熱いコーヒーを一杯

【お題】熱いコーヒーを一杯

「熱いコーヒーを一杯、いかがですか?」
「……おう」
 団活を終えた帰り道、ハルヒたち女子組と別れた後のお決まりのその言葉が、俺たちの合図だ。
 自転車を引いて、並んで向かう古泉のマンション。
ひとり暮らしの部屋にあがると、古泉はコーヒーのことなんて忘れたみたいな性急さで、
俺の腕をひいてベッドに引きずり込む。
キスをしながらネクタイを抜き取られ、シャツのボタンをはずして素肌に直に触られる頃にはもう、
俺自身も期待ではち切れそうになってて、焦らすのが好きな古泉の手をまたずに、自分から
ズボンのベルトに手をかけるのがこの頃の常だった。
 そんな関係が始まって、かれこれ……2ヶ月? 3ヶ月だったかな。
 はじめは単なるおふざけだった行為が、だんだんエスカレートしての今の状態だから、
正確な日付はわからないんだ。

「現状のようになった時期はともかく、はじまりは先々月のあの日ですよね。
あなたが、わざわざお見舞いに来てくださった」
 シャツを一枚羽織っただけの古泉が、手動のミルでコーヒー豆を挽きながら言った。
俺はまだ素っ裸のままベッドに横たわり、残り少なくなったゴムの箱を振って買い足しとかにゃならんな
なんて考えつつ、ああそういえばと答えた。
「お前が、バイトでケガして学校休んだ日な」
「まったく。ケガのお見舞いにAV持ってくる人なんていませんよ」
 肩をすくめて苦笑する古泉に、俺はすました顔で、気を利かせてやったんだよと嘯いた。
 まぁ、正直に言えばそれは策略だったんだがな。まんまとのせられて今の状態に
なってると知ったら面白くないだろうし、そこは黙っとくさ。
「もうすぐコーヒー入りますよ。そちらで飲みますか?」
 専用のヤカンでコーヒーの粉に湯を注ぎつつ、古泉が聞いてくる。
漂いはじめた香ばしい芳香に鼻をひくつかせて、俺はベッドの下に散らばってる制服に手を伸ばした。
「いや、テーブルで飲む」
「そうですか。今回のはちょっと深煎りにしてみたんで、苦いようならミルク入れてくださいね」
「新しい豆か?」
 行きつけのお店にめずらしい豆が入っていたのでお店の方に聞いて……と、いつものように
はじまった蘊蓄を適当に聞き流しつつ、シャツの袖に腕を入れる。喜々としてコーヒーの産地と
焙煎方法を語る背中に、俺も負けずに苦笑を向けた。
 そんな風に、セックスを終えたあと古泉が淹れてくれるコーヒーを飲むのも、俺たちのお決まりのコースだ。
AVを観て興奮したその勢いで、初めて触れあったその日から変わらないふたりの暗黙のルール。
まぁ、そのときのコーヒーは、ただのインスタントだったんだけどな。
 何がツボにはいったんだか知らんが、古泉のやつはその後、インスタントからドリップ式へと鞍替えし、
粉やら豆やら淹れ方やらに凝りだして、いまじゃ焙煎まで自分でやるほどのこだわりっぷりだ。
俺もけっこうコーヒーは好きな方だし、古泉の淹れるコーヒーはうまいからかまわんけど。
「美味しいですか?」
「うん。うまいよ」
 一口飲んで香りと味を堪能してから、探るように聞いてくる古泉にうなずいてやる。
すると古泉はホッとしたように微笑んで、よかったとつぶやくのだ。
 だけどその微笑みはいつもどこか寂しそうで、なんだか気にかかる。次は酸味が強いのも試してみましょうか、
なんて言いながら自分のカップにミルクをたっぷり入れてる姿を見て不安になるのは、
多分、こんなことを繰り返しておきながら、俺たちは別につきあってるってわけじゃないからなんだろう。



 いちばん適切な名称をつけるなら、セックスフレンドってやつなんだと思う。
 だが古泉が何を考えてこんな関係を続けてるのかがいまいち判然としないから、その呼び方もどうかと思うんだ。
前述したように最初に仕掛けたのは俺の方だし、立場的に古泉が俺を拒めないのも知ってる。
だから、古泉にとってはこれは、ただの接待なんじゃないかとはよく考える。こいつにとっては、
部室でいつもやってるオセロなんかと、さして変わらないんじゃないかってな。
 ――そう。仕掛けたのは俺だ。
 いつ頃から育ったのかわからないが、自分の中にある古泉への気持ちが、どうやら恋とかいう
シロモノらしいってことに気付いちまったから。まさか自分がそんな、野郎なんかを好きになるはずがないって、
さんざん悩んで否定して抵抗しまくったんだけどな。
 最初はうさんくさいと思うだけだったあいつのいろんな事情を知るごとに、だんだん見えてくる内面を知るごとに、
どうにもほっとけない気持ちがふくらんでいった。
 それでとどめが、去年の年末にあった例の事件……長門のエラーから発生したあの世界だ。
あの世界で俺を知らない古泉に会って、その後帰還したとき、目覚めて最初に見たいつも通りの古泉の姿に
心底ホッとして、こみ上げてくる気持ちに、もうごまかしはきかないって観念したんだ。
 だけど、告白して玉砕するつもりはなかった。そんなことしたら、その後が気まずくてたまらんだろ? 
