思い出よりも

【お題】思い出の品



 物置の中を数年ぶりに整理していたら、古びた段ボール箱の中から
なつかしいものが出てきた。
 クリーニングの袋に入ったままの制服と副団長≠ニ書かれた腕章、色あせた写真、
もうなんと書いてあるのかすら判別できない七夕の短冊、そして端の少々欠けた湯飲み。
北高のあの小さな部室で過ごした輝かしい日々の、それは思い出の品々だった。

 涼宮ハルヒという少女の計り知れない力に振り回され、彼女をめぐる他の勢力との
軋轢に振り回され、そして……自分自身のどうにもならない感情に振り回された日々。
 神のものと定められた彼≠ノ、抱いてはいけない感情を抱き、戻ることも進むことも
出来ずにもがいた日々。

 そんな日々を、なつかしむことができるのは、幸せなことだろう。
それは、僕が身勝手に告げたその想いを、彼が思いがけず受け入れてくれたからにほかならない。
 そこから始まった僕たちの、痛くて苦しくて切なくて、でも圧倒的に幸せで嬉しくて甘くて
暖かな関係について、今は語るのはやめよう。

 今、彼は僕の側にはいないのだから。

 あのころ毎日使っていた湯飲みがかぶっている、月日と同じ厚さの埃を指で払う。
箱から取り出した思い出の品々を床に並べて、僕はガランとした部屋の中を眺めた。
 彼と暮らしたこの部屋に、今、僕は一人きり。
遠いところへ行ってしまった彼の痕跡は、そこここに残っているけれど。
僕は文字の判然としない短冊を取り上げて、そっと指でなぞった。
ここには確か「世界平和」と「家内安全」と書いたはずだ。
世界の平和も家内の安全も、僕にとっては彼がいてこそだったのに……。

「帰って……きてください……早く……」
 小さな短冊を握りしめた手を床について、僕はつぶやいた。
寂しくて寂しくて、胸にポカリと空いた穴に冷たい風が吹き抜けるようだ。
彼がいない。ただそれだけで、僕の身体も心も、寒さに凍えてしまう。
僕はぎゅっと目を閉じて、彼の名を小声で呼んだ。何度も。
「―――さん……」



「なんだよ」
 ふいに、頭上から声が降ってきた。
顔をあげると、上着を着込んでマフラーに顔を半ばまで埋め、着替え入りのバッグと
スーパーの袋を持ったままの彼が、僕を見下ろしていた。
「あ、お帰りなさい」
 彼はどさりと荷物を床に下ろし、僕の手元をのぞき込んでから眉をしかめた。
「今回はとうとうそんな昔のものまで掘り起こして来やがったのか……。お前な、
俺が実家に帰るたびに思い出の品とやらを引っ張り出してめそめそするのやめろ」
「だって、あなたがいない間、寂しくてしょうがないんですよ」
「ほんの2,3日だろうが! いちいち今生の別れみたいな顔するな!」
 そんなこと言ったって、僕にとってはその2,3日は永遠にも等しい期間なんです、と
言い張ると、彼はあきれた顔でアホかお前はとつぶやいた。
「それに今回は、いきなりだったじゃないですか。前触れもなく、急に実家に帰ると
おっしゃるから、僕が何かお気にさわることでもしたかと気が気じゃなくて」
「なんだそりゃ。夫婦ゲンカじゃないんだから、そんなことでいちいち実家になんて帰るかよ」
「夫婦……いい響きですねぇ」
 思わずそうつぶやいたら、彼は無言で僕の頭をはたいた。痛いですって。

「まったく……。それだけ寂しがるくせに、実家に戻るなとは言わないんだから、
変なやつだよなお前も」
 彼は着込んでいた上着を脱ぎ、ソファの背もたれにかけてから、キッチンの方へと
歩いて行った。僕はなんとなくそれにくっついて歩きながら、だってご家族は大事ですよと答える。
「僕の実家は遠いので無理ですが……帰れる範囲ならちょくちょく顔を見せてさしあげるのが、
親孝行というものでしょう」
「まぁ、そうなんだけどな」
 くす、と笑って、彼はエプロンをつけ、袖をまくり上げた。
そうか、もう夕食の支度をする時間かと考えて、ふと、今日の彼はいつもより帰りが早いなと
気がついた。普段は大抵、実家で夕食を食べてから帰ってくるのに。
 そう言ってみたら彼は、買い物袋を広げて中をのぞき込みながら、今日はちょっとなと言った。
「それはともかく、少し手伝え古泉。じゃがいもは無理かもしれんが、ピーラー使えば
にんじんくらいなら剥けるだろ。あと絹さやのスジ取れ」
「あ、はい。今日のメニューはなんですか?」
「肉じゃがだ。オフクロに作り方聞いてきたから」
 レシピのメモらしきものを広げつつ、彼はそう言って僕から目をそらす。
心なしか、その顔が赤いのは……。

「……もしかして、今回の帰省の目的はそれですか?」
「お前、こないだ食いたいっつったろが。オフクロの説明は、電話じゃ埒があかなくてな……って危ねえな!
包丁持ってんだから抱きつくな!」
 もう、どうしてくれよう、この人は。
力一杯抱きしめても、むりやりに唇を奪っても、わき上がってくる愛おしさを押さえることができそうにない。
思い出の品が呼び起こす、懐かしくも輝かしい日々よりも何よりも、今、この現在が幸せで大切でたまらない。
「世界平和も家内安全も、僕にとってはあなたがいてこそです……」
「なんだそりゃ。……ああ、あれか。いつぞやの七夕の」
 彼がちらりと、床に広げたままの品々に視線を投げた。
「よくとってあるよなぁ。俺なんか、とっくに捨てちまったぜ」
「おや、制服もですか」
「たぶんな」
 あんなもの、二度と着るわけじゃなし、とっといてもしょうがないだろ? と淡泊な彼らしいセリフ。
僕は彼を抱きしめたままの腕に力をこめて、耳元でそっとささやいてみた。

「それなら、せっかくとっておいたものですから、有効活用いたしましょう。
……今夜はあれを着て、してみませんか?」

 一拍置いて意味を理解した彼に、再び鉄拳をくらったのはまぁ、言うまでもないことですよね。


                                                END
(2010.03.14 up)
古泉ウザすぎる(笑)