消えない夏

【お題】留守電メッセージ



 長い長い夏休みが終わった日。
15498回の繰り返しをようやく終えて、約600年ぶりの(記憶と体感では40日ほどだが)
部室で、僕と彼は平和にカードゲームに興じていた。
特に用事があったわけではないが、習慣と義務に押されてやってきた部室には、
やはり習慣でやってきたらしい彼しかいない。
 涼宮さんは校外に買い出し、ようやく憂いの晴れた朝比奈さんとさすがに
疲労したとしてもおかしくない長門さんは、部室に姿を見せなかった。

「……ロイヤルストレートフラッシュなんて、はじめて見ましたよ」
「俺もだ」
 ヒマつぶしに彼とはじめたポーカーで、とんでもない役を見た。
 一説によると、チェンジなしでロイヤルストレートフラッシュが出来る確率は
65万回に1回ほどらしいのに、よりによってなぜ今なのだろう。
ノーレートでと口では言ったが、もしもこの勝負に勝ったらお願いしてみようと
ひそかに考えていた僕の思惑を、この人は無意識につぶしてくれた。
それも盛大に。

「65万分の1の確率をノーレートで惜しげもなく当てるとは、あなたは運が悪いのか
人がいいのか、さっぱりわかりませんね」
 情けない有様の自分の手札をテーブルに投げ出し、僕はいつも通りに微笑んで、
そっぽを向いた彼の横顔を眺める。
僕の視線に気づいているのかいないのか、彼はしばし沈黙したあと、
その姿勢のままでぼそりと言った。

「お前の考えてることなんて、わかってるぞ」
「……はい?」
「ホントは、こいつを賭けたかったんだろうが」
 彼がごそごそとポケットをさぐり、取り出したのは……携帯電話。
彼愛用の、シンプルなストラップが1本付いているだけのグレーの機体だ。
「……!」
「こいつに入ってる留守電のメッセージと一緒に、入れた内容もなかったことに
したいんだよな、お前は」
 ストラップを人さし指にかけ、彼は僕の目の前でそれをぶらぶらと揺らす。
視線は相変わらず窓の方を向いていて、その表情は読み取れない。
僕は下を向いて彼から目をそらし、きゅっと唇をかみしめた。
「……まさかあなたが、あのメッセージを保存してるなんて、思いませんでしたから。
てっきり、すぐに消去したものとばかり」
 そう。消えるはずだったのだ。
質の悪い冗談だと思った彼の手によりか、それとも繰り返した夏休みの2週間と一緒に
時間のループの中にか。
 どっちにしろそれは、間違いなく消えるはずの、僕の過ちだったはずなのだ。



 15498回めのループ。
それを自覚したときから、僕らはその無限の輪から抜け出すために、あらゆる可能性を探った。
涼宮さんの望みを叶えるべく、走り回り遊び回り、思いつく限りのことをした。
だが手応えはまるでない。8月30日という、事実上の最終日を迎える以前に、
僕らはもうこのシークエンスでの脱出を半ばあきらめていたのだ。
 だから、魔がさした。
どうせあとほんの2日で、この2週間の記憶も経験も何もかもがリセットされる。
僕が何を言ってもしても、何もなかったことになる。
それならそのほんの2日間、彼が僕のことだけしか考えられないようにしてやれたら。
……そんなことを思いついて実行した僕は、過去のシークエンスにも存在したのだろうか。

 深夜、彼の携帯にかけた電話は、やがて留守電に切り替わった。
ループを告げるときの電話の際にはセットされていなかったはずだが、
どういう心境の変化だろう。それとも単に、たまたまなのかもしれない。
 まぁ、いい。
留守電のデータにだろうが、彼の記憶にだろうが、残った証拠はどうせ跡形もなく
消えるのだ。せいぜい2日間、彼の心を悩ませてくれたらそれでいい。