高校生活はまだ丸1年以上残ってるし、俺たちはSOS団をやめるわけにはいかない事情があるんだからさ。
 だけどなんとかして、ただの友人関係から一歩踏み込みたいって思っちまった俺が選んだのがこの、
身体だけの関係ってやつだ。秘密を共有するには、これ以上ない方法だろ。道徳的にどうこうなんて、知らないね。
 古泉が言ったとおり、あれは先々月のある日のことだ。団活に行ったら古泉がいなくて、先に来てたハルヒに聞いたら、
風邪ひいてお休みらしいわよと言われた。風邪ぐらいであいつが休むとも思えなかったんで、トイレに行くフリをして
メールしてみると、返ってきた答えは、実は昨夜の出勤≠ナケガをしてしまったので、だった。
 あわてて電話して、まさか骨折したりとかそういう大ケガなのかと問い詰めた。すると聞こえてきたのは、
ふふっという小さな笑い声だ。
『いえ。骨折ではないのですが、足を軽く捻挫してしまって。医者に歩くのを止められてるだけですよ』
「そっか……」
『ご心配、ありがとうございます。数日で復帰しますから』
 元気そうな古泉の声に安堵の溜息をついたそのとき、ふと思いついちまったのが、その策略≠セった。
「歩けないだけなら、退屈だろ。見舞いにいってやるよ」
『え、そんな。大丈夫ですよ』
「そう言うなって。お前んち、漫画も一人でできるゲームもないじゃねえか。暇つぶしできるもの、
いろいろ持ってってやるから」
『はぁ……』
 遠慮だかなんだかをする古泉を強引に押し切って、俺は用事を装って団活を早退し、いったん家に戻ってから、
漫画やらゲームやらを抱えて古泉の住むマンションに押しかけた。
松葉杖をつき、びっこを引きながら玄関先に出迎えてくれた古泉は、それでも嬉しそうだったっけ。
 ケガの具合やらそのときの状況なんかを一通り聞いて、俺は本日の団長殿のご機嫌なんかを話してやって、
あとはくだらん雑談で時間を過ごした。そのうちあたりが薄暗くなってきた頃に、俺はふと思い出したみたいに、
持って来た荷物を床に広げた。オススメの漫画とDVDの中に、さりげなく谷口から借りっぱなしだったAVを紛れ込ませてあった。
「な、何を持って来てるんですかあなた」
「ん? ああ、それな。谷口からの借り物だ。なかなか悪くなかったぞ」
「そうじゃなくて……」
「一日寝てなきゃいかんのならヒマだろ。適当に使えばいいさ」
「使うって」
 その様子を見て、興味がないわけでも嫌悪感があるわけでもないのはわかった。ので俺はわざと大げさに、
肩のあたりを小突いてやる。
「なんだよ。男同士で照れなくてもいいじゃねーか。そういやお前とは、この手の話はしたことがなかったな。
どんなのが好みだ?」
「好み、なんて……」
 どうやら興味はあっても、友達とこういう話をすることには免疫がないらしいな。
ちょっと赤くなって目を逸らしてるのが、可愛いとか思っちまった。
「中坊のときとか、女の子の話で盛り上がったりしなかったか? 修学旅行とかで。その延長みたいなもんだろ」
「いえ。修学旅行には行ってないので」
「えっ?」
 ハルヒの精神が荒れ狂っていた中学時代、閉鎖空間の出現は今より段違いに頻度が高く、
それこそ寝るヒマもないほどだったらしい。交代制のシフトに組み込まれていた中学時代の古泉は、
泊まりがけの旅行には参加不可能だったのだという。
「能力者の数はそう多くないのでね。僕がはずれると、他の人にしわ寄せが行ってしまいますし」
 まぁ、友人もいなかったので、行ってもそんな話はできなかったでしょうけど、と、なんでもないように笑う顔を、
いたたまれない思いで眺めた。
そのときに感じた気持ちが、古泉のことをほっとけないと思う原点なんだとあらためて思ったっけ。
「そっか……じゃあ、今やるか」
「は?」
「AV観るぞ。テレビつけてDVDセットしろ」
「え、あのっ」
 やたら豪華なやつが置いてあるくせにあまり観ないというテレビを無理やりつけさせ、
DVDを突っ込んで再生する。部屋はかなり薄暗くなっていたが灯りをつけないまま、
ベッドを背もたれに床に二人並んで座って、画面を眺めた。
 AVはストーリー仕立てだった。可愛くはあるが特に演技力があるわけでもない女優が、
陳腐なセリフを棒読みして顔の映らない男優に押し倒され、服を脱がされている。
その棒読みっぷりに苦笑しつつ、ちらっと隣の古泉の方を振り向いたら、いきなり目があってびっくりした。
ずっとこっち見てやがったのかよ。悪趣味なヤツめ。
 あわてて二人して目を逸らしあい、気まずく黙り込む。するとシンとした空間に女優の大げさな喘ぎ声が響いて、
ますますもっていたたまれなくなった。俺はその空気をなんとかするべく、わざとらしく笑ってみせた。
「た、谷口が貸してくれるのって、いつもこんな感じの、気のつよそーな女優のばっかりなんだぜ。
わかりやすい趣味だよな−。俺はもうちょっとほわんとした感じの子がいいんだけどさ。お前はどうだ?」
 思わずそんな風にまくし立て、目を逸らしたままの古泉に話を振ってみる。
