長き夜の
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 一番弱いところを擦られて、身体が跳ね上がる。
喉からは自分のものとも思えない甘ったるい声がひっきりなしにあがり、熱く激しい息とともに、奴の唇に奪われる。
舌がからみつく。さんざん俺の口腔内を荒らし尽くしてから、脳髄までしびれるような快感を残し、唾液の糸をひいて離れていく。
 やがて、俺の中をかきまわしていた指が抜かれ、興奮にかすれた声が耳元で、いいですか、とささやいた。

これは許可をとってるわけじゃない。ただの確認だ。

その証拠に、ん、と小さくうなずくのと同時に、さんざんいじられほぐされて蕩けたソコに、熱く猛ったものがねじこまれた。
もうすっかりおかしくなってる俺の身体は、本来ならソコに入るべきじゃないものを、やすやすと……とまではいかないものの、それなりの従順さで受け入れる。
 違和感と痛みと苦しさと、言いようのない快感が押し寄せて脳を侵す。
熱くて固いものが、腹の奥で動く感触。そこからじわじわとわきあがる、表現しようのない感覚。
たぶん、気持ちいい、というしかないんだろう。
こんなことをされて気持ちいいなんて、そんな馬鹿なことが、と思っても、身のうちを浸食する快楽はとめどない。
もっと深い部分をえぐって欲しくて、汗ばむ身体にしがみつく腕に力をこめる。
目をぎゅっと閉じてその感覚を追ううちに、頭はしだいにボンヤリと霞がかり、理性も飛びがちになってくるのが常だ。
どうもこのへんで俺は、なんだかいろんなことを口走ってるらしいが、知らん。知りたくない。

 抱きしめる腕の力が強くなる。動きがだんだん速くなり、耳元で聞こえる息づかいが激しくなる。切羽詰まった声が、小さく限界を叫ぶ。
 俺も、中を擦られる気持ちよさと、同時にしごかれているアレへの刺激で、もう耐えきれない。
イク、と叫んで俺が一足先に達した拍子にさらに締め付けたらしく、奴も小さくうめいて俺の中に精を吐き出した。
じわりと、腹の中に熱が広がるのを感じた。

 ああ……また中に出されちまったな。
もう最近はめんどくさくて、中に出すなと言うのも時々だ。
これだけ出されまくりだと、ホントにいつか孕むんじゃないかと、マジで思うね。
いや、そんなことは生物学的にありえないのはわかってるが。……やれやれだ。



 事後のけだるさに身をまかせて、あまり寝心地のよくない腕枕でうとうとしていたら、その枕の主がふいに目をあけて身を起こした。
どうした、と聞く前に、ベッドサイドに置いてある赤い携帯がメールの到着を告げる。
 ああ、これはもしかしてアレか。
「……そのようですね」
「新年早々、人騒がせな奴だな」
「まぁ、なんとなく予想はしていましたので」
 苦笑しながらそう言って、古泉はさっさとベッドから出て、床に散らばった服を身につける。
何時だろう、とベッドサイドの時計を見ると、10時を少しまわったところだった。
今日の昼間に見たハルヒの不機嫌ヅラを思い出しながら、俺は溜息をついて起き上がる。
1月の冷えた空気が、ひやりと肌をさして鳥肌をたてた。
「起きなくていいですよ。その格好では、風邪をひきます」
 上掛けを引き上げて俺の身体を布団にくるみ、古泉はそっと唇に、触れるだけのキスを落とす。
名残惜しげな顔が離れていった。
「すみません。なるべく早く戻れるよう、努力はしますので」
「ああ。無理はするな。気をつけて行ってこい」
 はい、行ってきます、と笑顔でうなずいて、古泉は部屋を出て行った。
ドアに鍵のかかる音を聞いてからまた布団に潜り込みなおし、俺はもう一度目を閉じる。
心配も焦燥もあるにはあるが、俺には手の出せない領域だ。
いや、一応ハルヒの機嫌を良くしようと努力はした。
したが、今回は理由が理由なのでなすすべもなかったのだ。仕方ない。



