「いっぺん死んでこい」とか
「それ以上言ったら殺す」とか
「お前なんか死ね」とか
男友達同士の雑談で、冗談で言うことってけっこうあるだろ?
俺だって、クラスの連中やら谷口やらが相手ならいくらだって言う。
口は悪い方なんで、むしろ無意識に言っちまうこともある。
あいつにだって、普通に友達同士だったときは気楽に言ってたさ。
なんたってあいつは、顔よし頭よし性格よしのむかつく野郎だったからな。
ああ、むかつくのは今だって変わらないぞ。
それと同時に、ちょっと違う感情が交じるようになっただけだ。
ただ、あれはいつだったか……俺たちがこ……恋人、関係になってからのことだ。
なにかの拍子に俺がいつもの調子で、死ねとかなんとか言っちまったとき、
やつは普段通りに笑いながら、
「いいですよ」
なんて言いやがったのだ。
思わず絶句する俺に、ヤツはにこにこ笑顔を向けてあたりまえのように続けた。
「僕の命なんて、とっくにあなたのものですから。あなたが望むなら今すぐにでも」
「バカ野郎!」
ああ、そうだ。確か部室で将棋を指してるときだった。
俺たちの他には誰もいなくて、俺は叫んで立ち上がった拍子に
優勢だった将棋盤をひっくり返した。
――現代日本に生きてる俺たちと死は、ほどほどに無縁だ。
事故とか病気とか、ニュースにはあふれてるけれど、自分の周囲にはほとんどない。
身近な死といえば、ペットとか田舎の爺さん婆さんとかそんなもんだ。普通はな。
だけど古泉は違う。
あの灰色の空間で、実際に亡くなった人がいるのかは知らないが、
そうなってもおかしくないほどの危険はあるはずだ。
それでなくても生き物の気配がまるでないあそこには、死の気配があふれている。
あんなところで戦うこいつは、本当のところ、いつ死んでもおかしくないんじゃないか?
考えるほどに古泉と死のイメージはあまりにも近しくて、ふとしたことで
本当にあっさり死んでしまいそうで、なんでこいつにそんなことが言えたのかと、
自分で自分に嫌気がさした。
長テーブルに両手をついた姿勢のまま、俺は動けないでいた。
しばらくきょとんとしたまま俺を見ていた古泉が、やがてクスッと小さく笑い、
ひっくり返った将棋盤を戻し、駒を拾い始める。
「嘘ですよ」
古泉は、やっぱりいつも通りの笑顔で、そう嘘をつく。
「本当に、嘘ですって。……いえ、そうですね。以前は本当にそう思っていましたよ。あなたと、こんな関係になれる前にはね」
それは、ハルヒのためではなくて?
「ええ。ほかのすべては涼宮さんに捧げていましたけれど、命だけはあなたのために、と思っていました。
あなたを守るためと、あなたの望むことのため。そのためだけに死のうと、決めていたんです」
「……嬉しくねえよ」
パイプ椅子に身体を投げ出すように座り込んで、背もたれに肘をついた姿勢でそっぽを向く。
「わかってます。自己満足だということは。……でも、当時の僕にはほかにあなたに差し上げられるものがなかったんですよ」
将棋の駒を箱に戻し、蓋を閉めた気配がした。
俺は顔を正面に戻して、ヤツの0円スマイルを思いっきりにらみ付ける。
「……で?」
「はい?」
「今は」
どうなんだ、と言外に聞く。
俺と、こんな関係、とやらになれたお前はどうなんだ。
すると古泉の笑顔は、ちょっと困ったようなものになった。あ、仮面がはずれたな。
「君がため、ですね」
「あ?」
「百人一首です。藤原義孝、でしたか」
知らん。
そうでしょうね、と古泉はうなずいて、解説を開始する。
「“君がため 惜しからざりし命さえ 長くもがなと思いけるかな”……あなたのためなら、
捨てても惜しくはないと思っていた命ですが、あなたと想いを通じた今となっては、
あなたとともにいるために、できるだけ長く生きていたいと思うようになりました……と
いうほどの意味ですね。ちょっと僕なりの解釈入ってますが」
それを聞いた自分の顔が、どうなったのかなんてわからない。
ただ俺を見ていた古泉の素の笑顔が、さらに深くなったのはわかった。
「……理系のくせに古文までできるとか、嫌味なヤツだな」
「感想は、それなんですか」
眉をハの字に下げた情けない笑顔で、古泉はクスクスと笑い続けた。
そうか。俺と付きあうようになって、そう思えるようになったんなら、それはすごく
いいことなんじゃないか。俺もその方が嬉しい。俺のために死んでくれるより、俺の
ために生きてくれる方が、何千倍も。
でもな、古泉。
あとで調べたら、その歌を作ったヤツは、21歳なんて年齢で死んでるぞ。
シャレにならねえよ、まったく。
それから俺は、「死ね」とか「殺す」とかいう、今までさらりと言えてたことばが
使えなくなった。だって、困るだろ。あいつには長生きしてもらわんと。
……主に、俺が。
END
(2009.10.16 up)