Hide and Seek 03

【お題】Hide and Seek
「キョンも、連絡くらいよこせばいいのに。気の利かないやつよね」
 彼がSOS団の活動に参加しなくなって、6日が経過した。
 今日は8月27日。夏休みも、残すところあと5日だ。ハゼを釣るために川面に糸を垂らして、
涼宮さんはつまらなそうにそうぼやいた。彼女の隣で朝比奈さんの釣り針にエサをつけてあげていた僕は、
まぁまぁと彼女をなだめる。
「おそらく、バイトが思ったよりも忙しいのでしょう。新学期にはきっと、お土産話をたくさん聞かせてくれますよ」
「どうでもいいわ……」
 夏休みを彼と過ごせなかったことが、だいぶ残念なようだ。
それでいい。きっとこの夏はリセットされ、再びループする。
 僕は心の中でほくそ笑み、涼宮さんの向こうでもくもくと釣り糸を垂らしている長門有希をそっと盗み見た。
本当に彼女は、彼に脱出のヒントを与えたのだろうか? だとしたら、彼が姿を消したことをどう考えているのか。
 朝比奈さんにエサを付け終えた竿を渡し、さりげなく長門さんの背後に近づく。お手伝いすることは
ありませんかと声をかけると、彼女はちらりと視線を向けてきた。
「……彼は元気?」
 意外だ。彼女が急にそんなことを言うなんて。僕は動揺をみせず、さぁ、とそらとぼけた。
「僕も、連絡がとれているわけではないですから。ですが、何も連絡がないということは、
問題がないということではありませんか?」
「そう」
「少なくとも……生きてはいるのでしょう」
 冗談めかしていったその言葉に、彼女は何を読み取ったのだろう。ただその凪いだ瞳で僕を見つめ、
もう一度、そう、と言って再び口をつぐみ川面に視線を向ける。僕は肩をすくめて立ち上がり、
自分の竿の前に戻った。
 隣で涼宮さんが、団長に声すら聞かせないなんて、キョンのくせに生意気よとつぶやいた。
神様からのかくれんぼは、いまのところ順調だ。