「なんで女にだけこんな日があるのかしらね。不公平だわ……」
 今日の昼間。
いつもの喫茶店に、新年初会合との名目で呼び出された俺たちを迎えたのは、呼び出しておきながら不機嫌そのものの顔でぐったりとテーブルに突っ伏すハルヒの姿だった。
「お前な、そういうことを同級生の男に言うのはどうなんだ」
 ハルヒの言いぐさからなんとなく状況は察したものの、どう答えればいいのか皆目見当がつかん。
ちらりと横を見ると、古泉もコーヒーのカップを浮かせたまま、困ったような笑みを浮かべていた。
「うっさい、キョン。あんたなんかに、このつらさがわかるもんですか。もー、お腹と腰と頭痛くて死にそう」
 そりゃ、わかりようもないんだが……それなら会合なんてしないで、家で寝てればよかったじゃないか。
そう言ったらハルヒは、あきらかにムッとしたようだった。なんでだ。
「だいじょうぶですかぁ、涼宮さん。お薬飲みますか?」
 朝比奈さんが、おろおろとハルヒを気遣って背中をさすったりしている。
ああ、まるで白衣の天使のようですね。その真っ白なセーターもよくお似合いです。
そんな朝比奈さんの隣で、長門は無表情にハルヒを見つめている。こいつは……わかってんのか?
「ありがと、みくるちゃん。一応、薬も飲んできたのよね。でも2日目だとあんまり効いた気がしないのよ」
「ふぇぇぇ。涼宮さん、可哀想です……よしよし」
「どれくらいつらいのか予想もつかんのだが、やっぱり帰った方がよくないか? なんだったら、タクシーでも呼べばいい」
 どうせ古泉の機関がいろいろ手配するんだろう。
そういう意味で隣を見たら、古泉はかすかにうなずいてハルヒの方に身を乗り出した。
「そうですよ、涼宮さん。将来、愛する人の子供を産むために必要な大切な準備なのですから、ゆっくり身体を休めて大事になさってください」
 お前はよくもそういう恥ずかしいことを堂々と言えるもんだな、と無言のつっこみを入れる。
古泉の恥ずかしいフォローを聞いているのかいないのか、ハルヒはまだテーブルに突っ伏したままだ。
「大体、それが不公平の元よね……」
「は?」
「なんで女だけが子供産まないといけないのよ。男が産んだっていいじゃない」
「おい、ハルヒ……」
 なんとなくヤバイ気がする! ビンビンするぞ!
ハルヒはガバッと顔をあげて、俺をビシッと指さした。人を指すのはやめなさい!

「そうよね! これからの時代は、男だって妊娠するべきなのよ!」
「何を言ってんだお前はーーーーーーっ!」

 引きつった古泉の顔と泣きそうな朝比奈さん、無表情にこちらに視線を向けた長門の瞳が、やけにクリアに俺の記憶に焼き付いた。



「……っ!!」
 今日の昼間の顛末を夢で再確認し、飛び起きた途端に吐き気をもよおした。
あわててベッドから素っ裸のまま飛び降り、トイレに駆け込む。
胃の中身を吐き戻して、ぜいぜいと肩で息をしながら便器にもたれかかっているうちに、嫌な予感がひしひしと胸の内に広がってきた。
 胸のむかつきはさっぱりおさまらない。気のせいかなんだか熱っぽい。腹も痛いような。
……いや、きっと風邪だ。こんな格好してんだから当たり前だよな。うん。早く服を着よう。
 俺はふらふらとリビングに戻り、まだ古泉が帰っていないことを確認して、クローゼットからいつも寝るときに着ているスウェットを引っ張り出した。
水を飲もうとキッチンスペースの方に行こうとする。
と、ローテーブルの上に食べかけのポテチが広げられたままなのに気がついた。
途端にその油っぽい匂いが鼻について、再び吐き気が襲ってくる。
俺はあわてて流しにしがみついてえづいたが、出てくるのは胃液ばっかりだった。
「……おい、ちょっと待てよ」
 ぶっちゃけ、くわしいことはあまり知らん。
知らんがおぼろげな知識に照らし合わせてみるに……これはやっぱりあれなんじゃないか。
ほら、あれだよあれ。
ああもう! そうだよ! いわゆる、つわりってやつじゃねえのか? ああ?

