そんなふたり

【お題】合鍵


「うわ」
「ん?」
 屋上の死角となる一角で、コンクリに寝転んで煙草をふかしているところに闖入者があった。
法律とか校則とかモラルとか、いろんなものに反しているその行為にはちあわせて焦っているのは
なぜか目撃した方で、された反則者本人はまるで気にせず片手をあげた。
「よぅ」
「……あんた、何してんだこんなところで」
「見ればわかるだろう」
「仮にも生徒会長がこんなところで堂々と喫煙って……見つかったら大変だろうに」
 不本意ながら生徒会長と呼ばれる身分となって久しい彼は、煙草を咥えたまま身体を起こして
ニヤリと笑ってみせる。眼鏡をかけていない今は、本性モードなのだった。
「そういうお前こそ、なんだってこんなところに来たんだ? あの脳内花畑女のイカレ団はどうした。
行かないと、あれが困るんじゃないのか」
「……そいつから逃げてんだよ」
 彼を知るほとんどの人間から、キョンとのみ呼ばれている少年は溜息をつきつつそう答える。
やれやれ、と口癖らしいセリフをつぶやいて、会長の隣に腰をおろした。
 ほう? という言葉と一緒に煙を吐き出し、会長は目を細める。面白そうなおもちゃを
見つけたといわんばかりの表情だ。
「何があったんだ? 痴話ゲンカか」
「痴……っ!」
 瞬間、キョンの顔に朱が上り、動揺が走る。何事か言い訳しようとして口を開いたが、
やがて彼はガクリと肩を落として、再び溜息をついた。
「そういや、あんたには知られてるんだったな……」
 まだ顔を赤くしたまま、キョンは決まり悪げに目をそらす。何を、とは言わなかったが、
もちろんすべて承知の会長は、ただ意地悪な笑い声をもらしただけだ。

 機関≠フ協力者として名を連ねる彼は、すべてとは言わないが涼宮ハルヒ関連の
大方の事情は把握していた。特に北高に関する事象なら、おそらくエージェントたちの
誰よりも情報を持っているはずだ。しかもその中には、機関の本部すら把握していない
事柄までもが含まれていた。
 その中のひとつが、機関のエージェントのひとりである古泉一樹と、彼らが鍵≠ニ
呼んでいる少年との間にかわされている、密かな関係だった。いつからなのか正確にはわからないが、
ふたりは現在、一般的に恋人同士≠ニ呼ばれる関係に陥っている。
もちろん、機関本部にこの情報が渡ったら大変な事態が引き起こされること疑いなしだが、今のところ、
渡すつもりは彼にはなかった。

「で、なんで逃げてるんだ。あいつが何かしたのか?」
「いや……したっていうか……しようとしてるっていうか……」
「…………」
 煙草を咥えたまま、会長はしばし、隣で膝を抱える少年を眺めた。
ブレザーのポケットから携帯灰皿を出し、短くなった煙草を押しつけて消してから、
おもむろに生徒会長℃d様の口調で警告を発してやる。
「賢明だな。若い頃からあまり過激なプレイに走ると、飽きが早い。そういうものは
往々にして刺激を求めてエスカレートしがちだから、身体を壊すような無茶に発展する前に、
ほどほどにしておいたほうがいい」
 一瞬、意味をはかりかねたのか、きょとんとこちらを見ていた顔に、徐々に理解の色が広がる。
顔どころか耳も首筋まで真っ赤に染めて、キョンはぱくぱくと口を動かす。
「ば……っ、そ、そういうアレじゃ……っ!」
「ああいうものは本人たちの趣味の問題だとは思うが、片方が同意していないなら考え直すべきだな。
私から古泉に伝えてやってもいいが?」
 もちろん、完全に嫌がらせだ。
 違う!違いますから! と騒ぐキョンをひとしきりからかって、会長は2本目の煙草に火をつけつつ、
生徒会長モードを解除した。
「お前ら、うまくいってるんじゃなかったのか」
「まぁ……」
「リスクだらけだってのは、お互い承知の上なんだろうが? それなりの覚悟がないなら、早めに振ってやれ。
……引きずると、あいつが哀れだからな」
 らしくないことを言っているな、と自覚しつつ、煙をあさって方向に吐き出しながら会長はつぶやいた。
返ってこない答えの原因は、なんとなく推測できた。

