黒く染まる
00

 時々、どうしようもなく陰鬱な気分になることがある。

 たとえば連日連夜の閉鎖空間の発生に振り回されて、もはや眠ることをあきらめた、今夜みたいに。
 最初の頃のように涼宮さんを憎む気持ちは、とうに消えてはいる。
 けれど、女性特有の月一の現象と、それにともなう彼への理不尽ないらだちとが原因だとわかっている事象に振り回されて体力と精神力を削られていくと、さすがに自棄にもなってくる。
 こんなときに限って、彼は家を抜け出すことができず、僕のもとへはやってこれない。
ひとり暮らしの僕と違って、彼は家族と暮らしているのだからしかたない。
しかたない、しかたないのだと言い聞かせても、陰鬱な気分は深くなっていくばかり。
こうなると僕は、果てしない心の深淵へと沈み込むのを止められなくなる。
 どうせ僕は、そんな人間なのだ。
普段演じている性格みたいに、ご立派で穏やかな人格者なんかじゃない。
醜い心を心の奥底に必死で押し隠している、くだらない愚か者だ。

「会いたい……」

 眠れない夜は、やっぱり彼に会いたい。
ああでも、こんな自分を救って欲しいなんていうのもひどい甘えだ。
いくらなんでも、こんな僕を知られたら、彼にだって嫌われてしまう。
それだけは嫌だ。
せっかく、手に入れたのに。
欲しかった、唯一のものを。奇跡的に。



 眠らないまま朝が来て、本日は土曜日。SOS団のメンバーたちと、遊園地にいく予定になっている。
僕はシャワーを浴びて身支度をととのえて、駅前の待ち合わせ場所へと向かった。
先に来ていたのは、涼宮さんと長門さん。いつも通りの笑顔を貼り付けて、さわやかにおはようございますと挨拶する。
「おはよう、古泉くん! 今日も早いわね、どっかのバカと違って」
「……おはよう」
 そうするうちに朝比奈さんも到着し、これまたいつものように彼が一番最後に姿を現した。
「遅いっ! キョン、罰金よ!」
「だからまだ10分も時間あるじゃねぇか」
「うるさいっ! 団長より遅く来ることが許されざる罪なのよっ!」

 ああ、今日の涼宮さんは、かなりご機嫌ナナメですね。
今月の生理は、かなり重いようです。
まったくなんだって僕は、そんなものに命を脅かされているんでしょうね。

「やれやれ……ん? どうした、古泉?」
「え、いえ。どうもしませんが」
 完璧にいつも通りにふるまっていたはずなのに、また見抜かれてしまいました。
 ……本当に、あなたは罪な人ですね。



 遊園地というのは、奇数で行くものじゃない。
 なぜならアトラクションは基本的に2人乗りないし4人乗りで、僕らのように5人だと微妙に1人があまるのだ。
我らが団長はそのへんをちゃんと気遣って、特定の人物のみがあまるとか同じ人物同士ばかり組になるなどということがないように、アトラクションの席を割り振ってくれている。

 でもね、僕にはわかっているんです。

 僕らはそれぞれが、特殊な存在とそれを監視する異なった集団に属する微妙な立場の者同士で、本来ならそうそう仲良くはできない関係だ。
それなのに、これほどまでにみんな屈託なく仲良くできるのは、「彼」という存在があるから。

 僕ら4人は、全員が、彼に恋している。

 彼を介して、僕らはお互いを仲間と認識し、あたたかな関係を維持している。
そして全員がうっすらとそのことに気づきながら、共通の認識として、彼は涼宮ハルヒのものであるべきと思い、我を通すことなくお互いを見守っている。
そうして優しい関係を築いているのだ。

 ……そう。
僕以外は。

 だから時間がたつにつれ、彼女たちはその想いのままに、意識せずとも彼の周囲を取り囲むようになる。
広い園内を歩くときに隣に並んだり、ついアトラクションで隣の席に座ったり。
僕はさりげなく一番後ろに引き下がり、そんな彼女たちの邪魔をしないように、1人、あまりものの席に甘んじる。
それが僕に似合う役回りだから。

