自転車に君を乗せて

【お題】自転車に君を乗せて
 俺、一度やってみたいことがあったんだ。

 そう言ったきり僕に背を向け坂道をくだる、彼の背中について歩く。
あたりを染めているのは、夕焼けのオレンジ。上空だけがうっすらと紺色で、
よく見ると等級の高い星たちがかすかに瞬き始めている。
咲き始めの桜をゆらす風は、まだ冬の冷たさを含んでいた。
 胸に卒業生の証である造花を飾り、卒業証書の入った筒を抱えたままで、
僕らは黙々と坂を下る。3年間続いたSOS団、その最後の催しとして、
元文芸部室に知り合いすべてを呼んでひらいたパーティも終わり、
じゃあまたねと手を振り合って、今日この日、僕らは北高を卒業した。

 職員室に二人で部屋の鍵を返しに行って、彼にちょっとお願いしますと
残ってもらい、野暮用を片付けたあとに聞いたのが冒頭のセリフだ。
 何だろうと考える僕の前で、彼は坂下の自転車置き場から愛車を
引き出し、よし、お前が漕げと僕にハンドルを渡した。
「ど、どこへ?」
「北高の校門までだ。当たり前だろう」
「はぁ……」
 一体なんのつもりだろうと思いながらも、自転車にまたがりペダルを
踏み込もうとすると、彼がひょいと荷台に腰掛けた。
「ええっ! さすがに二人乗りであの坂は無理ですっ!」
「大丈夫。お前はやれば出来る子だっ」
「もー、なんなんですか」
 仕方なく、立ち漕ぎでペダルを踏みしめる。案の定、数十メートルほど
登ったところで息があがり、地面に足をつくことになった。
「む……むり……です」
 ぜいぜいと肩で息をしつつ、ハンドルの上に上半身を倒す。そんな僕の
背中をぽんぽんと叩く彼の声は、妙に楽しそうだ。
怒っているかと思っていたのだが、そうでもないらしい。
「がんばれよ。校門まで行けたら、びっくり体験をプレゼントしてやるぞ」
「それって……」
 なんとなく予測がついたので、ちらりと背後に視線を向けて聞いてみる。
「まさか、坂の上から自転車に乗ったまま下るつもりじゃないでしょうね?」
「この流れで、それをしないと思うのか」
 入学したときから、ずっとやってみたいと思ってたんだよなと彼は言う。
今日を逃したら、もうここには来れないかもしれないし、との言葉に、
かすかに胸が痛んだ。
「……確かに興味深くはありますが、危ないですよ。あなたを危険な目に
あわせるわけには」
「いいじゃねぇか。ハルヒの力がめでたく消滅したんだろ? それならお前も
もうお役ご免ってことだ」
 そう。彼を呼び止め片付けた野暮用のひとつが、涼宮ハルヒの力の消滅を
彼に告げることだった。高校卒業と同時に彼女の中で何が起こったのか、
情報統合思念体にすらわからなかったらしいが、とにかく彼女の持っていた
あの物騒な力は消滅したのだ。
 彼はそう聞いたとき、一瞬言葉をなくしてから、そうか。とだけ答えた。
「お前もやっと、普通の生活に戻れるんだ。俺やハルヒの身の安全になんて、
いちいち気を回さなくたっていいさ」
「そんなわけにはいきませんよ。任務を離れたって、涼宮さんもあなたも、
僕の大切な……友人、ですから」
「…………」
 彼はしばらく黙り込んだ。が、背中にリュックのように背負ったカバンを
揺すり上げると、いいからさぁ登れと僕をせき立てる。
「この坂、自転車で下るのは絶対気持ちいいって! がんばれ古泉!」
「せめて乗らないで、押してくださいよっ!」
「それじゃびっくり体験の価値が薄れるだろうが」
 腕を組む彼の表情に、引く気はないぞと書いてある。仕方ないので僕は
再びペダルに足をかけ、罰ゲームのような苦行を再開した。
「……まぁ、ある意味罰ゲームかもな」
 ぼそりとつぶやく彼に反応すらできず、僕はさらに踏み込む足に力をこめた。

 苦行の終点、北高校門前にたどり着いたときには、早春だというのに僕は
すっかり汗みずくだった。自転車を放り出しアスファルトの上に座り込んで、
必死で肺に酸素を供給する。
 彼はそんな僕の頭に手を置いて、すげえなさすがだ、とか適当な賛辞を送ってきた。
まったく、なんなんだ。
「よし、ひと休みしたらいよいよ下るぞ。ブレーキはナシだからなっ」
「ちょ、ホントにやる気なんですか」
「あったりまえだ!」
 はぁ、と大きく息を吐いて、僕は立ち上がった。こうなったらもうしょうがない。
高校生活最後の悪事を、彼との思い出の締めくくりとしてこの場所に置いていこう。

