いつもの放課後、いつもの部室。
だけど今現在、ここにいるのは僕だけだった。
担任のいないHRが早々に終わり、掃除当番でもなかったので
まっすぐ部室に来たところ、どうやら一番乗りを果たしたようだ。
誰かが来るまでほんの少し、と思いながら、僕は長机に顔を伏せて
目を閉じた。
ゆうべは寝入りばなを起こされて、閉鎖空間へと出かけていった。
幸いそれほど大規模なものではなくて、すぐに消滅させることは
出来たものの、睡眠は中途半端にしかとれなかった。
優等生を演じる僕としては授業中に居眠りなどもってのほかで、
必死に眠気をこらえて授業を受けるのももう慣れたものだ。
だけど、誰の目も届かないこんなとき、ほんの少しだけ気を
抜くくらいは許してもらえるだろう。
うとうとと、意識が眠りに移行しかけたとき、ノックの音が
聞こえた。僕のほかにノックをしてから入るのは、彼だけだ。
ああ、起きないと、とは思ったが、半覚醒状態の身体は、なかなか
言うことを聞いてはくれなかった。
「っと、いたのか古泉」
ドアを開けて入ってきた彼は、無人と思った部屋にいた僕に
驚いたようだった。寝てやがるのか、珍しいなとつぶやいて、
音をたてないようにそっと向かい側の椅子をひく。
そのまま何をするでもなく、彼の視線が注がれているのを感じた。
「……古泉?」
はい。なんでしょう。
反射のようにそう返そうとしたけれど、声にはならなかったようだ。
身動きすらできなかった僕が完全に眠っていると見たのか、彼の
手が伸びてきて、そっと髪に触れていった。
「寝不足なのか。……お疲れさん、古泉」
僕の名を呼ぶその声が、やさしく耳をくすぐる。
意識はようやく目覚めて、身体もなんとか起こせそうになっていたけれど、
僕はそのまま動けなかった。
彼の声をもっと聞きたくて、眠ったふりをもう少しだけ続けてみる。
「古泉?」
もっと呼んで下さい。僕の名前を。
あなたの声で呼ばれるたびに、僕の胸には、嬉しさと喜びと、
それと不思議な哀しさがわき起こる。
ときにはぞくりと、なんとも言えない衝動が走ることもあるけれど、
それすらも貴重な感覚で。
もっともっと、何度でも聞きたい。
「古泉……」
カタ、と音が聞こえて、彼が立ち上がる気配がした。
そのまま身を乗り出して、こちらに顔を寄せてくるのがわかる。
なんだろう?
テーブルがきしんだ。衣擦れの音がして、彼の吐息が耳にかかる。
そして耳元に、彼のささやく声が。
「……一樹」
「うひゃっ!」
僕は思わず妙な声をあげて、飛び起きてしまった。
ささやかれた側の耳を押さえ、火照って真っ赤になっているだろう顔で、
ただぱくぱくと口を動かす。声も出ないとはこのことだ。
そんな様子の僕を見て、彼はニヤリと唇を笑みの形に引き上げた。
「やっぱり起きてやがったな。タヌキめ」
な、な、な、な……。
「なんなんですかあなたはっ! 一体、何をっ……」
「寝たふりなんかしてるからだろうが」
僕の抗議をものともせずに、彼はしれっとそう答えた。
ああ、今、僕の顔は一体どんな有様なんだろう。おそらく耳まで真っ赤
なんだろうなとは、彼の上機嫌な笑顔でわかるのだが……。
「お前その顔、早くなんとかしないと、ハルヒたちが来ちまうぜ?」
「あ、あなたのせいでしょうっ!」
「何がだよ。俺はただ、お前の名前を呼んだだけだぞ?」
わかっているくせに、彼はニヤニヤしながらそらとぼける。
――ああもう。
この人には、一生敵う気がしませんよ。
僕は心の中でそうつぶやいて、ドキドキと激しく鳴り続ける心臓を
もてあましつつ、深い溜息をついたのだった。
END
(2009.11.17 up)
最後のお題のオマケver.。
たぶんできあがってるふたり。