古泉はもぞもぞと身動いて、膝をたてて抱え込んだ。
「僕は別に……」
 ああ、そのポーズな。うん、わかるぞ。
 俺はすっと古泉の方に体を寄せ、耳元で囁いてやった。
「……勃っちまった?」
「…………っ!」
 古泉が息を飲んで固まる。暗くてよく見えないが、たぶん顔は真っ赤だったことだろう。
いつも余裕綽々な態度で、すかした顔ばっかりしてるこいつのそんな一面を見て、俺も興奮してきた。
「別に恥ずかしがることはないぜ? ごく普通の生理現象だしな」
「……もういいでしょう。DVD、止めてください」
「まぁ、そう言うなよ。ここでやめると、かえって気まずいぞ。……どうすんだよ、ソレ」
「どうって……」
 多分、俺に帰って欲しいと、その時の古泉は思ったんだろう。
だけど、こいつがそんなこと言えるわけないのはわかってた。
だから俺は古泉の態度に気づかないふりで、最初っからそのつもりだった行為に乗り出した。
「俺がしてやるよ」
「……っは!?」
 何を言ってるんだこいつは、みたいなすごい顔で見られた。
だがここで引いちゃならんと、俺はできるだけ平静を装って、何でもない口調で続けた。
「恥ずかしいんなら、お前も俺のをしてくれよ。なに、おふざけでしごきっこくらい、けっこうみんなやってるぜ?」
 まぁ、俺はしたことないがな。
 ……なんてことはもちろん言わず、やや強引に古泉の膝を割り、ジャージっぽい寝間着のズボンの上から股間をつかんでみた。
「っ! やめ……!」
 古泉のソコは、半勃ちくらいだったと思う。だけど手で何度か撫でてやったら、あっという間に固くなったから、
俺は勢い込んでズボンをずり下げた。
「……やっぱ普段とは違うな」
 SOS団で何度か行った合宿では一緒に風呂に入る機会も多かったから、通常の状態なら何度か見ている。
けどさすがにこういう時のは見たことなかったんで、自分がどう感じるかちょっと不安だったんだが……ドキドキしてる俺はもしや末期か。
「な、にを……」
 たぶん止めようとしたんだと思う。だが、古泉が手を伸ばしてくるより、俺の手がソレをつかむ方が一瞬早かった。
きゅっと握ると古泉は息を飲み、ビクリと身体を震わせる。軽く上下させると、すぐに先端から先走りがにじみ出してきた。
それを塗りつけ滑りがよくなったところを、くちゅくちゅと音をたてて優しくしごく。
まぁ、自分でするときと似たようなもんだからな、どうすれば気持ちいいかは大体わかるだろ。
「んっ、あ……ぅっ」
 眉を寄せて口元を押さえ、必死に声を抑えてる顔が真っ赤で可愛い。泣きそうな顔で息を荒げて、
ビクビクと身体を震わせてる姿は、さっきまで見てたAVの女優なんか目じゃないくらい色っぽいと思う。
「見、ないで、ください……っ」
 思わずガン見してた俺の視界から逃れようと、必死で顔を逸らす仕草がたまらない。
ゾクゾクと背筋から腰にかけて戦慄が走った。
「やべ……俺も」
 古泉の様子を見てるうちに、俺も勃ってきちまった。形を変えてる俺のソレは、キツいジーンズの内側で自己を主張している。
さすがに痛くなってきたんで、片手でボタンをはずそうと試みた。が、片手だけ、しかも左手じゃなかなかうまくいかん。
かと言って右手は古泉のでドロドロだし。
「くそ、痛てて……」
 しばし格闘していたら、横から手がおずおずと伸びてきてボタンをはずし、ジッパーを下ろしてくれた。
ついでその手は思い切ったように、トランクスをずり下げて、すっかり固くなった俺のをつかみだす。
「ん、さんきゅ」
「……していただくだけじゃ、申し訳ないですし」
 もちろん手の主は古泉で、目を逸らしながらも丁寧にしごき上げてくれる手は、なんだかひんやりしていて気持ちいい。
すぐにでもイキそうだったが、あまり早いのも癪なので必死に自制した。
 それから俺たちはAVそっちのけで、お互いのを擦って息を荒げ、相手を気持ちよくさせようとがんばった。
そのうち堪えきれなくなって、それぞれが相手の手の中に射精した。つかまるところが欲しかったらしい古泉は
いつのまにか俺の肩をつかんでいて、最後のときはぎゅうっと抱きしめられた。
それでさらに興奮した俺も、直後にイっちまった。
「…………」
「…………」
 出したあとは、さすがに気まずいというか、気恥ずかしかったな。無言でティッシュの箱を渡され、
ぼそぼそと礼をいって手やらアレやらを拭ったり、服を直したりしてる最中に、
いつのまにかAVも終わってることに気がついた。
「えっと……」
 やばい。古泉が目をあわせてくれない。このままじゃ、次に会ったときも気まずさを引きずったまま、
会話すら出来なくなっちまう。……よし、こうなったら。
「古泉っ!」
「は、はい! なんですか」
「俺、コーヒー飲みたい。淹れてくれ」
 あんまり唐突に俺がそんなことを言ったので、古泉は思わずあっけにとられて俺の方を見た。
目があった瞬間にニヤリと笑ってやったら、古泉もようやく苦笑めいた笑顔を見せてくれて、
やっと元通りの空気が戻って来た。
