笑顔の訳

     【お題】君と居ると笑わずにいられない




「何を笑ってんだよ」

 不快そうな彼の目が、僕を見上げていた。
いつもの部室で、いつもの席に座って、いつも通りに対戦するボードゲーム。
彼が圧倒的に優勢であるところまで、まったくいつも通りで、僕が常に
笑顔でいることだって、いつも通りのはずなのに。
 はて、彼はいきなり何を言い出すんだろう。

「いえ……楽しいなと思いまして」
「負けてんのにか」
「ええ。ゲームをしてること自体が楽しいんです」
「ふーん」

 彼は長机に頬杖をついただらしない姿勢で、つまらなそうにつぶやいた。
僕はなんとなく困ってしまい、傍らの湯飲みに手を伸ばす。中身は
すっかり冷めているのは知っているが、どうにも間が持たなくて。

 そうそう。いつもと少し違っているのは、この部屋にいるのが
僕と彼だけだということだ。
 涼宮さんをはじめとした女性たちは、何か用事があるとかですでに
退出済みで、朝比奈さんの温かいお茶はのぞむべくもないという状況。
 僕たちだけが、やりかけのゲームの決着をつけるべく居残りというわけだ。

 パチン、と盤上に駒を置き、彼はそこから目を離さないままで、
またぼそりとつぶやいた。

「ハルヒもいないんだから、無理に笑わなくてもいいんじゃないか」
「……無理に、笑っているように見えますか」
「ああ」

 彼は、そう言ってふと顔を上げた。

「ときどき、俺を見ながら微妙な表情になるよな。普段はあれだけ完璧な
笑顔なのに。女子の前じゃ気ィ張って崩せないが俺相手なら大丈夫だってんなら、
それはそれでかまわんぞ」

 確かに、誰にも言えない秘密ばかりを抱えた身で、この笑顔はすべてを
覆い隠すための仮面だ。誰の前であっても、はずすわけにはいかないけれど。

「俺はあれだ。多少は事情知ってんだし、お前の組織と直接利害関係が
あるわけでもないしな。グチくらいなら、聞いてやらんでもない」

 そんなことを言われて、胸がしめつけられる。
優しいあなたの優しさが、僕にも向けられていることがたまらなく嬉しい。
―――でも。

「だから、無理に笑うことないぞ」

 すみません。
あなたと居ると、笑わずにはいられないんです。
だって、無理にでも笑っていないと、泣いてしまいそうになるから。
必死で押し殺している灼けつくような想いが、涙になってあふれそうになるから。
 だから僕は、笑うしかないんですよ。


********


「それで、あんなヘンな顔で笑ってたのか」
「ヘンって。酷いですね、必死だったんですよ、あれでも」
「そういうがなぁ。なんとも表現しがたいような、びみょ〜〜な顔だったんだぞ」

 風呂上がり、僕の部屋でふたりしてくつろぎながら、いつの間にかそんな話になった。
去年の秋頃、まだ僕が、彼への苦しい片恋に懊悩していたころのことだ。
 ベッドを背もたれに床に座る僕の両足の間に、彼の身体がある。僕の胸に背中を
預けたまま、雑誌をめくりながらそんなことを言う彼の髪からは、僕と同じシャンプーの
香りがした。

「あの頃のお前はなんだか、要領いいようにみえていちばん危なっかしかったから、
心配だったんだ」
 彼はふと雑誌から顔を上げ、ちょとだけ顔をこちらに向ける。
「まぁ、だからと言って、泣かれても困っただろうがな」
「それは……困らせてみるのも、悪くありませんでしたねぇ」
「ぬかせ」
 閉じて丸めた雑誌でポコンと頭をはたかれて、僕は大げさに顔をしかめた。
「痛いです」
「嘘つけ」
 ポコポコと、さらに殴ってくる彼の攻撃から逃れようと身をよじるが、
左手を彼の身体に巻き付けたままでの体勢では無理なことは、もちろん承知だ。
「けっこう痛いんですって。やめてくださいよ、もう」
「ニヤニヤしながら何を言ってやがる」

 まだほこほことあたたかな身体が、大きな猫みたいにじゃれついてくる。
少し湿った髪からもすべすべの肌からも、香るのは僕と同じ匂い。
明日はなんの予定もない休日で、今夜彼は、このままこの部屋に泊まっていく。
 こんな幸せな状況の中で、他にどんな顔をしろというのだろう。

「さっきから笑いすぎだぞ、お前」
 ばふ、と、バランスをくずした彼が、僕の胸に倒れ込む。
その身体をぎゅっと抱きしめながら、僕はしょうがないです、と言葉を継いだ。

「だって、あなたと居ると、笑わずにはいられないんですよ」


 
                                                 END
(2009.12.08 up)
笑う理由の昔と今。
いちゃいちゃっていいね! 難しいけど!