if

【お題】if

「……それで、もし関ヶ原の合戦で西軍が勝ったらってネタでずっとしゃべりやがってな。
今日の歴史の授業はそれで終わりだ」
 パチ、と彼が置いたコマが、僕の陣地をパタパタと黒く染め変えていった。
盤面はすでに2/3が黒く染まり、四隅もとっくにとられている。いつものことだが、
今回もおそらく僕の負けだ。まるで関係ない雑談をしながらだというのに、なぜ
彼はこんなに強いのだろうか。
「それはなかなか興味深いお話ですね。歴史にifはない、とはよく言われますが、
考えるのは楽しいですよね」
「まぁ、小説にも歴史シミュレーションなんてジャンルがあるくらいだからな」
「そういえばそうですね」
 放課後のいつもの部室。今現在、ここに残っているのは、僕と彼のふたりだけ。
涼宮さんたちは買い物をするとかで、本日は来る早々に連れだって部室を飛び出していった。
俺たちも帰るか、という彼に1戦だけおつきあい願えませんかと聞いてみたら、彼は
気軽くそれに応じてくれた。なので、僕らは今こうしている。
 別に、どうしてもオセロがしたかったわけではない。ただ彼と、1分でも1秒でも長く
一緒にいたかったというだけの話だ。
 パチ。残り少ない空いたマス目に、白を置く。ひっくりかえせるコマはたったひとつ。
今のこの戦況では、まったく焼け石に水としかいいようがない。
「歴史の石井はどうも、小早川……なんだっけ」
「小早川秀秋、ですか?」
「そうそう。そいつに思い入れがあるらしくてな。そいつがもしも寝返らなかったら
どうのこうのって、語る語る」
「あはは。その検証は面白そうですねぇ」
 パタパタパタ、とまた盤面に黒が増える。もしもオセロに寝返りルールがあっても、
この状況から勝敗をひっくり返すのは難しいだろう。
「まぁでも、いくらシミュレーションしたって、その通りにいくわけがない。動いてるのは人間であって、
白黒はっきりしてるコマじゃねえからな」
「だからこそ、歴史にifはない、なんでしょうね。この言葉に対する解釈は人によって様々ですが、
つまり出来事は人の感情や偶然やその他の要素でそうなったのであり、結局のところ歴史は結果論である、
ということなんでしょう」
「多分、そんなところなんだろうよ。……それにしても相変わらず弱いな、お前は」
 すっかり黒く染まった盤面を前に、彼はあきれた顔で僕を見る。僕はニコリといつもの笑顔で、
あなたがお強いんですよ、と言い返した。
「やれやれ。お前のゲームの腕に関しては、ifの入る余地もないな。帰り、ジュース1本おごりな」
「わかってますよ。コーラでいいですか?」
 彼が、コマを片付けにかかる。それに協力する僕の胸は、ただ惜しいという気持ちに支配されている。
彼と過ごす何気ない時間。他愛もない会話。それがもう、終わってしまう。

「……人の気持ちにも、ifはないのでしょうか」
 つい、そんなことを言ってしまったのは、空が暮れてゆくにつれ暗がりに沈む部室の中、
彼の表情が見えなくなったせいだろうか。
 たしかこの時間を人は、逢魔が時、と呼んだ。
「なんだ、急に」
 オセロの箱を棚に戻していた彼が、こちらを向く。怪訝な顔をしているだろうことが、
手にとるようにわかった。
「もしも……」
 if、の言葉に紛れて、本心を明かしてみたくなる。
もしかしたら僕はそのとき、逢魔が時の、魔に逢ったのかもしれない。
「もしも僕が、あなたのことが好きです、と告白したら……あなたはどうしますか」
 彼は棚の扉をぱたりと閉め、黙ったまま僕を見ている。逆光になって、表情は相変わらず
よく見えなかった。
「……もしも、の話か?」
「はい。if……もしも、の話です」
 本心ですけどね。そう続けたのは心の中だけで、そうしているうちに彼は、ふむ、と言って顎に手をあてた。
「じゃあもしも俺が……そうかい、俺もお前が好きだぞ、と返答したら、お前はどうするんだ」
「…………っ」
 ドキ、と心臓が高鳴った。一瞬で頭に血が昇る。
落ち着け。もしも、の話だ。シミュレーションなのだ、これは。
「その場合は両想いということになりますから。嬉しい、のではないでしょうか」
「そうだよな……。じゃあもしも、いつから好きだったんだと聞いたら?」
「もう1年以上前からになります、と答えましょうか」
 彼は少し笑ったようだった。
「おいおい、それじゃあお前、転校してきた直後ってことになるぞ。無理がないか、その設定」
「ひと目惚れだとすれば、おかしくないですよ」
 実際、そうとしか言えない。想いを自覚したのは、転入して1ヶ月くらいしかたっていない
夏休み前のことだ。
「ではもしも、あなたはいつからですかと聞いたら、どうしますか?」
「そうだな。いつのまにか、って答えるかな。はっきり自覚したのは、たった今だ」
 だんだん暗さに目が慣れてきて、彼の表情が見えるようになった。思ったよりも
真剣な彼のまなざしに、さらに心臓は激しく脈打つ。
 一歩づつ、彼に近づく。彼はそこに立ちつくしたまま、動かない。逃げない。
「もしも……キスしていいですか、と聞いたら、あなたは……?」
 正面に立って、彼の両手を握る。間近で見つめると彼はとまどうように視線を泳がせて、
手をおそるおそる握りかえしてきた。
「……好きにしろ」
 ドキドキと高鳴る鼓動はおさまらない。そっと顔を近づけると、彼は応えるように目を閉じた。
 触れあった唇は、なんだか熱い気がした。


 すっかり暮れて、空には星も瞬き始めた帰り道。
さっきから黙り込んだままの彼は、ジュースを僕におごらせるのも忘れたように、
先に立ってすたすたと坂を下りていく。
もしも、の仮定に積み重ねたさっきの一幕を、僕はどう解釈すればいいのだろう。
 いつもの別れ道、じゃあまた明日と言って背中を向けた彼に、思い切って尋ねてみた。
「あのっ! さっきの、あれは……if、だったんですよね?」
どこまでがもしも? それともやはり、全部がifだったのか。
すると彼は立ち止まって振り返り、少し困ったような笑顔を見せた。

「まぁアレだ。……歴史にifは、ないんだそうだぞ」


                                                 END
(2010.07.25 up)
腹の探りあい。