Missing
07

 【お題】再会10題(TOY*様より)
   01:美化しすぎかと思った記憶は逆だったらしい
   02:変わった、いや変わってない…やっぱり、変わったな
   03:思い出話をすれば昔に戻ったようで
   04:君の中ではもう過去のこと?
   05:冗談交じりに打ち明けた、僕の秘密
   06:お互いのイマ
   07:昔も今も、君は僕の心など簡単に奪ってしまうのだ
   08:焦れったい空回り
   09:成長とは恋に臆病になることなのか
   10:ここから始まる新たな関係

<7.焦れったい空回り>

 ただ闇雲に、夜の中を走った。
どこに向かっているのか、自分でもよくわからない。
古泉のマンションを飛び出して、息の続く限り、足の向くままに俺は走り続けた。

 部屋の鍵がないことに気づいたのは、朝、古泉と別れてから寄り道しつつ街中を歩き、自分のアパートに戻ってドアの前に着いたときだった。すぐにどこに忘れてきたかには思い当たったが、今から古泉のマンションまで戻るのは正直めんどくさい。なので俺は1階に住む大家さんのところまで行って、事情を話して合鍵でドアを開けてもらった。
 部屋の鍵がついたキーホルダーには、会社のロッカーの鍵も一緒についているから、月曜の出勤前までには取り戻して来なければならない。が、まぁ、週末なんだし、明日にでも取りに行けばいいだろう。ついでに来週見に行く約束をした映画のシリーズ前作のDVDを借りていって、予習するのもいいかもしれない。よし、そうしよう。
 頭の中で勝手に算段をつけてから、俺はさっそくノートパソコンの電源を入れた。小説のテキストファイルが入っているフォルダを選んでクリックすると、完成品やら書きかけのものやら、プロットやちょっとしたアイディアなんかを書き留めたファイルやらがぞろぞろと現れる。あー、そろそろ整理しないとな。これじゃ、自分でも何がなんだかわからなくなりそうだ。
 最新のファイルを選び、テキストを開く。内容は、昨日編集の彼女に提案した、本になるシリーズ物の番外編だ。OKをもらう前に、もう書き始めていたのだ。ダメだと言われたら、サイトに載せればいいと思っていた。
 さて、めでたく了解がとれたことだし、ちょっと書き進めておこうか。そう思ってキーボードに手を置いたけれど、その手は停止したままさっぱり動こうとしなかった。
 前にも説明したとおり、俺が書いているのは、高校時代のあの賑やかでめちゃくちゃで今となってはなつかしい出来事をベースにした青春群像劇だ。事件の数々をそのまま文章にしているわけではないが、登場人物たちにはモデルがいる。性別を変えたり特性を変えたり、1人を2人分のキャラにしてみたり逆に2人をあわせて1人のキャラをつくったりといろいろ工夫しているから、あの頃の俺たちをよく知る人物に読まれても、誰が誰とは容易にはわからないと思う。特に、俺自身がモデルである主人公と、もどかしくもいい感じになるヒロインは、誰だか見破れまい。まぁ、ハルヒでも長門でも朝比奈さんでもないってことだけはすぐにわかるだろうけどな。
 実はこのヒロインのモデルは、古泉だった。古泉に相当するキャラは彼女とは別に、主人公の親友として登場しているからバレることはないだろう。彼女と主人公には、あの頃、俺が胸の奥にしまい込んでた気持ちと、古泉から向けられているのを察していた想いを、こっそり反映させて書いてきた。
 番外編では、異世界に飛ばされることになった2人がはじめて、お互いへの気持ちをはっきり認識するエピソードを書こうと思っていた。でも結局、伝えあう直前に元の世界に戻されて、やっぱり元の木阿弥っていうオチなんだけどな。
 古泉と再会したことで、書こうと思い立った物語だった。俺はあいつとの再会がよっぽど嬉しかったんだなと、あらためて思う。それでもこの頃の気持ちはもう昔のことだから、思い出の整理となつかしさの記録として書いてみようかと考えていたのだ。
 だけど何度か古泉のところに遊びに行って思い知ったのは、あの頃の気持ちは全然、思い出にも過去にもなっていないのだということだ。ただ胸の中で凍結してただけだったから、再会して言葉を交わして肌に触れただけで、簡単に溶けて再び燻り始めた。
 今朝方聞いた、古泉と彼女との電話のやりとりを思い出す。時々小さな笑い声を上げつつ、楽しそうに話す声。英語だったから全部は理解できなかったけれど、古泉の声が親しげに彼女の名を呼ぶたび、胸がしめつけられるように苦しかった。
 この話を書こうとすると、どうしてもあの頃の自分と古泉の心情を、深く掘り下げる必要が出てくる。読者に想定しているのは高校生から20代くらいまでの若い世代だけれど、だからこそそういった心理描写をおろそかにできないってことも、俺はここ数年で学んできている。だけど今の俺には、その作業がつらすぎるのだ。
「くっそ……」
 何時間もそのまま悶々として、他の本を読んだりネットを徘徊したりと逃避をくり返す。夕飯もろくに食べないまま、そのうちに俺はいつのまにか眠っていたらしい。ふと気がついたときは、深夜と呼んで差し支えない時間になっていた。さすがに腹が減ったので、気分転換もかねて何か食べてこようと外に出た。
 終わりかけた夏の生ぬるい風が、頬をなでる。どこで食べようかとぶらぶら歩くうちに、俺の足はいつのまにか、古泉のマンションへと向かっていた。途中でそのことに気がついたが、ちょうどいいから忘れたキーホルダーを取りに行こうと自分に言い訳して、そのまま歩き続ける。到着してインターフォンを鳴らしてみたが、まだ帰っていないらしく応答はなかった。そういやデートだって言ってたもんな。もしかしたら、今日は帰ってこないのかも知れない。
「明日は、日曜日だもんなー……」
 エントランスから出て、植え込みの縁石に腰掛けた。見上げた夜空は晴れていたけれど、星たちは街の灯りと満月に近い月に隠されてよく見えない。今日は帰ってこないかもしれないと思ったが、俺は電話してみることも、その場を離れることもできなかった。
 どれだけの時間、そこでそうしていただろう。車の音が近づいてきて、俺は顔を上げた。滑り込んできたタクシーから、男が降りてくる。その仕草だけで古泉だとわかってしまった自分に溜息をついて、立ち上がってそちらに近づいた。
 後部座席の窓が開いて、そこから前に見たあの女性が顔を出す。古泉は何事か彼女に言って、ひょいと顔を近づけてキスをした。
 恋人同士なら、それはごく普通の別れの挨拶に過ぎない。外国の風習についてはあまりくわしくないが、日本人よりは人前でのキスに抵抗がないらしいくらいのことは知っている。だから片方が外国人であるカップルにとってそれは、本当になんということもない自然な光景なのだろう。
 ぐるぐると頭の中でそんなことを考えて考えて考えて、混乱しているはずなのに、俺は戻ってきた古泉にごく普通に声をかけ、ごく普通に忘れ物を回収して、お茶でもという誘いを冷静に断ってドアに手をかけた。そのまま何も言わずに帰るつもりだったけれど、気がついたら声が出ていた。
「さっきのタクシーの……彼女だよな」
「はい……」
 気まずそうな古泉の声に、ちょっと泣きたくなった。あんまり俺には、見せたくないってことか。
「やっぱ美人だな。お似合いだ」
 動揺を押し隠した声でそう言い捨てて、俺は部屋を飛び出した。そのまま足を速めて走り、いつしか全速力になった。叫びたいけど、深夜に近いこんな時間にそれは近所迷惑だ。冷静にそんなことを考える自分に笑えてきて、それでも闇雲に走り続けた。

