瞳閉ざさず愛を語ろう
04

 今日、飲みに行くので夕飯はいらないです。というメールが古泉から来たのは、ちょうど買い物に行こうかと玄関で靴を履いたときだった。了解、と返事をしてから、1人なら買い物の必要はないなと、部屋の中に引き返した。
 パスタでもゆでるか、と考えつつ、冷蔵庫を開けて残り野菜を物色する。たまねぎとエリンギとアスパラがあるから、あとは冷凍のベーコンでもいれりゃいいだろう、と頭の中で算段し、時間は早いが面倒だからもう食っちまおうと鍋に水を張って火にかけた。
 一応持って来て、水がかからないあたりに置いた携帯は、返事を送ったきり沈黙したままだ。素っ気ないが、一緒に住んでりゃまぁ、こんなもんだろう。
 たまねぎを剥きつつ携帯にちらりと視線を向け、古泉は誰と飲みにいったのかな、なんて考える。また同じラボの誰かとか教授とかだろうか。それとも森さんかな。いつもはあいつが誰と飲みに行こうがどうでもいいんだが、ここしばらくの古泉の妙な態度のせいか、やけに気にかかる。俺のことさんざん避けておきながら、あいつは一体どこの誰と楽しく飲んでやがるんだか。
「まぁ、いいけどさ。別に」
 わざわざ声に出してそんなことを言いたくなるあたり、相当気になってる証拠だ。言葉の内容とは裏腹なそんな自分の心情を解析して、げんなりした。
 手早くナポリタンを作り、適当に食いながらテレビをつけたら、ちょうどドラマがやっていて思い出した。そういえば、古泉に頼まれて買ってきたこのドラマの原作本がカバンに入れっぱなしだ。そのままにしたら忘れそうな気がして、食い終わって片付けてからすぐに、自分の部屋に行ってベッドの上に置いたままのカバンを開けた。本屋の袋を中から出し、リビングに戻ろうとしたとき、床に置いてあった紙袋を蹴飛ばしたらしい。ガサリと音をたてて倒れた袋の中からはみだしていたのは、鮮やかな青のミニスカートだった。
 ……なんで俺は、こいつを自分の部屋に持って来ちまったんだろうな。
 ベッドの上に本の入った袋を置いて、セーラー服を取り出してみる。そのとき俺が思い出したのは、こいつを持ってくるはめになった慰労会に行く前、合コンに顔を出すと言った俺に向けていた、あいつの情けない顔だった。言葉にこそ出しはしなかったが、どう見てもあれは止めたがってる顔だったな。
 俺が合コンに行くのは嫌なくせに、自分は誰とどこに行ってるんだよ。俺にろくに手を触れなくても、お前は平気なのか? お前の気持ちは疑っちゃいないがまさか、心は彼のものですあなたとは身体だけ、なんて都合よく言い訳しながら、どっかの誰かとよろしくやってんじゃないだろうな?
 ぎゅ、とスカートの布を握りしめたとき、つけたままだったリビングのテレビから、聞き慣れたCMソングが聞こえて、はっと我に返った。あわててスカートを紙袋に突っ込み考えを吹っ切るように、ぶんぶんと首をふる。
 ああもう、女々しいな、俺。みっともない。
 だがそう思いつつも、俺の視線はまた紙袋の中身に戻ってしまう。
 ――こういうの、あいつは本当に好きなのか……? まぁ、ピンクフリルのエプロンに欲情してたんだから、嫌いってことはないんだろう。だがなぁ……。
「似合わねぇよなぁ……どう考えても」
 だけどその時の俺は、相当どうかしてたに違いない。わかりきってる結果にチャレンジしようなんて気になっちまったのは、本当に何かの電波を受け取ったとしか思えないんだが。……いや、もしかしたら俺は、女々しいと思いつつ自己嫌悪しつつ、それでも迷いがふっきれていなかったのかもしれない。

