I Love you からはじめよう。
06

 黒塗りのでかい車に乗せられ、かなり長いこと走って連れてこられたのは、看板も表札も出ていない白い建物だった。見た感じは病院か、なんかの研究所ってところだ。
「まぁ、半分は当たってるな。表向きは、新薬の開発をしてる研究施設だ」
 別室でケガの手当を受けたあと、再びやってきた眼鏡の男が、俺を応接室みたいなところに案内した。ソファに座れとうながされ、言われた通りにしながら部屋の中を見回す。古泉の姿はない。さっきの男女と、別の場所にいるんだろうか。
 ちなみに、古泉が倒した連中も回収するように指示しているのを聞いた。どうやら、死んでるのはいなかったらしい。よかった。
「……あんたは?」
「この製薬会社の職員。表向きはな」
 禁煙なんだよなここ、と言いつつ火を点けないままの煙草を咥えたまま、男は紙コップのコーヒーを差し出した。インスタントですまんな、という声には、すまなそうな響きはかけらもない。同い年か、ひとつふたつ年上に見えるが、実際はどうなんだろうな。
「会長、資料をお持ちしました」
「ああ、そこに置いていけ」
 ドアをノックして入ってきた白衣の女の子が、ファイルを置いてそそくさと去っていく。
「……会長?」
 どこの。
首を傾げて繰り返すと、会長と呼ばれた眼鏡の男は、嫌そうな顔で肩をすくめた。
「別に、役職を持ってるわけじゃない。あだ名みたいなもんだ。お前のキョン≠ニ同じだよ」
「俺のあだ名を、なんであんたが知ってんだよ」
 当然の俺の問いに、会長は答えなかった。
「そんなことより、他に聞きたいことはないのか?」
 あるに決まってる。あんたは誰だ。ここは何だ。さっき、古泉がお母さんと呼んだ女は、本当にあいつの母親なのか。ケガした男たちの正体は。それからそれから。
「……古泉は、何なんだ?」
 もちろん、それが一番知りたいことに違いなかった。
 1ミリも減ってない煙草をいまだに咥えたまま、会長がテーブルの上のファイルを取り上げる。
「くわしく説明しても、たぶん理解できないだろうから簡単に言うとだな。あいつは、クローン技術で生み出された実験体だ」
「……はぁ?」
 まぁ、そういう反応だろうな、と、会長は俺の方にファイルを投げてよこす。開いてみるとそれは、なにやら数式や化学式やさまざまな記号が並んだ書類だった。もちろん、見てもさっぱりわからん。俺は文系なんだ。
「まだ一般に発表できる段階じゃないんだが、とある研究機関が開発している技術でな。冷凍保存しておいた体細胞から人体をクローニングし、データとして記録した記憶を植え付ける。そうすれば、特定の個人を再生することが可能らしい。理論的にはな。ケガや病気で欠損した部位を補うためのクローン技術はそろそろ実用をメドに動いてるが、人間をまるごと造り出す方はまだまだだな。特に記憶分野に課題が多くて、正直、あと何十年かかるか先が見えん」
 会長は溜息混じりにそう言ったが、特に嘆いている様子はなかった。本当のところ、あまり興味がなさそうだ。
「いい勘だな」
 ニヤリと、偽悪的な笑みを浮かべて会長が嘯く。
「完成したところで、どうせ恩恵を受けるのは一部の金持ちと権力者だ。不老不死なんて、本気で夢見てやがる連中は、ずっと夢の中にいりゃいいと俺は思うね」
「……古泉は、実験体だと言ったな?」
「ああ。クローン技術の準備段階というか、受精卵の遺伝子情報を多少いじってクローニングで誕生させ、促進成長させた生命体だ。試験管ベイビーって奴だな。だから厳密に言えば、あいつに親はいない。いるのは卵子と精子の提供者だけで、古泉一樹って名前だって、教育担当の研究員の名前からとって付けられたってだけのものなんだ」
 じゃあ、さっきあいつがお母さんって呼んでた人は……。
「あれが、古泉の教育担当者だ。新川と森って言ってな。新しい川≠カゃなくて古い泉、森≠構成する多数の樹木じゃなくて一本の樹。それだけの意味だ」
 会長はさらに続けた。
「2年前、ここに産業スパイが侵入した。そして、データと実験体の1人を盗み出してまんまと逃げ出したんだ。まぁ、データはダミーだったから実害はなかったんだが、実験体を取り戻すことは出来なかった。ダミーをつかまされたことが判明したのかスパイは放逐され、実験体もそいつと一緒に行方不明。数ヶ月後にスパイの方は死体で発見されたんだが、実験体の行方は杳としてしれなかった」
 なるほど、その“実験体”が古泉ってわけか。
「古泉は……なんで、自由になったあと、ここに帰ってこなかったんだ?」
「記憶分野に課題が多いって言っただろう? あいつの記憶は、あまり長くもたないんだ。製造途中でインプットされた基本的な知識はともかく、実体験の記憶は、古いものも新しいものも、どんどん薄れて曖昧になってゆく。自分の生まれた場所とか、どうして自分が今そこにいないのだとか、わからなくなってるんだ。さすがに、母親代わりの教育係の顔は覚えてたみたいだがな。俺は1年くらい前にこの研究所に移ってきたばっかりだが、あいつの顔写真入りの資料を渡されて、どこかで見かけたら保護するように言われてたんだ」
 それで昨日、偶然古泉を見つけて、知らせたのか。
「あの、ケガした連中は?」
「ああ、あれはうちのスポンサーでもあるとある人物が雇った、その筋の連中だ。どうやらあいつが発見されたって聞いて、秘密の漏洩を恐れたようだな。他人の手に渡しちゃならんと暴走した結果らしい。実際は、あいつ自身は説明書のない精密機械みたいなものだから、解剖したとしたって何がわかるわけでもないんだが」
 だからこそ、失敗した産業スパイと一緒に放逐されたわけなんだが、まぁ、どこにでもおっちょこちょいはいるもんさ、と会長は肩をすくめた。
 そうか。大体の事情はわかったが……あとひとつ、聞いておかなきゃならないことがある。俺はぬるくなったコーヒーを一口飲んで、そのままじっと琥珀色の液体を見つめた。
「古泉の、あの力はなんなんだ……? 普通じゃないだろ」
「あれはな、副産物というか……バグなんだそうだ」
「バグ……?」
 ああ、と会長ははじめて、苦い顔をした。
「記憶分野の研究のために、あいつは脳を少しいじられてる。その段階で何がどうなったのかわからないが、一定以上のプレッシャーがかかると、体機能が通常の限界を越えちまうんだ」
 人間は普通の状態のときは、無意識に体機能を抑制しているってのは知ってるよな? と、会長の説明が続く。
「人体が有するポテンシャルを100%出し切っちまうと、肉体……主に筋繊維の方が保たないからだ。まぁ、普通の人間でも絶体絶命のときにだけ、その抑制がはずれることもあって、それがいわゆる火事場の馬鹿力ってやつだな。あいつは製造段階で多少、体機能が強化されてる。それも実験のひとつだったわけだが……だから、自分自身の命の危険なんかに反応して抑制がはずれると、あんなことになっちまうらしい。正直、メカニズムは不明だ」
 あのとき、古泉は俺の危機に反応したんだ。俺を助けるために。それなのに俺は、あいつにどんな顔を見せちまったんだろう。悲しそうに顔を歪め、逃げようとした古泉の背中を思い出す。
 苦い後悔が、俺を責めさいなむ。いくら痛みで身体が動かなかったとはいえ、俺はあのとき古泉に、声をかけてやれなかった。自分のしたことに怯えていたあいつに、大丈夫だと言ってやらなきゃいけなかったのに。
 俺は、どんな顔であいつに会えばいいんだろう?
「なんで、それを俺に教えてくれるんだ……? 秘密なんじゃないのか?」
「さぁな。上から、そうしろって指示があったからだ」
「古泉は、これからどうなる?」
「…………さぁ。俺は知らん」



