赤い糸

【お題】赤い糸


 少し甘ったるいハイトーンな女性ボーカルが、耳の奥で恋を歌う。
ミディアムテンポで刻むリズム。重なり合うサウンド。
目を閉じてメロディを感じながら歌詞を聞き込んでいたら、ふいに肩をたたかれた。
「あ……」
「珍しいな、お前が音楽聞いてるなんて」
 鞄を持ったまま、そこに立って僕を見下ろしているのは、彼だった。
僕はあわてて耳からイヤホンをはずし、すみません気がつかなくてと謝罪した。

 涼宮さんが、長門さんと朝比奈さんをともなってどこかへ出かけ、
掃除当番だという彼の訪れを待つ無人の部室。
手持ちぶさただった僕は、今日クラスメイトが押しつけるように借してくれたプレイヤーで、
そのクラスメイトおすすめのボーカリストの新譜とやらを聞く気になった。
 特に好きな声というほどでもなかったが、サビの詞が気になったので、もう1度
その曲をリピートしているところに、ちょうど彼が来たのだ。
ドアに背を向けていたせいで、彼の入室にまったく気がつかなかったのは失態だった。

「いや、別にかまわんが……ハルヒたちは?」
「涼宮さんがロケハンよ! と叫んで、お二人をつれてどちらかへ」
「またか……。ロケハンって、またくだらん映画でも撮るつもりなのかあいつは」
 やれやれ、と彼はいつものごとく肩をすくめ、長机の向こう側にまわって定位置に鞄を置いた。
他に誰もいなくても、特に用事がなくても、彼はいつでもそこに、僕の向かい側に当たり前のように座る。
「またいらん騒ぎを起こさなきゃいいが」
「涼宮さんが楽しそうにしているのは、大変喜ばしいことですよ」
「ああ、そうかい」
 投げやりにそう言って、彼は頬杖をついてそっぽを向いた。

 なんというかあまりに素っ気ないが、こう見えても僕と彼は一応、恋人同士、なのだ。
つい先日僕が玉砕覚悟で告白して、彼がそれを意外にも受け入れてくれた。
だから僕らは、お付き合いを始めたばかりの出来たてカップル……の、はずなのではあるが。
 彼は学校では終始こんな態度で、甘い雰囲気などカケラも見せない。
だからといって校外でいちゃいちゃしているのかというとそんなこともなく、
手をつなぐ以上の接触もまだしていない。
本当に僕と付き合っているつもりがあるのかどうか疑いたくなるほど、彼は告白以前と
態度がかわらず、困惑することおびただしい。
 そんな事情もあってここ数日は、もしかしたら彼は僕との交際を、友達づきあいの
延長ぐらいにしか考えていないのかもと、思いつつあった。不本意ではあるが、
だからといってどうすればいいのかなど見当もつかない。

 そのまま何をするでもなくボンヤリと窓の方を見ている彼に、ゲームの提案でも
しようかと思ったとき、ふいにこちらを振り向いた彼の視線が僕の手元に注がれた。
「めずらしいな、そのイヤホン」
「え、ああ……これですか」
 確かに、めずらしいかもしれない。僕が持っていたそれは、耳に装着する部分は
もちろんのこと、コードまでがメタリックな赤い色をしているのだ。
イヤホンと言えば、黒いものか白いものがスタンダードで、それ以外の色のものは
まったくないというわけではないが、それほど見かけるものでもない。
「これは、このプレイヤーに入っているアルバムの持ち主が貸してくれたもので、
アルバムの初回限定版の特典なんだそうですよ。1番最初に収録されている曲に
ちなんだものなのだとか」
「へえ?」
「聞いてみます?」
 彼が興味深そうな顔をしたので、思わずそう尋ねてみた。
すると彼は、そうだなとめずらしく乗り気で、わざわざ席を立って僕の側にやってきた。
「ちょうど聞いているところだったので……ちょっと待ってくださいね」
 1曲目が聞けるようにプレイヤーを操作し、片耳だけイヤホンをして曲を確認する。
すると彼は何を思ったか僕の隣にある椅子をひいてそこに座り、椅子ごと近づいてきて、
僕が着けていない側のイヤホンを奪い取って片耳に装着した。
「あ」
「ひっぱるな、古泉。はずれる」
 反射的に離れようとする身体を、彼が引き留める。片耳からハイトーンボイスが
聞こえてきたけれど、ろくに耳には入らなかった。自分の心臓の音がうるさくて。

 素っ気ないと思えば、ふいにこんな気安い態度を見せる。
これが恋人への愛情の表れなのか、単に遠慮がなくなっただけなのか計りかねる。
普段とまるで様子がかわらないあたり後者なのだろうなと思うと、これしきの
接近で自失している自分とのあまりの温度差に泣きたくなった。
 本当に、彼は僕のことをなんだと思っているんだろう。恋人とは思えないというのなら、
いっそはっきり振って欲しい。
 ……なんてことをいう度胸もないまま、僕は彼の方に横目で視線を向けた。
 無意識のクセなのか、彼の指が軽くリズムを取るように動いている。
それを見るともなしに見ていると、甘ったるいハイトーンボイスが伝える恋の歌が、
いよいよサビにさしかかった。

あなたとつながっていればいいのに。運命の赤い糸

 情熱的なメロディにのって、甘い声が何度もくりかえす。
あなたが好き、愛してる、だからおねがい。
そんなフレーズが、赤い糸の伝説を乞い願う。
結ばれるべき人の小指とつながっているという運命の赤い糸が、大好きなあなたと
つながっていればいいのに、と。
 そんなリフレインを聞きつつそっと盗み見ていた彼の目に、ふいに理解の色が宿った。
そして、自分の耳と僕の耳をつないでいる、赤いイヤホンのコードを見る。

 気がついたはずだ。その赤いコードが、何をあらわしているのか。
彼の反応が気になって、僕はじっと息を潜めて彼を観察した。
 が、あまりにリアクションが薄い。僕は溜息をつきたくなる気持ちを内心に押し隠して、
しかたなくイヤホンをはずそうとした。
 と、彼の手が僕の手元に伸びてきた。
何を、と思うまもなく、コードが小指にくるりと巻かれる。
ついで、彼自身も自分の手元の赤いコードを、自分の小指に巻き付けた。
 あっけに取られる僕に、彼はちらりと笑ってみせる。

「こういう意味なんだろ?」

 そのまま頬杖をついて、再び曲に聴き入る彼。
僕はめまいを感じて、思わず額に手を当てた。顔は熱いし動悸はすごいし、
このまま死んだらどうしてくれるんだ。
 憶えたらしいサビの歌詞を口ずさみながら、彼は小指のコードをさらに
くるくると巻いて、なんだかえらくご機嫌だ。

 この小悪魔め、と口の中でつぶやけば、彼は、ん?と振り返って、
もう一度楽しそうに、僕にきれいな笑顔を見せるのだった。


                                                 END
(2010.04.11 up)
ときどき売ってますよね。キレイな色ののイヤホン。