ごめんなさい

【お題】ごめんなさい

 高校を卒業し、同居するようになって約2年。
 同居≠ェ同棲≠ノなってからの日数もほぼ同じ。
 そうなる前から割と仲のいい友達同士であったにも関わらず俺は、恋人、と呼ぶべき
存在である古泉一樹の怒った顔を、あまり見た覚えがない。
 完璧な笑顔の仮面をかぶった機関℃d様のときのみならず、友達としてハルヒの
目の届かないところで遊んだりしていたときも、大学生になって同居することになってからも、
その間に何度かあったささいな喧嘩や諍いのたび、どんな怒りも憤りも全部の言葉や感情と
一緒に飲み込んで、しょうがない人ですねと笑顔の仮面の下に押し込めてしまう。
古泉はそんな奴だった。
 まぁ、紆余曲折の果てに恋人というのっぴきらない関係となり、同棲期間も2年を数えようとする
今日この頃、さすがにその仮面もほぼはがれ落ちて、もはやその形骸を残すのみとなってはいる。
なのでちょっとした喧嘩のときなんかに、不機嫌そうな顔とか拗ねた顔、無愛想な顔くらいなら見たことはある。
が、やっぱり思い返してみても、あいつが俺に向かって激怒してみせた姿というのは記憶にないのだ。
 そういうわけなんで、極力音をたてないようにそうっと開けたドアの向こうに、腕組みをして立っている古泉の
にっこり笑顔を見たときは、思わずほぅと思っちまった。

 ……なんだ。人並みに怒れるんじゃねえか。こいつも。



 現在時刻は、朝の5時。始発に飛び乗って、自宅最寄り駅から一目散に走ってこの時間になった。
早寝早起きが習慣の古泉といえど、さすがにいつもならまだ寝床に入っている時間だ。そう思ったから俺は、
古泉を起こさないように静かに鍵を開け、音を立てずにそっとドアを開いて、部屋の中に足を踏み入れたのだ。
 すると。
「おかえりなさい」
 一体いつ気がついて出迎えにきたのか、それともずっとそこに突っ立っていたのか判断がつかないが、
とにかくびっくりした。思わず後ずさって、閉めたばかりのドアにへばりつく。
「こっ……、いずみ。起きてた、のか? ……早いな」
 そう言ってはみたものの、早起きしてきたという様子には到底見えない。恐らく寝ていないのだろうと察せられる
荒んだ雰囲気とともに、どうやらその笑顔の下に隠された、古泉の本格的な怒りにさらに驚いてしまった。
「れ、連絡できなくて、悪かったな。携帯の充電切れちまって……おかげで終電の時間も調べられなくて」
「大丈夫ですよ」
 腕組みをした腕をほどき、古泉はさらににっこりと笑う。さしのべられた手の意図を察してカバンを預けたら、
その手はさらに動いて俺に上着を脱げと要求した。
「谷口さんが、わざわざご連絡くださいましたから。酔いつぶれたとか言う、同じゼミのお友達は平気でしたか?」
 終電に乗り遅れたくらいで何をそんなに怒っているんだろうという疑問は、それで解けた。あんにゃろう、確かに
携帯の充電が切れたから代わりに連絡しといてくれとは頼んだが、一体どんな説明をしやがったんだ。
俺と古泉のことを、普通に友達でルームメイトだと思ってるあいつに依頼したのは失敗だったか。
でも飲みのメンバーの中で、古泉の番号知ってるの、谷口だけだったしなぁ。
「ちゃんと、丁寧にご説明いただきましたよ。ゼミ仲間の飲み会で、飲み過ぎて足下のおぼつかなくなった女性を、
路線が一緒のあなたが送っていくことになった、と」
「……それだけか?」
「いえいえ。谷口さんはきちんと、あなたが道端で歩けなくなった女性を介抱したことも、途方にくれて周囲を
見回していたことも、女性に懇願されて手近な建物の中に消えていったこともご報告くださいましたとも。
キョンのやつ、ラブホはいるの初めてじゃねーかな、ちゃんとリード出来るか心配だぜ、とのことでした」
 ……谷口の野郎、次に会ったらブッ殺す。
「そのまま朝帰り、ということは、彼の心配は杞憂だったと言うことでしょうか?」
 まるで高校のときのイヤミな仕草そのままに、古泉は肩をすくめやがった。
 俺はな、その直前まではちゃんと、謝って全力で弁解しようと思ってたんだ。谷口のおもしろ半分の報告は
真実じゃないが、誤解させるような行動をとったのは確かだし。
 だけどその仕草と、相変わらずにこにこしてる顔を見てたら、なんかすげえむかついてきちまった。
「……怒ってるのか」
「いいえ?」
「仮にも一緒に住んでる恋人が、女の子とラブホ泊まって朝帰りしてきたのに?」
 すると古泉は一瞬口をつぐんだ。が、再び顔をあげたときは、さらに強固に何かを隠す笑顔の仮面を貼り付けていた。
「僕は、あなたを信じていますので」
 むかっ。
 何言ってやがる。怒ってるじゃねえか、どう見ても。信じてるとか言いながら、実は俺が女の子と
よろしくやってきたと思ってるんだろ? 隠したって無駄だ。終電が終わっても一睡もせずに、
玄関先で待ってやがったのが証拠だろうが。
「……俺がそんなにモテるはずねえってか。そう信じたいのはお前の勝手だが、事実ってのは
歴然と存在するんだからな!」
 ホントは信じてないくせに、信じてるって思い込んで怒りを封じ込めるなんて、馬鹿にしてやがる。
嫉妬してるんならしてるって、まっすぐぶつけてくりゃいいのにさ。
 俺はもう謝んねえぞ。謝るようなことは、してないんだからな!