 夕方、部屋に戻ると、彼はシーツを身体にまいて、部屋の隅で身体を丸めていた。ここのところ、
食事のときとトイレに行くとき、そしてセックスのとき以外は、彼はずっとそこでそうしている。
「ただいま帰りました。どうですか、調子は」
「…………」
 眠っているのか朦朧としているのか、反応がない。僕はテーブルの上においてあったリモコンを取り、
ツマミをぐいと動かした。とたんに彼がびくりと身体を跳ね上げて、うめき声をあげた。
「ひぁ……っあっ」
「調子は、どうですか?」
 もう一度、聞いてみる。彼の中で振動するバイブの動きにあわせるように、彼はがくがくと震えながら
途切れ途切れに、いい、と吐き出した。
「いいんですか。それはよかった」
 スイッチを切ってあげると、彼はぐったりと床に這いつくばった。僕はそんな彼の側にしゃがみ、
彼の身体からシーツをはがす。すっかりやせて細くなった彼の身体を転がして、後ろに入れたままだった
バイブを抜いてあげた。ずるりと引き出されるそれに反応し、彼の身体はビクビクと震えた。
「今日も、いい子にしていましたね」
 僕が差し伸べる手に、いったん躊躇してからおずおずと体重を預け、彼は身を起こす。
その動きにつれて、じゃらりと鎖が鳴った。
 首輪と鎖はつけたままだが、もう両手は拘束していない。僕が出かけるときは、彼が退屈しないようにと
いつもおもちゃを与えているのだけれど――後ろに細いバイブを入れたり、ローターを乳首と性器に
固定しておいたり、エネマを突っ込んでおいたり、性器の全体を革紐でぐるぐるとくくったり――どんなにつらくても
彼は、その状態のままで僕の帰りを待っている。抜くなはずすなという僕の命令を、忠実に守っているのだ。
 最初に首をしめた日の翌日から、彼は僕に逆らわなくなった。何を命じても従順に、諾々と指示に従う。
拒否は決してしない。
 僕が与える食事をなんの感慨もなさそうに食べ、風呂に入れと命じれば黙ってその通りにする。
ちゃんと後ろの中も洗うようにと指示すれば、僕がじっと見ていても自分で中に指を突っ込んで、そこを洗浄した。
 そして夜も、手を引けば彼はおとなしくベッドに上がってくる。これからどんな目にあわされるか、理解していてもだ。
 僕は毎晩、必ず彼をひどく抱いた。両手両足を拘束する、目隠しをする、いろいろな道具を試すなどは当たり前で、
無茶な姿勢を強いることや、絶頂寸前まで追い上げておきながら射精を許さないこともある。
彼は自分で自分のものを押さえて必死に耐え、僕の、いっていい、という許可と同時に屈辱に顔を歪めて射精するのだ。
貫いて激しく揺さぶりながら首をしめることも何度かくりかえした。おそらくそのたび彼は、
絶頂と背中合わせの死の恐怖を味わったことだろう。
 泣きながら、怯えながら、それでも彼は組み敷く僕の腕の中から、逃げだそうとはしなかった。
1週間弱の監禁は、彼をそこまで破壊していた。
「そろそろ、言う気になりましたか?」
 対面座位の姿勢で、腰を突き上げる。抜かないままで彼の中に3回目を注ぎ込み、あふれる精液を
さらにかき回しながら聞いてみた。勃起した彼の性器の先には、細い金属の棒が差し込まれたままだ。
にぶい光を反射する棒を怯えた目でみつめて、彼はそれでもかたくなに口を閉ざしている。
「強情ですねぇ」
 尿道にさした金属の棒を、そっと抜き差しする。目の前でぐりぐりとまわしてあげれば、
泣きそうな引き攣った声を漏らした。
「好きだって、たったそれだけなのに」
 それでも彼の答えは、決まったひと言なのだ。
「――誰が、言う、か」
 金属の棒を乱暴に引き抜いた。ひっ、と声を上げて、彼のそこから少し精液が飛んだ。
「おや。……僕が、出していいといいましたか?」
 冷たくそう言い放つと、彼の顔から、血の気が引いた。震えながらあとずさろうとするが、まだ彼の中には
僕の性器が入ったままだ。腕をひいて、ぐっとさらに深くねじ入れて、にっこりと笑って見せる。
「今日も、長い夜になりそうですねぇ」


 夜中、閉鎖空間発生の気配を感じて、目を覚ます。
 彼がいないせいなのだろう。涼宮さんはこのところ毎晩のように、小規模な閉鎖空間を発生させている。
機関の方には、少し考えがあるから全部僕に任せてくれと言ってあるから、彼についてなにも言われない代わりに、
助力も得られない。僕はいつもひとりで閉鎖空間に赴き神人を倒し、ふらふらと部屋に戻る。
 今日もいかなくては。そうつぶやいて疲弊した身体を起こすと、ベッドにはやはり彼の姿はなかった。
さんざんになぶられ犯されて責め尽され、気絶するように僕の隣で眠っても、気がつくと彼はいつのまにか
ベッドから降りて、部屋の隅の定位置に戻っている。ひどくしたあと、今日はベッドで寝て下さいと言ったことも
何度もあるが、決して僕と一緒のベッドで眠ろうとはしなかった。
 灰色の空間を飛び回りながら、僕は何をしているんだろうと自問する。何で僕は、こんなに毎日熱心に、
彼を追いつめているんだっけ。
 ――ああ、そうか。僕は彼が嫌いなんだった。
 嫌いだから、思い知らせてやりたかった。彼だって僕が嫌いだろうから、嫌いな相手に服従させて、
いい気味だと笑ってやりたかった。……それだけのはずだ。
 なのになぜ僕は、彼が隣で眠ってくれないことぐらいで、こんなに悲しくなっているんだろう。彼がかたくなに
好きと言ってくれない事実が、どうしてこんなにもどかしくて苦しいんだろう。
 最初のうちは優越感と満たされた支配欲に酔うばかりだった彼との行為も、最近はすがりつかれたり
懇願されたりすると、なんだか胸が締めつけられる。
彼の腕が僕の背中にまわり、イかせて欲しいとその声で……。
「あ……」
 神人の身体を切り裂き、崩れゆく青い巨体と空を見上げながら、ふいにそのことに思い至って愕然とした。
そういえば、最初の夜以来、彼に名前を呼ばれていない。1週間もずっと一緒にいて毎晩のようにセックスを
しているのに、古泉、と呼ぶ彼の声をずっと聞いていない。
 いつもの星空へと回帰した空を見上げて、僕は自分が泣いていることに気がついた。



