rainy

     【お題】借りた傘




「あら? やーねぇ、雨降ってるわ」

 昇降口のガラス戸から空を見上げて、涼宮さんが不機嫌そうに言った。
確かに、放課後の団活を終えて下校しようとした僕らの帰路は、すっかり
雨に閉ざされている。
 つられたように全員で雨空を仰ぎ見て、それぞれが、いつのまにだの
やみそうないだのとつぶやいた。
「朝の天気予報だと30%って言ってたのに! やっぱりあてにならないわ、
天気予報なんて」
 本降りの様相をみせる空をにらみつけながら、涼宮さんはやけにご機嫌斜めだ。
特に雨が嫌いというわけでもないはずだが、さて、どうしたというのだろう。
「涼宮さん、もしかして傘がないのですか?」
 もしそうなら、僕の傘を貸そうと考え尋ねると、彼女は傘ならあるわと
鞄から折りたたみ傘を取り出した。
「うっかり、お気に入りのスカートをベランダに干したままにしてきちゃったのよね。
誰かが気づいて、入れておいてくれるといいんだけど」
「それは大変ですね。では早くお帰りにならないと」
「ホントよ。じゃあ、あたしは先に行くわ。また明日ね!」

 鮮やかな赤の傘を広げ、バイバイと手を振った涼宮さんは、雨の中を軽やかに走り出した。
バシャバシャと水を跳ね上げて去っていく後ろ姿を見送っていると、
続いて長門さんと朝比奈さんが、仲良くひとつの傘に入って雨の中に踏み出した。
「じゃあ、さよなら。キョンくん、古泉くん」
「おや、相合い傘ですか」
「うふ。傘、忘れちゃって」
 朝比奈さんが、可愛らしく舌を出す。そうですか、お気をつけてとうなずくと、
朝比奈さんと長門さんは僕らに手を降って雨の中に消えた。

 さて。
「……そのご様子だと、傘をお忘れですね?」
 空を見上げたまま、何も言わずに突っ立っている彼に視線を向けて、
にこやかに聞いてみる。
 案の定彼は、まぁなと言って肩をすくめた。
「折りたたみで申し訳ありませんが、ずぶ濡れよりはマシだと思いますよ?」
 鞄の中に入れてあった傘を広げ、笑顔で僕の隣を示してみせると、彼は思ったとおりに
眉をしかめて嫌そうな顔をし、数十秒ほど逡巡したあと溜息とともに肩を落とした。
「男と相合い傘なんてぞっとしないが、背に腹は替えられんな」


 そんなわけで、ひとつの傘に肩を寄せ合いつつ入り、僕らは長い坂を下っている。
少し小さめの折りたたみ傘に大の男ふたりでは、さすがに少々窮屈だ。
その上、彼はそっぽを向いたまま、どんどん離れがちになっていくので、そのたびに
僕は傘を彼の方に傾けながら、濡れますよと注意しなければならなかった。
「あの、僕と密着するのがお嫌なのはわかりますが、もう少しだけ、
我慢していただけないでしょうか? これでは傘の甲斐がありませんよ」
「……ああ、悪い」
 彼は僕から目をそらしたまま、ぼそぼそとつぶやいた。
そんなに男同士の相合い傘が嫌なのだろうか。
それとも、僕と、というのが特別に嫌なのかもしれない。
……そこまで嫌われると、さすがに傷つきますね。

 恋心が報われる。そんな望みがないのはちゃんと承知の上で、
せめてよき友人であろうと努力しているのに。

 また離れていこうとする彼の方へ、傘を傾ける。
今度はそれに気がついて、彼は自ら僕の方に身体を寄せてきた。
「悪いな。入れてもらってるのに」
「……いえ、お気になさらず」
 相変わらずそっぽを向いたまま、肩が触れあうほどの距離で、白い息を吐く彼。
その体温さえ感じられる気がして早くなる動悸を、なんでもない顔でやり過ごす。
 雨はまだやまない。
小さな傘の作る結界の中、僕らは雨に閉ざされる。
このまま、どこまでも歩き続けられたらいいのにな、なんて思っていたら、
ふいにあの感覚≠ェ襲ってきた。同時に携帯が着信音を発する。

「……閉鎖空間か」
「ええ。どうやら、お気に入りの服は台無しになったようですね」
 そんなことで、と、彼が小さく吐き捨てる。
そうは言っても、年頃の女性にとって、お気に入りのファッションアイテムを損なうことは、
かなり重大な事件なんですよ?
「お前の命と、天秤が釣り合うとは思えんな」
「そう言わないであげてください。彼女がそうしようと思ってやっているわけではないのですから」
「……わかってる」

 さて、それでは僕は、現場に向かわなければ。
「場所はどこなんだ?」
「幸い、すぐそこです。傘はお貸ししますので、このままお持ちください」
「お前はどうする」
「本当にすぐそこなので、走って行きますよ」
「なら、そこまで送る」
 仏頂面のまま彼は僕から傘を奪い、現場とやらはどっちだと聞いてきた。
あわてて方角を示すと、彼はさっさとそちらに向かって歩き出す。早く来い、濡れるだろうがと
怒ったような口調でいう彼の後を追い、僕は閉鎖空間の発生地点へと向かった。


 行ってこい、との声に送られて、閉鎖空間へと足を踏み入れる。
僕が貸した傘を差し、ポケットに手を突っ込んだ彼の姿が目に焼き付いている。
自分が、何のために戦っているのか、これほどはっきりと自覚したのはじめてだ。
赤いフレアをまとい神人の周囲を飛び回りながら、僕は守るべきものの存在を
強く強く、意識した。――たとえ一方通行でも、僕は彼を。

 やがて神人は咆吼をあげて崩れ落ち、消滅した。
瓦解してゆく閉鎖空間の空の間から、平常空間の夜空が現れる。
どうやら雨はあがったようだなと思いつつ腕時計で時間を確認すると、侵入してから
2時間ほどが経過していた。彼は無事に、家に着いただろうか?
 風邪をひかないといいけれど、なんてつぶやきながら通常空間に帰還した僕は、
そこで我が目を疑った。

「……なんで、いるんですか?」

 彼が、そこにいた。
傘はもう差していないがポケットに手を突っ込んだまま、2時間前に僕を送ったその場所に。
退屈そうな顔で腰掛けていた植え込みの縁から立ち上がり、彼は驚いて立ち尽くす僕の方に歩いてくる。

「お前を待ってたに決まってるだろ」
「え、だって2時間も……こんなところで」
「別に、ただ……」

 彼は微妙に視線をそらしつつ、折りたたんだ傘をぐいと僕につきつけた。

「……借りた傘を、返さにゃならんと思っただけだ」

 呆然と傘を受け取る僕の全身を上から下まで眺め、彼は、よし、ケガはないなとつぶやく。
そしてくるりと踵を返してから、ちょっとだけ振り返った。
その顔には、怒ったような、照れたような表情が浮かんでいた。

「確かに返したぞ。……それと、お疲れさん。古泉」

 ひらりと軽く片手を振って、彼はそれきり振り返らずに歩いていってしまった。
彼の背中がすっかり見えなくなってしまっても、僕はずっと傘を握りしめたまま、
馬鹿みたいにその場に立ち尽くしていた。
 胸の中に、何か暖かいものがじわじわとひろがってゆく。
僕は口元が勝手にほころぶのを、押さえることができなかった。

                                                 END
(2010.01.12 up)
原点回帰。
片想い。