 そんな投げやりかつヤケクソな勢いのまま、僕は彼の留守電に告白の言葉を吹き込んだ。
あなたが好きですと、ただ伝えさせてくださいと、どうせ忘れる記憶なのだからと、
淡々と言うだけ言って、満足して電話を切った。
 彼はこれを聞いて、少しは悩んでくれるだろうか。
明日、彼と顔をあわせるのがちょっと楽しみだ、と自虐的なことを考えほくそ笑み、
僕は翌日の喫茶店での会合にそなえてベッドに入ったのだった。

 それなのに。
彼は翌日の喫茶店で、去り際の彼女を呼び止めた。
「俺の課題はまだ終わっちゃいねぇ!」
 そんな言葉と翌日の宿題消化で、600年の夏休みを終わらせてしまった。
よりによって、このシークエンスで。
どういう嫌がらせなんだ、これは。



「……意地が悪いですね、あなたは」
 開き直りの溜息とともにそうつぶやくと、彼がようやくこちらを向いた。
彼があのメッセージを消しもせず、しかもそのことを僕に知らせて来たのは今朝のことだ。
始業式の最中も終わったあとのHRでも、何度そのまま逃げ帰ろうかと思ったか知れないが、
役目上そうもいかずにこの部室にやって来た。
 何もなかったような顔でエンドレスな夏について解説なんかしていたけれど、もうそろそろ
ポーカーフェイスも限界だ。実際にポーカーをやってみても、気をそらせるものでもない。
「その留守電メッセージをどうなさるおつもりです? 僕を脅迫でもしてみますか?」
 実際、そのメッセージを機関に知らされでもしたら、僕はどうなるかわからない。
それで彼に、なにかメリットが生まれるのかは不明だが。

「てことは、本気なんだな。これは」
「当たり前です。消えてなくなること前提で、嘘つく必要がどこにあるんですか」
「そうか」
 まさに開き直った僕の弁に、彼は眉を寄せて黙り込んだ。
ロイヤルストレートフラッシュのそろったカードをしばらく眺め、やがて椅子から立ち上がる。
 そして僕に、自分の携帯電話を投げてよこしたのだ。

「消すなりなんなり、好きにしろ」
「えっ?」
「決める前にメッセージを聞いとけ。あとはお前にまかせる」
 そうして彼は、喉が渇いたと言って部室を出て行った。
狐につままれたような気分で、僕は手の中にある彼の携帯のフリップを開けた。
画面に、未聴の留守電が1件あることが、表示されている。
 今、彼が聞いておけと言ったのは、これのことだろうか。

 おそるおそる携帯にあてた耳に聞こえてきたのは、彼の声だった。
自分の携帯の留守電に、おそらく家の電話か公衆電話から吹き込んだのだろう。
 ―――それは僕の告白に対する、彼の答えだった。
 彼の声が、ぼそぼそとつぶやく。
もし、このシークエンスを確定させることができたら。
この留守電メッセージが消滅しなかったら。

『……そのときは、お前に同じ言葉をくれてやる』

 僕はメッセージを最後まで聞くと、携帯を握ったまま椅子を蹴って立ち上がった。
喉が渇いた、と言っていた彼が向かった先は、自販機が並ぶ中庭に間違いない。
あわてて部室の出口に駆け寄ってノブに手をかけたとき、ちょうどドアが開いて
買い物袋を抱えた涼宮さんが入ってきた。
「あら、古泉くん。どうしたの?」
「涼宮さん……申し訳ありません!」
 あっけにとられる涼宮さんに2つの意味で謝罪して、僕は彼女を振り切り廊下に飛び出した。
この留守電メッセージを消すか残すか、お前にまかせると彼は言ってくれた。
だけど、15498回目の夏が消えなかった意味がここにあるなら、僕にはもう選ぶ選択肢はひとつしかない。
 涼宮さんにも、機関にも、この世界にも、本当に申し訳ないとは思うけれど。

 そして僕は、中庭にいるであろう彼の元へと続く廊下を、優等生らしからぬスピードで、
走り出したのだった。



                                                END
(2010.03.14 up)
念願のエンドレスエイトネタ!
本当においしいエピソードですよね。