甘い蜜のよう

【お題】甘い蜜のよう
 額から流れる汗が、目にまで入りそうになる。
ポタポタと滴りシーツにも染みていくけれど、ぬぐっている余裕はない。
「あ……ぁ! んっ、こい……ずみ……っ……」
「…………っ」
 目眩がする。身体の奥から熱の固まりがせりあがって、思考を侵す。
蕩けそうに色づく声を漏らしつつ、痛いほどしがみついてくる身体が熱くて、
しめつけてくる感覚が気持ちよすぎて、いい加減理性もちぎれそうだ。
「や……っ……もちい……っからっ……」
 快楽に上擦った声で、彼がもっと、と叫ぶ。
もっと強く、激しく、熱いものが欲しいと、僕の腰に両足をからめて淫らに望む。
言葉で答えを返す余裕なんかとてもないから、僕はさらに激しく突き上げ
掻き回すことで、彼の要求に応えた。
「っ……あ……っく……イ……く……!」
 彼が息をつめると、締め付けがさらにきつくなった。どうやら、限界が近いらしい。
背に回された腕にも力が入り、ぎゅうぎゅうとしがみついてくる。
 すっかりこの行為に順応した彼の身体は、もう性器への直接的な刺激を必要としない。
中にねじ込んだ僕のモノでこすり、突き上げるだけで達することができる。
 今日も彼は、スパートをかけた僕が深く付き入れて射精するのとほぼ同時に、
押し殺した嬌声をあげて、僕の胸へと白濁を吐き出した。



「あれ?」
 ぐったりとベッドの上に身体を投げ出し、億劫そうに枕元へと手を伸ばして
ゴソゴソしていた彼が、困惑した声をあげた。
装着していたゴムをはずして端を結んでいた僕も、その声に振り返る。
「なんです?」
「ティッシュが空だぞ」
 枕元に置いてあった箱をつかみ、彼が取り出し口をこちらに向けた。確かに中身は
空っぽで、箱の底が見えている。いつのまになくなったんだろう。
「ああ、すみません。新しいのをとってきますね」
 使用済みのゴムをベッドサイドのゴミ箱に投げ捨て、僕はそのままの格好で
ベッドを降りて、キッチンの側にある棚から新しいティッシュの箱を持ってきた。
歩きながら取り出し口を破って、ついでに2枚ほど引っ張り出し、胸についたままだった
彼の精液を拭き取りながら、箱を彼に渡した。
「お前な……」
 あきれたような口調の声が聞こえ、顔をあげて彼を見る。受け取った箱を手に、
彼は眉をしかめて肩をすくめていた。
「何か?」
「いくら部屋の中だからって、丸出しで歩いてんなよ」
「ああ……」
 確かに、何を羽織るでもなく素っ裸のままで歩いている姿はかなり間抜けだろう。
が、しょうがないじゃないかとも思う。
「何か着たら汚れるじゃないですか。あなたのが、ココについたままだったんですから」
「ああ、そりゃすまん。ちっとたまってたからな」
 さして悪いと思ってなさそうな顔で、彼は謝罪らしき言葉を紡ぐ。そうして手早く
自分の始末をすませてゴミを捨て、そのへんに散らばっていた下着とTシャツを身に
つけてから、はねのけられていた上掛けを引き寄せた。
そのまま布団の中にもぐりこみ、床に転がっていた雑誌を拾いあげて広げながら、
振り返りもせずに彼は言う。
「だがなぁ、あんな姿見たら、百年の恋も醒めるってもんだぜ? 少しは気にしろよ。
まぁ、俺には関係ないが」
 そうでしょうね。
百年の恋も何も、あなたは最初っから、恋なんかしてないですもんね。
自嘲気味につぶやいたら、彼は雑誌から顔をあげ、まだベッドに腰掛けたままだった
僕の方を振り向いた。
「なんか言ったか?」
「いいえ、別に」



