同居の経済学

     【お題】共同のサイフ




  昨夜、彼とケンカをしてしまった。

 ケンカというか、僕が一方的に彼に怒られたのだけれど、
いつもと違って僕が謝らなかったものだから、彼はさらに腹をたて、
もうお前とは口をきかんと宣言されてしまったのだ。

 彼とルームシェアをはじめて数ヶ月。同居というよりは同棲と言った方が
正しい関係の僕たちは、同じ原因でのケンカをすでに数回くりかえしていた。
 昨夜の原因は、テレビだった。
元々は僕が一人暮らしをしていたこの部屋には、いままでテレビが
なかったのだ。高校時代の僕はとにかく忙しく、テレビを見る時間が
あるなら寝ていたいという高校生にあるまじき生活だったので、
必要性を感じなかったため置いていなかった。
 だが一緒に暮らすようになった彼は普通の現代っ子なので、見たい番組も
あるらしく、一昨日の夜にテレビが欲しいなとつぶやいたのだ。

 僕は、彼が欲しいのならと思い、さっそく翌日テレビを買ってきた。
家電の事情にはくわしくないので、店員に部屋の広さを告げて適当に
選んでもらったところ、42型のHDD内蔵液晶テレビとやらになった。
彼が留守のうちに部屋に設置してもらったそれを、帰ってきた彼は
見るなり、なぜか怒りはじめたのだ。

「お前はまた、俺になんの相談もなくそういうものを買いやがって!」
「あなたが欲しいとおっしゃったので……。大丈夫ですよ、これくらいの
ものを買う余裕はありますから」
 実際、例の特殊なアルバイト≠フおかげで、僕の貯金は無駄に
数字だけが増え続ける状況だったのだ。命がけの仕事に見合う金額では
あると思うのだが、いかんせん使うヒマも用途もなかったのだから
不毛なことおびただしい。
 やっと使い道が、それも愛する人のために使う道が拓けたことが、
僕としては大変嬉しかったのだが……。

「そうじゃねえだろうが! 俺たちゃ一応、同居してるんだから、一緒に
使う物は基本的に折半だろう! しかもお前、別にテレビなんか
必要ないんだろ。俺のワガママのために、何を大金使ってんだよ!」
「いえ、僕だってテレビくらい、あれば見ますよ。必要です」
「お前、こないだもそんなこと言って、冷蔵庫買い換えたろうが! あと
電子レンジも!」
「冷蔵庫は単身用のものだったのでもう少し大型のものが必要でしたし、
電子レンジはかなり古いものだったから買い換えたまでです」
 あなたのためならそのくらい惜しくありません、などと言えばさらに
怒らせそうだったので、もっともらしい理由をこじつけた。
それでも彼は、じれったそうに頭をかいている。
「ああもう! だからどっちも2人で使うものだろって言ってんだ!
それともお前……」
「はい?」
 彼が何かを言いかけ、言い淀む。
そして、もういい、お前とは口をきかんと言い放って、背中を向けた。
それからは本当に夕飯の時も風呂の時も口をきいてくれず、夜はさっさと
自室に籠もってしまった。
 これは……かなり寂しい。
 僕はせっかく買ったテレビをつけることもせず、ソファに座って
膝を抱えた。やっぱり明日、謝るしかないだろうか。

 もちろん彼の言い分もわかる。いくら恋人同士とはいえ対等な関係である
以上、彼のプライドというか、生来持った律儀な性分が許さないのだと思う。
僕としては、必要以上に貯まっているバイト代など、すべて彼につぎ込んで
しまいたいくらいなのだけれど……そんなことを言ったら、ルームシェア
自体を解消されそうだ。

 しんと静かな部屋の中に、時計が時を刻む音だけが聞こえる。
彼の部屋のドアは閉ざされたまま、もう眠ってしまったのか物音すらしない。
僕はそのままソファに寝転がり、暗澹たる気持ちで目を閉じた。



 目を覚ますと、もう朝だった。
いつの間にか身体に、上掛けがかけられている。気がつかなかったが、
どうやら彼がかけてくれたらしい。
 彼はもう大学へと向かったあとらしく、テーブルの上にはチーズサンドと
サラダがラップにくるまれて並べてあった。僕はそれらをありがたく
いただいてから、午前中の講義に出るために家を出た。