「キョン! アイスが食べたいわ。買ってきてちょうだい! もちろん全員分ね!」
「おい、いくらなんでも1人で5個は持てないぞ」
「あ、じゃあ私がお手伝いしますね」
「ありがとうございます。朝比奈さん」
「……しょうがないわね、2人じゃ大変そうだし、あたしも行ってあげる!」
 そう言って涼宮さんは、彼と朝比奈さんをひきつれてアイスクリームスタンドへと駆けていく。
彼を朝比奈さんと2人きりにはしたくなかったらしい。まったくわかりやすい人だ。
くす、と小さく笑った僕を、今日も制服姿の長門さんが隣からちらりと見上げてきた。
「長門さんも、ついて行きたかったんじゃないですか?」
「5個のアイスの運搬は3人で充分。4人は必要ないと判断した」
「そうですか」
 そう言いながらも彼女は、大騒ぎしながらアイスのフレーバーを選んでいる3人をじっと見つめている。可愛らしい。
 
 ――でも、無駄なんですよ。

「ほら」
 彼が、買ってきたアイスのうちの1個を僕に渡してくれる。
もちろんフレーバーは、クッキークリーム。僕が一番好きな味。
「ありがとうございます。おいしそうですね」
 涼宮さんが目をぱちくりとさせて、僕とアイスを見比べている。
「古泉くん、そんな甘いのが好きなのね。あたしは、男の子だからシャーベットとかの方がいいんじゃないかって思ったんだけど、キョンがこれでいいって」
「ええ。僕、けっこう甘いの好きなんですよ」
「へえ、意外。キョンもよく知ってたわね」
 振り向く涼宮さんに、彼が不機嫌に眉間に皺を寄せながら答えた。
「……不思議探索で古泉と組になったときに、食ったんだよ」
 ええ、お互いのアイスを交換したりして食べましたよね。
そのあと物陰でこっそりかわしたキスが、ひんやりと冷たかったのも憶えてます。
 にっこりと彼に笑顔を向けると、彼はしかめっ面のままで視線をそらす。
耳がほんのり赤いところをみると、彼も思いだしたのだろう、きっと。



「キョン! 今度はあっちに行くわよ!」
「こら、ひっぱるなハルヒ!」
「ふぇぇぇぇ、待ってくださ〜い!」
「……」
 彼の腕をとって、どんどん先へと歩を進める涼宮さん。
そのあとを必死に追いかける朝比奈さん。
無言でついて行く長門さん。
僕は彼らのあとをゆっくりと追いながら、にこやかな微笑みを浮かべて彼女たちの背中を眺める。
 今日の彼は、涼宮さんにとても優しい。
文句をいいつつも、彼女のワガママに積極的に応え、ひっぱり回されるままどこへでもついていく。
さりげなく周囲に気を配っては、人にぶつからないようかばったり誘導したりなんてことまでしている。
おかげで彼女の精神状態はすこぶる良好だ。今朝の不機嫌が嘘のように晴れ渡っている。
 閉鎖空間は気配すらなく、とてもありがたい。機関のほうでもきっと、胸をなで下ろしていることだろう。
それでも僕は、ありがたいと思いつつ、黒い気持ちがさらに拡大していくのを止められなかった。
 楽しそうにはしゃぐ涼宮さんたちを見ながら、僕は心の中で小さくつぶやく。

 よかったですね、涼宮さん。
優しくされて、嬉しいですよね。
いくらでも、彼を引っ張り回すといいですよ。
朝比奈さんも長門さんも、もっと彼にアピールすればいいんです。

