I Love you からはじめよう。
03

「キョン〜! お前、バイト始めたんだって?」
「ん? ああ」
 講義の終わった教室で、谷口が声をかけてきた。隣には国木田の姿もある。同じゼミを取っているこの二人とは、ときどき一緒に飲みにいったりする仲だ。
「食い扶持が増えたもんでな」
「へぇ。でもお前、彼女にふられたって……痛てぇ!」
 思い切り足を踏まれたらしい谷口が、片足を抱えてぴょんぴょん飛び回ってる。漫画みたいなやつだな。踏んだ本人の国木田は、気をつかってくれたのか、にこにこしながら話題をそらした。
「食い扶持って、猫か犬でも拾ったのかい?」
「ああ……まぁ、似たようなもんだ」
 犬やら猫やらよりだいぶでかいけどな。
「キョンのアパートって、ペット飼えたの?」
「いや、本来はダメなんだが、大家さんに頼んでみたら、しばらくの間ならいいってさ。どうも気に入られたらしい」
「へぇ、動物好きだったんだねぇ。よかったね」
「まぁな」
 そうだな。大家さんはもうたいがい年のいった婆さんなんだが、古泉がにっこり笑いながら、アパートが火事になってしまって住むところがないんです、しばらくの間だけ置いてもらえませんか、と俺が教えたとおりの言い訳で押したら、あらまぁそれじゃしょうがないわね、なんてあっさり了解しやがった。まったく、イケメンは得だな。
「それで、ペットのエサ代のためにバイトなのか?」
 復活した谷口が、まだ足をさすりながら感心したように聞く。
 まぁペットというか……一応、成人した男1人だからな。メシだって2人分になるわけだし、着るものやらなにやらだって買ってやらねばならない。俺の実家はごく普通の一般家庭だから、仕送りだってそう多くはない。彼女とのデート代はいつもワリカンだったこともあって、いままではなんとか切りつめてやってきたが、まさか古泉の食い扶持の分仕送りを増やしてくれってわけにはいかないだろ。飼い主の責任ってやつだな。
「ああ。と言っても、週3か4くらい居酒屋でやるだけだけど」
「そっかぁ、がんばれよ。あ、そうだ。今度、西女の子たちとコンパやるんだけど、お前も来いよ。せっかくフリーになったんだかって痛ってええええええっ! 同じとこ踏むな!」
 踏まれた足を抱えて座り込んでしまった谷口を冷たい目で見下ろしながら、国木田が肩をすくめる。
「谷口にはデリカシーってもんがないのかなぁ、まったく。悪いねキョン。谷口がバカで」
「はは。もうそんなにひきずってないから、気にしないでくれ」
「そうなの? ……まぁ、気が向いたらおいでよね。可愛い子多いらしいよ」
「ああ、サンキュ」
 国木田と谷口は、それだけ言うと次の講義があるからと手を振って去っていった。



 俺がとっている講義は、今日はもうそれで終わりだった。ゼミもなく、サークルにはあれ以来、顔を出していない。出せるわけもない。さらに今日はバイトもないとあっては、もうまっすぐ部屋に帰る以外、選択肢がないではないか。
 俺は顔をしかめて溜息をつき、しかたなく帰路へとついた。
 世界の終焉かとも思えた失恋を、もうあまり引きずっていないというのは半分は本心だった。まぁ、もちろん元彼女と元親友がいるはずのサークルに顔を出す度胸はない。実際にふたりを見たら、どんな気持ちになるか自分でもわからないからな。
 ただ俺の頭の中のもう半分を、現在は“別のこと”が占めていて、失恋から目をそらさせてくれているのは事実だった。そしてそれこそが、帰路につく俺に溜息をつかせている原因でもある。
 俺は別に、自分の部屋に帰るのが嫌だというわけではない。あの雪の日に拾ってから一週間、俺の部屋に住み着いている古泉のことが、嫌いというわけでもない。嫌いなら、バイトしてまで養おうなんて思うわけがないし、第一、住まわしてやる必要もない。
 それでも、自宅のドアを開ける俺の口から溜息がもれてしまう原因といえば。