 団活を終え、涼宮さんたちと別れたあと、時折彼は僕の部屋を訪れる。
別れ際に、いらっしゃいませんか、と問いかけるのが暗黙の誘い。その気があれば、
彼は無言で僕のあとについてくる。
 靴を脱いで部屋に入ればもう、お茶すら出さずにそのまま彼をベッドに連れ込み、
さっさと押し倒す。彼も特に抵抗せずに、性急に制服を脱がそうとする僕に協力しつつ、
自ら腕をからめてくるのがこの頃の常だった。
 特に愛情があるわけでもなく、お互いに性欲を解消するためにだけ抱き合い、
セックスをする今みたいな付き合いが始まって、そろそろ3ヶ月と少し。
 そんな僕らの関係は、一言で言えばやはり、セックスフレンド、ということになるのだろう。
「ちょっとつめてくださいよ」
 ベッドから出たついでに水を持ってきてくれと言われたので、冷蔵庫からミネラルウォーターの
ペットボトルを持ってきた。ベッドの中で雑誌を読んでいる彼にボトルを渡し、隣に入ろうと
上掛けをめくると、彼は雑誌を広げたまま場所をずれてくれる。
男二人にシングルのベッドはせまかったが、もうすっかり慣れてしまった。
 最初の頃、彼は罪悪感が勝っていたのか、終わるとすぐに逃げるようにこの部屋を後にしていた。
が、最近は割と、事後ものんびり過ごしていくことが多くなった。
少しは情を感じているのか、それとも単なる慣れかと言えば、おそらく後者なのだろうと思う。
今日も彼は僕のベッドの中ですっかりくつろいで、さっきまでの乱れた姿など忘れたかのように涼しい顔だ。
「いるか?」
 ねそべったまま器用に水を飲んでいた彼が、半分ほど中身を減らしたボトルを僕に差し出した。
どうも、とそれを受け取り、飲み口に唇をつけて、冷たい水を喉に流し込む。
 汗をかいて失った水分が身体に染み渡るのを感じながら、そういえば同じようなことをして
間接キスだな、なんてドキドキしてた頃もあったっけ、と思い出す。
 ほんの3ヶ月ちょっと前のことなのに、なんだかすごい遠い記憶みたいだ。

 ――ものすごくいまさらな気がするが、僕はこんな関係が始まる前から、彼のことが好きだった。
 本当なら、絶対にそんな感情を持ってはいけない相手だし、ましてや告白や
成就なんてもってのほかだ。それは僕の属するすべてのものへの裏切りになる。
だけど気持ちはどうしても抑えがたくて、少しでも彼に近づきたくて、せめて仲のいい友達の
ポジションが欲しいと、いろいろと無茶なアプローチをしていた事実は否めない。
中学のときに機関に入って3年間、友達らしい友達がいたことがなかったので
距離感がつかめず、彼にもずいぶんと鬱陶しがられたものだ。
 ある日、顔が近い鬱陶しい離れろとずいぶん邪険に扱われ、さすがに悲しくなって、
思わず無理やりキスしてしまったのが、この関係のはじまりだ。
 ヤケクソでそのまま彼を壁際に追いつめ、唇をこじあけて逃げる舌をとらえて蹂躙するうちに、
彼の下半身の変化に気づいた。それを指摘すると彼はものすごく恥ずかしがり、
この世の終わりのような顔をするものだからつい、別に恥ずかしいことじゃないですよ、なんでしたら
僕がしてさしあげましょうか、などと言ってしまった。
もちろん彼は盛大に嫌がったが、結局強引に押しきった。
1回でおさまらなかったので、もう一度しますか? と聞いたとき、しぶしぶと頷いた彼の真っ赤な顔が、
この世のものとも思えないほど可愛かったのが忘れられない。
 それから少しずつ少しずつ、彼をずるずると押し流していって、やがて性欲解消という名目で、
セックスする間柄になることに成功した。ただそれだけための相手なら、涼宮さんも機関も
裏切ってないなどと自分をごまかすこともできてしまって、我ながらよくできた設定だなどと自嘲する。

 恋人じゃない。
愛情や好意があるわけじゃない。
 それでいいと思って始めたはずの関係なのに、最初に彼と繋がれたときは嬉しくて
もう死んでもいいとまで思ったのに、この頃は夢中で抱き合ったあと、充足感よりも空しさの方をより強く感じる。
 こんな関係になる前よりも、彼が遠くに行ってしまったような感覚。
もう手の届かない存在になってしまったかのような。
どうしてこんなことに、と、ときどき愚痴をこぼしたくなる。
勝手なものだ。

 ひとつのベッドの中、一緒の布団にくるまって、隣で雑誌をめくる横顔をなんとなく眺める。
この様子だと彼は、今日はこのまま泊まって行くつもりなのだろう。
明日は日曜日だが、恒例の不思議探索もない。自分の家だと妹が乱暴狼藉の限りを
尽くして起こしに来るから、ゆっくり寝ていられないのだと言っていたし。
 いつだったかかわした会話を思い出しつつ、頭の隅の方でボンヤリと、こんな関係は
いつまで続くのだろうと考えた。
 彼の気が変わったとき? 情勢の変化が訪れたとき? 機関にばれて、やめろと
言われたときかもしれない。
 ――ああそれとも、僕が耐えられなくなって、彼に好きですと伝えてしまったときかも。
 そのひとことを告げれば、確実にこの関係は終わるだろう。セフレと思っていた相手が
本気だと知ってなお、同じ関係を続けられるほど、彼は薄情な人じゃない。
 そして自問せざるを得ない。そうなったときにはたして僕は、すっぱりと彼から
離れることができるのだろうか、と。
 彼が発するすべてのもの――その声も、吐息も、噴き出す汗も、にじむ涙も、屹立するモノが
こぼす液体すら、全部が甘い蜜のように僕を酔わす。まるで、口当たりは甘いのに習慣性がある、
ヤバイ薬みたいだ。それはたぶんじわじわと、僕を蝕み侵していって、いずれカラダにも脳にも
毒がまわりきり、中毒症状に苦しむことになる。そんなことわかりきっているのに、やめられない。
 そしていつの日か、彼が僕を見限り離れていったとしても、きっと回復は見込めない。
あとはただ、決して治る見込みのない、ひどい禁断症状に苦しむだけだ。



