部屋とYシャツと自覚

【お題】相手のYシャツ


 着ていた制服のYシャツが自分のものでないと気がついたのは、その日の夜、
自分の部屋に戻ってからのことだった。

 学校からの帰り道に機関からの連絡を受け、そのまま迎えにきた車に乗り込んだ。
緊急の連絡事項とやらを聞いたり、必要な書類に目を通したり提出したりしているうちに、
気がつけば時間はもうすっかり夜中だ。夕食も食べ損ねたが、もう面倒だから
カロリーメイトでもかじっておこう。
 そんなことを考えながらYシャツを脱いだときに、ふと襟元のタグが目に入って、
それが彼≠フものであることを知ったのだった。

 そういえば、なんとなく違和感があったのは、サイズが少し小さかったからなのか。
取り違えたのはおそらく、涼宮さんの発案により全員がコスプレしての撮影会を敢行した、
本日の団活の時だろう。朝比奈さんがうっかり椅子に蹴躓いて転び、
そこに置いてあった僕と彼の制服が床に散乱した光景を思い出した。
 ブレザーには名字の縫い取りが入っているから間違えようがなかったのだが、
Yシャツの方はろくに確認もせずに着替えてしまったから、そのせいだろう。
うかつだった。
 彼がそのことに気づいたかどうかは不明だけれど、こんな時間では連絡するのも気が引ける。
だがまぁ、彼だって替えのシャツくらいは持っているだろうし、明日返せばいいだろう。
友人とシャツを間違えたくらい、なんということもない。
 そう結論を出し、僕はそのYシャツをベッドの上に放り投げて、買い置きの
カロリーメイトとミネラルウォーターを取りにキッチンの方へ歩いて行った。

 持ち帰った機関の書類を片付け、学校の宿題を終わらせてから寝支度をするまでは、
僕はそのシャツのことを忘れていた。目覚ましをセットしてベッドにもぐりこんだときに
バサッと顔にかかってきた布地を、なんだと振り払って思い出した。
 僕はそのまま仰向けになり、腕をあげてシャツを広げてみた。

 これが彼のシャツであると気づいたのは、自分と違うサイズであったこともあるが、
何よりもサイズの書いてあるタグの部分に黒いインクで文字が書いてあるのが
目に入ったせいだった。ひらがなで書かれたその数文字は、確かに彼のファーストネームだ。
きっと、父君のものと区別をつけるために記されたものなのだろう。

「―――か。ふふ」

 思わずその名を、読み上げてみる。
普段は皆からキョン≠ニだけ呼ばれる彼。僕だけはそうは呼ばないが、それでも
名字にさん付けだから、ファーストネームを呼び捨てたことはない。
 涼宮ハルヒの監視のために北高に潜入し、なぜだか気に入られて彼女の至近に
侍ることとなって数ヶ月。最初の頃こそ任務だからと割り切ってしていた活動は、
最近はまずまず楽しく感じられるようになってきた。
 振り回されはするものの、それもまた退屈しない日常のアクセント。
可愛らしい彼女たちに囲まれる状況も嬉しくはあるが、僕個人として最も心はずむのは、
団内で唯一の同性である彼≠ニの会話と、なんだかんだと言いつつつきあってくれる
ゲームでの対戦だ。
 女性に囲まれるより男友達とつるむ方が嬉しいなんて、おかしいだろうか。
でも中学生のときに機関に入り、以来周囲に大人しかいなかった僕にとっては、
彼は初めて得た同性の友人なのだ。
 ぼんやりしているように見えて頭の回転が速い彼は、低空飛行だという成績の割には物知りで、
しかも発想が柔軟だ。何を話しかけても、文句を言いつつ必ず返ってくるレスポンスが楽しくて、
いつもつい余計なことまで話してしまう。
 最近は、出会ったころの険悪だった状態からだいぶマシになり、教科書等の貸し借りをしたり
くだらない冗談を言って笑ったり、帰り道に女性陣と別れてから一緒にコンビニに寄って
立ち読みしたりする機会が増えた。
 なんだか、ごく普通に友情を深められている気がする。このままいけば、もしかしたら
そのうち親友を名乗りあい、ファーストネームで呼び合う日もくるんじゃないか、なんて
調子のいい想像がわきあがって、胸の奥がうずうずとくすぐったくなってくる。
 ご都合主義な想像に苦笑して、それでも僕は予行演習とばかりに、もう一度
彼の名を小さくつぶやいてみた。