 そのとき、俺の携帯が着信を知らせるメロディを発した。
なんとなく、今一番頼りにしたい相手な気がして、這うようにベッドに戻り枕元の携帯をつかむ。
表示されている名前は、やっぱりというかなんというか……長門有希、だった。
「長門ぉ……」
『大丈夫?』
「何が起こってるんだ……?」
 泣き声に近い俺の問いに対する長門の声は、いつも通り平坦で冷静だった。
『涼宮ハルヒによる世界改変。今回の対象はあなたのみ。彼女は自身の月経症による苦痛からの逃避として、痛みを転嫁するために』
「ああ、くわしい説明はあとまわしだ。つまり八つ当たりなんだろ? それで、俺はどうなってる?」
 長門は淡々と、俺が恐れていた事実を一言で告げた。

『妊娠している』

 やっぱりか……! ハルヒの奴、ホンットにろくなことしねぇな!
思い切りげんなりしながらも、そうなるとやっぱり気になることを聞かざるを得ない。
「あー、長門。お前に聞くには、非常に抵抗があるんだが……父親は……」
『古泉一樹』
 さらりと、当たり前のように返答されて、思わずベッドに突っ伏した。
まぁ……やることやってんのは、あいつとだけなんだけどさ……。
『現在、あなたは妊娠9週目に入っている。すでに胎芽と呼ばれる時期は過ぎ、今は胎児。まだ安定期には遠い。お大事に』
「っておい、長門! なんとかならないのか、いくらなんでも子供なんて……」
 すると長門は、さらに恐ろしいことを言った。
『情報統合思念体は、これを興味深い現象として観察することを決定した。本来、出産しない性の受胎に大いなる自律進化の可能性を見いだしている。私はその決定には逆らえない』
「な、長門!」
『それに、私自身もいささかの興味を感じている』
「……は?」
『あなたと古泉一樹の子供は、きっと可愛いはず』
「ちょっと待てぇええええ!」
 できれば男の子を希望する、と言って、長門は通話を切った。
 だめだこいつ早くなんとかしないと……なんて言ってる場合じゃない。
唯一、この事態をなんとかしてくれそうだった宇宙人がこれじゃ、あとはどうすりゃいいのか……。
「そうだ。ハルヒに思い直させればいいんじゃないか。男の妊娠なんておかしいって」
 ストレートに言うわけにはいかんが、こう、なんとか話をうまく持っていってだな……。
とりあえず電話してみよう。涼宮……涼宮、と。
『……何よこんな時間に』
 おお、まだ不機嫌なまんまだな。今月の生理痛は、そんなに酷いのか。
「いや、あのな……ちょっと確認したいことがあるんだ。お前、今日の昼間に妙なこと言ってたが、ホントにそう思ってるわけじゃないよな?」
『妙なことって?』
「ほら、男も妊娠するべきとかなんとか。無理だろ、生物学的に」
 いきなり何を言い出すのよ、とか言いながら、ハルヒは少し考えて、自分の発言を思い出したらしい。声が、ちょっとおもしろがっているような調子になった。
『あら、あたし映画で見たことあるわよ。薬かなんか飲んで、男が妊娠するってやつ。やろうと思えばなんとかなるんじゃない?』
「ならねぇよ! ふざけんな!」
『何ムキになってんのよ……可能性の話なんでしょ。将来的にどうなるかなんて、わかんないわよ』
「あ、ああ、そうだな。百年後くらいならあるかもな。でも今はまだ無理だろ? 大体、出産の痛みを男が体験すると死んじまうらしいぞ」
『フン』
 ハルヒはあきらかに気分を害したようだった。
『それほどの痛みを、女にだけ味あわせようって魂胆が気に入らないわ。やっぱり、男も妊娠出産を体験してみるべきよね!』
 しまった、失敗した。通話は、いきなり切られちまった。一体何が、あいつの逆鱗に触れたんだ。
 困ったな、八方ふさがりだ。
朝比奈さんになんとかできるとは、とても思えないし……第一、あのお方にだけは知られたくない。男のプライドにかけて!
 あと心当たりがあるとすれば……機関≠ゥ。
古泉との関係を知られるのはまずいが、誰の子なのかは不明ってことにすれば、なんとか中絶くらいは……。