 もう歩けないから今日は泊まっていきたいと言われて、そういうことならしょうがないと、
その子の指し示すままにラブホに入ったのは確かにうかつだった。
部屋に入った途端にシャワー浴びてくるねと笑顔で言われて、少しは回復したのかと
胸をなで下ろしたのも馬鹿だったろう。そこで時計を見て終電がなくなったのに気がついたから、
漫喫でも探すかと、バスルームから出てきた彼女にそれじゃ俺はこれでと言って部屋を出ようとし、
何故か怒り出した彼女にスリッパやらタオルやらを投げつけられたのも鈍感すぎたせいだと思う。
 罵詈雑言を浴びせられて部屋をたたき出され、そこでようやく彼女の意図に気がついた。
ああ、なんだ、そうだったのかと納得はしたけれど、別に惜しくはなかった。
ただ、彼女に悪いことをしたなと思っただけだ。それを甲斐性なしと言わば言え。
 別に恋人に貞操を誓ってるとか、浮気は悪徳だとか、一途に思い込んでるわけじゃない。
わけじゃないんだが、今現在の俺は、古泉以外とセックスしたいという気持ちが、カケラも湧かないという、
それだけの話なんだ。
「そーいう言い訳は、本人にしなさいよ」
「……いやだ」
「誤解させたままでどーすんの。このままじゃ別れ話に発展するかもよ?」
「それもいやだ」
 ドン、と一気飲みしたジョッキをテーブルにたたきつけ、眉間にシワを寄せたハルヒは大きく溜息をついた。
「ほんっとめんどくさいわ、あんたたち」
「まぁまぁ、涼宮さん」
 居酒屋の座敷席の向かい側で胡座をかくハルヒを、その隣でゆずはちみつサワーを舐めていた
朝比奈さんがなだめてくれる。ちなみに中ジョッキ1杯で早くも愚痴モードの俺の隣には長門が座って、
黙々と山盛りのフライドポテトを消化中だ。
「相談があるっつーから、みくるちゃんと有希つれて来てやったのに、相談じゃなくてただの愚痴じゃないの。アホらしい」
「俺のせいじゃねえ」
「あーウザっ」
 ハルヒはジョッキの追加をオーダーし、さらに食い物メニューを広げた。人のおごりだと思って、
どんだけ食うつもりだ。
 俺と古泉、そしてハルヒと長門は、驚く無かれ同じ大学に通っている。しかも俺以外の3人が志望校の
レベルを落としたってわけじゃない。3人が目指していた大学に俺が無謀にも挑戦を決意し、1年間の
猛勉強の末にスレスレで補欠合格を果たしたという、嘘みたいな経緯の果ての結果だ。(朝比奈さんは
その近くの、名門女子大に通っている)
 だからこそ俺たちは、高校時代と大差ないノリで今でもこうしてつきあいを続けているわけだが……5人の
相関関係がどうなっているかは、会話等からお察し願いたい。
「そんで、今日は古泉くんにはなんて言って出てきたの」
 テーブルに肘をついた超やる気のない態度で、ハルヒが焼き鳥にかじりつきながらそう聞いてくる。
俺はハルヒと目をあわせず、おしぼりの入っていたビニール袋に意味もなく結び目を作りつつ答えた。
「……こないだの女の子と、デートしてくるって……」
「はぁ?」
 ハルヒは心底呆れたという顔で、素っ頓狂な声をあげる。
「何、さらに事態こじらせるようなコトやってんの? あんた、仲直りしたいからあたしたちに相談しに
きたんじゃないの? バカなの? 死ぬの?」
 いやいや待て待て。もちろんこれにだって理由がある。あるんだって。
「だって古泉の野郎が、俺が出かけるっつったらやたらニヤニヤニヤニヤしやがるからさ。
さすがにそう言えば止めてくるかと」
 思ったのにあの野郎、やっぱり笑顔のままで、そうですか泊まりになるなら早めに
連絡くださいねさすがに徹夜は堪えますからなんて早口で告げて、そのまま自室に閉じこもりやがった。