「なんだ?」
 あまりにもじっと見過ぎたせいか、彼が振り返って不審そうな顔をした。
僕はただ笑って、いいえ別にと首を振る。
「何を熱心に読んでらっしゃるのかと思いまして」
「ん? これだ。けっこう面白いぞ」
 彼がちらりと見せてくれた表紙は、タウン情報誌のようだった。そういえば、来る途中に
コンビニに立ち寄って買っていたな。
「梅田の観覧車、キャンペーンやってるみたいだぞ。カップルだと1人100円だとさ」
「えっと……梅田の、というと、あれですか? ビルの上にある赤いやつ」
「ああ。HEP FIVE観覧車っていうんだな。知らんかった」
 いつもは500円なのか、確かにオトクだなと彼はつぶやいている。最終搭乗時間まで
確認していて、やけに熱心だ。乗りたいのだろうか。
「乗ったことないんですか?」
「妹が怖がるから家族と行くときはスルーだし、1人で乗るもんじゃねえだろ、ああいうのは」
 なるほど。というか、誰かを誘って乗りに行くという発想はないのか。
たぶん、デートコースでもあるのだろうし、機関のエージェントとしてはここは、
涼宮さんと乗ってきたらどうですかと勧めるべき場面なんだろうな。
 だけど今、涼宮さんの名前は出したくなかった。ほんのわずかなひとときでも、
彼にそのつもりがなくても、この今だけは彼は僕だけのものなのだから。
 そんなことを考えていたら、ふいに自虐的な悪戯心が頭をもたげた。
布団の中をもぞもぞと移動し、彼にぴたりとくっついて、耳元に顔を近づける。
そして必要以上に息多めで、思わせぶりにささやいてみた。
「……では明日、ふたりで乗ってみますか?」
 ついでに、せっかくのカップルキャンペーンですしね、などと余計な一言までつけ加えてみる。
すると思った通りに彼は、顔が近いんだよくっつくな鬱陶しいとわめいて、僕を引き離しにかかる。
嫌がるリアクションが嬉しいなんて、僕にはMの気があったのかもしれないな。
「あの観覧車に、お前とふたりでかよ」
 ああ、そんなに渋い顔をしなくても、ほんの冗談ですよ。
不機嫌そうに眉をしかめる彼から離れ、肩をすくめてみせる。冗談ですといつも通りに煙に巻いて、
さらに、まぁそもそもカップルじゃないから、割引にはなりませんよね、と続けようとした。
 が、その言葉が形になる前に、彼が不機嫌な顔のまま、お前知らないのかと続けた。