「インスタントしかありませんけど」
「ああ、かまわんぞ」
 ちょっと待ってくださいね、と言って古泉は立ち上がり、松葉杖を器用に使ってキッチンの方に歩いて行った。
その背中を見ながら、俺はほっと安堵の溜息をついた。
 その日はそのあと、コーヒーを飲みながら他愛もないことをしゃべって、適当な時間に家に帰った。
帰りがけに軽く冗談みたいな口調で、機会があったらまたしようぜ、と言ってみたが、古泉は困ったような顔で
笑っただけだったから、俺の策略≠ェうまくいったか、そのときはわからなかったのだ。

 2度目の誘いをかけてきたのは、古泉の方だった。
 いや、直接的にしようと言ってきたわけじゃないから、この表現には語弊があるな。
ともかく、テスト前で団活が早めに終わった日、女子を見送ったあとの別れ道で、
ものすごく何か言いたそうな態度の古泉に気がついて、これは、と思ったのだ。
「どうした?」
「あの……」
 もじもじ、というのがぴったりな様子で、古泉は何かを言いあぐねている。
助け船を出してやってもよかったんだが、つい興味深く観察しちまった。
なんて言ってくるかなと思ってじっと待っていたら、古泉が言い出したのは思いがけないことだった。
「……コーヒー、お好きなんですよね?」
「ん? ああ、わりと好きだが」
「ドリップ式で淹れるセットを揃えてみたんです。飲みに来ませんか?」
 なんつー遠回しかつややこしい誘い方だ、と思わず笑いそうになったが、ここは古泉の気持ちを
尊重してやるべきだろうと考え、俺もしごく真面目な顔でうなずいてやった。
「おお、そりゃいいな。やっぱりちゃんと淹れたやつは、インスタントとは違うってわかるもんな」
 あからさまにホッとした顔の古泉と一緒に、俺は古泉のマンションに寄った。
 リビングに通されて床に座って落ち着いたら、てっきりコーヒーを淹れに行くかと思った古泉が目の前に座った。
なんかすでに潤んでる瞳にじっと見つめられ、思わず心臓がはねた。動悸がにわかに激しくなる
「コーヒー、あとでもいいですか……?」
 つい天の邪鬼に、なんのあとだよ、なんて言っちまいそうになったが、ここはそういう場面じゃないなと思い直す。
俺はちょっと笑って、ああいいぜと頷いた。
「ベッドにいこうぜ。その方が腰痛くならんし」
「はい」
 今回は最初から、古泉は俺を抱き締めたまま最後までいった。そんな体勢だから、時々はずみでソレ同士が触れあって、
たまらない感触を伝えてくる。耳をくすぐる古泉の吐息とふいにもれる声が、やばいくらいエロい。
 だから、前みたいにそれぞれ相手の手の中に吐き出して終わっても、俺はなんとなくものたりなかったんだ。
「なぁ……古泉」
「はい?」
 ぐったりと俺の肩に顔を埋めている古泉の耳許で、提案してみる。いったばっかりの古泉のをもう一度握ると、
敏感になっているらしくビクリと肩が揺れた。
「……舐めてみていいか? コレ」
「は……えっ!?」
 もちろん、いいとは言いづらいだろうと思ったから、俺は返事を待たずに古泉の身体を離し、
ソレをつかんで、とりあえず間近で観察してみた。
 正真正銘の童貞にしてごく普通の性的嗜好だった俺は、当然、そんなものを舐めたことどころか、
こんな鼻先数センチの距離で見たことすらない。近くで見るとこんな感じかと思いつつさすがにためらってると、
恥ずかしいのか古泉が腰をひいて逃げようとする。逃すものかと思い切って舌を伸ばし、ざらりと舐めてみたそれは、
ちょっとしょっぱかった。何の味だコレ。
「ちょっ……やめ、てくださ……」
 そう言いつつ、俺の頭を抑える手にはあまり力がこもらない。すぐに息が乱れて声も出なくなったのを幸いと、
俺はあっという間に固くなったソレの全体を咥えて、裏側と先っぽを中心に舌と唇で攻めてみた。
したこともされたこともないが、なんとなくこの辺が気持ちいいだろうなってのはわかるしな。
 それにしても、これはけっこう苦しいな。無理な体勢だし、鼻でしか息できないし、忌々しいことにこいつのは
口の中には入りきらんし。でも、気持ちよさに耐えるみたいな表情とか、こらえきれずに漏れる声とか、乱れる息とか、すごい。
すごい色っぽくてぞくぞくする。……くそ、なんか俺も下半身がむずむずしてきた。
 じゅ、と音をたてて吸い上げたら、古泉が息を飲んでビクッと身体を震わせた。ガクガクと腰が揺れる。
シーツをつかんだ手に力がこもるのが、ちらりと見えた。そろそろ我慢しきれなくなったんだろう。
「も……っ、出るっ……は、なして、くださ……」
 言われたとおりはなした方がいいのか、このままいくべきか、一瞬判断が遅れた。
なんか舐めてるうちにぼーっとしてきてたからな。おかげでタイミングをはかれずに、
ちょっと身体を起こそうとした瞬間に古泉は達してしまい、俺はそれを顔面で受け止めることになった。
……顔射かよ。ありえねえ。
「あっ……す、すみません!」
 古泉は大いに慌てて、ティッシュで俺の顔を拭いはじめた。近くに来た古泉の顔は、
