朝焼けを見に行こう

【お題】朝焼けを見に行こう
 やってられねぇな、と、灰色の空の下で暴れる神人を見上げて、誰かが言った。
僕と同じ、機関の戦闘員の1人だが、あまり親しく会話したことのない人だ。
「女子高生の機嫌一つに振り回されて命かけて。割にあわぇねよ」
 今日の涼宮さんはかなり機嫌が悪いらしく、神人の姿は3体確認できる。
真夜中の招集に応じて集まった戦闘員は7名。ちょっと大変な戦いになりそうだ。
「明日だって会社あるのにさ。寝不足でボンヤリしてりゃ、上司にドヤされるし。
俺が世界を守ってやってるってのに、そんなこと知りもしないで」
 誰に聞かせるでもない彼の愚痴は、おそらくそこで待機している戦闘員の誰もが、
一度ならず思ったことだろう。もちろん僕にも覚えがある。
 というか、ほんの少し前までは、僕こそが常にそれを考えていた。
まるで呪いのように。
どうしようもない憤りと、絶望感とともに。



 涼宮ハルヒ率いるSOS団はその日、突然の彼女の思いつきにより、ピクニックへと
かり出されていた。電車を乗り継いでの遠出に7月頭という時期は、気温的には
悪くはないがあまり向いている季節とは思えない。
 案の定、昼を過ぎてから空はどんどん不穏な色を帯び始め、ついにパラつき始めた
雨はたちまち豪雨となった。
 あわてて駆け込んだ田舎の無人駅の時刻表によるとあと3時間は電車が来る予定はなく、
駅前のタクシー溜まりにはたまたま都会から客を運んできたらしきタクシーが1台
いるだけだった。
 用意してきた傘はさしていたものの、風も強かったので防ぎきることはできず、
薄着の朝比奈さんは雨に濡れて震えている。そんな彼女を放っておく訳にもいかずに
女性陣にタクシーを譲った僕ら男性二人組が、駅のベンチで3時間後の電車を待つことと
なったのは、まぁ、当然のなりゆきだったろう。
「こんな梅雨時にピクニックってのが、土台無茶な話だってんだよ」
 濡れた前髪を掻きあげながら、彼がぶつくさと愚痴る。
わかっているなら、計画の段階でもっと強行に止めていただきたいものだ。
彼女に意見できるのは、今のところ、“鍵”と呼ばれるこの彼だけなのだから。
「まぁ、涼宮さんのお力で、無理やり晴れ間にされるよりは影響が少なそうですし、
よろしいのではありませんか」
「また全肯定かよ。イエスマンめ」
 心底嫌そうな顔をして、彼は頬杖をついてそっぽを向く。僕はそれに曖昧な笑顔を
向けてから、視線を足下に落とした。濡れた靴に染みた雨水が中にまで浸透をはじめて、
気持ち悪かった。
 彼はそれきり、何を話すこともなく沈黙したままだ。
僕が北高に編入し、SOS団に加入させられて知り合ってから、まだ2ヶ月足らず。
親睦を深めるには期間が短すぎるし、何より彼は素性その他をすべて秘密にしている僕を
かなりうさんくさいと思っているはずで、それを思えばいきなり親しい友人みたいに
会話がはずむ方がおかしいだろう。
 僕としても、彼に対してはかなり含むものがあったので、歩み寄るきっかけを
作るのは難しかった。

 3年前の、ある夏の夜から始まった悪夢。
日ごと夜ごとにくり返される悪い夢は、僕の心を少しずつ蝕み削り取り、麻痺させていった。
胸をふさぐような不毛な空間で、苛立ちを暴力に変えて暴れる神人。
放置すれば世界が脅かされるから、僕らは命がけでその対処にあたり、気力と体力と
睡眠時間を奪われる。倒したからと言って何が変わるわけでもなく、ただ、いつもと
変わらぬ日々が訪れるだけ。
誰も、僕らが命をかけて、その変わらぬ日々を守っていることなど知らない。
誰も、僕らが身体中に生傷を作り、睡眠不足に耐えていることになんて、気づかない。

 先々月、5月のある日、世界がひっそりと、終わりかけたことにだって。

 こんなにも毎日、頑張っているというのに、あの時の僕らに出来たのは、
“鍵”であるこの彼に伝言を届けることだけ。
 実際に世界を守ったのは、“彼”だった。
 別にそれがずるいとかひどいとか思っているわけではない。鍵には鍵なりの責任の
重さや憤りや苦悩があるはずで、彼がその役割を積極的にではないにせよ引き受け、
投げ出さずにいてくれることは、ありがたいと思っている。
 ただ、疲労と睡眠不足がたまった身体でボンヤリとしているこんなとき、妙な虚しさと
やりきれなさに心が支配される、それだけだ。
(疲れたな……)
 昨夜、ピクニックへの期待に胸をはずませていたはずの涼宮ハルヒは、なぜか
小規模の閉鎖空間を発生させた。理由はいまいち不明だが、おそらく天気が気になったとか、
夢見が悪かったとか、そんな理由だろう。油断していたと言うこともあって戦闘員が
あまり集まらず、仕方なく僕も空間の処理に赴いた。そしてそのまま、睡眠を取ることが
できなかったのだ。