おかげで俺は嘘だと種明かしすら出来ずに、今ここでこうしてグチグチと愚痴をこぼすはめになっているわけだ。
 わかったか? とふんぞり返ったら、ハルヒは逆ギレというのがふさわしい顔で、頭をかきむしった。
「あああああああもうっ! いいから別れなさいあんたたち! いますぐ! ここで!」
「なんでだ。嫌だと言ってんだろうがさっきから」
「ならもう死ねばいいのにぃいいいいい!」
 うん。ハルヒのあの物騒な力が、今現在消えてるのは幸いだったな。まさかこれで本当に
死んだりはしないと思うが、おそらく確実に閉鎖空間のひとつやふたつはできて、古泉に
余計な労働を強いるはめになっていたろう。
「涼宮さん、落ち着いてくださいよぅ」
 憤懣やるかたないと言わんばかりに、使用済みの焼き鳥の串をまとめてバキバキ折ってるハルヒの頭を、
朝比奈さんがよしよしと撫でる。そうしながら俺に向けて下さる笑顔は、昔と変わらないエンジェルスマイル
なんだが、さすがに今回のそれは苦笑と呼ぶしかないな。
「キョンくん……」
 ほんの少し朝比奈さん(大)に近くなったお姉さん口調で俺に呼びかけ、彼女は首を傾げて
困ったように微笑んだ。
「でもキョンくんも、ホントは自分が悪いってわかってるんだよね?」
 静かな声でそう言われ、俺は思わず黙り込む。……うん、まぁ、確かに発端は俺の落ち度だし、
古泉には怒る権利がある。謝るのなら俺の方だろう。でも。
「わかってますけど……」
 本気で怒ってるのに態度には表さず、へらへらしてる古泉の顔を思い出すとムカッとする。
自分でもよくわからんが、素直に謝るのはなんだかすごく負けた気がするのだ。
「いまさら折れるのは嫌です」
「男ってのはこれだからもうーっ!」
 見る影もなくバキバキの焼き鳥串を投げつけられ、あわてて腕でかばう。逆ギレハルヒは
さすがに肉付きの奴は投げてこなかったが、割り箸やらメニューやらおしぼりやらストローやら、
あげくにパセリとかレモンとか、投げやすそうなものをばんばん投げてくる。後始末に
困りそうなものは、うまいこと避けてるあたりはさすがだな。
「いてっ! いてえよ馬鹿、ハルヒやめろ」
 投げられそうなものを片っ端から投げてしまうと、ハルヒはいきなりキッと目を据わらせて、
俺の隣で枝豆攻略に取りかかっている小柄な姿に視線の照準をあわせた。
「有希っ!」
「何?」
 枝豆を口へと運ぶ手を止める気配もなく、長門が顔をあげる。ハルヒはイライラと腕を組んで、
最高にアホなことを言い出しやがった。
「なんかこう、キョンがめちゃめちゃ素直になっちゃうあやしい薬とか催眠術とかサブリミナルとか、
ないかしら? この際、多少の危険は目をつぶるわっ!」
 おい、そこでお前が目をつぶるのはどう考えてもおかしいだろ、って聞けよこらハルヒ! 
長門も何を真面目に考えこんでんだ。お前だってもう、情報統合思念体やらからは独立したんだから、
前みたいな万能宇宙人じゃなくなってるはずだろ。無理すんな!
 というハルヒの前では言えないことを、必死にアイコンタクトで伝えようとしたのだが、
長門は俺の目配せに気がつかなかったのか、それとも気づいていながらスルーしたのか、
こくりとうなずいて端的に言った。
「ある」
「ホントに!?」
 どうせダメモトだったんだろう。ハルヒが目を丸くした。長門がさらに、先を続ける。
「ただし、彼の身にはかなりの危険がともなう」
「仕方ないわね! 人間、リスクを恐れてちゃ何もできないわ! それがあたしの座右の銘よ!」
 だからこの場合、リスクを恐れるのはお前じゃないだろうが!
 俺がジタバタしているうちに、ハルヒはすっくと立ち上がり、おなじみの腰に手を当てた
仁王立ちポーズで、ビシッと俺に指を突きつけた。

