墓穴

         【お題】(ここは幻滅するところだろう!)
墓穴

「顔が近いんだが」
「そうでしょうね。近づけてますから」
「あと背中が痛い」
「床ですから仕方ないですね」
「それからシャツを引っ張るな。脱げる」
「脱がしてるんだからあたりまえです」


 オーケィ。状況説明をしよう。
ここはいつもの部室だ。女子チームはすでに帰宅済み。
長門が本を閉じたときに、佳境に入ってた将棋の勝敗を決するため、
俺と古泉だけがここに残った。
当然の如く俺が勝利をおさめ、後片付けをすませてさて帰ろうかと
ドアに向かったその時。
 開きかけたドアを背後から押さえて閉じられ、何事かと振り返ったら
口をふさがれた。
 背後から手で押さえて「静かにしろ!」とかいうアレじゃない。
俺の口をふさいだのは、たった今まで対戦相手だったやつの唇で、
これはきっと別の名称で呼ぶべきなんだろう。

 呆然としていたら、口の中に生暖かいもの……舌か? が入ってきた。
と、同時に背後でカチッと音がしたが、それがカギがかかった音だ
なんて、そのときの俺にわかるはずもない。

「あれ? 予想外の反応ですね。2,3発殴られるのを覚悟してたんですが」
 俺がやっと我に返ったのは、さんざん口の中を舌で舐めまわされたあとだった。
いつの間にかドアを背に床に座り込んで、いつもよりさらに近い位置にある
見慣れた顔を凝視する。
「い、今、なにをした?」
「キスです。もちろん」
「な、なんで」
 古泉はそこで、心外そうな顔をした。
「あなたが好きですと告白して、今日でちょうど一週間ですよ? そろそろ
お返事をいただきたいと思っても、おかしくないでしょう?」
「返事といきなりこんなことするのと、なんの関係があるんだ」
「あなたはどうも答えを出せないでいるようなので、ちょっと実力行使に
出させていただきました。ご自分の気持ちを確認する、いい機会になると思いますよ」

 そう言ってヤツは、俺の身体をそのまま床に押し倒した。
のしかかってくるそいつを押しのけようとした手をつかまれて、
そして冒頭の会話につながるわけだ。

「顔が近いんだが」
「そうでしょうね。近づけてますから」
「あと背中が痛い」
「床ですから仕方ないですね」
「それからシャツを引っ張るな。脱げる」
「脱がしてるんだからあたりまえです」
「待て待て落ち着け。冷静になれ」
「僕は冷静ですよ? あなたこそ、落ち着いた方がいいんじゃないですか」

 ゆるめられていたネクタイが、シュッと音を立てて首元から離れた。
両手は頭上でガッチリと、古泉の右手で固められている。
なんつう握力だ。ビクともしねえ。

「お前はあれか。男が好きな性癖の」
「違います。普通に女性が好きですよ」
「そうだよな。ハルヒのこと、魅力的とか言ってたもんな」
「ええ、今でもそう思ってます。ついでに言えば、朝比奈さんも長門さんも、
とても愛らしく素敵な女性だと思いますよ」
「だったら」
「でも、こうして抱きしめたりキスしたりしたいのは、あなたなんです」
 いやいやいやおかしいからそれ。あきらかになんか間違ってるぞ。
「いや、古泉。お前のそれはきっとなんかの間違いだ。錯覚だ。
傷が浅いうちに思い直して引き返そう。な?」
 必死の説得を試みると、古泉は俺のボタンを下まではずそうとしていた手を止めて、
少しだけ考える素振りをみせた。いいぞ、そのまま考え直せ。
今なら、悪趣味な冗談ですましてやる。
「ほら、よく見てみろ」
 俺は、半ばはだけられたシャツの中をあごで示してみせる。
真っ平らでなんの凹凸もない胸だ。触ったって固いばかりで、面白くもなんともない。
オマケにその下には、自分と同じモンついてんだぜ?
普通なら、ここは幻滅するところだろ?

 なんて思ったのは、いささか楽観的すぎたらしい。
じっと俺に視線を注ぐ古泉の顔はあきらかに赤くなっていたし、なんだか
目つきがヤバイ。

「あなた、それ墓穴掘ってますよ。わかってます?」
「わからん。わかりたくもない」
「困った人ですねぇ……」

 顔が近づいてきて、首筋を舐められる。
ぞくりと、背筋に得体の知れない感覚が走った。
「ちょ、こいずみ……っ!」
 唇がすべって、耳にあたる。うわ、なんだこれ。
ちゅ、ちゅ、なんて恥ずかしい音がひっきりなしに鼓膜を震わせて、俺は
思い切り目をつぶった。なんか鳥肌が止まらないんだが。
 これはいよいよ貞操の危機ってやつかと今更ながら焦りを感じたとき、
ヤツが耳元でくすっと笑った。

「もう……本当に困った人ですね」
 すっと身体が離れて、つかんでいた手がほどかれる。
はだけていたシャツの前も閉じられて、ボタンがいくつか止められた。
 ……あれ?
「古泉?」
 床に座り込んだままの古泉は、困ったような顔で肩をすくめて微笑んだ。
「嫌ならもっと、必死で抵抗してくれないとダメですよ。気色悪いって叫んで、
蹴りいれるぐらいしないと、僕そのまま突っ走っちゃいますよ?」

 そのまま俺のボタンを全部止め始めた古泉は、もうそれ以上の無茶を
する気はないようだ。
はぁ、よかった。助かった。
ホッとしたとたんに、緊張が解けた。
だもんで俺はそこで、ついポロッと余計なひとことをもらしちまったんだ。

「いや、そんなに気色悪いってこともなかったけどな」

 いきなり手を止めて、マジマジと俺の顔をのぞき込む古泉の表情を見たとき、
俺はやっと気がついたよ。
 どうやら自分が、最大級の墓穴を掘っちまったらしい、ってな。


 
                                                 END
(2009.11.02 up)
その後の展開はご想像のままに。