エデンの東

         【お題】(こんな時にまでときめくな、私!)


 灰色の空が、世界を覆っている。

生き物の気配がしない、がらんどうの世界。
動くものは何もない。あの青い巨人すらいない。
存在するのは、崩れかけたビルと、ドライバーのいない車と、
ただ明滅を続ける信号と。

 僕と、彼だけ。

「本当に、終わりみたいだな」
「そうですね」
 妙にすがすがしい口調で、彼が言った。
僕もそれに、微笑みさえ浮かべて答える。

「俺たちを世界から消滅させるだけですませたんなら、あいつにしちゃ
おとなしい方かもな」
「少なくとも、僕らの生きていたあの世界は存続してくれるでしょうしね」
「まぁ、よかったんじゃないか? これでさ」
「ええ」

 神様に背いて、世界を裏切って、密かに紡いできた僕らの恋。
後ろめたくても手放せず、後ろめたいからこそ執着が増すばかりだった
僕たちの関係は、ある日あっけなく露呈した。
 屋上でひそやかにかわしたキスを、目撃されたのだ。
よりにもよって、僕らの神様たる“彼女”に。
慈悲深くも言い訳を聞いてあげようとおっしゃる神に、
彼はおだやかに微笑んで、ごめんと告げた。

「ごめんなハルヒ。俺は、古泉が好きなんだ」

 無言で僕に視線を移した彼女に、僕もにこりと笑ってうなずいてみせた。
「僕の方が、より好きだと思いますよ?」
 ――瞬間。彼女の顔から、表情が消えた。

 突然のめまいが僕らを襲って、次に目を開けたときにはもうここにいた。
僕にとってはなじみ深い、閉鎖空間。
だが脱出の鍵ともなる神人の姿は、どこにもない。
ここは、彼女が僕たち2人を放逐した、エデンの東に他ならないのだ。

「この空間は、いつまでもつんだ? 古泉」
「さぁ? どうやら端の方から崩れていってるみたいですからねぇ」
「あいまいだな」
「前例のない閉鎖空間ですから」

 荒涼と風が吹く中で、僕らは立ち尽くして空を見る。
かすかに触れた指を、どちらからともなくからめあい、手を握りあった。

「すまんな、古泉。こんなことになっちまって」
 困ったような笑顔を向けて、彼がそう言った。
「もう限界だと思ったんだ。隠すのも、逃げるのも。
ましてや、世界のためにお前と別れるなんてのも無理だ。
……だからって、ちっと先走りすぎだったかもな」
「いいえ」

 僕の胸にある器官は、今も踊り出しそうな勢いで鼓動を刻んでいる。
こんな時にまでときめくな、僕の心臓。
バレるじゃないか。
誰もいない世界の中に、彼とたった2人っきり。
誰にも邪魔されることのないこんな場所で、こんな終焉を彼と迎えられることに、
僕が、気も狂いそうなほどの喜びを感じている、なんてことが。

 ずっと渇望していた願いが、やっと叶う。
まさか、叶うなんて思ってなかった。実現不可能だと思っていた。
“彼を未来永劫、僕のものにしたい”
そんな、あまりにも身勝手な願いが。

「いいんです。僕は今……すごく幸せなんですから」
「そっか?……まぁ、お前が幸せなら、いいか」
 握ったままの彼の手に唇を寄せてそう返すと、やれやれと言いたそうな顔で、
彼はまた笑った。

 どこかで、ビルが崩れる音がした。
急激に風化が進むかのように、世界はほころび、くずれてゆく。
その音を聞きながら、僕らは互いの身体を抱きしめる。強く。

「――愛してます」
「俺も、あいしてる」

 僕たちは、キスをする。
ひび割れて欠け落ちる、壊れはじめた灰色の空の下で。

 
                                                 END
(2009.11.17 up)
BAD END。
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