 最後まで捨てきれなかった、僕の恋心とともに。

「乗ってください。僕の腰に手を回して、しっかりつかまってくださいね」
 荷台にまたがった彼が、ぎゅっと抱きついてくる。……ああ、これは思いがけず、
いい思い出になるかもしれないな、なんてのんきに考える僕も大概だ。
「いきますよっ!」
「おう!」
 必死になって登ってきた坂道を、一気にくだる。
まだ夕焼けの色を残す坂道には車も人も少なくて、その点ではありがたかった。
僕は念のためにブレーキに指をかけたまま、まだ冷たさの残る春先の空気を切り裂いた。
 自転車に君を乗せて駆け下る、3年間通い慣れた道。
おそらく、これからは時折思い出すだけになる見慣れた風景。
登るときは彼に会える嬉しさと、そんな自分への自嘲がないまぜになった思いを胸に。
下るときは隣を歩く彼との距離と、その前方を歩く涼宮さんの存在を意識して。
どうしようもない恋心を、せめて最後に伝えられたことに満足して、
すべてを思い出のアルバムに閉じ込め、僕らはそれぞれの道を歩き出すのだ。

「気持ちいいだろ、古泉!」
「そうですねっ!」
 上機嫌の彼の声が、背中から聞こえる。カラカラとうるさい車輪の音に負けないよう、
彼は僕の耳もとで叫ぶように、そんじゃ良く聞けよと続けた。
「約束のびっくり体験だ。――さっきの告白に、OKの返事してやる!」
「はい!?」
「お前が、ハルヒの力がなくなった報告のついでにさらっと言いやがった、
ずっと好きでしたってやつだっ! 俺もな、お前が……わ、馬鹿! 前見ろ前っ!」
「は……うわっ!」
 ぐらりとバランスを崩し、ハンドルのコントロールが効かなくなる。僕は必死で
方向を修正し、なんとか道端の植え込みの中へと突っ込むことに成功した。地面に
転がる直前に、とっさに彼の腕を引いて自分の上に落ちるように誘導できたのは、
機関で受けていた訓練の賜物だろう。
「痛って……」
 幸い2人とも大したケガもなく、打った腕やら腰やらをさすりつつ身を起こす。
目撃者もどうやらいなかったようで、駆けよってお節介を焼く通行人もいなかった。
「まったく……あなたって人は、あの状態で冗談なんて……」
「うっせ。冗談なんかじゃねえ」
 植え込みに埋もれるような体勢で座る僕の上に、彼の身体がある。服についた
草やら土やらを払いもせずに、彼は至近距離から僕をのぞき込んだ。
「えーと? もう卒業ですし、涼宮さんによる世界崩壊の危険もなくなりました
から言っておきますね、僕、ずっとあなたのことが好きだったんです、まぁ、
あからさまだったので気づいておられたかもしれませんけどね、ああ別に返事は
いりませんから適当に聞いといてください、だっけ? ふざけやがって」
「よ、よく憶えましたね」
 僕が、野暮用と称して彼に告げた報告ふたつめがそれだった。
卒業式で片想いの相手に、秘めていた想いを告白するのも定番だと思ったからだ。
もう顔をあわせることがないなら、聞き流すにも最適だろうと。
だが、最初に怒っているように見えた彼は、やはりかなり怒っていたらしい。
「俺が、どんだけ待ってたと思ってやがるんだ。お前が、ハルヒやら機関やらの
しがらみから解放されて、言いたいこと言えるようになる今日みたいな日をな!
それなのに、なんかのついでにべらべらとまくしたてて、適当に聞いとけだと?」
 人の気も知らないで、お前なんかこのっくらいの罰ゲームが妥当だ馬鹿、と言い捨てて、
彼は感情の高ぶりでにじみ出たらしき涙を拭う。
「えっ……それは、あの」
 混乱しきった僕がぽかんとしているうちに、彼は立ち上がりさっさと自転車を起こした。
車輪やらチェーンやらブレーキやらを点検し、おお、意外と丈夫だと独りごちる。
「ちっと変な音がするが、走るには支障なさそうだ。ほら、古泉」
 うながされ、当たり前のようにサドルに腰掛けさせられる。またも荷台に座り込んだ
彼は、あと半分だぞと顎で坂の下を示した。
「ま、まだやるんですか」
「あたりまえだと何度言わせる」
 さぁ行けとうながされて、僕はヤケクソで走り出した。どこかフレームが歪んだのか
自転車はガタガタと揺れ、奇妙なきしみ音を上げながら坂をくだっていく。
僕の腰に抱きつきながら、彼は壊れたなこれはと言いつつ笑い声をあげた。
ギイギイと悲鳴を上げる自転車の音と彼の声に、僕もつられて笑いがこみあげる。

「確かに、すごいびっくり体験でした!」
「そうだろ。ざまあみろ!」

 僕らは壊れかけた自転車で、3年間歩き続けた坂道をくだる。
もうこの道には戻ってはこられないかもしれないけれど、ずっと隣を歩いていた君は、
きっとこれからも僕の隣にあり続ける。
 だって僕たち2人の道は、下りきったこの坂の下から、新たにはじまるんだから。

「訂正してもういっかい言っておきます。だった、じゃなくて、今もこれからも
ずっと大好きですーーーーーっ!」
「俺もだ、バーカ!!!」


                                                 END
(2010.10.06 up)
よい子は真似しないように(笑)