 彼は相変わらず黙ったまま、降り続く雨を眺めている。
単調な雨音に耳を傾けるうちに、寝不足の頭に睡魔が忍び寄ってくる。“古泉一樹”と
してはあるまじき失態だが、ついつい僕は睡魔の誘惑に負けてしまった。
 うとうととしているうちに、ふっと意識が闇に沈み、身体から力が抜けたのがわかる。
意識だけはまだ少し残っていたが、身体に力が入らず動かすことができない。
ああ、こういう状態を、金縛りだとか霊現象だとか思う人がいるんだな、なんて
妙なことが頭に浮かんだ。
「……っ、おい! 古泉!」
 びっくりしたような彼の声が、すぐ耳もとで聞こえた。
どうやら僕の身体は斜めに傾いで、彼の肩に寄りかかる体勢になっているらしい。
起きて、戻さないと、と頭では考えているのに、身体は動かなかった。
「なんだよ……寝てんのか。めずらしい」
 まぁ、普段、つい顔を近づけ過ぎてしまう僕を、気持ち悪いと思いっきり避けるような
彼のことだから、適当に押しやってくれるだろう。そんな風に考えて、眠りに捕らわれる
ままになっていたら、彼は僕の予想外の行動に出た。
 しばらく黙ったまま、躊躇するような様子だった彼が、周囲をきょろきょろと
見回す気配が伝わってくる。そして何を思ったか、僕の肩に手をまわして、グイと
自分の方へと引き寄せたのだ。
 僕の身体は当然、ベンチに横たわる形になり、彼の腿あたりを枕にする体勢になった。
これは……いわゆる、膝枕というやつか。
 驚いたせいで目は覚めて身体は動くようになったが、彼の手が頭を押さえているので
うかつに身動きがとれない。どうしようと思っているうちに、彼の手は離れていった。
……いや、どうやら髪に触れるか触れないかあたりで止まっているようだ。
 一体、なんのつもりなのだろう。彼の真意がわからず、内心でいろいろ分析していると、
ポツリと彼がつぶやく声が聞こえた。
「あんま寝てねぇのかな……コイツ」
(…………!)
 ぎこちない動きで、彼の手が僕の髪をなでる。やれやれ、と彼がついた溜息が、
耳のあたりをあたたかくくすぐった。
「世界を守るってのも、大変だよな……」
 ふいに、彼が顔をのぞきこんで来るのを感じた。寝てるんだよな? というつぶやきに、
僕はあわてて目を閉じたまま、寝息をたてるフリをする。彼はもう一度、何かを思いきる
ような溜息をついてから、ボソボソと言った。
「ま、俺たちがこうしてのんびりピクニックなんてしてられるのも、お前たちが
がんばってくれてるおかげなんだろ。……お疲れ、古泉」
 たぶん、独り言なのだと思う。それだけを小声で言って、彼は再び黙り込んだ。
だけどまるで猫にするように、僕の髪をなでる手は止まらない。
 じわりと胸に、痛みのような熱のような何かが沸き上がる。目の奥が熱くなって、
僕はにじみそうになる涙を必死で堪えた。

 雨の音だけが、僕らを包み込んでいる。
嬉しいのか泣きたいのかくすぐったいのか、自分でもよくわからないまま僕は目を閉じて、
髪をなで続ける彼の手の感触を感じていた。
 気持ちいいなぁ、と思っているうちに、僕の意識は次第に途切れがちになってゆく。
そしてそのまま本格的に、久しぶりの安らかな眠りの中へと沈み込んでいった。
3時間後、電車が来たぞ起きろ馬鹿人を枕にしやがって足が痺れたぞこの野郎、と
明らかに照れ隠しの悪態をつく彼に起こされるまで、ぐっすりと。



 総員、戦闘準備、との号令が下る。
同時に僕らは力を集中させ、身体に赤く輝くフレアを纏う。
「しゃあねえな」
 さっきまで、隣で愚痴をこぼしていた彼も、肩をすくめて戦闘態勢に入ったようだった。
僕の視線に気がついたのか、ニヤリと笑って親指を立てる。
「大事な女房を守るためだ。……ま、1人だけでもわかってくれてればいいやな。
俺ががんばってるってことをさ。な、坊主」
「はい。そうですね」
 にっこりと、僕は作り笑顔でない笑顔で、うなずいた。
赤い光点となって飛んでいく彼を追い、僕も上空へと舞い上がる。

 さぁ、行こう。
この夜を無事に越え、崩れる灰色の空の向こうから現れるはずの
美しい朝焼けを見るために。
彼の住む、この愛すべき世界を守るために。



                                                 END
誰かのために戦うこと。