 翌日の8月28日。
 めずらしく昼頃に活動が終わり、部屋に戻ると、彼の様子がおかしかった。
 その日の朝は、媚薬だとかいうあやしげな薬を彼に飲ませて、決して射精しないようにと厳命して出かけていった。
ネットで買える媚薬になどたいした効き目があるわけないと気にせず出かけたが、どうやらすっかり弱っている彼の
身体には、思いがけないほどの効果をもたらしてしまったらしい。
 薬の影響を受けた彼はひどく苦しんで、それでも僕がダメといったので自分で処理することもできず、
うずく身体をなんとかするために、風呂場で水を浴びたらしい。僕が戻ったときには、びしょ濡れのまま
シーツをかぶり、ガタガタと震えていた。
 震えているのに真っ赤な彼の頬に触れ、額に手を当ててみると燃えるように熱い。計ってみたら、ひどい熱だった。
 とにかく身体を拭いて着替えさせ、鎖をはずしてベッドに寝かせた。薬の効き目はもう切れかけているようだが、
それでも彼の身体の震えは止まらない。僕は歯がみして、機関関係の医者を呼んで診察してもらい、
注射と点滴を打ってもらった。
 弱り切った彼の様子に医者は驚いていたようだが、僕が何も聞かないようにと釘を刺したので、
なにも言わずに治療して、薬を処方して帰って行った。
 苦しそうな息をついて眠る彼の顔を見下ろす。弱った身体に、この高熱はきついだろう。僕はそっと彼の髪に手を触れ、
頃合いだとつぶやいた。どっちにしろ、僕自身も限界だった。いろいろな意味で。
 気がついたのか、彼がうっすらと目を開けた。ボンヤリと僕を見上げるのに、優しく微笑んでみせる。
「いいですよ。そのままゆっくり、眠っていてください」
「ん……」
「薬が粗悪品だったようです。もうあんなものは二度と使いませんよ」
 聞いているのかいないのか、彼はうとうととしはじめて、再び眠りの淵へと沈んでいった。
結局、彼はその日と次の日をベッドの中で過ごすこととなった。