 確かに端から見ていても、古泉の気持ちは重すぎるだろうなと思う。
どうしてそこまでと感心するほど、あの男は、このキョンと呼ばれる少年に執着している。
まさに執着≠セ。恋慕などという甘いものではない。
やる気とか生活のハリとか日々の潤いとか、そんな程度のものではなく、生きる意味や戦う理由、
存在に対する是非すらも、古泉はこの少年に預けている。
 ひとりの人間が預かるには、重すぎる荷物だ。よっほどの大器でなければ、受け入れることは困難だろう。
俺ならゴメンだ、と会長は思う。
 この少年がその想いを支えることに疲れても、責めることはできないだろう。
「まぁ、俺は深入りする気はないがね。他人の恋愛沙汰に首突っ込むのなんざ、馬鹿かよっぽどの暇人のすることだ」
「わかってますよ」
 溜息と一緒に、キョンはそう吐き捨てる。そのまま両手を後ろについて身体をそらし、空を見上げた。
「たぶん、俺の我が儘なんだ。それはわかってる」
「……受け入れられないことを拒否するのは、我が儘とはいわんぞ?」
 びっくりした顔で、キョンの視線が会長をとらえる。その顔に少しだけ眉をしかめた
苦そうな笑みを浮かべ、彼は、あんた意外と優しいんだなとつぶやいた。
返す言葉につまった会長の様子に声をあげて笑ってから、彼はまた空を見上げる。
「そういうんじゃないんだ。ただ……」

「――こんなところにいらしたんですか」
 急に視界に影がさして、第三の男が姿を現した。噂をしていたせいかもしれない。
そこに不機嫌そうな顔を隠しもせずに立っているのは、古泉一樹本人だった。
「なんで、会長なんかとご一緒なんですか?」
「なんかって、おい古泉」
「会長は黙っていてください。僕が聞いているのは、こちらの彼です。僕からさんざん逃げ回っておいて、
なんでこの人とこんなところでのんびりしてるんですか」
 正体やら本性やらを知られていると承知のせいか、古泉は会長の前ではそれほど素の表情を隠さない。
もちろん心を開いているというわけではなく、単に遠慮とか配慮とかをしないだけだ。
それがわかっている会長も、いまさらとがめもせずにただ溜息をついた。
「偶然だ。俺がここでサボってるところにこいつが来たから、世間話をしてただけだ」
「気安くこいつとか呼ばないでください」
 処置なしだな、と肩をすくめ、会長は黙り込む。
するとようやく、問い詰められていた本人が嫌々口を開いた。
「会長の言う通りだ。ただの偶然だ」
「なるほど。それはそれでいいでしょう。では、逃げ回っていた件はどうです?僕はまだ、
はっきりした理由を聞いていませんよ?」
 おいおい、こんなところで修羅場か、勘弁してくれと心中でぼやいても、なんとなく席を立ちにくい雰囲気だ。
仕方なく会長は、古泉がキョンの前にしゃがみこみ、ズイと身を乗り出すのを見ていた。
「いいかげんにしてください。どうして、受け取ってくださらないんですか!」
「うるさいな。いらんと言ったらいらん!」
「必要なものでしょう? あなたのためなんですから」
「しつこいぞお前っ!」
 ぷい、とそっぽを向くキョンの態度はかたくなだった。
なんの話なんだ、とちらりと思ったが、巻き込まれるのはゴメンなので口ははさまない。
会長はただ黙って、なりゆきを眺めていた。
 ……が、受け取れ、いらないの問答が10分も続く頃には、堪忍袋の緒もとうとう
限界を迎えてしまった。お前ら、とうなる声が地を這うように響く。
「……一体、なんの話なんだ。わかるように話せ」
 顔をつき合わせて問答を続けていたふたりが、同時にくるりと振り返って同時に叫んだ。

