雨とフレグランス
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 突然の雨は、降り出したと思った直後に土砂降りになった。
休日の公園に赴き、朝比奈みくる撮影会を催して解散したあとだった僕たちは、なすすべもなく全身びしょ濡れになりながら、葉のしげった大木の下に逃げ込んだ。
「ひでえ雨だな」
「まったくです。涼宮さんたちは大丈夫ですかね」
「駅前で買い物するって言ってたから、どこかの店に入ってるんじゃないか」
 活動そのものは、もう30分も前に終わっている。
僕らふたりは彼女たちと別れたあと、なんとなく話をしながら公園をぶらついていたため、この驟雨に遭遇してしまったのだ。
「こりゃまいったな……」
「にわか雨ならいいんですけどねぇ」
 そう言いながらふと横を見ると、濡れた前髪をかきあげながら上空を見上げる彼が目に入った。
水を吸って透けたシャツの下に見える肌に、ドキリと心臓が鳴る。
「やべ。今、光ったぞ」
 空を見たままの彼が、そう言って顔をしかめた。
吸い寄せられたように彼から目を離せなかった僕も、少し遅れてゴロゴロと大気を震わせる音に気づいて空を仰ぐ。
「神鳴りですか。ここにいるのはまずそうですね」
「しゃあねえな。走るぞ、古泉。ここからなら、俺んちのが近いな」
「了解です」
 今更傘を買うのもバカらしいと、僕らは全身を雨にさらしたまま、雨粒がたたきつける道路へと足を踏み出した。



「あれ、誰もいねえ」
 彼の家には、会社に行っているはずの父君のみならず、いつもは家にいる母君も妹さんもいなかった。
 先にシャワーを借り、彼が用意してくれたらしい着替えに身を包んで出てくると、濡れたシャツを脱いで上半身裸のままの彼が、ちょうど携帯を切ったところだった。
「オフクロ、近所の知り合いの家にいるんだってさ。妹も一緒に。雨がひでえから、やむまでゆっくりしてくるって」
「そうですか」
「んじゃ、俺もシャワー浴びてくる。お前は俺の部屋にでも行ってろよ」
 それだけ言って、彼は携帯をそのへんに置いてバスルームへと向かった。その後ろ姿を見送りながら、情けなくも僕はにわかに落ち着かなくなった感情を持て余していた。
 ご家族が留守ということは、今、この家には彼と僕のふたりきり。しかもこの雨がやむまでは、誰も帰ってはこない。何度か夕飯にお呼ばれし、泊まって行くこともたびたびあるが、この家でふたりきりになったことは、今まで1度もなかった。
 正直に言えばこんな状況で、濡れそぼってやけに色っぽいあんな姿を見せられて、平常心でいるのは難しい。他に邪魔者がいないとなればなおさらだ。だが、いつ家族が帰ってくるかもしれない場所、さらに言うなら彼のまったき「平凡な生活」の砦たるこの家で、行為に及ぶのは彼はきっと嫌がるだろう。事実、軽く触れあう程度のキス以外を、彼がこの家で許してくれたこともまた、1度もないことだ。
 彼の部屋に行き、適当に座って彼を待つ。耳を打つ雨の音を聞くともなしに聞きながらぼんやりするうちに、僕は自分の匂いに気づいた。借りている服の洗剤の香りも、風呂場で使ったシャンプーや石けんの香りもすべて、嗅いだおぼえのある彼の匂いだ。胸一杯にその匂いを吸い込みながら、我ながら変態っぽいなと思わざるを得ず、つい吹き出した。
「……何やってる」
「いえ。あなたの香りだなぁと思いまして」
 開けたままだったドアの向こうに、彼が立っていた。足音とコーヒーの香りで気がついていたので、驚きもせすに彼を迎える。
「変態か」
「そんなことないですよ。人間の嗅覚はそれほど優れてはいませんが、五感に結びつく記憶の中では、嗅覚から呼びだされたものがもっとも鮮明で、より感情的なんだそうです」
 彼はコーヒーの入ったマグカップを僕に渡し、少し顔をしかめて黙ったまま僕の向かい側に腰を下ろした。彼の今の心情を言葉にするなら、やれやれ、また始まった、だろうか。
「なぜなら五感の中で嗅覚だけが、感情と記憶に関係する大脳辺縁系に直結しているからで、それは原始の時代、夜は暗闇の中で生活していた人類が危険を察知するために最も必要としたのが嗅覚であったからだろうと言われています」
「わかったわかった。お前は本当に薀蓄が好きだな」
 あきれたような口調で言いながら、彼はカップに口をつける。まだ湿っている髪をタオルで拭きつつ、やっぱインスタントはインスタントだな、なんてつぶやいた。
「本当にわかりました?」
「ああ。つまり匂いってのは、記憶を呼び起こす力が強いんだってことだろ?」
「しかも本能に直結した記憶です。ですから、全身をこれだけあなたを思い出させる香りに包まれている僕が、たまらない気持ちになっているのも無理からぬ事なんです」
「やっぱり変態じゃねえか」
 半分ほど中身の減ったマグカップを部屋の隅にあるテーブルに置いて、僕は彼の肩に手を伸ばした。彼は特に避けるでもなく、器用に中身をこぼさないようカップを浮かせながら、僕の腕の中に倒れ込んでくる。シャワーであたたまっているその身体を背中から抱きしめ、湿った髪に顔をうずめてその香りを吸い込んだ。どうやらこのくらいなら、許してくれるらしい。
「……いい香りです」
「ごく普通の安物シャンプーだぞ」
「あなたの匂いですから」
「……」
 とくとくと、鼓動が早くなる。彼にも、その音と身体の熱は伝わっているだろうか。
このまま押し倒したら、どうなるだろう。殴られるか蹴られるか……やっぱり試すのはまずいだろうか。正直、理性が負けてしまいそうだ。その前に早く、この離れがたい香りと感触から離れなければ。
 と、その時、彼が前を向いたまま、ポツリと声を出した。
「なぁ、古泉」
「はい」
「雨、やまないな」
「そうですね」
 少しためらいがちに、彼は言った。たしかに雨はやむ気配もなく、この空間を包み込むように降り続けている。少し間を置いて、彼が続けた。
「雷も、まだ近いな」
「みたいですね」
「たぶん、しばらくはこのままだな」
「そうかもしれませんね」
 さらに数瞬、逡巡したのち、彼の唇から言葉が滑り落ちた。
「……一応、鍵かかるぞ、この部屋」
「えっ?」
 それは……どういう意味ですか。僕の都合のいい意味にとっても……?
「中学にあがったときにオヤジがな、男には聖域が必要だとか言って付けてくれたんだよ。気を利かせすぎというかなんというか」
「はぁ……ありがたい親心というべきでは」
 もぞ、と腕の中で、彼が身動きする。
「まぁ、気が進まないなら、いい」
「そんなことは……!」
 ありえません! と思い切り断言したら、一瞬きょとんとしたあと、何がツボに入ったのか彼はくすくすと笑い出した。バーカ、と言ってさらに笑う唇をふさいで、僕は彼の身体を正面から抱きしめ直した。