よっぽど気持ちよかったのか真っ赤で目は潤んでて、可愛いなおい。
……なんて思ったら、下半身のむずむずがさらにふくれあがってきた。やばい。なんか勃ってきたし。
 古泉も、俺のその状態に気付いたらしい。顔を拭いてた手を止め、困ったように首を傾げる。
「あの……男性同士の場合、このあとはどうするんでしょう?」
「え……ど、どうだろうな。やっぱり、挿れて、出す、んじゃないか?」
「挿れるって……この場合は、やはり……」
「一カ所しかないだろ、男の場合……」
 可能なのか? と二人して思わず首を傾げる。と、失礼します、と言って古泉が俺の肩を押したので、
俺はベッドの上に尻餅をついた。むき出しになった無防備なそこに、古泉の指が触れる。
「わっ! 馬鹿どこ触ってんだっ」」
「だって……ここ、ですよね?」
「いっ! 痛い! 痛いって!」
「す、すみません。そんなに?」
「い、きなりは無理だって! な、なんかいるんだろ……ローション、とか、そういうの」
「あ、そうか。そうですね」
「今度、調べてくっから……今日は待てとりあえずっ」
 古泉は手を止めて、しばらく考え込んでいた。と思ったら、おもむろに俺をそのまま押し倒し、
それじゃ今日のところは、と言って俺のをためらいもせずに咥えやがった。
「ちょ……!」
 生温かいものが俺を包み込む。じゅぷぷ、という水音とともにものすごい刺激が襲ってきて、
何がなんだかわからん感じになった。思わず腰が浮く。
「んっ……! あっ、や……っ」
 腰の奥から背筋を、快感が這い上る。頭の中がぐるぐる廻って、気がついたら声が出てた。
無意識に身体をよじってベッドのどこかにしがみつきながら、俺は数分もしないうちにいっちまった。
古泉のどこに出したのかもさっぱりわからなかった。
 力が抜けちまった俺がそのままベッドでぼんやりしていたら、古泉はキッチンで、約束通りコーヒーを淹れてくれた。
豆を挽いて、丁寧に淹れたドリップ式の本格的なコーヒーはえらく美味くて、思わず手放しに賞賛した。
「ありがとうございます。次はもっと練習しておきますね」
 にっこり笑うその顔が本当に嬉しそうで、思わず俺もちゃんと調べとかなきゃな、今度こそ、なんて思ったのは内緒だ。

 次の誘いの口実は、やっぱりコーヒーだった。
 専門店で豆を買って、そこの人にくわしく淹れ方を聞いてきたんだそうだ。
前回は本で独学したやり方だったから、今回はさらに美味しいと思います、だと。
俺は、そうかそれは楽しみだと答えて、古泉のあとについてマンションに寄り道した。
 で、今回もやっぱり古泉は、コーヒーを淹れる前に俺をベッドに誘ってきた。
まぁ、だろうなと思ってたんで、導かれるままベッドに向かい合わせに座って、
それじゃ、と手を伸ばそうとしたら、なんか止められた。
「ん?」
 無言のまま、古泉は俺をいきなりベッドに押し倒した。
「おっ、まえ、なにを」
 さらに強引に古泉は俺のズボンと下着を同時に引きずり下ろして、まだ反応してなかったソレを咥えた。
ぞくっと背筋を快感が貫く。性急に追い上げられた前回よりずっと優しく丁寧に、舐められて吸われてえぐられて啜られた。
「んぅ……っあ……い、きそ……」
 執拗に先端を舌でつつかれ、きゅぅと吸われた。じんわりと射精感がこみ上げてくる。
だがあともうちょっと、ってとこで、古泉は急に動きを止めて顔をあげちまいやがった。
「なん……っ」
 いいところで放り出され、熱が身体の中でくすぶっている。思わずにらみつけたら、
古泉は申し訳なさそうな顔をしながら枕元を探っていた。
「ちゃんと、準備してみたんですけど」
 そう言って古泉が取り出して見せたのは、小さな箱だった。ああ、俺もネットで調べたから見覚えがある。
ローションを小袋に詰めたやつだよな。恥ずかしくて、まだ実際に買うとこまでは行ってなかったんだが。
「射精する前の方が、中、は感度が高いらしくて……その……」
 真っ赤になった必死の形相で、古泉はためらいつつ言った。
「……していい、ですか?」
「お、おう……」
 勢いに押されて、思わずうなずいちまう。すると古泉はさらに必死な顔で、さっそく箱の中から小さなパッケージを取り出した。
歯を使ってそれを破き、右手の平に中身を出す。箱がすでに開封済みだったし、なんか手慣れてるとこを見ると、先に自分で
試してみたんだろう。古泉のやつ、結構ノリノリじゃねえか。意外と好奇心旺盛なとこあるんだな。
 ローションまみれのその手で、古泉は俺のそこにそーっと触れ、円を描くように塗り込めてから中に指をもぐり込ませてきた。
「んっ!」
「痛いですか?」
「いっ、いや……」
 ローションのおかげなのか、前に触られたときよりは全然痛くない。
そういうと古泉は、ほっとしたように顔をほころばせて、さらにぐりぐりと指をねじこみ、中を探り始めた。
……っていうか、俺が挿れられる方なのか? なんで、いつそう決まったんだ? 最初に押したのは俺なんだから、
俺がする方になるのが自然なんじゃね?