 ――それでも彼は、僕のものだから。

 証拠をみせましょうか。
たとえばここで、僕だけが足を止めてみる。
靴紐を結ぶフリでその場にしゃがみこめば、ごった返す人波の中に、きっと僕はあっという間に埋もれてしまう。
 でもここで数秒、待ってみる。1、2、3、4、5。
「古泉?」
 ほら、気がついた。
 さらに聞こえないフリで、顔を上げずにその呼びかけを無視しよう。
1,2,3,4,5……15秒、30秒。
目の前に、見覚えのある靴が立ち止まる。
「古泉、どうかしたのか?」
 ほら。涼宮さんの腕を振り払って、朝比奈さんを放置して、長門さんの横をすり抜けて、彼は僕の元へと戻ってきた。
僕は下を向いたままかすかに唇に笑みを浮かべ、立ち上がる。
「申し訳ありません。靴紐がほどけてしまって」
「なんだ、脅かすな。一言ぐらい声かけろよ、まったく」
「はい、次はそうします」
 彼は肩をすくめてちょっと笑うと、踵を返して僕をうながした。
「ほら、行こうぜ」
 彼の行く先で、女性陣が立ち止まって待っている。
彼の周囲を取り囲み優しく色づく彼女たちの輪の中で、僕だけが黒く染まっている。
平和な世界を願いながら、あやうく保たれている世界の均衡に、一番大きな楔を打ち込んでいるのも僕。
最悪で、最低で、最も幸せな裏切り者。矛盾の塊。
 こんな馬鹿な意地で、世界をあやうくしている愚か者だ。

 SOS団という集団が好きで、とても大切だと思う気持ちは本物。
彼女たちを愛しく思う感情も真実。
なくしたくない、守りたいと思うし、機関よりも団に帰属意識が強くなっているのも本当だ。
 それでも僕はときどき、黒く染まりゆく自分を抑えられなくなる。
狂気のように。呪いのように。
いつかこの黒は僕を浸食しきり、喰らいつくしてしまうのかもしれない。



 駅前で解散したあと、マンションまで帰ってきたら、僕の部屋の前に彼がいた。
腕を組んでドアによりかかり、いつもの仏頂面をこちらに向けている。
今日は約束していなかったし、誘いもかけなかったのに、とてつもなくめずらしい。
「どうしたんですか? あなたから来てくださるなんてめずらしいですね」
「……いけなかったか」
「とんでもない。大歓迎ですよ」
 鍵を開けて、彼を部屋に招き入れる。と、彼が玄関でピタリと足を止めたのを見て、僕はしまったと思った。
「酷いな」
「すみません。……忙しくて」
 めちゃくちゃだったここ数日の精神状態を反映したかのように、部屋の中は荒れ放題だった。
服やら雑誌やら紙くずやらカップやらが、リビング中に散乱している。食器や食べかすのたぐいがないのは、この部屋で何も食べていないからだ。
「まぁいい」
 彼はそのまま部屋にあがって、いつものようにソファの前で上着を脱いだ。
それを受け取ろうと近寄ると、ふわりとコロンが香った。

 ……これは、涼宮さん愛用のコロン。
今日一日、ずっと腕を組んでくっついていたせいで、移ったのだろう。
ぐらりと視界が歪んだ気がした。

「うわ!」
 次の瞬間、僕は彼をソファに押し倒して馬乗りになり、シャツをボタンごと引きちぎっていた。
そのまま強引に上を脱がせて、ジーンズにも手をかける。その手を、彼の手がつかんだ。
「ちょっ! 古泉! いきなりなんだよ!」
「今日は……ありがとうございました」
「はぁ?」
 つながらない僕の言動に、彼は眉をしかめて首をかしげる。
「僕のために、涼宮さんの機嫌をとってくださったんですよね。僕が疲れた様子を見せたから、彼女が閉鎖空間を生まないよう、気を遣って優しくしてくださって。……こんなに、彼女の香りが移るくらい、終始べったりと側にいて」
「こ、いずみ……?」
「お礼を、させていただかないと」