 約二日間、僕はうつらうつらしている彼を、熱心に看病した。
 団活の方も、海外に住んでいる両親に何かあったらしいから行ってくると大胆な嘘をついて休ませて貰った。
下手に風邪をひいたなどと言って、見舞いに来られてもマズイからだ。さすがにこんな状態の彼を見られたら、
世界がどうなるかわからない。
 点滴ををさらに2回打ち、ずっと安静にしていた甲斐あって、彼は30日の夕方ごろにはほぼ平熱に戻った。
僕の手からお粥を食べて薬を飲んだ彼は、汗をかいただろうと、お湯で身体を拭いて着替えさせてやると、
複雑そうな顔で僕を見た。
「病人は、おとなしく看病されていればいいんですよ」
 何か欲しい物はないかと聞くと、彼はぽつりとリンゴと言った。買って来て、僕が自分で不器用に剥いたリンゴを
出したら、彼は感心したようにそれを眺めて、でこぼこだなとつぶやいた。
「こういうの、苦手なんですっ」
 むすっとしたままそう言ってそっぽを向くと、彼がかすかに笑った。そういえば彼の笑い声を聞いたのは、
どれくらいぶりだろう。夏休みのループを知る前、着ぐるみでのバイトをした日以来かもしれない。
なんだか、はるか昔の記憶のような気がした。
「とりあえず、元気になってよかった。もう大丈夫そうですね」
 溜息とともにそうつぶやくと、彼の顔から笑みが消えた。おそらく、元気になったのだから、また今夜からセックスの
相手をしろと言われるとでも思ったのだろう。僕が椅子から立ち上がると、ビクッと肩を揺らしてベッドの中で後ずさった。
「ベッド、今夜も使っていていいですよ。僕はソファで寝ますから」
 ぽんぽんと頭を軽くなで、ミルクでもあたためて来ましょうと言ってキッチンへと足を向ける。足を止めて振り返って、
拍子抜けしたような顔をしている彼に、ついでに今夜は何が食べたいですかと尋ねた。
「作れませんけどね。リクエストがあれば、買って来ますよ」
 彼はしばらく戸惑うように逡巡していたが、やがて小さな声でシチューが食いたいとつぶやいた。
僕はうなずき、わかりましたと微笑んで踵を返した。
 実験は、ようやく最終段階に入ろうとしていた。



 そして8月31日。夏休み最終日にして、今シークエンスの最後の日が訪れた。
 夜明け頃、ソファで寝ていた僕がふと目を覚ますと、彼がベッドの上に身を起こしていた。まだ薄暗い部屋の中で、
ぼんやりと窓の外を眺めている。起き上がってそっと呼んでみると、彼はゆっくりとこちらをふり向いた。
「……眠れませんか?」
「ああ……。さすがに寝過ぎたな」
 ひさしぶりに聞く、彼らしいしゃべり方。ずっと、怯えた声と泣き声と嬌声と、あとは悲鳴しか聞いていなかったから、
なんだかなつかしい。少しかすれぎみではあったが、少し低くてよく通る、聞いているとなぜか落ち着く、
いつもの彼の声だった。
「今日は、何日だ?」
 突然、彼がそう聞いてきた。この部屋には、カレンダーも時計もない。僕は寝るときもつけっぱなしだった腕時計を
見せて、質問に答えた。
「8月31日の明け方です。この夏も、あと一日で終わりですよ」
「もうそんななのか。なんだかずっと、時間の経過が曖昧でな」
 朦朧としていた時間が長かったからだろう。そう思ったが口には出さず、彼をじっと見つめた。
彼は少し首を傾げて、そういえばと言った。
「お前が毎晩出かけてたような気がするんだが、気のせいか?」
「いえ。毎晩のように閉鎖空間が発生していましたので、出かけていましたよ」
「そうか……夢かと思ってた」
 発生の原因も理由も、もちろんわかっているはずだ。なのに彼は、そのことについては何も言わない。
涼宮さんの名前も出さない。僕を責めることもない。おそらくは、いまさら言ってもどうなるものではないのだいうことを、
理解しているのだろう。すべては、もう遅いのだと。
「今日は、大丈夫そうか?」
「ええ。さすがに最終日ですしね」
「明日から新学期と思ってるなら、そうかもな」
 ぽつぽつ話しながら、彼はずっと僕を見ている。僕も彼を見ているから、見つめあっていると言うのが正しいだろう。
薄闇の中で穏やかな色をたたえている彼の瞳は、僕に何を訴えようとしているのか。
 不思議なほど、その瞳に憎しみの色は見えない。怯えてもいない。ただの友達だった頃と同じように……いや、
その頃よりもずっと、深い感情がこもっているようなまなざしを、僕に向けている。
「どうしたんですか、あなた。なんだかおかしいですね?」
 思わずそんなことを言ったら、彼はふいに笑った。その笑顔に、ドキ、と心臓が鳴る。
「おかしいのは、お前の方だ。あんなにひどいことをさんざんしたのに……なんでそんなに優しいんだよ。
別人みたいで、気持ち悪いぞ」
「同じですよ。あれもこれも、同じ僕です」
「ふぅん……そうか」
 それきり彼は口をつぐみ、また僕を見つめた。
 静かな朝のひととき。遠くから車のエンジン音が聞こえてくる。残りたった一日しかない世界の、
神様の目の届かない禁断の園の片隅で、僕らはただ見つめあう。
 彼の瞳が、何か言いたげに揺れる。
 唇が開くが、結局何も言わずに閉じられた。
 僕はなんだか泣きたくなった。胸が、悲しみとは真逆の感情で押しつぶされそうだ。
 やっと叶う、となぜか思った。