「こっちも、こうすると気持ちいいんですよ」
 いつのまにか古泉はさらに左手にもローションを足したらしく、右手でしきりに奧をほぐしつつ、
左手で俺のモノをしごきだした。
「っあ、うわっ」
 ぬるぬる感がすごい。さっき半端で止められたせいもあってか、思考を全部もってかれそうな快感が
絶え間なく襲ってきて、あまりの気持ちよさに死ぬかと思った。ついでにまさぐられてる中の入り口あたりからもじわじわと、
もどかしいようなむずむずするような感覚が上ってきて、挿れる方とか挿れられる方とかどうでもよくなった。
もう気持ちいいからなんでもいいわ。
「力、抜いててくださいね」
「ん……っ」
「ちゃんと、しますから……」
 ――それからどれだけ時間がたったのか、わからない。たぶん、痛くないように、傷つけないようにという
古泉なりの配慮だったんだろう。とにかく丁寧に、じっくりと、古泉は俺のそこをほぐしていった。
中に一カ所すごい気持ちいい場所があって、そこを刺激されて何度かイったような気もするんだが、
射精した形跡はない。ドライオーガズムというそうですよと、かすれた声で古泉が説明するのを聞いた。
「もう大丈夫、かな……3本入るし」
「なっ、にが」
「あなたのここ、柔らかくてとろとろでぐちゃぐちゃですよ」
 知るか。さんざん焦らされて弄られて、もう俺は虫の息だ。ちくしょう、いいように弄ばれて喘がされて、
俺一人だけ馬鹿みてえじゃねえか。
 ちなみにいつ脱がされたのか脱いだのか定かでないが、俺も古泉もすでに素っ裸だった。
部屋の中も薄暗くなって、ベッドサイドのスタンドだけが俺たちを照らしている。
 下を向いたままの古泉の表情は、長い前髪に隠れてよく見えない。余裕こきやがってと胸の内で悪態をついたが、
汗と涙でにじむ視界の中にボンヤリ見える古泉のソレは、なんか可哀想なくらいガチガチに張りつめていた。
 そっか……我慢してたんだな。俺が大丈夫になるまで。
「こい……ず、み……」
 すごく、たまらない気持ちになった。泣きたいような……なんだか無性に優しくしてやりたいような。
思わず俺は、手を伸ばして古泉の髪に触れた。
「もう、いいから……はやく……っ」
「……っ!」
 熱い息と一緒に切れ切れの声でそう囁いたら、古泉の動きが一瞬、ピタリと止まった。
 次の瞬間、それまでの慎重さをかなぐり捨てたみたいに、乱暴に両脚が持ち上げられた。
左右に大きく開かれる。声は上げたが、その体勢が恥ずかしいとかいう感覚はとっくにない。
頭が、のぼせたみたいにぼーっとする。
 今までずっと指が出し入れされていたところに、何かが当たる。すぐに、熱くて質感のあるものが、
俺の中にぐいぐいと入ってきた。さんざんほぐした成果なのかそれほど痛くはないが、すごい圧迫感がある。苦しい。
「うっ……くるし……っ」
「痛く、ない、ですか……っ」
 少しずつ少しずつ、身体を進めながら古泉が言う。どっちかっていうと、お前の方が痛そうだな。
眉間にシワが寄ってるし、汗びっしょりだ。
 やがて耳許で、はいった、というつぶやきを聞いて、俺は両手を差し伸べた。目の前の古泉は一瞬泣きそうな顔をして、
俺の両腕の中に倒れ込んでくる。ぎゅっと抱きしめて頭を抱え込んで、キスをねだってみた。
 好きあってしてるセックスじゃないから、嫌がるかと思った。だけど古泉は泣く直前みたいな顔のまま、唇を重ねてきてくれた。
少し開いて舌先で唇をなでたら、古泉も舌を出してくる。ファーストキスは、ぎこちなく舌をからめあうディープなものになった。
 それから古泉は、恐る恐るって感じで動き出した。すごく苦しくて痛くて、あまり気持ちよくはなかった。
だけど、好きなやつとこうして繋がってるって事実だけで、死ぬほど嬉しい。たとえ一方通行だとしても。
 最後は古泉は俺の中に出し、俺は古泉の手でしごかれてイッた。正直すっごく疲れて、後始末する気力もなく、
ふたりしてベッドに倒れ込む。はぁ、と息をついたら、眠そうな古泉と目があって、思わず苦笑しあった。
「何やってんだろなぁ、俺たち」
「はは……でも、なかなか得難い体験でした」
「……だな」
 うん。まぁ、それでいいや。高校生男子の好奇心の暴走ってことで、納得しといてくれよ。
そんな、たいしたことじゃないってさ。
「コーヒー、淹れてくれんだろ?」
「もちろん。だけどその前に少し、休ませてください……なんだかすごく眠くて」
「そだな……俺も眠いや」
 俺たちはそのあと少しだけ眠って、起きてから古泉は、予告通りにさらにグレードアップした美味さのコーヒーを淹れてくれた。
それを飲み終え、まるで普通の友達同士みたいにまたな、と言いあって、俺は帰路についた。



 そんなこんなで、なし崩しに一線を越えちまった俺たちは、もちろんハルヒたちには内緒で、関係を続けてきた。
 2回目からは、ちゃんとコンドームを使うようになった。ローションはジェルタイプの方が、シーツを汚さないことも知った。
乳首が気持ちいいって気付いたのは、何回目のときだったっけな。前を触らず初めて後ろだけでイッたのは、
先週くらいのことだったと思う。
古泉の淹れるコーヒーがプロ級に進化していくのと比例して、俺たちのセックスもステップアップしていった。
 だけど古泉の気持ちだけは、一向に見えてこない。本心を知るのが怖くてわざとそこに触れないように
してるせいもあるんだが、この関係をあいつ自身がどう思っているのか、わからない。
わりと積極的に誘ってくれるから、嫌々してるってわけではなさそうだけど……ただ、セックスが気持ちいいからしてんのかな。
性欲解消目的?