 そのとき、部屋の外でバタバタと足音がした。なんだと振り返った瞬間、ドアがすごい勢いで開かれて、でかい図体が飛びついて来た。
「こっ……いずみ……」
「僕、帰っていいんだそうです!」
 あれっ? なんでこいつ、元通りなの?
もっとこう、避けるような態度をされるものと思っていたから、なんだか拍子抜けだ。
「か、帰るって、どっちに」
 思わずそう言ったら、古泉は不思議そうな顔をした。
「どっちって。僕の家は、あなたと一緒に住んでるあの部屋だけですよ?」
 ああ、そういや実体験の記憶は曖昧になるんだったな。ここで暮らしてたころの記憶は、もうそれほど残ってないってわけか。
「早く帰りましょう。お腹すきました」
「あ、ああ……っておい古泉っ! やめろ!」
 いきなりキスされて、大いにあせった。会長も見てるし、ドアの向こうにはさっきの、新川さんだか森さんだかいう女の人の姿もあるんだ。
「ああ、気にするな」
 会長が肩をすくめつつ言った。
「そいつは、生まれてまだ5年ほどだ。5歳児だと思えば、キスくらい可愛いもんだろう」
 いや、毎晩、キスよりもっとすごいことされてんすけど。
……って、それじゃ何か? 俺は5歳児に、あんなことやそんなことされて気持ちよくなって、あげくに後始末までされてんのか?
「……死にてぇ」
 うなるようにつぶやいたら、古泉がさらにしっかりしがみついてきて、なんてこというんですか死んじゃダメです! などとわめきだした。
 ああもう、わかったわかった。
 お前が自分の変貌を、なかったことにしたいならそれでいい。俺も、何も見なかったことにしてやる。それで元の関係に戻りたいなら、それでいいよ。
 しかたなく、ぽんぽんと背中をたたいてやってると、廊下に立っていた女の人が部屋に入ってきて、深々と頭をさげた。ちらりと見えたネームプレートには、Dr.Moriと書いてあった。この人が、森さんか。
「一樹を、よろしくお願いします」
「えっと……」
「ここに戻る気は、全然ないらしいの。よっぽどあなたのことが気に入ったみたい。だから……どれくらいの期間かはわからないけど、しばらく一緒にいてあげてください」
 生活費は、こちらから多少援助させていただきます。そう言って森さんは俺に連絡先の書かれた名刺を渡し、それじゃ一樹、迷惑かけないようにするのよと古泉に声をかけて去っていった。
 振り返ってみたら、相変わらず火のない煙草を咥えたままの会長が、なんとも言えない表情で俺たちを見ていた。
「えーと、ここからどうやって帰ればいいんだ?」
「ああ、車を手配してやる」
 ついてこい、と言われて、俺は古泉の手をふりほどき、あとを追った。俺の後ろを、古泉も大人しくついてくる。来るときに乗せてもらった黒塗りの車をまたまわしてもらい、後部座席に古泉を押し込んで、俺も乗り込……もうとして、会長に腕をつかまれた。
「なんだよ?」
「ひとつ、忠告だ。……あまり、こいつに入れ込まない方がいい」
「どういう意味だ」
「その方が、お前のためだ」
 聞き返す前に解放され、ドアを閉められた。
ゆるやかに走り出す車の窓から、俺は遠ざかる会長の姿をじっと見つめた。