「さぁ、有希! やっちゃって!」
「イエス、マム」

 って、一体どこの艦隊なんだよおい!

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 携帯に入った着信は、メールだった。
 彼からの、今日は帰らないという報せだろうか。
 見たくないなと思いつつ、嫌々メールを開いてみると、発信者は涼宮さんだった。
つい反射的に、身構えてしまう。もう彼女に関する任務≠れこれはなくなったのだから、
そんなことをする必要はないとわかっているのにまだクセが抜けない。
『今すぐこっちに来なさい! 有希が、キョンに素直になれるヤバイ薬飲ませたから!』
 そのあとに、僕たちが通う大学最寄り駅の傍にあるチェーン居酒屋の名称が書いてある。
相変わらず唐突で強引な彼女からの呼び出しに苦笑しつつ、彼の名がそこに入っていることに不審を抱いた。
 彼は今日、このあいだの飲み会のあと、一夜をラブホテルで共に過ごした女性と、デートのはずだ。
なのになぜ、涼宮さんや長門さんと一緒にいるのだろう?
 それにこの、長門さんが用意したらしきヤバイ薬とはなんだ? 彼女はすでに宇宙的なパワーとは
訣別したのだから、そんな都合のいい薬など作れるはずはないのだが……。
 僕はさらに首をひねりつつも、涼宮さんにはすぐに向かいますと返事をした。とりあえず、
断る理由は見つからなかった。