「合鍵の話だ!」
「合鍵についてですっ!」

「……はぁ?」
 つい、気が抜けた声が出てしまったのも、仕方のないことと言えるだろう。
「そもそもこの人が、僕の部屋の合鍵を受け取ってくれないからいけないんです!」
「必要ないったらないっ! お前がいないときにお前の部屋に行くことなんてないんだから、
使う機会がないだろうが!」
 つまり、古泉のいない部屋に行く気はまったくない、と。
ついついそんな分析をしつつ、会長はそのまま馬鹿みたいにふたりの言い分を聞いていた。
「そっちじゃありません! わかっているでしょうに」
「知らん!」
「ではもう一度、説明いたしましょう。いいですか。このあいだ、あなたがいらしているときに
閉鎖空間が発生し、僕が何時間も戻れなかったときのことです。部屋に鍵がかけられなかったせいで、
あなた深夜になっても家に帰れなかったじゃないですか! 親御さんが心配しますから、次からは合鍵を使って」
「高校生にもなって、ちょっと帰りが遅いくらいなんだってんだ。平気だっての!」
「そういう問題ではなくて……」
「だからだなぁ。俺は……俺は……っ」
 そのとき、キョンがぐっと唇を引き結び、唾を飲み込んだのを会長は見た。
何か、言いづらいことを言う決心を固めたのだと、なんとなく察した。

「……お前が戻ってくるまで、帰りたくねぇんだよっ!」

 合鍵なんて持ってたら帰れって言われてるみたいじゃねぇか、と続いた言葉は、
コンクリの床に向けてぼそぼそとこぼれ落ちる。
 まるで独り言のようだったが、古泉が真っ赤になって下を向いたところを見ると、彼の耳にも充分届いたらしい。
お互いに顔を見られず、もじもじと目をそらしあっている。
「そ、れは……迎えていただけるのは、嬉しいです……けど……」
「心配なんだって……無事な顔見るまで、帰れねえよ……」
 なんだこの、処女と童貞の初夜みたいな雰囲気は、などという感想が脳裏をよぎる。
しばしボンヤリとしていた会長の胸には、やがて沸々と怒りがこみ上げ……いきなり臨界点を超えて脱力した。

「お前らな……」
 半端ない疲労と倦怠感に襲われながら、ぼそりとつぶやく会長の声に何を感じたのだろう。
ふたりはまた同時に顔を上げ、同時に振り返った。シンクロしたその動きに、またイラッとする。
 会長は胸ポケットに入れてあった眼鏡を取り出し、おもむろにかけて、右手の中指でくいと
ブリッジを押し上げた。そしてなるべく感情を出さない、冷静な生徒会長モードでふたりに宣告する。

「二度と私の前に、ふたり同時に顔を出さないでくれたまえ。出したらただちに殺す」

 壮絶な笑顔を残して、会長は二の句を告げないでいるふたりを尻目に踵を返した。
ガンガンと足を踏みならしつつ階段を下りて、声に出さずに悪態をつく。
まったくアホらしい。
クソ忌々しい。
何が修羅場だって?
ケンカはケンカでも、これはあれだ。
いわゆる、犬も食わない方の。

 誰だ。
重すぎる気持ちを受け入れるのは困難だろう、なんてシリアスに言った奴は。
想いを支えるのに疲れても、誰も責めることはできない、なんてカッコつけた奴は。

 ――ああ、俺か。

 いきなり襲いかかってきた脱力感に逆らいきれず、会長はその後、探しに来た生徒会の
メンバーに発見されるまで、階段下の廊下にしゃがみこんでいたのだった。



                                                 END
(2010.04.11 up)
会長かわいそう(笑)