 それともやっぱり、世界の鍵とやらへの接待なのかね。やたらに俺とハルヒをくっつけたがってる機関≠ノしてみりゃ、
古泉とこんなことしてるのは歓迎できないことのはずだ。単純に知られてないんだろうと考えることはできるが、
もし知られてて、なおかつ鍵の機嫌を損ねない方が得策だから、なんて理由で古泉がこうしてるのだとしたら……。
「どうかしましたか?」
 空になったカップを目の前に、どれほどそうしていたんだろう。
 古泉はコーヒーを飲み終えたあと、ベッドのシーツを替え、風呂の準備をして戻って来たところらしい。
ボンヤリと、始まった日から今までのことをつらつらと思い返してた俺は、古泉の呼びかけに顔をあげた。
「お風呂、入りますよね。それともコーヒーおかわりしますか?」
「いや……風呂だけもらうわ」
 置きっぱなしにしてある着替えの下着を出すため、立ち上がってクローゼットに足を向ける。
こんな、まるで半同棲してる恋人同士みたいなことになっときながら、俺たちの関係は実は
何もかわってないんだよなとしみじみ思うのが、この不安の正体なんだろう。
『熱いコーヒーを一杯、いかがですか?』
 それでも俺は、明日もきっとそのお決まりの誘い文句を、心待ちにしちまうんだろう。
 性欲処理だろうが接待だろうが、俺を抱いてるときの古泉は、俺を求めてくれてるって錯覚できるから。
いつも作り笑顔ばかりの古泉の仮面が、セックスのときだけははがれるのが嬉しいから。
 それだけでも満足さ。今のところはな。

 ――だけど、そんな関係に終止符が打たれる日が来るのは、案外早かったんだ。



 その日の古泉は、なんだか様子がおかしかった。
 いや、表面上はいつも通りだ。しまらないニヤケ面で、朝比奈さんのお茶を飲みながら俺との負け将棋を楽しみ、
長門には普通にスルーされつつ、ハルヒの突拍子もない提案にさすがです涼宮さん、なんておべんちゃらを言って。
 それでもなんとなく元気がないのが、たぶん俺にだけはわかってた。理由はさっぱり不明なんだが。
 だってなぁ、今日は団活が早く終わるってことが確定してるんだぜ? 
ハルヒが、夕食は家族と外食だからと、早めに切り上げることを最初に宣言してたからな。
しかも今日は、特に宿題も出なかった週末だ。ハルヒの機嫌も上々だし、こっそり聞いたところ機関からの呼び出しとか
会議なんかもないらしい。明日は例のごとく不思議探索は予定されてたが、それもどちらかというと好材料だろ。
泊まりの口実になるし。
 前回してから3日ほどたってるから、日数的にも頃合いだ。だから、もし古泉が俺と同じようにセックスを
楽しんでくれてるのなら、うかれこそすれ落ち込む理由はないはずなんだが。
「あ、そろそろ時間だわ。今日の団活はここまで!」
 ハルヒの声とともに長門が本を閉じ、俺たちは朝比奈さんのお着替えを待つべく廊下に待避する。
ドアの前で並んで待っているときも、古泉はなんとなく俺から目を逸らしがちだった。
 5人一緒に長い坂道を下り、女子組を見送ったあとのいつもの別れ道。
俺は当然、いつも通りのお決まりのセリフがかけられるものと確信していた。
実を言えばすでに、親に夕飯はいらない旨のメールまで送信済みだったのだ。
 ――が、古泉はにこやかに、それでは僕はこれで、と言って踵を返した。
「えっ?」
「明日も早いですから、夜更かししないでくださいね。では」
 しばらく、声が出なかった。足も動かない。うなだれ気味に遠ざかる背中を呆然と見送って、
ぐるぐるとまわる思考にうろたえた。
 どっか体調でも悪いのか。それとも機関の方から何か言われた? いや、ただ単にこんな
虚しい身体だけの関係に嫌気がさしたのか。なんでだ。急に道徳心にでも目覚めたのか。それとももしかして他に。
「こいずみっ!」
 他に、好きな子でも、できたのか……?