「――おいで」

 かぶっていた毛布と一緒に、両腕を大きくひろげる。
 場所的には僕が彼のもとに行くべきだったろう。だが僕は、どうしても彼の方から来て欲しかった。
 彼が、はじかれたようにベッドから滑り降りる。小走りに部屋を横切って、そのままソファの上の、
僕の腕の中に飛び込んで来た。
 抱きしめて、キスをする。いままでセックスはさんざんしたけれど、キスは一度もしなかった。
愛しあってしている行為じゃないから、必要ないと思っていた。
「んっ……う」
 舌をからめあう。くちゅ、と湿った音がして、唾液があふれる。感触も熱も、息苦しささえ気持ちよくてたまらない。
角度を変えようと唇が離れる度、舌が相手の舌を追う。熱く蕩けそうなくちづけの合間に、潤んだ瞳で
見上げてくる彼に囁いた。
「僕のこと、好きですか……?」
 何度も聞いて、何度も拒絶されてきた問い。どんなに痛めつけてもひどいことをしても、
頑なに彼が口を閉ざしてきた答え。

「……すき。すきだ、こいずみ」

 すがりついて、耳許で呼ばれる名前。胸が締め付けられる。なんだそうか、とふいに思った。
すべての謎が、するすると解かれた気がした。
 彼のことが、嫌いなのだとずっと思っていた。見ているとなんだかもやもやするのも、彼が涼宮さんと
一緒にいると苛つくのも、離れているともどかしくてしかたないのも、すべてそのせいだと思っていた。
 間違いだった。全部。
 僕はずっと、彼のことが好き好きで、たまらなかったんだ。
 ただ単に、彼に好きだと言って欲しかっただけ。それだけだ。
 すがりついてくる彼の身体をきつく抱き返して、僕は涙があふれるのを感じた。いまさらこんなことに
気付いてどうする。彼の感情も言葉も、すべて錯覚なのに。
 ストックホルム症候群。
 監禁され命の危険にさらされ続けた被害者は、その期間が長くなるにつれ精神状態が変質し、犯人に
好意を持つようになる。犯人の中の優しさや共感できる部分を見つけ、本当は優しい人なのだと思い込む。
そうやって好意や愛情を持って接した方が、生き残れる確率が高いと感じる本能が起こす錯覚だと、
言われている心理症状だ。
 彼の中で起こっているのは、まさにこれ。当たり前だ。僕がそうなるよう、仕向けたんだから。
「古泉……こいずみぃ……」
 譫言のように僕の名前を繰り返す唇に、またくちづける。そのまま彼の身体を、横抱きに抱き上げた。
いわゆる、お姫様抱っこというやつだ。
「ベッドの方に行きましょう。ここではせますぎる」
 こくりと彼はうなずいて、僕の首にしっかりとしがみついた。短い距離を歩いて彼の身体をベッドに
横たえて、キスしながらその上にのしかかった。
 錯覚でいい。どうせ、この世界はあと一日で終わる。
 このまま、幸せなまま、世界が終わればいい。
 本当のことになんて、気がつかなくていい。全部、消えてしまえばいいんだ。