「確かに、匂いが違うと妙な感じもするな」
 Tシャツの裾をまくりあげ、彼は僕の胸に顔を埋めて、クンクンとそのあたりの匂いを嗅いでいる。微妙にくすぐったくて、僕は身をよじった。
「お前の匂いが、あんまりしない」
「それは、ここがあなたのベッドだからでしょうね」
「それもそうか」
 さっきから彼は、どういう風の吹き回しなのかベッドに仰向けになった僕の上に覆い被さって、首筋や胸や脇腹にぎこちない愛撫をくわえている。滅多にないことだから、ぎこちなかろうがなんだろうがもうその事実だけで、じっとしているのがつらいほど気持ちよくてたまらない。
 順当に下腹のあたりまでたどりついた彼が、僕のスェットのズボンを引き下ろしたところで手を止めた。すでに臨戦態勢の僕に、マジマジと視線を注いでいる。
「あの……あんまり見られるとさすがに恥ずかしいのですが……」
「ん、そうか」
 よし、と謎の気合いを入れて、彼がそれをつかんで先端に舌を這わせた。ゾクリと、とんでもない快感が身体をつらぬいて、僕は思わず声をあげてしまい、あわてて両手で口をふさいだ。ちらりと僕を見る彼の目が、楽しそうに笑う。
 う、上目遣いは反則です……。
「ふ……っ、ん……っ」
 鼻から抜けるような声と息をもらしながら、彼の舌と唇が淫猥な水音をたてる。ダイレクトな刺激とともに、この聴覚からの刺激もまた、じわじわと僕を蝕んでゆく。
 彼がこの行為に及んでくれたのは、実はまだ3回目だ。やはり抵抗があるのかなかなかしようとはしないし、僕から頼むのも気が引ける。ただ興味はあるらしく、彼は僕の反応を見ながら、舌をいろいろな場所に這わせたり手でこすったりと研究に余念がない。
 だからその、咥えたまま上目遣いでじっと見るのはやばいんですって!
「うあ……っ」
 そうこうするうちにどうやら彼は、僕の一番弱い部分を発見したらしい。そこを集中的に、唇と舌と指とで激しく責め立ててくる。これはダメだ……もういくらももたない。
「も……もうダメ……です……はな……してくだ……」
 最初の時は、タイミングがあわずに彼の顔にかけてしまった。2回目はなんとか間に合い、自分の手で始末できた。今回も出してしまう前に彼の口から抜こうとするが、彼はしっかりと僕の腰を抱え込んで、さらに激しく吸い上げる。
「ダメ、ですって……!もう我慢が……」
「ん、いいから……」
 咥えたまま、もごもごと彼が言った。とたんにこみ上げる射精感に負け、僕はそのまま彼の口の中に欲望を吐き出してしまった。
「ん……っ」
「あっ……す、すみませ……」
 彼は顔をしかめて、唇を閉じたまま身体を起こした。目尻に、少し涙が浮いている。吐き出させようとティッシュの箱を探す僕の腕を、彼がひく。
 振り返った僕の目の前で、彼の喉がごくりと鳴った。
「……!」
「うぇ……まっじぃ」
「な、何してるんですか、あなたは!」
 唇を乱暴にぬぐいながら、彼はまだ眉をしかめたままだ。
「何って、飲んだんだよ」
「なんてことを……」
「うるせえな。ケチケチすんな」
 ケチケチって……。なんですか、その微妙にズレた逆ギレは。
「シーツ、あんまり汚すわけにはいかないんだよ。洗うのはオフクロだからな」
 それでも口に出すのはともかく、飲み込む必要はないはずだ。真っ赤になっている彼の顔色から、言うまでもなくそれが照れ隠しだと察して、僕はわけのわからない感動に襲われて彼をきつく抱きしめた。
「もう……なんなんですかあなた。僕を殺す気ですか」
 愛しすぎて、嬉しすぎて。なんだか心臓がもたない気がする。
幸せすぎて死んだら、診断書に書く死因は果たしてなんだろう?
「いちいち大げさなんだよ、お前はっ。いつもお前がしてることだろーが」
「それは……そうなんですが」
 ああ、なんか涙まで出てきた。彼は赤い顔のままそんな僕の頭をはたいて、泣くんじゃねえよ、うっとおしいとつぶやいた。そしてことさらぶっきらぼうに、僕の首に腕を巻き付ける。
「ほら、さっさと続きするぞ。あんまり時間ないんだからな」
 そうでした。
 いまだ雨は降り続いているが、やんでしまったら母君と妹さんが帰ってきてしまう。僕は彼に引き倒されるように、彼の身体をシーツに押し倒し、抱きしめた。