「……あれ?」
 なんか胸が痛いぞ。

 だって、このまま産むわけにはいかないだろ? 
俺はまだ高校生なんだし、結婚もしてないし……いやいやいやいや何言ってんだよ。そういう問題じゃねえよ。俺は男なんだから、産むなんて選択肢は最初からない。あるわけがない!
 ない、のに。
「……俺、は」
 なんだろう。情緒不安定だ。
やたら悲しくなったりイライラしたり……ああ、そういや妊娠初期はそんな風になるって、テレビで見たような……。
 ぺたりと床に座り込み、俺は無意識に下腹をおさえてうずくまった。
暖房も入っていない部屋の中、スウェット1枚だと少し寒い。フローリングの床も冷たい。
お腹の子によくないな、って何考えてんだ俺。

 そのとき、カチリという音がして、ドアがそっと開いた。どうやら部屋の主のお帰りだな。
部屋の中は暗いままだから、俺が寝ていると思ってるんだろう。
極力、音をたてないように入ってくるのを、俺はそのまま黙って待ち受けた。
「あれ、起きて……ど、どうしたんですか!?」
 床に座り込んでいる俺に気づいて、古泉があわてて飛んでくる。
「何が」
「……泣きそうな顔してますよ」
 とにかく、寒いですから何か羽織ってくださいと言われ、差し出された上着に素直に腕を通す。
古泉が淹れてくれたコーヒーをすすりながら、刺激物はあんまりよくないんじゃないかなんて思ってる俺は、もう終わってるかもしれん。いろいろと。
 自分のカップを持って向かい側に腰掛けた古泉が、おだやかな笑顔を向けてくる。
閉鎖空間の処理で疲れてるのに、すぐにでも寝たいだろうに、すまんな。
「いえ、そんなことは……。それで、何があったんですか?」
「……閉鎖空間は、どうだった?」
「は? あ、はい。割と大きな規模ではありましたが、つつがなく消滅させられました。いったんおとなしくなった神人が、いきなり暴れはじめてヒヤリとしましたけどね」
 ああ、たぶんそれは俺のせいだな。
「あなたの?」
「うん。ハルヒを電話でな、ちょっと怒らせた」
「一体、何を言ったんです?」
 不思議そうに首をひねる古泉。……全部話したら、どんな反応するんだろうな。
だが隠しとくわけにもいくまい。一応、父親らしいし。
「ハルヒが、昼間言ってたこと憶えてるか?」
「昼間? どれです?」
「……不公平がどうとか」
 ちょっと考えてから古泉は、ああ、あれですかと手をたたく。
「確か、女だけが子供を産むのは不公平だというやつですよね。だからこれからの時代は男も妊娠……を……」
 古泉の顔色が、さーっと音をたてそうな勢いで塗り変わる。
さすがに勘がいい。古泉はそれだけで、すべてを察したらしかった。
 ぎこちない動きで俺の方を向くのに、うなずいてやる。
「…………………………ええっ!!」
「まぁ、そういうことだ」
 しばし呆然と、古泉は俺を見つめていた。
なんというか、ぽかーんという擬音があいそうな顔で。しかし、いつのまに正座になってんだお前。