 はじめて、女性を抱くときのように優しく、彼を抱いた。
 触って欲しいというところを全部触って、感じる場所を隅々まで愛撫して。いままで痛みと苦しみに歪むばかりだった
彼の顔が、悦楽と快感に蕩ける。目があう度に求めてくる唇を貪り、舌をからめあって、際限なくキスをした。
 はやく、と自分から求める彼の中に、遠慮なく侵入する。すっかり僕のものになじんでいる彼の中、
彼が感じる部分を探してそこを突く。僕の背中に手をまわしてしがみつき、腰に両足をからめて、
彼はこれ以上ないほど深く僕と繋がろうとしながら、気持ちいいと声をあげ涙をあふれさせた。
「あ……ふぁ、あ……こい、ずみ、ぅあ……っ」
「もう、イキそう……?」
「やっ……まだ、イキたく、ない……っ、きもちい……」
 気持ちよすぎて、まだ終わりたくないと彼は言う。僕はそんな彼の中をさらにかきまわし、とぷとぷと先走りを
漏らす彼の性器を強くしごいた。
「大丈夫……何度でもいくらでも、あなたが望むだけ、抱いてあげますから……」
「んっ……ぁ、ああ……っ!」
 彼の身体が、弓なりにしなる。僕の背中に爪をたて、耐えきれずに絶頂に達した。身体をびくんびくんと
震わせながら、精液を勢いよく僕の胸のあたりまで飛ばす。快楽に潤むその瞳と唇に、僕はまたキスをした。
 そんな風に、僕たちの8月31日は過ぎていった。
 はずした腕時計を枕元に置いて、刻一刻と減って行く今日の一日をカウントダウンしながら、僕たちは
食事をする間も惜しんでひたすらに抱きあった。さすがに疲れるとしばらくの時間睡眠を取るが、その間も
お互いの身体を離さない。目が醒めたらどちらからともなくキスをして、飽きもせずまた求めあう。
残りわずかな刹那の時間、そのすべてを使って愛しあおうと、僕らはただお互いに没頭した。
 僕の願いはたったひとつだ。
 このまま彼が錯覚から醒めないで、このシークエンスが終わること。ループするのはもうほとんど間違いないから、
あとはすべての記憶を飲み込んで、この2週間が消滅してくれればいい。そうして次の僕たちは、
どうか仲のいい友人同士のままで、楽しい夏休みを過ごせますようにと、ただ祈る。
「何を、考えてる……?」
 深夜、23時46分。あと15分足らずで、すべてが終わる。時計を眺めてぼんやりしていたら、
腕の中に裸で寄り添う彼がそう聞いてきた。
「いえ……なんだか幸せだな、って」
「何言ってんだ。あと15分くらいで、全部終わっちまうってのに」
 くすくすと笑いながら、彼がベッドに身を起こす。布団の中で身動いて太腿の上に頭を預けると、
彼は優しく僕の髪をなでてくれた。
 彼にはわからないだろう。あと15分で終わるからこそ、僕は幸せなのだ。まるで愛しあう恋人同士みたいに
錯覚したまま、時間のループの中に消えてゆけるから。
「……そういえば、あなたが言ってたループを抜ける方法って、なんだったんですか?」
 ふいに、そんなことを聞いてみる気になった。
 いまさら聞いてもどうしようもないけれど、ちょっとした好奇心が頭をもたげたのだ。彼が、長門有希からヒントを
もらったのだと匂わしていたあの言葉。あれは本当だったのだろうかと、なんとなく知りたくなった。
 すると彼は一瞬押し黙り……フッと笑ったのだ。