 あまり時間をかけられないのでは準備もままならないが、僕としては今日は挿れさせていただかないことにはおさまりがつかない。煽ってしまった自覚があるのか、性急に後ろをほぐしにかかる僕に、彼も文句は言わなかった。
 ちなみに二人とも、下は脱いでいるが上にTシャツを着たままだ。いざというとき素っ裸よりはごまかせるとかちらりと思った結果だが、半脱ぎ状態の威力は視覚的に強烈だった。
「……そろそろ、大丈夫ですか?」
「ん……」
 荒い息に肩をはずませ、上気した顔で小さくうなずいた彼は、さっき1度、僕の口に出したにもかかわらず、後ろへの刺激のせいでまた勃ちあがっている自分を見て難しい顔をした。どうやってシーツへの被害をとどめるか考えているのだろう。
「いいものがありますよ」
 僕はベッドの脇に置いてあった自分のバッグに手を伸ばし、中から小さなポーチをとりだした。開けるとそこに収まっているのはいわゆる避妊具、コンドームというやつだ。
「おま……なんでそんなモノを……」
「なんでって。嫌ですねぇ。恋人がいる男の、マナーというものですよ?」
 二つを取り出し、歯で袋を破いてまず自分に装着する。彼は僕の作業をじっと眺めながら、何かつぶやいていた。なんかムカつく、と、いつものセリフだ。
「しかも手慣れてやがるし……」
 そこはまぁ、禁則事項というものです。
「シャツをまくっといてもらえますか」
 Tシャツの裾をまくり上げ、口にくわえさせる。なんれくわえさせるんら、と抗議がくるのは当然だが、ただの趣味です。すみません。……なんてことは言わずに、もうひとつのゴムを素早く彼に装着した。
 そのままくわえていてくださいねと言ってから、彼の中への進入を開始する。彼は歯を食いしばって裾を噛みながら僕の背中に手をまわし、きつくすがりつきつつ、呼吸をあわせて僕の進入に協力してくれた。
「ん……く……っ」
 薄いゴムをまとってはいても、彼の中はせまくて熱くてきゅうきゅうと締め付けて、気持ちよさにとろけそうだ。小さく震える身体を強く抱きしめ、のけぞる顎に口づけてから、そろそろと動き出す。
「んっ……ふくっ……ふ」
 動きに合わせて、唇からもれる息と声。だんだん激しくなるそれを聞きながら、頂点を目指す。時間がないのをわかっている彼も、今日は我慢したりせずに素直に快感に身をゆだねているようだ。慣れないながらも自分から腰を動かして、むさぼるように求める彼の姿がいやらしく、僕の興奮は増すばかりだった。
 彼の声からは次第に余裕がなくなり、苦しそうな、泣きそうな響きになる。それでも律儀に裾を噛んだまま喘ぐような息の下で、彼が耳元でなにかつぶやいた。
「え……な……んですか?」
 聞き取れなかったので口から裾を離させて問い返すと、彼はほとんど吐息だけでもう1度繰り返す。
「匂いが……っ」
 すう、と彼が息を深く吸うのがわかった。
「匂い……?」
「汗……で、お前、の、匂いが、強く……っ」
 意味を理解したとたん、もう我慢はきかなかった。わきあがる衝動のまま、彼の中に深く付き入れ、白く灼くき付く視界とともに欲望を解放した。
「んっ……こいず……っ」
 ぎゅう、ときつく抱きしめた身体が、ビクビクと震えた。