 昨日脱いだまま、ソファの背もたれに放りだしてあった制服のネクタイで、彼の手を後ろで縛り上げる。
何しやがると騒ぐ口を唇でふさいで、舌で口腔内を嬲りながら脱がしかけていたジーンズを下着ごとはぎとった。
そのまま、暴れる両脚をつかまえて大きく割り広げる。
「んっ……やめ……っ!」
 当然彼の性器は、いきなり襲われた恐怖に縮みあがっている。
僕はかまわずソレを口に含んで、彼の好きな部分を中心に激しく責め立てた。
彼は身をよじらせて必死に抵抗しようとするが、後ろ手に縛られて身体の自由を奪われた状態ではいかんともしがたいらしい。
僕は彼の腰を押さえつけ、じわりと液体をにじませる先端を丁寧に舐めてから、裏側をその下の柔らかい部分まで舌でたどり、さらに奥の入り口にも舌を這わせた。
「ふぁ……っ!」
 ビクビクと身体を震わせる彼の性器はすぐに勃ちあがり、先端からは先走りの液がしたたるほどにあふれ出す。
それをぬぐった指で奥をこじあけて彼の気持ちいい部分を探り出し、見つけたそこを容赦なくこすり上げる。
彼はソファの上で身体を跳ね上げ、声にならない声をあげた。
 前立腺への刺激を続けながらもう一度彼を口に含んで、かるく歯をたてながら吸い上げると、後ろに突き立てた僕の指をすごい勢いで締め上げながら、彼は達してしまった。
 赤く染まった目尻に涙を浮かべてぜいぜいと息をつく彼を見つめ、彼の出したものをすべて飲み込み口元を腕でぬぐう。
ベルトを抜いて前をくつろげて、僕はソファに座り、腋に手を入れて起こさせた彼の身体をまたがらせる。
「もっと気持ちよくさせてあげますね」
「な……にを……」
 不安そうに僕を見ている彼にかまわず、僕はいったん彼の腕をほどき、今度は前で結び直して、僕の首に腕をかけさせる。
そして、とっくに固く勃ちあがっている僕自身の上に彼の腰を落とし、さんざんほぐした彼の中へとねじ込んだ。
「……ひぁっ!」
 ジリジリと奥まで付き入れると、彼は僕の首にしがみついて、深く自分を穿つ楔の感触にひきつった声を上げる。
だがそこで動きを止めた僕に、じれったいのか小さく声をもらして身体をよじった。
「自分で動いてください。このままじゃ、ツライですよね」
「んな……こ……いわれて……もっ」
「気持ちいいトコ、自分で探して……えぐってください」
 潤んだ瞳で僕を見ていた彼は、どうしようもないというように、やがて自らぎこちなく腰を動かしはじめる。
「いいですね……上手です」
「ん、く……っ」
 首にしがみついてるせいで、彼の表情は見えない。激しい息づかいと熱い吐息が耳にかかる。
間もなく僕もがまんしきれなくなって、彼の動きに合わせて腰を動かし始めた。
「んっ……ふ……ぁ!」
 激しく突き上げながら彼の胸の突起をいじり、互いの腹の間でゆれる彼の性器をしごきあげる。
びくりと身体をのけぞらせて彼がまた達すると、同時にきつく締め上げられて、僕はたまらず彼の中に欲望を吐き出した。
「……ん……あつ……い」
 眉をよせて頬を上気させ、びくびくと震えながらイク彼の顔があまりに色っぽくて、僕のものは彼の中に入ったまま、再び元気を取り戻した。
汗ばんだ身体を強く抱きしめ、さらに激しく突き上げる。
5日ほどほとんど眠らず、食事もあまりとっていなかった僕の身体は生き物としての危機を感じていたらしく、ただ種族保存の本能に従って、そのまま幾度も精を吐き出し続けた。



 ようやく彼の中から抜いてみると、ゴプッと音がしてあり得ない量の白濁が流れ出てきた。
我ながらすごいなと思いつつ、ティッシュでそこをぬぐい、ソファへの被害を最小限にとどめるべく努力する。
 ネクタイの跡のついた腕をさすりつつ、彼は自分の中からあとからあとから流れ出てくるものを見て、うなり声をあげた。
「うわ……マジ、孕みそう……」
 確かに、もし彼が女性だったなら、これだけ中出ししまくれば妊娠してもおかしくはない。
彼は下腹をおさえながら、げんなりとした顔で後始末を続ける僕の手元を眺めている。
 彼が女の子だったら……か。
今の僕ならば、わざと彼女の危険日を選び、むりやり生で行為に及んで中出しするなんてことをしてしまうかもしれない。
そうすれば、責任を取るという形で、合法的に彼女……彼を手に入れられる。
そんな最低な考えが浮かんで、僕はくすくすと小さく笑った。
「……何を笑ってんだ。おかしいぞ、お前」
「僕はいつでもおかしいですよ」
「ほどほどに正気なんだろ」
「ええ。そして、ほどほどにおかしいんです」
 ようやく後始末が終わり、僕は彼をそっと抱き寄せた。
ひどいことをしてしまったが、おかげでコロンの香りは消えた。彼からするのは、僕の匂いだけ。
「本当に……孕んでくれればいいのに……」
「誰が」
「あなたが。そうすれば、誰にだってあなたが僕のものだって、わかりますよね」

 誰にも……涼宮さんにだって、渡さずにすみますよね?