「あれ、恋人同士で乗ると別れるって噂あるんだぞ」

 ああ、そういえばそんな都市伝説、聞いたことがありますね。東京の方にも、
ディズニーランドとか井の頭公園とかいろいろと……って……あれっ?
「中でキスすれば大丈夫とかも言われてるけどなぁ、やだぞ俺は」
「…………えっ?」
「なんだよ。だって見えるだろ、どう考えても。隣のゴンドラとかから」
 いやあの……そっちじゃなくてですね。
 僕がそのまま固まっていると、彼は視線を雑誌に戻し、ページをめくりながら
ごく当たり前の口調で言いつのる。
「噂を信じてるってわけでもないが、この手のやつは理由がよくつかめんから
あんまり気分よくなくないか? ああ、ディズニーランドとか井の頭公園とかは、
いちおう納得できそうな理由があるんだっけか」
 しかし弁天様の嫉妬って男同士でも適用されんのかね、と彼は首を傾げ、さらに
そういやこのキャンペーンも男ふたりでカップル認定大丈夫なのか、とつぶやく。
 何でもない様子でたたみかける彼の言葉に、僕はなんだか心臓が苦しくなってきた。
 だって、どう聞いてもそうとしか聞こえない。なんだか死にそうだ。
「あの、ちょっと……ちょっとすみません」
「なんだよ。……顔真っ赤だぞお前。熱でもあんのか」
「いえ、あのっ……」
 気安く額に触れようとする彼を必死に止める。この上触られたりしたら、
間違いなく心臓が止まる。
 息も絶え絶えな僕の様子に、彼は不審な顔だ。
「どうしたんだ。……お前まさか、俺と別れたくてわざと誘ってるとかそういう」
「違います違います違いますっ!」
 大慌てで否定する。そんなバカなことをとかもったいないとかいう言葉が脳内をぐるぐると
駆け巡ったが、これはどうやら間違いないらしいとも思い、さらに頭に血が上って目眩がした。
「……あの、その……恋人同士、とか、カップル認定、とかいう単語は、僕たち……を、
さしてるんです、か?」
「はぁ?」
 思い切り不審そうに、彼は眉を寄せた。
「いまさら何言ってる。他に誰がいるんだよ」
「や、でも……っ、恋人、って」
「お前、さっきまで俺たち、何してたか理解してんのか」
「そ……れは……。で、でも確か僕たちはカラダだけの関係というか、性欲処理のためだけの
つきあいだったはずで」
 あせってそう言いつのったら、彼はそういえばそんなこともあったっけな、と
どうでもよさそうな口調で答えた。
「だがお前な、ちょっと考えろ。自分のことを好き好き言ってくる奴と、なんとも思ってないのに
セックスだけはするとか、どんだけ鬼なんだよ俺は」
「いいいいいい言ってませんよ! そんな、好きだなんて!」
 とんでもないことを言われて、思わず声が裏返る。
 言うはずがないじゃないか。言ったら確実に関係が終わると、そう思ってたのに。
かたくなに言ってないと主張していたら、彼は雑誌を閉じて身を乗り出し、まじまじと
僕の顔をのぞき込んできた。
「まさかお前、自分で気づいてないのか」
「な、何をですか」
「お前、してるとき結構いろいろとだだ漏れてんだぞ。夢中なのか知らんが、イクときとかしょっちゅう、
好きだなんだって口走ってるし」
「ええええええ……」
「そのたびに俺は恥ずかしくてたまらん思いしてるってのに、無意識だったのか、あれ」
 一体僕は、最中に何を口走っているというんだ。確かにいつも、最後あたりは
気持ちよすぎて意識も朦朧としてることが多いが、そんなバカな。
 ぐらぐらと混乱する頭を抱えつつ、僕はあまりの急展開に、つい逃げ道を探してしまう。
そうだ。それだったらなぜ、さっき百年の恋がどうとか言っていたとき彼は、俺には関係ない、
などと切って捨てたというのだ。おかしいじゃないか。
そんな僕の最後の悪あがきにも、彼はあっさりと、アホかお前はと言い返してくる。
「お前が丸出しで歩こうがどうしようが、それくらいで醒めるわけねえだろうが。
女子じゃないんだし、いまさらお前になんの夢も見てねえよ」
 ついでに布団の中で、ぐりぐりと足で股間を踏みにじられた。もうひどいんだか
なんなんだかわからない。一気にいろんな感情が襲ってきて、頭の中もめちゃくちゃだ。
頭を抱えてうなっていると、彼が僕の肩をぽんぽんと叩いた。
「まぁ、安心しろ。お前がアホだってことは、とっくにわかってるからな。いまさら
どんな間抜けな勘違いしてようと大丈夫だぞ」
「本気でヒドイですね、あなたはっ!」
「でも、そういうところも好きなんだろ?」
「好きですよ! ちくしょう!」
 おお、なんだそのレア口調、なんて言いつつ楽しそうに彼は笑う。
その笑顔と、あまりにもひどい愛の言葉は、セックスのときの声や吐息や汗などより
もっと、甘く甘い蜜のように僕をとろかした。

「じゃあ、キスしてくださいよ」
「なんだよ偉そーに。ねだるならもっと可愛くねだれ」
「いまさらなんでしょ?」
「開き直りやがったな」
 そう文句を言いつつも、彼は僕の後頭部を手でつかみ、キスをしてくれる。
 2度、3度と口づけをくり返しながら僕は、彼が与えてくれる甘い蜜は、ヤバイ薬
などではなかったらしいと考えていた。
どうやら薬は薬でも、子供用に調合された水薬だったみたいだ。
「何か言ったか?」
「いいえ、別に」
 そう言って小さく笑うと、だったらこっちに集中しろと、彼はさらに唇を重ねてくる。
 キリなく与えられる、ただむやみに甘いだけのシロップに、僕は目を閉じて酔いしれた。



                                                 END
(2010.12.12 up)
キョン古ぽいけど古キョンです。