 雨はまだやまない。
 だが雷鳴はすっかり遠のき、空は明るく、雨音は小さくなっている。たぶんもうすぐ、あがるのだろう。
 僕たちは余韻を楽しむヒマもなく、ゴムやらなにやらを始末して服装を整えてから、二人してベッドに転がった。このくらいなら別に、高校生の仲のいい男友達なら許される範囲だろう。
 彼は何が気に入らないのか、さっきから不機嫌そうな顔で天井を睨んでいる。
「あの、どうかしましたか。僕が何か、粗相でも?」
 やはりあれか。中に出さなかったのが不満なのか。でも今日ばかりは、仕方ないと思うのだけれど。
「いや……そういうわけじゃねえよ」
 そうつぶやいた彼は、何を思ったのか腕を上げて、くんくんと自分の匂いをかぎだした。それから僕の胸に顔を寄せて、またそのあたりの匂いをかぐ。
「……なにしてるんです?」
「やっぱ汗かいたからかな。お前の匂いがするな」
「はっ?」
「ああもう、ちくしょう!」
 彼はいきなりそう叫ぶと、いきなりバタリと身体を返してうつぶせになり、枕を抱えた。
……どうしたんだろう、急に。
「あの……」
「俺はもうダメだ」
 あのー……言ってることがさっぱりわかりませんが……。
「さっきの、匂いが呼び覚ます記憶ってやつだ」
 ああ……って、いつのさっきですか。
 彼は枕に顔を埋めたまま、どうすりゃいいんだ、やっぱやめときゃよかった、でも若いカラダってのは暴走するときもあるんだ、俺はバカかと、本当に支離滅裂なことをぶつぶつとつぶやいていて、そろそろ本気で心配になってきた。
「あなた一体どうしちゃったんですか。大丈夫ですか……?」
「ダメだ」
「だ、だめって」
「せっかく7対3ぐらいでギリギリ保ってたのに、もうダメだ。次からはきっと10割お前だ」
「な、なんの話ですか」
「オカズの話だっ!」
 今度こそ、僕は絶句した。オカズって、夕飯のとか弁当のとかじゃないですよね? あの、自分でするときの、アレでしょうか。7対3……そういえば以前に聞いたな。えーとたしか僕とグラビアの割あ……ええええええっ!?
「この、お前の匂いとウチの洗剤の混じった匂いとか、絶対今日のコレ思い出すだろ!? この部屋でこのベッドでとか思ったら、もう写真なんかじゃ抜けねえだろうが!」
 ああもう、俺のバカ! とか言ってジタバタしてるこの人は、一体自分が何を言っているかわかってるんだろうか。なにこの可愛い生き物。
「本当にあなたって人は……」
 本当にたまらない。
わきあがる愛おしさのままに彼の身体を抱きしめると、暴れていた身体が動きを止めた。枕をかぶった体勢で、うーとかあーとかうなり声を上げるその耳元にささやきを落とす。
「もういまさらいいじゃないですか。僕なんかもうとっくの昔に10割ですよ?」
「いまさらとか言うな」
「どっちにしろ時間の問題でしたよ、きっと」
 枕をはぎとり、その下からあらわれた不機嫌そうな顔を見下ろす。
「……自意識過剰なんじゃねえか、お前」
「そうですか?」
「バーカ」
 そう言って目を閉じる彼の唇が、キスをねだる形に薄く開く。
 僕は雨がもうちょっと降り続いてくれることを祈りながら、その唇にキスを落とした。



                                                   END
(2010.04.15 up)

ぐだぐだエッチ。
初ごっくんとゴムありエッチが書きたくてメモってあったプロットですが、
ごっくんの方は大学生編に先を越されました。

こういう、ただえろいだけの話も好きです。