 さすがに息が切れてきて、足を止める。ふと周りを見回すとそこは、いつも古泉の部屋に行くときに酒を買っていくコンビニの前だった。めちゃくちゃに走ったつもりだったけど、身体は本能的に自宅への道をたどっていたらしい。ここじゃまだ、俺の部屋より古泉のマンションの方が近いけどな。どんだけ遠回りしたんだよ、俺。
 ふらりと店内に入って、ビールを2,3本とレジ近くの棚にあったワンカップを買った。日本酒は苦手だが、なんだか酔いたい気分だったんだ。コンビニの前でたむろする高校生みたいに車止めに坐って、俺はビールを立て続けに飲み干し、次にワンカップをあけて半分ほどあおった。さすがに一気には飲めず、げほげほと咳き込んでしまう。
 ああ、なんかすげえまわるな。そう言えば今し方全力疾走したばかりだし、考えてみれば昼から何も食べてない。効くはずだよなと思ったら、また笑いがこみ上げてきた。
 空回ってるなぁ、俺。一体、何をやってるんだか。
 ジリジリと胸の中が、熱く灼ける。日本酒のせいかなと思ったけれど、そうじゃない気もする。さっき見た古泉と彼女のキスシーンが、頭の中でぐるぐるとまわっていた。
 ――古泉は、俺のなのに。
 ふいにそんなことを思い付いて、すぐに馬鹿馬鹿しいと否定する。
だけど、高校時代のあいつは確かに俺のものだったはずだ。あいつの気持ちはずっと俺に向いていたから、もしハルヒに付随する特殊な事情がなかったらきっと、全部俺のものになっていた。心も、身体も。……ああ、身体の方は、たった一度だけ手に入れたな。卒業式の日、春の雨に閉ざされた部屋の中で。
 せまい駐車場に座り込み、地面に酒の空き缶と瓶を並べて、俺は飲み続けた。
 星の見えない空を見上げ、こんなことならあの日、古泉と再会なんてしなきゃよかったと思う。いや、そのあとのこのことマンションなんかに行かなければ、つきあいが復活することもなかったんだ。そうすればこんな、恋人のいる相手への嫉妬とか馬鹿みたいな独占欲に振り回されて、苦しくなることなんてなかった。
「……そもそもあの卒業式の日、あんなことしなきゃよかったのか」
 一度は手に入れてしまったばかりに、独占欲が際限もなく胸にはびこる。あれは俺のものだったはずだなんて、自分勝手な空回りをくり返す。
「いい歳こいて、なにやってんだか俺は……」
 なんだかだんだん、アホらしくなってきた。30近くなってもオヤジ臭さなんてカケラもないイケメンで、大企業のエリートで、すげえ美人の彼女持ちで、どこに出たってモッテモテのハイスペック男を俺のものだって? あんなのガキの時分の勘違いと勢いの産物でしかないってのにいつまでもこだわって、ホント笑えるぜ。
 なんだかおかしくて1人で肩を揺らしていると、視界に誰かの足が見えた。なんか高そうなスーツ履いてるのに、どこを歩いたんだろうな。泥がはねて酷い状態だぞ。