「……あれ?」

 なんだろう。この心臓の高鳴りは。
彼の名を呼んでみただけなのに。
胸の奥のうずうずが、得体の知れないざわめきへと変化する。
きゅうっと、しめつけられたみたいに胸が苦しい。
 ……ファーストネームを呼んで、友情を感じたから?
だからこんなに心臓がトクトクと高鳴って、なんとなく頬が熱くなるのか。
そんなのってあるんだろうか。

「何なんだこれ……」

 理由がわからなくて、僕は思わず彼のYシャツをつかんだまま、寝返りを打った。
シャツを腕の中に巻き込んだ形になり、鼻先を布地がかすめる。すると、鼻腔に
ふわりと覚えのある匂いを感じた。
 これは……彼の匂いだ。
ときどき、彼に引かれるほど接近しすぎてしまうから知っている。
彼の体臭と、彼の家で使っている洗剤の混じり合った匂い。

「うぁ!?」

 それを認識したとたん、自分の身体に起こった変化に愕然とした。
下半身の……とある一部分に熱が集まる。なぜ、どうしてこんな。
 うろたえてぎゅっと目をつぶったのは、あきらかに逆効果だった。
さっきよりも強く、彼の匂いを感じる。押さえようもなくドキドキと激しく高鳴る心臓と、
さらに制御のきかない下半身の一部をもてあましながら、僕は途方に暮れた。
 そして、唐突に理解した。
相手のYシャツで悟るなんて、たいがいどうかしている気がするけれど。

 ――そうか。この気持ちは、友情なんかじゃないのだ。



 翌日、僕は結局、彼にYシャツを返すことができなかった。
やむを得ない事情により汚れてしまったそれは、水洗いして部屋に干してある。
今日、帰ったらさっそくクリーニングに出しにいかなければ。
 彼には取り違えた事実とともに、ジュースをこぼしてしまったのでという言い訳を、
罪悪感にさいなまれながら伝えておいた。

「そうか。ジュースくらいなら普通に洗濯して返してくれていいのに」
 彼自身は取り違えたことに気がつかず、昨日のうちに洗濯機に放り込んでしまったらしい。
洗い終わったら持ってくるからと言いつつ、彼は首をかしげた。
「それにしても、Yシャツのサイズが違うほどお前、身体でかかったっけ?」
「さぁ……身長の違いでしょうか」
「そうかなぁ」
 言いつつ彼は手を伸ばして、僕の胸のあたりをペタペタと触り始めた。
「な、何をっ……」
「おー、筋肉ついてんな。このせいかもしれん。鍛えてるのか」
「あの……」
 俺も筋トレでもしてみるかな、なんてつぶやきながら彼はブレザーの下に手を入れて、
肩のあたりまで触ってくる。……あの、そろそろシャレにならないんですが、勘弁してもらえませんか。
「ん?」
「いえ……くすぐったいです」
「ああ、すまん」
 そう言って笑う彼の笑顔に、昨夜自覚したばかりの想いが、錯覚でなかったことを思い知る。
間違いないのか。やはり。
 そして、部屋に干してある彼のYシャツを、なんとか返さずにすむ言い訳を考えはじめた自分に
気づいて、僕は思わずがっくりと肩を落としたのだった。


                                                 END
(2010.04.11 up)
なんで汚れたかは言わずもがな。