「お帰りなさい! 愛してますっ!」

 これだ。
 ドアを開けるなり、飛びついてくるでかい物体。さすがに支えきれずによろめくのにもかまわず、古泉は臆面もなくそんなセリフを吐いては、俺の首にしがみついて頬にキスしようとする。それを必死で避けながら、うっとおしいから離せこの馬鹿と腕を引きはがすのも、もはやこの一週間で日常の光景になりつつある。
「でかい図体でいちいち抱きつくな!」
「なんでですか! こんなに好きなのに! 好きだからいつもくっついていたいんです!」
「ウザいつってんだろうが!」
「ヒドイです! ひとりで寂しかったんですから、ちょっとくらいいいじゃないですか!」
 確かにな。俺が大学に行ってる間、ひとりでいるのは退屈だろうが、別に閉じ込めてるわけじゃない。合鍵だって渡してるし、こづかいだって少しは持たせてるんだから、適当に時間をつぶせばいいんだ。いい大人なんだしさ。
 だが古泉は、俺がいない間、決して1人で外に出ようとはしなかった。散歩にすら行かず、じっと部屋の中で俺の帰りを待っている。そして帰って来るなり大はしゃぎでまとわりついてくるあたり、本当に猫か犬みたいだ。
「昼飯はちゃんと食ったか?」
「はい。すごくおいしかったです!」
「そっか。よかったな」
 流しを見ると、作っておいてやった焼きそばの皿が、ちゃんと空になって置いてあった。 ちなみに俺だって最初は、自分で使った皿くらいは洗わせようと思ったんだぜ? だが、皿を4枚とコップを2つ割られ、流しの下を3回水浸しにされた時点であきらめた。こいつはあまりにも不器用すぎる。同じ理由で、掃除やら洗濯やらをやっておいてもらうことも断念した。やらせようものなら、どんな被害が広がるかわかりゃしない。生活においてはまったく役立たずというところも、愛玩動物と大差ない。やれやれだ。
「夕飯はシャケな。こないだ買っといたやつ。冷凍庫から2枚出しといてくれ」
「はーい」
 古泉が冷蔵庫の方に歩いて行くのを横目に、俺はテーブルの前に座ってノートPCを開いた。やっとかなきゃいけないレポートがいくつかあるから、夕飯までに片付けておきたい。
「何か飲みますか?」
「ん、コーラ」
「はい」
 グラスにコーラをついで持ってきた古泉は、テーブルにグラスを置いてから、ペタリと俺の隣に座り込んだ。そう広くもない部屋だが、そこまでくっつかないと座れないわけでもない。うっとおしいから離れろって。
「やです」
「邪魔なんだよ。忙しいんだからあっちいってろ」
 しっしっ、と言いつつ手を振ると、古泉はほんのちょっとだけ離れた場所に膝を抱えて座り直して、じっとこっちを見ている。そんなに俺ばっかり見てたって、面白くもないだろうに。よく飽きないな。
「好きな人を見飽きることなんてありません。ずっとずっと見ていたいです」
「……ああ、そうかい」
 拾ったときは、好きとかよくわからない、なんて言ってたくせに、翌日から古泉はずっとこんな感じだ。いつの間にやら、好きですの他に愛してますなんてセリフまで加わって、もう毎日愛の言葉の大盤振る舞いだ。意味もよくわからずに言っているとしか思えない。
 数日前にそう言ってやったときは、違います、本気ですと鼻息も荒く反論してきた。
「だって、出会ってまだ一週間だぞ? 一体、俺のどこをどう見て好きだ愛してるなんてほざくんだよ。俺のことなんて、ろくに知らないだろうが、お前」
 それに対する反論は、もう本当に頭わいてんじゃないかと思ったね。
「愛に時間は関係ありません!」
 って、どこの三流映画のセリフだよ。まったく。

「そのテーマでしたら、あっちの本の方がくわしいんじゃないですか?」
「へ?」
 いつの間にかまた近づいて来て、俺のレポートをのぞき込んでいた古泉がいきなりそう言った。目をしばたたく俺に背を向けて、古泉は本棚をごそごそとあさり、俺が使っていた資料と同じテーマの別の本を取り出してきた。
「こっちの本の方が、矛盾点が少なかったですよ。あなたが今使っているそれは、元の資料が少し古いのじゃないかと思います」
「……お前、これ読んだことあるのか?」
「いえ、これはこの部屋で読みました。あなたがいない間に。でも元になった資料については、知識がありますので」
 当たり前のような顔で、そんなことをいう。なんなんだこいつは。どこでそんな知識を仕入れたっていうんだ。
「そういや俺、お前のことは名前しか知らないんだな」
 最初に聞きそびれて以来、俺は古泉がここに来るまでどうしていたのかとか、家族はいるのかとか、そういうことを聞いていなかった。どうも聞きづらい話になりそうな気がするからだ。虐待を受けていたのは確実だろうし……古泉もあまり話したくないんじゃないかと思う。
「よく、憶えてないんです」
 古泉は首を傾げてそう言った。
「最初は、人が大勢いる広いところに住んでいた気がするんですけど、そこからどうやって出てきたのか憶えてなくて。記憶喪失なのかもしれません」
「そうか」
 まぁ、そういうことにしといてやるさ。
「俺は別に、お前が昔何してようが気にしないからかまわん。それより、俺がいない間はどうしてるのかと思ったら、本読んでたんだな」
「はい。その本棚にあるものは、大体読ませていただきました」
 って、教科書と資料文献くらいしか置いてないんだがな。
「おもしろいか? 小説とか読みたいなら、借りてくるぞ」
「いえ、お気遣いなく。……あ、でも、この人の書いた論文は、もっと読んでみたいです」
 そう言って古泉が指さしたのは、うちの大学の客員教授でもある博士の修士論文だった。この人のなら確か、大学の図書館においてあるはずだな。
「わかった。図書館にあるはずだから今度借りてきてやる。というか、図書館は一般にも開放されてるから、普通に入れるぞ。一緒に行くか?」
「はい! ぜひ」
 そう言って古泉は目を輝かせる。……本気でわからん。常識的、一般的な知識はあんまりないくせに、そういう学術的というか学問方面には明るいだなんて、こいつは一体どんな育ち方をしてきたんだ。箱入りのお坊ちゃんか? だがそれにしちゃ妙なこと知ってるしなぁ。本当にこいつは謎だらけだ。
 こんなのに振り回されてると、終わったことで頭を悩ませているヒマなんてないってこと、わかるだろ?



