ひとつの定義

     【お題】手作り料理




 やっと、鬼のような忙しさから解放された。
誰だよ。文系は理系にくらべて全然楽だなんて言った奴は。

 いや、確かに理系よりは楽なんだろうよ。
そう思って、バイトなんか入れちまった俺が悪いんだよ、わかってるさ。
でも、あの教授のゼミがあんなにハードとは知らなかった。
ほぼ毎日、ゼミ発表があるなんてさ。
おかげで連日、その準備とレポートで大わらわだ。
誰か教えといてくれよ、そういうことは。

 まぁ、それでもこれでやっと一息つける。
休むに休めなかったバイトも人が増えたし、ゼミの方も教授が自著の執筆に
入るとかで少しスケジュール緩和だ。
はぁ、これでやっとゆっくりメシが食えるな。

「お疲れ様です」
「おう、古泉。お前も少しはゆっくりできるのか?」
「ええ。実験が一段落したので」
「そっか。理系は大変だな」
 久しぶりに古泉と、夕飯の食卓で顔をあわせた。
少し疲れてるようだが、やっぱりこいつの笑顔を見るとホッとする。

 大学に進んだ年の春からルームシェアしてる俺たちは、実は同居というよりは、
同棲、という方が、より真実を正確に言い表している……とまぁ、そんな関係だ。
 だが、この一ヶ月ほどはお互いに忙しくて、ゆっくり同じテーブルでメシを食うヒマもなく、
下手すれば会話すらせず一週間が過ぎていたなんてこともあった。
諸事にズボラな古泉がちゃんとメシを食っているか気にはなったが、さすがに
まともに料理をする余裕はなかったので、せいぜいたまにカップ麺に湯をいれたり、
冷食の炒飯を皿にあけてレンジに突っ込んだり程度のことしかしてやれなかったのだ。

 そんなわけなので、今日の夕飯はわりと気合いをいれて作ったカレーだ。
2DKの部屋中に、スパイシーな匂いが漂って食欲を刺激する。
「あなたのカレー、ひさしぶりです」
 古泉は、にこにことものすごく嬉しそうな顔で、テーブルについていた。
スプーン握りしめてなにやってんだ。小学生か。
「だって、あなたの作るカレーは絶品ですからね」
「まぁ、うちのオフクロ直伝だからな」
 実はうちのカレーは、妹の舌にあわせたフルーツたっぷりの甘め仕様なんだが、
意外と古泉の口にもあったらしい。けっこう甘党だよな、こいつ。

「いただきます」
「おう」
 おいしいです、なんて言いながら、すごい勢いでカレーを食べる古泉を眺めながら、
俺も自作品を口に入れる。うん。いい出来だ。
 古泉はあっという間に1皿目を食べ終え、おかわりを要求した。苦笑して
ついでやった2皿目を、今度はゆっくりと口に運ぶ姿を眺めていたら、
ちょっと反省の念がわきあがってきた。

「……悪かったな」
「え? 何がです?」
「メシ、作れなくて」

 高校時代、俺はこいつの食生活のあまりの酷さが気になっていた。
基本がインスタント、コンビニ弁当、冷凍食品のトリプルコンボ。諸々の
事情で忙しいさなかには、ゼリー飲料やカロリーメイトのみですますことも
めずらしくない生活で、俺はこいつがいつか身体を壊すんじゃないかと心配だった。
 クラスメイトですらなく、同じ部活に属しているというだけの男相手に、
なぜ俺がそんなことでやきもきしていたかというと……まぁ、現在の状況から察してくれ。
たぶん、当たってるから。

 だから俺は、同居を開始したときに、古泉の食生活を改善してやると誓い、
メシは俺が作ると宣言した。まぁ、朝は簡単にパンとかですますのと、
昼はお互い学食があるから、夕飯だけなんだけどな。
 それでも古泉は、それは毎日あなたの手料理が食べられるということ
なんですか、なんて、感動に打ち震えた声で言ったもんだ。
 実際やってみると料理はなかなかおもしろかったし、古泉は何を作っても
馬鹿みたいに毎回感動しながら、それはうまそうに食ってくれるからやりがいもあった。
次は、何をこいつに食わせてやろうか、なんて考えるのも楽しかったんだ。
 それなのにここ1ヶ月、まともに作ってやれなかったもんな。

 だがな、古泉。ごめんな、と人が素直に謝ってやったってのに、
お前はなんでそんな、きょとんとした顔をしてやがるんだ。

「いえ……」
 カレーのスプーンを置いて、古泉は微笑んだ。
ああ、この顔はまた、何か恥ずかしいことを言おうとしてるな。
「あなたは、手作り料理というものの定義を、どう考えていますか?」
「はぁ? ……そりゃ、肉とか野菜とか使って、一から手で作った
料理のことだろうが」
「では、材料の中に出来合いの食材が入っている場合……たとえば、
総菜のトンカツを使って作ったカツ丼などは、手作り料理ではありませんか?」
「うーん……難しいとこだが、半手料理とかじゃないか」
 そんな言葉があるのかは知らんが。
 そういうと古泉は、さらに微笑みを深くした。
「そうですか。でも、僕にとってはそれも立派な手料理です。誰かが、
僕のために用意してくれたという、それだけでね」
「…………」

 そういえば古泉は、中学1年生のときに能力に目覚めて機関に入ってから、
ずっと一人暮らしだと言ってたな。中学の頃は機関の用意した寮に住んでいたと
聞いたが、部屋は1人部屋だったって。そして北高に転校してからは、正真正銘、
こいつは1人だった。
 古泉は再びスプーンを取り上げ、カレーをすくって食べ始めた。
一口づつ味わうように、ゆっくり咀嚼して飲み込んでから、また俺を見る。

「ですから、あなたが用意してくださったカップ麺も冷凍食品の炒飯も、
僕にとってはあなたの手作り料理なんですよ」

 ……お前、そんなことをなんでもない口調で言うか、普通。
口説き文句だろそれは。
もしくは、料理の下手な新妻とかにいうセリフじゃないのか。
馬鹿だろお前。馬鹿だな。
ホント、しょうがねえ奴だ。

「古泉」
「はい。なんでしょう」
 2皿目を食べ終わり、ミネラルウォーターのグラスに口をつける古泉に、俺は言った。
「それ片付けたら、しようぜ」
「は? 何を」
「セックス」

 吹くなよ。汚ねえな。
古泉はゲホゲホと激しくむせつつ、顔をあげて俺を見た。真っ赤なのは、むせて
苦しいのか? それとも照れてんのか、どっちだ。
「あ、あなたは、突然……ゲホッ、何を……っ」
「突然その気になったんだ。ダメならいいぞ。無理にとは言わん」
 古泉はしばらくの間、顔を真っ赤にしたままで俺を見つめていた。が。
「…………もうっ!」
 突然立ち上がり、テーブルの上に身を乗り出してグイと俺の顎をつかむ。
そしてかみつくみたいな勢いで、キスしてきた。
するっと舌を入れて一通り俺の舌とからませあってから、古泉は俺をにらみつけて
拗ねたような口調で言う。

「僕が、あなたのお誘いを断れるわけないでしょうっ!」

 ああ。もちろん知ってるさ。
俺はニヤリと笑ってみせてから、目の前でへの字になってる唇にもう一度くちづけた。
「カレー味だな」
「……あなたもね」

 
                                                 END
(2010.01.17 up)
大学生です。
キョンがずいぶんと積極的というか……ガチぽい。