 本当は、いつだって怯えている。
もともとヘテロな彼にとって、僕よりも女性の方がより魅力的に見えることは当然だ。
しかも最も身近なところにいる女性たちは、そろいもそろって上級の部類に入る美少女ばかり。
いつか、彼はそちらの魅力に惹かれて、僕に興味をなくすかもしれない。
むしろそちらの方が、自然なのだから。
きっとそのうち彼は、人込みの中に立ち止まる僕に気づかずに、誰かと腕を組んで去ってゆくだろう。僕をその場に残したまま。
そんな焦燥が、いつでも僕の胸をじりじりと責めさいなむ。
どうすれば彼を、未来永劫僕のものに出来るのか。そんな実現不可能な想いが、ぐるぐると頭の中で回り続ける。狂いそうだ。

 グイと僕の身体を引きはがして、彼は大きな溜息をついた。
「……やっぱりお前、そうとう疲れてんだな。大丈夫かよ」
「大丈夫ですよ。いつもの、というか毎月のことです」
 それだけで、彼はなんとなく原因を察したらしかった。
「そんな理由か。それじゃ俺にだってどうしようもないんだな。くそ」
「大丈夫ですって。慣れてますから」
「――古泉っ!」
 彼が急に、大声をあげた。
「お前、自分で気づいてるのかわからんが、やってることがめちゃくちゃだ。もういいからちゃんと休め。そのために俺は今日、ハルヒにいろいろやったんだ。お前は気に入らなかったかもしれないけどな!」
 やっぱり、そうだったんですね。ありがとうございます。こんな……僕なんかのために。
「なんか、とかいうな。ああもう……どうすりゃいいんだ」
「いえもう、充分です。あ、すみません、お茶もお出ししなくて……コーヒーでもいれましょうか。豆の買い置きあったかな……」
「……古泉!」
 いらだちを隠せない声で、彼が叫んだ。ぐっと彼の胸の中に、頭を抱え込まれる。
「いいんだって! 今日はもう、何も考えなくていいから!」
「でも……」
「俺が、なんのためにここに来たと思ってるんだ。お前に世話やかれるためじゃないぞ。なんていえばいいのかな……俺はお前を、甘やかしに来た、んだよ」

 それもちょっと違うかな、と、彼は言葉を探して視線をさまよわせる。
それでも適当な言葉が思いつかなかったようで、とりあえず今日はなんでも言うこと聞いてやるからとささやかれる。
彼の手がそっと動いて、僕の頭をゆっくりとなでた。
彼の胸に押しつけられている耳に、トクントクンと脈打つ彼の心臓の音が聞こえている。
わかってるから、と、彼の声が上から降ってきた。

「お前が、すごくがんばってるってこと、俺にはわかってる。……だから、ちょっと休め?」

 鼻の奥がツンとして、視界がにじむ。ふいに目から、堰を切ったように涙があふれだした。
どうしよう……止まらない。
「あれ……すみま……せ……」
「……いいよ。好きなだけ泣け」

 それから小一時間、僕は静かに泣き続けた。
彼はそんな僕を、ずっと抱きしめてくれていた。
 ようやく涙がおさまってきたとき、彼がくしゃみをしたのを聞いて、僕はいまさらなことに気がついた。
 彼は、さっき僕が脱がせた裸のままじゃないか!
「すっ、すみません、気がつかなくてっ! そのままじゃ風邪ひいてしまう!」
 あわてて身体を起こして立ち上がり、ベッドから上掛けをもってきて彼の身体に巻き付ける。
エアコンのスイッチをいれて、設定温度を高めにあげた。気のせいか、彼の顔色が悪い。
ああもう……馬鹿じゃないか僕は。
「えっと……お風呂! お風呂で暖まりましょう!」
「……落ち着け」
「でもっ!」
「古泉」
 名前を呼ばれて、おろおろと歩き回っていた足を止める。
声の方を振り返ると、困ったような顔をした彼が溜息をついて、身体に巻いていた上掛けをめくった。
「来いよ。お前があっためてくれ」
「は、はい……」
 失礼します、とつぶやいて、僕は彼の隣に座り、一緒に上掛けにくるまった。
さっきまでとは逆に、今度は彼が僕の胸に頭をもたせかけてくる。僕はまだ冷たい彼の身体を、しっかりと抱きしめた。
「あったかいな」
 目を伏せてぼそりと言う彼の頭に顎をのせ、僕は溜息とともにしみじみと言葉を吐き出す。
「……あなたは、どうしてそんなに優しいんでしょうね」
「別にそんなことはない。俺にはなんの力もないからな。出来ることをしてるだけだ」