「――やっと聞いたな」

「え……?」
「いつ聞いてくるか、それとも聞かれないまま終わっちまうかもと思ってたぜ。ああ、質問に
答えるとだな……あんなのは嘘だ。方法なんて、俺が知るわけがない」
 思わず、寝返って彼を見上げた。彼は髪を撫でる手を止めて、僕を真上から見下ろしている。
薄く微笑んでいる彼の顔からは、内心が読み取れない。
「じゃあなぜ、あんなことを言ったんですか? あの状況であんなことを言えば、僕が何かすると思わなかったんですか」
「それな。ただ、お前の本音が聞きたかっただけなんだが」
 曖昧な表情で、彼は続けた。
「お前、ずっと俺のことを気にしてただろう? 夏に入る前……そうだな、5月のあの事件が終わったあたりからだ。
表面上はにこやかに何気ない風を装いながら、ずっと俺を意識して執着し続けてたよな。もうそれがうっとおしくて
重たくて、どういう意味の執着なのか知りたくてさ。天体観測のとき、やっとお前の本音らしき言葉がきけて……ああ、
俺のことが好きなのかって思ったから」
 呆気にとられて、僕は彼を見つめた。彼は何を言ってるんだ? 僕が自分でも気付いてなかった想いを、
あのときすでに理解していたっていうのか。
「だって僕は……あなたを、嫌いだと」
「それ言ったとき、お前自分がどんな顔してたかわかってんのか?」
 確か、優しく微笑んでみせたはずだ。あの時は、確かに自分でもそう信じていた。彼を傷つけることができるのが、
嬉しくてしょうがなかった。
「ああ、そんな顔だったな。かまって欲しいって、ガキの顔だった」
「…………っ」
 そんなことを言われて、ついムッとした。だが彼は、まるでなだめようとするみたいに僕の髪をなで続ける。
「長門んちの下で言い合ってたときだって、お前あんな顔で、ハルヒに告白しろだのひと夏の思い出が
どうだのと……ガキが駄々こねてるようにしか見えんだろ」
「そんなこと……」
「まぁ、聞けよ」
 お前、この2週間がはじまったとき、ずっと既視感を感じてたんだろうと彼は言う。
そうだ。気持ち悪いくらいの既視感が、ずっとつきまとっていた。
「俺もずっとそうだった。だからわかったんだと思う。たぶん俺たちは、いままで何度も似たようなケンカをしちゃあ、
俺がお前の気持ちを知るってプロセスを繰り返してるんだろうよ。……まぁでも、今回のお前はダメだったよな。
自分で自分の気持ちにすら、気づいてなかったくらいなんだから」
 枕元で、時計の秒針がカチカチと時を刻む。残り少ないこの世界を、少しずつ削り落とすように。声も出せずに
見つめる僕の視界の中で、急に違う人物になってしまったかのような彼が、肩をすくめた。
「それで自暴自棄になりやがってお前、人にあたるんだからなぁ……まぁ、正直アレは腹いせだったかもしれん。
だってお前あのとき、自分のしたことを、速攻でなかったことにしようとしやがったろ。だからもっとつついて、
本音をひきだしてやろうと思ったんだが……さすがに、自分の気持ちをあれだけ曲解したうえ、あんな
ひでぇことしやがるとまでは、予想できなかったわ」
 いろいろしてくれたよな、毎晩閉鎖空間にも行って疲れてただろうに、感心するよ。
 僕を見下ろしじっと見つめながら、彼がいう。淡々としたその声には、怒りも皮肉も感じられない。
ただ事実を述べているだけだ。
「あなたは……!」
 がば、と身体を起こす。僕は必死の形相で、彼に詰め寄った。
「ぜんぶわかっていて……それなのに」
 僕のすることを、すべて受け入れてくれていたというのか。従順に、まるで逆らう術がないからという顔で、
駄々をこね続ける僕をどこまでも。……なぜそこまで。どうして。
「うん……実はな。3日目……4日目かな。お前がいないときに、長門が来たんだ」
「長門さんが……?」
「俺が何をされてるか、わかってるみたいだったな。あなたが望むなら、ここから脱出できるようにするって
言ってくれたけどさ」
「断ったんですか!? なぜ……!?」
 愕然とする僕に、彼は答えない。がくりとうなだれた僕の頭に触れた彼は、ぽんぽんとあやすように
軽く叩いて、そっと髪をなでた。
「馬鹿だよなぁ、お前……。あんなことまでしなきゃ、自分の気持ちさえ理解できないなんて。ホント、不憫な奴」
 でもまぁ、やっとわかってよかったな、と囁く彼。嬉しいけれど、優しいけれど、僕が知りたいことの答えにはなってない。
 なんで彼は、こんなにも優しい。なんで僕に、ここまでしてくれる。
 焦れる僕の顔をのぞきこみ、彼は面白そうな表情で言った。
「聞きたいか?」
 聞きたいに決まっている。だって、期待してしまうじゃないか。
 確かに今朝、彼は僕に好きだと言ってくれた。まるで恋人同士みたいに、一日中を愛しあって過ごしたけれど、
その気持ちは、監禁されひどいめにあい命の危険を感じた彼の心が、そのせいで起こした錯覚だと思っていた。
好きだと言えと迫る僕を頑なに拒否し続けていたのが本心で、今の状態がおかしいのだと。……でも彼は本当は、
最初から最後まで正気のままだったのだ。
 だったらなぜ。どうして僕に。
 期待と不安とわけのわからない焦燥に、息が詰まる。頭が痛む。心臓が苦しい。
「……ふうん。そっか」
 思い詰めた顔をしているだろう僕を、彼はじっと眺めている。
 そして、ふっと唇をゆがめ――ニヤリ、と笑ったのだ。
「…………!?」
 なでていた僕の頭から手を離し、彼は枕元から腕時計を拾い上げた。
文字盤を見て、ああ、あと3分だなとつぶやく。
 彼が、もう一度僕の方へと顔を向ける。その顔には、今度は悪戯っぽい笑みがあった。