 彼があの朝帰りの日以来、機嫌が悪いことは重々承知だ。
 それはもちろん僕が、彼の行動に対するもやもやを解消しきれていないせいだろう。
大丈夫だ、彼の気持ちを信じようと自分に言い聞かせても、なかなか気持ちのざわつきは押さえられない。
 彼はとても魅力的な人だから、モテるのはしごく当たり前のことだ。その手のお誘いだって
あまたあることだろうし、彼だって若い男だ。その手の誘惑に負けてしまうことだってないとは言い切れない。
だけど一応僕は彼の恋人という立場であり、そんな彼の失態を怒るのは、僕の正当な権利だと思う。
 だけど……ことセックスに関しては、そう割り切れたものでもない。最初になし崩しでそうしてしまって以来、
彼はいつも僕を受け入れてくれる側だという事情もあり……それになんと言っても、僕はやっぱり男なのだ。
身体だってごつごつと固くて、柔らかな胸もくびれた腰も持っていない。
彼がそういったものを欲したとしても、僕には与える術がない。
「しょうがない、よな……」
 たぶん僕は、後ろめたいのだと思う。歴としたヘテロである彼に一方的に愛を告げ、強引に恋人関係に
引き込んだのは僕だから。彼が女性の身体を知る前に、独占してしまったのも僕だから。
 信じてはいる。彼はちゃんと、僕のことを好きでいてくれる。
 でも、男の本能として、女性の身体を好ましく思う気持ちは止めようがない。
それについては、僕が怒っても仕方ない。そんなあきらめの気持ちもある。
 ああ、いっそ……僕が性転換できるようになればいいのにな。長門さんにまだ力が残っているというなら、
それが可能かどうか聞いてみようか。なんてことをわりと真剣に考える僕は、どう考えてもいろいろと煮詰まっていた。
 たどりついた居酒屋の座敷で、じっと正座している彼のおかしさに、気がつかなかったくらいには。
「あ、古泉くん! 来たわね!」
「こんばんわ。まさか全員お揃いとは……それであの、メールの件なのですが」
「もちろんばっちりよっ! ね、キョン?」
 うひひひひ、と確実に何かを企んでそうな笑いかたで、涼宮さんは彼をつつく。
素直になれるヤバイ薬≠ニやらを飲まされたらしき彼は、僕が座敷に上がってもこちらを見もしなかったが、
涼宮さんに2,3度呼ばれ、ようやく顔を上げた。それでやっと、僕に気がついたようだ。
「おう、古泉か。ちょっとこっち来い。ここに坐れ」
 と言いつつ彼が指さしているのは、料理の皿が乗った座卓の上なのだが……妙に目つきが
据わっているので、そこに突っ込むのは自重して隣に正座してみた。
「あの。どうしたんですかあなた。今日はデートだって……」
「馬鹿かお前は」
「は、あの」
「あのじゃねえよあのじゃ。だから、俺はお前のなんだ。言ってみろ」
「えっ、ここで言うんですか?」
 まぁ、同席しているお三方はとっくにご存じだし、幸い隣のテーブルにも人はいない。
店内にはBGMが流れて適度にざわついているから、聞き耳を立てている人がいない限りは大丈夫だとは思うが……。
「いーから言ってみろ」
「えっと、その……こ、恋人、です」
 仕方なく、歯切れの悪い小さな声でつぶやくと、彼はめずらしく周囲のことを
まったく気にせず、言い返してきた。
「そうだよな。俺もそう思ってたんだがそれならなんでお前は他の女とのデートを俺に推奨するんだ?
大体なんでお前は俺がお前以外の奴とデートしたい思うとか思ってんだ。おかしいだろ発想が。
大体俺はお前と違ってそんなにモテるわけねえしっていうかお前はモテ過ぎなんだよこのイケメンが、
むかつくから顔変えろ整形してもっと不細工にしてみ、あーいやダメだ、お前の顔大好きだからダメだダメだ」
「あ、あのー……」
 なんだか途中から支離滅裂というか……ど、どうしたんだろう。
「じゃあ声か、そのえろい声変えればいいのかってそれもダメだなお前の声も好きだからっていうか、
全部好きだからどこも変えられねーじゃねーかこの馬鹿野郎が!」
「うぇ、えっ、ちょっとあなた何言って……落ち着いてくださいっ!」
「落ち着いてるだろうがこの上なく。どこもかしこも俺好みなお前が悪いんだわかってんのかこの馬鹿」
 なんだろうコレ。
 確か涼宮さんは、素直になれる薬だと言っていたはずだが……この盛大なデレが彼の素直な
本音だって言うのか? 本当に? え、ちょっと待ってちょっと待ってくださいお願いします録音を、
録音をさせてください! 誰かはやく録音機材を!
 ……待て、僕も落ち着け。もしこれが本当に彼の本音だというなら、意地っ張りで照れ屋な彼が
普段なら絶対言わないようなことをだだ漏らしているあたり、本当にその薬とやらは効いているのだろう。