「ああ……こんなところに」

 空耳かと思った。
 はぁ、と安堵したような大きな溜息とともに、降ってくる声。甘くて、優しくて、耳元で囁かれるとぞわっとするってことを、よく知ってる。
「ドアの前に、キーホルダーが落ちていたので……。追いかけようとしたのですけれど、僕はあなたの家を知らないのでって、うわ、どうしたんですかあなた」
「古泉……?」
 半分ほど酒が残ったカップを掲げて見上げる視界に、額に汗を浮かせた古泉の顔が映る。目が合うと古泉は、あからさまに眉をしかめ、かがみこんで手を伸ばしてきた。なんだよお前、シャツも髪もぐちゃぐちゃだぞ。
「ずっとここで飲んでたんですか? お酒弱いのに、無茶しすぎですよ」
「だーいじょーぶだって。お前も飲むか?」
「飲みませんよ。ほら立って」
 腕をつかまれて、引っ張られた。平気だこれくらい、とその腕を振り払って立ち上がろうとしたけど、なんでだか足に力が入らなかった。
「あれ? へんだな。立てね」
「当たり前です。もう……しょうがないな」
 ぐいと強く引っ張られて、あれっ?と思っているうちに背負われちまった。この歳になっておんぶなんてみっともないと暴れたが、がっちりと足を押さえた腕はびくともしない。おろせと抗議する俺をはいはいとあしらって、古泉は歩き始めた。
「どうしたんですか、今日は。あなたらしくもない」
 ゆっくりと歩を進めながら、古泉がそう言った。
「忘れ物なんて明日でもいいのにわざわざ僕を待ってたことといい、こんなとこで飲んでるのといい……何か、嫌なことでもあったんですか?」
「……べっつに? ビールの旨い季節だから飲んでただけだ」
「嘘おっしゃい、そんな苦い薬を飲んだみたいな顔で。僕が力になれることなら、相談に乗りますよ。なんでも話してみてください。……親友でしょう?」
「…………」
 親友か。そうだな。
 お前にとってはもう、俺はそうなんだな。親友で元相棒で、飲み仲間。こんな大人になってから得るには、なかなか難しい交友関係だ。貴重だよな。でも。
「なにか、仕事に関することですか? 恋愛関係ってことはないかな」
「……俺が、恋愛事で悩んじゃおかしいか」
 一瞬、古泉は口をつぐんだ。そんなに意外かよ。
「いいえ……全然、おかしくなんてないですよ」
 いろいろありますよね、と、優しい声が耳をくすぐる。肩に顔をすりよせたら、なんだかなつかしい匂いが鼻孔をかすめた。ああこれは……古泉の匂いだ。香水なんてつけてないって言ってるのに、なぜかいつも匂ってた甘い香り。
「古泉−?」
「はい、なんですか?」
 呼んでみたら、あの頃と同じような返事が返ってきた。それが嬉しくて、俺は意味もなくまた古泉の名を呼んでみる。
「古泉」
「はい?」
「古泉」
「はい」
「こいずみ……」
「……はい」
 あの頃を思い出させる匂いに包まれながら、俺は馬鹿みたいにくり返し、その名を呼んでいた。その度に古泉は、文句も言わずに律儀に返事をしてくれた。


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(2011.11.17 up)

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キョンのターン。
次回あたりでなんとかなるんじゃないかと……思います。