 実のところ俺は、部屋に帰るなりベッドに引きずり込まれるんじゃないか、くらいは思っていた。さらに言えば、今日ぐらいはそれを甘受してやってもいいかなんて気にもなっていたんだ。いや、誤解するな。本当は不本意なんだ。本当は。
 ただな……、今日は色んなことがあって色んなことを知って、古泉の奴がどことなくナーバスになっているように見えたから。ちょっとは甘やかしてやってもいいかなって、そう思っちまったんだよ。それだけなんだけど、でも。
 古泉は、部屋に入ると情けない顔で、俺に訴えた。
「僕、お腹すきました」
「あ、ああ。待ってろ、今作ってやるから」
「はい」
 惨状のまま出て行ったはずの部屋は、窓も閉められ、簡単に片付けられていた。たぶん、大家さんだな。あとでお礼とお詫びと、騒がせた言い訳をしてこなきゃならん。
「古泉。すぐ出来るから、そっちで大人しく……あれ」
「はい?」
 冷蔵庫を開けながら振り返ると、古泉はテーブルの側に静かに正座していた。いつもは料理してる間もうっとおしくつきまとってくるのに、どういう風の吹き回しだ。
 まぁ、いいことなんだが……どうも調子が狂うな。
 買い物をするヒマはなかったので、冷蔵庫に残っていた野菜と冷凍の白飯で炒飯を作ることにする。明日はスーパーで卵が安いから、古いやつは使っちまおう。あ、長ネギがそろそろやばそうだ。これも入れるか。
 頭の中でレシピをさらって、野菜を切りはじめる。その間も古泉は、座った場所から動かない。一体何をしているのかと思えば、じっと俺の様子を目で追っているみたいだった。それで楽しいのか、ホントに。