 俺の声が、よっぽど切羽つまって聞こえたんだろう。足を止めて振り返った古泉は、びっくりした顔をしていた。
何を言えばいいかわからなくて、しばし言葉をなくした。
「なんでしょう……?」
 というか、ホントになんて言えばいいんだよ。こんな、他の北高生もいっぱい歩いてる天下の往来で、
今日はセックスしないのかって? 言えるかそんなこと!
「今日は……今日はコーヒー、ないのかよ?」
 これで通じるよな? コーヒーを飲む≠チてのは、今の俺たちにとってはセックスの暗喩のはずだもんな。
だから、他に好きな子ができて、俺とはもうしたくないってことなら言ってくれ。
もう僕は、あなたとコーヒーを飲む気はありませんって。
 俺たちはしばらくの間、無言でお互いを見ていた。やがて古泉は眉を寄せ、下を向いて、
申し訳ありませんと言った。……何がだよ。
「コーヒーは、差し上げられません」
 ずきっと胸が痛む。俺は、胸の辺りで拳を握りしめた。やっぱり、そうなのか。理由はわからないが、
もうあんな関係は終わりにしたいってことか。
 息が苦しくて声も出せなくて、ただじっと見つめることしかできない俺の視線の先で、古泉は溜息とともにつぶやいた。
「実は……焙煎を失敗して、豆を全部、黒焦げにしてしまったんです……」
 ……は!?
「ま、豆って」
「せっかくの貴重な豆だったのに……無理をせず、店でやってもらえばよかった」
 くっ、といかにもくやしそうに、古泉は唇を噛みしめる。豆? 豆ってあれか。コーヒー豆? も、もしかして落ち込んで見えたのも、それが原因か?
「……それだけか?」
「はい?」
「せっかく早く帰れるってのに、誘ってこない理由だよ!」
「え、ええ……まぁ」
 きょとんとした顔の古泉に、思わず安堵の溜息がもれる。ちくしょう。なんかくやしいのと安心したので、涙まで出てきやがったぞ。
 思わず乱暴に袖で涙をぬぐったら、古泉が大慌てですっとんできた。二の腕をつかまれて、顔をのぞきこまれる。
「ど、どうしたんですか、一体」
「うるせえよ。俺はてっきりお前に……他に、す、きな子ができて、俺とするのはもう、嫌なんだって……」
 泣き顔を見られるのが嫌で、袖で必死に涙を拭っていたら、古泉がハンカチを貸してくれた。
遠慮無く、ハンカチでごしごし顔をこする俺の耳に、途方にくれたような声が聞こえてくる。
「なんでそんなに……だってあなた、僕の部屋にはコーヒーを飲むために来てるんですよね?」
「へっ?」
「美味しいコーヒーを淹れることができれば、あなたが部屋に来てくれるから嬉しくて……だから僕は」
 まさかそれで、いろいろ調べて練習して、あんなプロ級のコーヒーを淹れるようになったのか? 
お前、自分の飯すらいまだに、説明書無視で作ったどろどろインスタントラーメンとか、プラスチックのカゴはずすの忘れて
一緒にチンした有毒ガス含みパンとか、殻が混入したジャリジャリ卵かけごはんとか、そんなのばっかりなのに。
 それって、単に身体目当てとか接待とかの域、越えてないか?
「だってあなたが、僕のコーヒーが美味しいって」
 確かに、やたら褒めちまったけどさ……まさかそっちが目当で、セックスがオマケだと思われてたとは……というか、
普通するか? そんな誤解。
 ああ、なんか一気に気が抜けたぞ。
「……とりあえずだな」
「は、はい」
 俺は古泉にハンカチを突き返し、大仰に溜息をついた。
「コーヒーはもちろん好きだが、俺の目当てはコーヒーだけじゃない。むしろそっちが、より好きなもののオマケだ」
「は……えっ?」
 伝わったか、と思ったら、古泉のやつは恐る恐る、さらにとんでもないことを言いやがったから、思い切り臑を蹴り上げてやった。
「セックス、がそんなにお好きで、痛っ!」
「違うわアホっ!」
 足を抱えてうずくまる古泉を置いて、俺は踵を返して歩き出した。どこに行くにせよ、ともかく自転車を取ってこないといかん。
 背後から、ようやく理解したらしいアホの、少々涙声の呼びかけが聞こえて来た。
「あのっ!」
「ん?」
 振り返ってみるとそこには、なんでだかアスファルトの上に正座して身を乗り出す古泉の姿があった。
何してんだよあいつは。
 真っ赤な顔でしばし躊躇していた古泉は、やがて意を決したように口を開いた。

「これから僕の部屋で、熱いコーヒーを一杯、いかがですか? ……インスタントですけど」

 しょうがねえな、飲みに行ってやるよ、と答えて、俺は自転車を取りに行くべく、
ニヤニヤしながら足を速めたのだった。



                                                          END
(2012.03.11 up)
ガチキョンくん。

うちもコーヒーはドリップ式で淹れます。ハリオ式。
さすがに焙煎まではしませんが(笑)