だが、効き過ぎなんじゃないだろうか。まさか、自白剤の類か? そんなものを、長門さんが
彼に盛るとはちょっと考えられないが……。
 ちらりと彼の反対側の隣にいる長門さんを見ると、彼女は知らん顔で無心にポッキーをかじっている。
向いでは涼宮さんがニヤニヤと、朝比奈さんは恥ずかしそうな顔でこっちを見ていた。
い、いたたまれない……っ。
「どっち見てんだ古泉、よそ見すんな」
「は、はい」
 ぐいっ、と頬を両手ではさまれて、無理やり顔を向けさせられた。至近距離で見る彼の目は
やっぱり据わりまくっていて、どうにも尋常とは……あれ?
 まっすぐにこっちを向いた彼から漂う、この不穏な臭いは……。
「あなた……酔ってますね……?」
 ひっく、としゃっくりすると、さらに強くなる強烈なアルコール臭。
 店内の薄暗い照明のせいで気づかなかったが、よく見ると顔も赤い。すると彼の向こう側で、
長門さんがどこからともなく取り出した容器を、ドン、とテーブルに置いた。何やら藁のようなものに
包まれた瓶に、色鮮やかなラベルが貼ってあるのが見えた。
「与那国島特産泡盛、花酒。アルコール度数60度」
「ろ、ろくじゅ……」
「うっせーな。俺は酔ってねえろ」
 ダメだ、完璧に酔っぱらいだ。
「涼宮さん……彼はお酒弱いんですからこれは……」
「だいじょぶよ〜。素直になれるクスリらのよ?」
 ああ、こっちもダメだ。涼宮さんもどうやらこれを相伴したらしい。もうろれつが回ってない。
どうやってこの酔っぱらいどもから逃げようかと密かに画策する間も、彼は僕の顔を至近で
じーっと見つめたまま動かなかったが、やがてボソリととんでもないことを言った。
「……ちゅうしたい」
「はぁ!?」
「させろ」
 そのままぐいぐいと近づいてくる顔を、必死で引き離す。いくらなんでも、ここでそれはマズイ。あきらかにマズイ。
「ちょ、ダメですって! やめてくださいっ!」
「いいから動くな。させろ」
「ダメですってば! うわ、酒くさっ!」
「俺のちゅうを拒むとは生意気だぞ、古泉のくせに」
「こ、この酔っぱらいがーっ! ……んむっ」
 必死の抵抗もむなしく、酔っぱらい特有のものすごい力でがっちりと腕を取られ、唇を奪われてしまった。
バランスを崩して座敷の床に倒れ込んだ僕の上に、彼がのしかかってくる。せ、せめて舌入れるのは勘弁してくださいーっ!
「大丈夫……」
 ぽりぽりとポッキーをかじりつつ、しゃがんで僕らをのぞき込んでいる長門さんが言う。
「今の状態では、ひどい酒癖か罰ゲームにしか見えない」
 確かに彼はもう見るからにべろんべろんだし、涼宮さんは僕らを指さしてゲラゲラ笑ってるし、
朝比奈さんは顔を手で覆って指の隙間からちちらと覗き見てるし、大学生のハメ外しすぎの宴会にしか
見えないかもしれませんがっ!
 彼の手から逃れようと後ずさる僕をそのまま眺めつつ、長門さんはポッキーで彼を指し示した。
問題ない、とつぶやく。
「彼が、素直になっているのは本当。……本音を聞いてあげて」
「…………」
 それだけ言って長門さんは、花酒の瓶とグラスを持って涼宮さんたちの方へと移動していった。
座敷の奥まった壁際に追いつめられた僕の腕の中で、彼はいつのまにかおとなしくなっている。
ちょうど腹のあたりに、くったりと顔を埋めていて……。
「……寝ちゃいました?」
「起きてる」
 声をかけてみたら、わりとしっかりした口調で返事がかえってきた。長門さんがああ言うのなら、
確かに今このときが、彼と仲直りする好機なのかもしれない。
 僕は先日のことを蒸し返すのが嫌で、今日、ちゃんと確認することが出来なかったことを聞いてみた。
「とりあえず、今日のデートは嘘だったってことですよね……?」
 顔をあげずに、彼がごそごそと身動く。
「そんなの、決まってんだろ……ついでに、ラブホに泊まったのも嘘っつーかお前の勘違いだ。
部屋まで送ったのは確かだが、そのままなんもしないで帰ろうとして相手怒らせて、
スリッパとか投げられてエライ目にあったんだぞ」
 そうだったのか……それは、ちゃんと聞かずに早合点して、悪いことをしたな。
「それは、申しわけ」
「謝んな。俺が謝れなくなるだろうが」
「でも……」
「疑われるようなことをした俺にだって落ち度はあるんだ。お前は謝らないで、怒れ。
嘘だったけど、お前以外と寝たってとれるようなこと言ったんだから、お前は怒っていいんだ。
気持ち隠さないで、ちゃんと怒れよ」
 いつのまにか彼はずるずるともたれかかり、壁に寄りかかった僕の膝を枕にする体勢になった。