「あ、あの……」
 穴の開きそうなほど俺の顔を見つめてから、古泉はようやく、おそるおそるという感じで口を開いた。
青ざめていた顔は、今や火を噴きそうに真っ赤だ。
「……それは……あの……誰の子、なんですか……って痛っ!」
「なかなか最低な質問だな、おい」
「すいませんすいませんほっぺたひっぱららいでくらさい」
「さんざん人に中出ししといてその言いぐさか? ええ?」
「ひたい、ひたいれす−」
 ぐいぐいと引っ張って面白い顔を堪能してから離してやると、古泉は涙目のまま頬をさすっている。ざまあみろ。
「えっと……本当に、そうなんですか?」
 笑ってるような、泣いてるような、妙な表情で古泉は口を開いた。
言葉にしたら壊れてしまうとでもいうように、恐る恐る声を発する。
「……僕、の……子……?」
「まぁ……長門がそう言うんだから、間違いないんだろ」
「…………」
 長門からの電話をかいつまんで聞かせてやった古泉の反応は、俺の予想を軽々と飛び越えた。
目を潤ませたままじっと俺を見つめていたかと思ったら、いきなりがばっと抱きついてきて、そのままぎゅうぎゅうと、ものすごい力で抱きしめながら叫んだのだ。

「結婚してくださいっ!」
 
 はぁ!?
ちょっと待て待て! いきなり何を言い出すんだ!
「だって、僕の子なんでしょう? 責任を取らせてください!」
「んなこと言ったって男は17じゃまだ……って違うわ! 産ませるつもりかっ!」
「以前、言ったじゃないですか。妊娠してくださっても、一向にかまいませんよ、と」
 ヤバイ。目がマジだぞこいつ。
「いやいや、できれば俺はなんとか元に戻る方法をだな」
「長門さんには断られたと言ったじゃないですか。涼宮さんも怒らせてしまって、他に心当たりがあるんですか?」
「う……」
 だからってなんで俺がこの歳で……というか、おかしいだろ! いろいろと!
「大丈夫ですよ。世の中には14歳で母親になる女性もいますし、あと1年もすれば僕らも結婚できる年齢です。僕は今でも、あなたと子供の1人くらいは、ちゃんと養えますよ?」
 マジか。お前は一体、機関からどれだけのバイト料を……って、そういう問題じゃねえっ!
「そうだ、機関に医者を紹介してもらおうかって考えてたんだった」
「医者? 産婦人科ですか?」
「おう。こっそり堕ろすにはそれしか……」

 そこまで言って、声がつまった。
喉の奥の方に固まりがせりあがってきて、それ以上声がでない。
まただ。また、胸に刺すような痛みが走る。
 思わず胸を押さえてかがみこむと、肩にそっと古泉の手が置かれた。
「ああ……それで、泣きそうな顔をされてたんですか……」
「……っ」
 背中にまわった腕に、今度はゆるく抱きしめられる。髪を優しく撫でられて、とうとう涙がこぼれた。
「嬉しいです……僕たちの子供を、惜しんでくださるんですね……」
 そう、か。そうなんだな。
だって、考えてもみろよ。俺と、古泉の子供なんだぞ? 
俺たちが同性同士である限り、普通なら望むべくもない。
いくら欲しくたって、決して授からないはずの奇跡の子だ。
このままなかったことにして、俺は後悔しないか?
 涙を、唇で拭われる。
まぶたに、額に、鼻に、頬にと、くりかえし与えられるキスを受け、やわらかく抱きしめる腕を感じながら、俺はしょうがないな、と思った。
そんな人生もまぁ、悪くないかも知れん。