 そしてもうひとつ。
これが最もやっかいな、俺の気をそらす原因と言えるかもしれない。
「ん……っ。……やめろ古泉」
「どうしてですか?」
 寝る時間になると、古泉はせまいパイプベッドの上の、俺の寝床にもぐり込んでくる。ちゃんと自分用の布団も用意してやったってのに、懲りもせず俺の上にのしかかり、唇を奪おうとしてきやがる。
 最初の夜にいきなり襲われ、翌朝の流れでなんとなくそれを許してしまって以来、古泉は幾度となく同じことを繰り返そうとしてきた。もちろん分別のある大人であり、ゲイというわけでもない俺は、それをきっぱりとはねのけて、
「ほら、あなたのここも、もう期待してますよ」
「ちょ、待て……んあっ」
 いや、だからはねのけて、だな。
「腰浮かせてください、下が脱がせられません。……そう、ありがとうございます」
「ふ……ぁ……やっ……」
「気持ちいいですか……?」
「んっ……」
 ……うん。古泉がうますぎるのがいけないんだと思うんだ。
あと、顔が俺好みすぎる。
 傷とアザがすっかり治ると、古泉の顔は何者だこいつって思うくらい綺麗に整っていて、ちょっぴり面食い傾向のある俺の好みのど真ん中だった。俺は男女の別なく、こういうすっきりした美人顔に弱いんだ。
 それに古泉の抱き方はやっぱり徹底的な奉仕一辺倒で、とにかく丁寧で優しく、何をされても気持ちよすぎてしょうがない。ときどき痛いのも苦しいのもいつのまにか快感に変換されて、女とするときとはまた違う快楽が俺を捕らえる。こんなのダメだと思っても、古泉の指が肌を滑ると身体が震えて力が抜けて、もうそれ以上抵抗できなくなる。
 ホントに俺、何やってんだろう。
「あれ、ゴム使い切っちゃいましたね。どうしますか」
「…………っ」
「掻き出されるの、嫌なんですよね。ここでやめておきましょうか?」
 信じられるか。これ、意地悪しようとか焦らすためにとか、そういう意図で言ってるんじゃないんだぜ。古泉は本気で、俺が嫌がるからって理由で、半端のままやめちまえるんだ。
 だがなぁ、いまさらここでやめられたら、俺の方が困る。……わかるだろ? だからもう俺は、俺の腰をつかんだままおとなしく返事を待ってるやつに、こう言ってやるしかない。ああもう、ちくしょう!
「……のままで……いからっ」
「はい、了解です」
 目をぎゅっと瞑ったまま、ほとんど息だけでつぶやいた俺に、古泉は嬉しそうに答える。
「じゃあ、外に出しますね」
「んぅ……っ!」
「好き、です……っ」
 古泉が、俺の中に入ってくる。驚いたことに俺のそこはもう、それほど無理をせずとも奴のを飲み込んじまうんだ。まったく、短期間のうちに開発されすぎだな。
 シーツに指を食い込ませ、熱いものに中をかきまわされて熱に浮かされながら、俺はせわしない息の下で考える。
 好きだとか愛してるだとか、適当に囁く古泉の言葉を信じるほど、俺はおめでたくない。俺がこいつを住まわせてる理由は今のところ100%同情だし、抱かれてるのは流されてるだけだ。あとはやっぱり、寂しかったんだろうな。このおかしな男に振り回されてる間は、いろいろ思い出して死にたくならずにすむ。
「好きです……愛してます」
 ああ、そうかい。そりゃよかったな。
ついこの間まで、彼女も似たようなことを言ってくれてたよ。でも一体いつごろから、言わなくなんだんだろうな? いつから彼女の心は、俺から離れてたんだろう。いつから、親友だと思ってたあいつに、それを言うようになってたんだろう。
 もう俺は、何も信じられないよ。愛だの恋だの友情だの、全部。
「……っあ! こいず……もう出る……っ」
 頭が真っ白になる。自分の放ったものと、瞬間に古泉が抜いて出したものが、両方とも腹の上に降りかかるのを感じた。馬鹿みたいに熱くて、めまいがした。
 好きです、と囁いて、古泉がくちづける。いつものように後始末を全部まかせて、俺はわきあがる後悔に目を瞑り、気絶するような眠りの中に逃げ込んだ。


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(2010.04.29 up)

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キョン……(笑)
谷口くんと国木田様登場。