端から見たら、酔って眠ってしまった友人に膝を貸しているようにしか見えないだろう。
実際彼は、今にも眠ってしまいそうだった。
 僕と眼をあわさないまま、どこか眠そうな声で、彼はぽつぽつと語り出した。
「朝帰りした日さ……玄関先にいたお前見て、すげえめずらしいって思ったんだ。
高校の時も含めてつきあいも結構長くなるけど、お前が俺に本気で怒ったことってほとんどなかったし。
……ハルヒのために怒ったのは、見たことあるけどな」
 そういえば、涼宮さんの力をめぐる敵勢力との戦いの時、幾度か怒りに我を忘れそうになったことが
あるにはあった。あれはもちろん、涼宮さんをはじめとする彼や長門さんや朝比奈さんや、
さらに言えば地球人類すべてのため……というのはおこがましいが、決して涼宮さんだけのためではなかったのだが。
「だから俺は……そのとき、ちょっと嬉しかったんだ。お前が、俺に本気の怒りを向けてくれたってことがさ。
それなのにお前、それ隠しやがるし」
 彼の目に、ふいに涙が盛り上がる。ドキッとする間もなく、涙はみるみるうちにあふれて、僕のジーンズを濡らした。
「すみま……ああ、いえ」
 反射的に謝ろうとしてしまって、また睨みつけられて口をつぐむ。仕方なく僕は、彼の髪を撫でながらしばし迷った。
 彼が何を求めているか、今ならちゃんとわかる。確かに僕には、そうやって彼とまっすぐに向き合おうという
真摯さが足りなかった。長く自分を抑え続けていたせいかもしれない。それとも、彼を失うことを恐れるあまりに
臆病になっていたのかもしれない。
 だけど確かに、それはとても大切なことなのだ。僕たちのこの関係において、お互いの
素直な気持ちを伝えあう、ということは。
 僕は彼の顔をのぞきこみ、それでは、と言った。
「確かにあの日、僕は怒っていましたよ。朝帰りしてくるなんて、ひどいです。
いくら魅力的な女性に誘われたからと言って」
 彼が女性への興味を完全に失っているとは思えないけれど、さっき彼が言った、
お前以外とデートしたくないという言葉を信じたい。
「……あなたは僕だけのものなんですから、他の誰にも触らせちゃダメです」
「うん……」
「もう朝帰りなんて許しませんよ。次はちゃんと、怒りますからね」
「うん……ごめんなさい」
 素直な謝罪の言葉をつぶやきながら、彼は僕の膝の上で、くすぐったそうに笑った。
なんだこれ。可愛すぎる。
 思わずキスしたくなってあたりの様子をうかがおうと顔をあげ……ぎょっとした。
テーブルの向こう側から、三対の大きな目がニマニマとこっちを見ていた。
「あら、遠慮しないでいいのよ? ぶちゅーっとやっちゃって?」
「するべき」
「あのっ、め、目をつぶってますからっ!」
 いやいやいやいや!
 まさか出来るはずないしと大いに焦り、彼に助けを求めて膝の上を見下ろすと、
彼はとっくに寝落ちてしまっていた。無責任にもほどがある。
「あんたたちのくだんない痴話ゲンカのために、今日はわざわざ来てあげたんだからね? 
しかもさんざんのろけ聞かされて、あたしたちなんなの?」
「するべき」
「あっ、でもちょっとだけ見たい、かな?」
 3対の大きな目は、キラキラと輝きながらせまってくる。まるで蛇に見込まれたカエルというか、
サバトに紛れ込んだ一般人というか。
「あのっ、えっとさすがにここではですね」
「せめて、リクエストに答えるべきよねぇ? ほら、ぶちゅーっと!」
「するべき」
「えっと……してもいい、んですよ?」
「あのー……」
 いやもうホント、勘弁してください……っ。

******************************

 結局俺は、そのまま座敷のすみで古泉に膝枕させたまま、ずっと眠っていたらしい。
かなり酔いがまわってたからな。ときどき目は覚ましたが、どれが現実でどれが夢かおぼつかない。
 とにかく古泉が、女子たちに向かってごめんなさいごめんなさいと謝り倒していた気がするが……一体、
何を謝ってたんだか、皆目見当がつかんな。
 あんまり悪いことするんじゃねえぞ、古泉?


                                                 END
(2012.2.19 up)
長らくお待たせしてしまいました。S。様よりいただいたリクエストです。
「自分が悪いとわかっていても素直に謝れないキョンと、珍しく本気で怒るがそれをひた隠しにする古泉」をギャグで。

シチュをあわせるのが難しい〜と思いつつ楽しく書きましたが、あまりギャグになってはいないような……。
というか、考えすぎて、リク主さまの求めているものとは違ってしまったかもしれませぬ。