「教えてやらん」

 あっさりと言われて、言葉をなくした。
「どうせ今この状態で何を言ったって、お前、信じられないだろ」
 思わず、文字通り彼にすがりつく。
「それでも……それでもいいです……!」
 なんでもいい。一言でいいから聞きたい。僕は救われたいのだ。赦されたい。
 それでも彼は、にこやかに僕の願いを拒絶した。
「ダメだ。教えない。……だがひとつ、約束してやるよ。もしも次のシークエンスで、お前と俺が今回のことを思い出したら、
そうしたら教えてやる。全部な」
「なん……っ」
 次のシークエンスで。記憶がすべてリセットされるはずの、その後で?
「忘れたいんだろう、お前。自暴自棄になってめちゃくちゃしたこんな回なんて、記憶といっしょに全部、
なかったことにするつもりだろ? ――そうは行くか」
 楽しそうに彼が笑う。
 その手の中で、時計の針は刻一刻と時を刻み、頂点を目指している。
 ふいに僕は思いだした。Hide and Seek――他愛ない子供の遊び、かくれんぼ。だがその言葉にはそれ以外にも、
避けること∞ごまかすこと≠ニいう意味がある。
 自分の気持ちをごまかして向かい合うことを避けていた僕への、その憤りとわがままを理不尽に彼に
ぶつけたことへの、これは罰なのか。
 時計をその手に掲げたまま、彼は優しく微笑んで僕の耳元に唇を寄せた。そして悪魔の誘惑のごとく、
思い出せるといいなと囁く。
 こんなひどい夏を、愚かな僕が犯した罪を、犠牲の子羊になった彼を、思い出せるといいな、なんて。
 カチ、と時計の針が動く。もうすぐ2本の針が、12の位置で重なり合う。僕はもはや声もなく、
彼の笑顔をじっと見つめて、その瞬間を待った。

「忘れて楽になろうなんて、許さねえ。Hide and Seek……かくれんぼ、だっけ? 見つけ出せよ、
今回の俺たちを。――次の鬼はお前だ。古泉」

 カチ。
 かすかな音をたて、時計の針がすべて――重なった。



                                                               END
(2012.06.25 up)
完堕ちENDと思わせておいてのキョン勝ち逃げENDでした。
ラストあたりすごい何度も書き直した……BADENDですが、BADとも言い切れないのではないかと
自分では思ってる微妙な感じ。