「よう、古泉。元気ないな」
 昼休み、学食で知人にあった。とっている講義がかなりの数かぶっている
ので、ときおりノートの貸し借りをする程度の仲の知人だが。
「さては、彼女とケンカしたな? 確か一緒に住んでるんだろ?」
「まぁ、そんな感じです……」
 彼女、ではないですけどね。
「何が原因だよ。浮気でもしたのかお前」
 興味津々で身を乗り出してくる知人に癖のような笑顔を向け、僕は
そんなことじゃありませんよと否定する。
「テレビが欲しいと言ったので買ったら、なぜ折半しないのか、2人で
使う物なのにと怒られてしまいまして……」
「へぇ? 普通の女なら、買ってもらえれば喜びそうなもんだがな」
「そうですか?」
 まぁ、女性じゃないですし、とまた心の中でだけ突っ込みを入れ、
僕は肩をすくめてみせる。
「律儀な性格なのですよ。そういう点ではね」
「ふーん。まぁ、大物を折半で買うと、後々面倒そうだしな」
「え?」
 面倒って、何が。そう問い返すと、彼はだってそうだろ? と
したり顔で答えてくれた。
「別れるときに面倒じゃんか、折半で買った物なんて。どっちが
引き取るか、とかさ」
「…………!」
「そういうときのこと考えれば、1人で買ったのは正解じゃね?」
 ま、お前は女と別れるのなんて慣れてそうだから、そんなことじゃ
モメないかもしれないけどな、と余計なことを言いつつ、彼は
食事を終えて席をたっていった。
 だけど僕は箸を途中で止めたまま、しばらく動けなかった。
 そんな、まさか彼が、ね……?



 その日、部屋に帰ってみると、テーブルの上に新品の財布が置いてあった。
彼が買い換えたのだろうか? それならなぜ、こんなところに出しっぱなしに
なっているのだろう。中身はまだ空のようだが……。
 そんなことを考えつつ手に取って眺めていたら、キッチンに立っていた彼が
振り向かないまま、一日ぶりに口をきいてくれた。

「そいつを、俺たちの共同財布にしようと思う」
「共同財布?」
「ああ。そこに毎月、同額の金を2人して入れておいて、共同で使う物とか
一緒に食べるものとかはそこから出す。いいな」
「はぁ……なるほど」

 キュ、と水道の蛇口を閉めてから、やっと彼がこちらを向いた。
「さすがにお前が買ったテレビやら冷蔵庫やらの代金を、半分出すのは
無理だからな。せめて、それぐらいはさせろ」
 それぐらい、という口調に、なんとなく寂しそうな響きを感じたのは、
気のせいだろうか。僕は今日の知人の話で思いついたことを、口にしてみた。

「あの……僕の勘違いかも知れませんが」
「なんだよ」
 彼が、不審そうに眉を寄せる。
「僕が高価な物を1人で買ったのは……別に、のちのことを考えてというわけでは、
ないですよ?」
「は?」
「だから……別れるときに、どっちが引き取るかモメないように……とかでは、決して」
 そのときの彼の表情の変化は、まさに見物だった。
言葉にするなら、どうしてわかったんだ、こいつはエスパーか、だろうか。
えーと、エスパーではありますが……エリア限定で能力限定ですけど。
とにかく、図星だったということは、一目瞭然だったのだ。

「馬鹿、お前……っ! そんなこと心配してねえっ!」
 そういうわりには、動揺して手元がおろそかな彼を、僕は背後から手を回して
ぎゅっと抱きしめた。彼は特に抵抗もせず、赤くなって黙り込む。
「僕としては出来れば、この共同財布がこの先ずっと、共同財布のままであることを
希望しますよ。何十年でも、ね?」
 そう耳元でささやくと、彼はますます顔を赤く染めながら、ぼそりと小さくつぶやいた。

「馬鹿。……財布だって何年かごとには、買い換える必要はあるだろうが」

 
                                                 END
(2010.01.20 up)
大学生設定大好き。
かなり悩んだお題でした。