリフを返してしまった。
「とりあえず、ですね。このベッドに彼女が寝たことは……というか、この部屋にあなた以外の人を上がらせたことはありません、よ」
 それは事実だが、今返すべきセリフだったのか。もっと他に、彼に言うべき言葉があるんじゃないのか。内心で自分を罵倒していたら、彼がきょとんとした顔で、そうなのかと問いかけてくる。
「正直に言いますと、実は彼女は、恋人ではないんです。ただの仕事のパートナーで……見栄を張ってました、すみません」
 正確にはほんのついさっき、つきあいましょうという約束をかわしたばかりだったけど、恋人ではないと思う。俗な言い方をすればセックスフレンドのような、割り切った大人のつきあいをしようという契約だ。しかもまだ実行はされてないし、なんて都合良く自分に言い訳して、弁明する。
「えっ、でもさっきキス……」
「あ、あれは挨拶がわりというか……えーと、今日、彼女をエスコートしたご褒美みたいな」
 さすがに苦しい言い訳だと思う。だけど正直に話して、彼に軽蔑されるのは嫌だ。なんてずるい男だと自分でも思うけれど、しょうがないじゃないか。
 そこまで考えて、ふと思い出す。そういえば、彼女とそんな契約をかわすことになった原因があったはずだ。
「でもあなたこそ、恋人がいるはずじゃ? あの再会したときに一緒にいた可愛らしい……。だから僕は」
 すると彼は、心底不思議そうな顔で首を傾げた。
「あ? あの子は仕事の相手だぞ。それに、薬指に指輪してんのに気がつかなかったか?」
 いえ、だからこそ、あなたの婚約者なのだと思ったわけなんですが……。どうもこの言いぐさでは、最初っからあの彼女は恋愛対象にすら入っていなかったとみえる。まったく、彼らしい。思わず苦笑をもらして、僕は脱力した。
 そうか。僕たちは最初から、いもしない架空の相手に嫉妬しあっていたわけなのか。なんて滑稽な……まるで喜劇だ。
 僕は顔を上げ、手を伸ばして彼の肩に手を触れた。びくりと揺れる肩をつかんで、ベッドに坐る彼に近づく。あの日、一度だけ手に入れた彼のすべて。もう二度と取り返すことはかなわないと思っていたそれが今、目の前にあった。
「卒業式の日、あなたに告げた僕の気持ちは、あれからずっと変わっていません。僕は今でも、あなたのことが好きです。お願いします……あの日、僕が聞くことを拒んだあなたの答えを、今、聞かせてもらえますか?」
 見上げる彼の瞳に、また涙がにじむ。唇を震わせて、彼はまた馬鹿野郎と言った。
「さっき、とっくに言ったじゃねえか。何度言わせる気だよ」
「でも僕は」
「ああもうわかったよ、何度だって言ってやる。……俺も好きだよ。もういつからかわからんくらい前から好きで、今でもずっと好きだ」

 ――ああ、いつだってそうだ。
 高校の時だってなんだって、彼はいつもたった一言で、何気ない気遣いで、さりげない仕草で、いつも僕の心を簡単に奪ってしまうのだ。そんな彼に、僕は一度だって勝てたためしがない。
 9年越しに聞いた告白の答えを受け止めて、僕は彼を強く抱きしめた。


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(2011.11.27 up)

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古泉のターン。
ちょっと駆け足気味かな……。

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