 それが、どれほど僕の救いになっているのか、鈍感なあなたにはわからないんでしょうね。
表面だけのごまかしでない、弱さを隠すものでもない、本当の優しさを持つあなたは、僕だけでなく周囲のみんなの安らぎとなって、みんなをさらに惹きつける。
ほんのひととき、そんなあなたを独占できているだけでも、僕は恐ろしいほどの幸せ者なのだ。
僕はときどき、そんなことも忘れてしまう。


「さきほどは……申し訳ありません。ひどいことを、してしまって……」
「え、ああ……」
 とたんに彼は、腕の中でもぞもぞと身じろいだ。
「まぁ……たまにはいんじゃないか。ああいう……プレイ? も」
 プレイって。
のぞきこむと、彼は少し赤くなって気まずそうな顔をしていた。
「今日はもともと、お前の好きなようにさせてやるつもりで来たんだから、別にいいんだ。なんでもしてやるって言ったろう?」
 そういえば、今日はひとことも中で出すなと言わなかったな、といまさらながらに思う。
彼の中に挿れたまま、一度も抜かずに思うさま僕の欲望を注ぎ込んだのに。孕むかと思うほど。
いつもだったらさんざんに罵声を浴びて、ついでに蹴りと右ストレートの数発ぐらいはくらってるはずだ。
……いえ、別に物足りないわけでは……決して。
 そのまま床に視線を向け、彼はふうと息をついた。
「ほかに何をして欲しい? 言ってみろよ、叶えてやるから……ああ、金はないから何か買ってくれとかそういうのは無理だ」
「小学生ですか、僕は」
 そんな、おもちゃ屋の前で駄々をこねる子供じゃあるまいし……。
「妙なものを想像させんな」
 苦り切った彼の声に思わず吹き出した僕を振り返って、彼はふっと微笑んだ。

「やっと、ちゃんと笑ったな」
「……!」

 彼はそう言って、満足そうに再び僕の胸によりかかる。
わきあがる愛おしさの衝動のままに彼を抱く手に力を入れて、その耳元に唇をよせた。
「……では、お願いしていいでしょうか」
「ああ、言ってみろ」
「添い寝をして、いただけませんか?」
 彼は少しだけ首を振り向けて、ちらりと僕を見た。
「一緒に寝るだけか」
「はい。実をいうと、ここ数日あまり眠ってないんです」
「んなことは見ればわかる。メシもろくに食ってないんだろ。……わかった。添い寝してやるから、たっぷり寝ろ。起きたら、なんか食いに行こうぜ」

 さっきボタンを引きちぎってしまったシャツのかわりにTシャツを着込み、下着だけを穿いて、彼はベッドへと移動した。
彼の隣にもぐり込んで目を閉じると、あたたかな腕が僕の身体を抱きしめる。
「眠れそうか?」
「はい……」
「そっか、よかった。……おやすみ、古泉」
 おやすみなさい、と返す間もなく、僕は眠りの淵へと沈んでいった。
彼の唇が額に触れたのを感じると同時に、数日ぶりの、夢すら見ない眠りの安寧の中へ。



 ――何故だろう。
彼の側にいると、黒く染まった僕の何かが塗り替えられていく気がする。
罪は消えないはずなのに。僕の愚かしさが、醜さが、変わるはずもないのに。
お前はそれでいい、と。
赦しを与えてくれる、彼の声が聞こえた気がした。


                                                   END
(2010.01.12 up)

壊れかけの黒古泉です。
えろシーンは鬼畜をめざして失敗。どうしてこうなった。

なかよしSOS団が大好きですが、こんな鬱々ギスギスにも惹かれます。