「わかったよ、古泉。……産んでやる」

 ぎゅう、と、抱きしめる腕に再び力がこもる。
一生、大事にしますね、という言葉が、耳元で聞こえた。



「―――って、夢オチかよ!!!!!!!!!」
 布団をはねのけて飛び起きるなり、俺は叫んだ。
叫ばずにいられるか! なんつー恥ずかしい夢だ! フロイト先生も悶死間違いなしだぜ!
「ど、どうしました?」
 まだ分厚いコートを着たままの古泉が、びっくりした顔で俺をのぞき込む。
そりゃそうだろう。こいつが帰ってきた音で目を覚ました俺が、いきなり飛び起きて叫んだんだからな。
「何か怖い夢でもご覧になったんですか」
 ああ、ある意味ものすごく怖い夢だったぜ。
一応、身体に異常がないことを確認し、携帯の着信と発信の履歴に長門とハルヒの名前がないことも確認する。
やっぱり、正真正銘の夢か。
「はぁ……夢でよかった……」
「なんだか尋常ではないご様子ですね。すごい汗ですよ?」
 言われてスウェットの袖で額を拭うと、なるほどびっしょりと冷や汗をかいていた。やれやれだな。
 悪夢は、人に話してしまった方がいいそうですよと言う古泉に、俺は夢の内容を適当にはしょって教えてやった。
夢の記憶はあまりに明瞭で、しばらく脳内に居座って俺を悩ませそうだったし、確かに話しちまった方が多少は気持ちが軽くなる。
はしょった部分は……まぁ、夢の中の古泉とのやりとりの一部だ。
具体的には、結婚してくれだの産んでやるだの、あのへんの恥ずかしいアレ。言えるかそんなの。

「それはそれは……お疲れさまでした」
 なんだその、妙なねぎらいは。確かに疲れたが。
「いえ。なんだかリアルで、生々しいなぁと思いまして。特にその、妊娠発覚のくだりですとか」
「ああ……まだ少し感覚が残ってる気がするぜ」
「実際の涼宮さんが常識的な方で、よかったですねぇ」
 いつのまにかコートを脱いで、古泉はベッドの横の床に座り込んでいる。
にこやかな顔だが、なんとなく残念そうに見えるのは気のせいか?
「そうですねぇ。少々、夢の中の自分がうらやましくもあります。……まぁ実際のところ、あなたが妊娠したとしたら」
 何を思ったか、古泉は俺の手をぎゅっと握った。
「僕なら、その場でプロポーズしますけどね」
 うん、やっぱりアホだな、こいつは。俺の脳内古泉像はけっこう正しいな。
……まぁ実際、そんなことになったら、ハルヒへの影響だとか未来とのあれだとか組織同士のそれだとかで、ものすごく面倒なことになるんだろう。
考えるだけでめんどくさい。
 口には出さずにそんなことを考えていたら、古泉は俺の手をつかんだまま、小さくくすっとと笑みをもらした。
「なんだよ?」
「いえ、ふと思い出しまして」
 何をだ。
古泉はにこにこと嬉しそうに、ベッドの横に張ってあるカレンダーを見上げた。
まだ表紙を破っただけの真新しいカレンダーだ。それがどうかしたか?
「諸説はあるようですが、1月1日の夜に見たあなたのその夢」
 視線を俺に戻し、古泉は悪戯っぽく片眼を閉じてみせた。

「……初夢、ですよね?」

 そ……ういうことに、なるの、か? あんな、こっぱずかしい夢が?
「正夢になるといいですねぇ」
「冗談じゃねえっ!」
 あんなもんは夢だ夢! 本当になってたまるかっ!
上機嫌な古泉の笑顔をめがけて、俺は思いきり枕を投げつけた。



 こうして年明け早々のろくでもない事件は幕を閉じたわけだが……ただ、ひとつ気になることがある。
俺は寝たとき、確か裸のままだった。着替えた憶えもないし、ついさっき帰ってきたばかりの古泉が着替えさせるのも無理だろう。
 それなのに、なんで俺は起きたときにスウェットを着てたんだろうな?


                                                   END
(2010.01.03 up)

そういうわけで、初夢ネタでした。
プロットではもっとバカバカしい夢オチネタになるはずだったんですが、
書いてみたら意外な展開に。あるえ?

タイトルは、いい初夢を見るための呪文です。
「長き夜の 遠の眠りの皆目覚め 波乗り船の 音の良きかな」
回文になってるのです。 
一日の夜はもう過ぎましたが、2日の夜に見る夢を初夢という説もあるそうなので、ギリギリということで(泣)