 そういえば、会長に聞くに聞けなかった件がひとつあった。
 古泉が毎晩のように俺を翻弄する、例のアレのことだ。古泉は一体いつどこで、あんなやり方を憶えたんだろう。どう考えても、あの研究施設で憶えたものとは思えない。あそこの人たちの認識じゃ、古泉は5歳児らしいからな。普通、5歳児にセックステクニック(しかも男相手の)は教えまい。
 そして、たぶんそのこととつながっているのではないかと俺が予想している、古泉の身体の、虐待とおぼしき傷跡。
 俺はてっきり肉親から暴力を受け、それが原因で家出したんじゃないかと思っていたんだが、今日知った事実に嘘がないなら、傷はあの研究施設で出来たものではなさそうだ。少ししか話さなかったけれど、母親がわりらしき森さんの口調からは古泉に対する愛情のようなものが伺えたし、古泉も彼女たちに怯えている様子はなかった。
 たぶん、古泉が研究所から連れ出され、俺が拾うまでの2年の間に何かがあったのだ。本人も、憶えているかどうか微妙だが。

 完成したネギ炒飯を一緒に食べながら、そっと古泉を観察する。
顔の傷はもう、ほとんど目立たない。むやみに怯えることもなくなったが、こいつは一体、俺のところに来るまで、どこにいたんだろう。この調子で1人で暮らしていけていたとはとても思えないから、たぶん誰かがこいつの世話をしていたはずだ。そいつが、あの傷をつけたんだろうか。セックスのやり方を教えたのもそいつなのか?
 ……なんか非常にむかつくな。
「どうしたんですか?」
 見つめすぎたせいか、古泉が食べる手を止めて不審そうにこちらを見た。
「僕の顔に、何かついてます?」
「……飯粒が盛大にな」
 どういう食べ方だ。俺は古泉の口元についている飯粒をとってやろうと、手を伸ばした。
「……!」
 と、古泉はあわてて身を引いて、俺の手から逃げた。そのまま皿を抱え、俺の真正面から身体をずらす。おい、なんだよ、その露骨な避けっぷりは。
「あ……えっと、すみません……」
「どうしたんだよ。さっきあの研究所だかでは、ベタベタひっついてきたくせに」
「いえ……ふたりきりになったら、なんだか緊張してしまって……」
「はぁ?」
 いまさら何言ってんだ、コイツ。
 思いっきり顔をしかめてにらみ付けてやると、古泉は下を向いて小さくなった。なんか、叱られた子犬みたいだな。垂れ下がった耳が見えるようだぜ。
 まぁ、いいか。いろいろあって、古泉も動揺してるのかもしれん。俺はそう考えて、それほど気にせず食事に戻った。
 どうせ寝る時間になったら、いつも通り俺のベッドに潜り込んでくるんだろう。今日ぐらいは、抵抗しないでやってもいいか。可哀想だし。

 だが、そう思っていた俺の思惑は、はずされることになった。
 古泉はその夜、自分にあてがわれた布団から、起きてはこなかったのだ。めずらしいこともあるもんだ、と思いつつ、俺はこれ幸いとゆっくり安眠をむさぼった。

 ……が、翌日も、そのまた翌日も、古泉は俺のベッドには来なかった。
その夜以来、古泉が俺を抱くことは、なくなった。


                                                    NEXT
(2010.05.09 up)

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超 展 開 (笑)

SF的設定は、ちょっとおかしいところがあっても無視するべき。
それと、古泉の名前については、ネットのどこかで拾った説です。