「はいるもんだな」
 上着もスカートも、サイズ的にはまったく問題なかった。ウェストなんか、少々あまってるくらいだ。四苦八苦しながらリボンタイを結び、もうこうなったらヤケだとニーソックスまで履いてみる。そんな姿を、クローゼットの扉の裏についている鏡に映してじっと眺めてから、わかっちゃいたが、やっぱり似合わねぇなとげんなりした。
 それにしても、スカートが短すぎて、裾からトランクスがチラチラ見えるのはなんとなく間抜けだな。ボクサーに履き替えてみるか、と思ったとき、セーラー服の入っていた紙袋の中に、もうひとつ何やら小さなビニール袋が入っているのに気がついて、取り出してみた。
 これ、は……さすがにありえん……。いやいやいや、ここまでしたんならいくとこまでいくべきか? それが男の生きる道か?
 葛藤しつつもそいつを身につけて、鏡に映った自分をためすがめつしてみる。そして、どこからどうみてもお笑い芸人の罰ゲームだぜとの認識を新たにしつつ、それでもあいつはこの方が興奮するんだろうかと考えた。
「やっぱ、ミニスカートがいいのかな。絶対領域ってやつか?」
 床に膝立ちして、スカートを少しめくってみる。スカートとソックスの間をそう呼ぶのだと聞いたことがあるが、男の太ももはなんか筋張ってて、それほど色っぽくは見えない。当たり前だ。
 滑稽だなと思いつつスカートをひらひらさせていたが、やがてどんな魔が差したのか俺は、スカートをさらに上までめくりあげて見る気になった。そして、鏡に映った自分のソレが少し反応を見せてることにがっくりと肩を落とす。
 そりゃあ、しばらくご無沙汰だったけどさ。変態か俺は。
 悪態をつきながら見る鏡の自分の顔は、だがやけに物欲しげに見える。服装とソレのアンバランスさと、その眺めがかき立てる倒錯的な感覚にくらりとして、そっとそいつに手を伸ばそうとした……そのときだった。

 いきなり、部屋のドアがノックされた。
「――さん! こちらですか?」
 古泉!? なんだよ、まだ早いじゃねえか。飲んで来るっていうから、てっきりもっと遅くなると思ってたのに。そういやドアの鍵、掛けてない。ヤバイぞヤバすぎる。
 俺は慌ててめくってたスカートをおろし、立ち上がった。そしてドアを押さえようと走り、慌てすぎてベッドの角に足をぶつけちまった。思わず痛てぇとうめいたら、ドアを叩く音がますます激しくなった。
「ど、どうかしましたか! だいじょぶですか?」
「な、んでもないっ! 足ぶつけただけだ、気にするな!」
 痛みを堪え、ドアに近づいて押さえつける。が、古泉の声はますます大きく、しかも俺の声から何を読み取ったのか、不安そうな響きを帯びてきた。
「どこかケガしたんですか。ここ開けて、見せてください!」
「いいから! ちょっと向こういってろ!」
「ダメです! 骨折でもしてたらどうするんですっ!」
 このくらいで折れるか馬鹿! なんて言ってるヒマはなかった。開けるなと言っているのに古泉は、馬鹿力でドアを引き開けやがった。まぁ、腕力で勝てないのは最初からわかってるんだが。
 部屋に飛び込んでくるなり、古泉はピシッと音がしそうなくらい見事に固まった。俺に視線を固定したまま、ピクリとも動かない。仕方なく俺は、モジモジと足をすりあわせつつ、間抜けなセリフをいう意外になかったのだ。
「おかえり古泉……早かったな」



 着替えさせろと強硬に言い張ったのにも関わらず、古泉は俺をセーラー服姿のまま、リビングに連れて行った。ぶすっとしたまま腕を組んでソファに腰を下ろしたら、せめて足は閉じてくださいと懇願された。知るか。
「それで、どういう風の吹き回しなんです? 絶対着ないって言い張ってたのに」
「別に……気が向いただけだ」
「気が向いたんですか? 何かの余興のためとかではなく?」
 しまった。そう言っときゃよかった。
思わず考えたことが顔に出たのか、古泉はそんな俺を見てどことなく嬉しそうだ。まったく腹の立つ奴だ。俺は組んでた腕をほどいて、扮装を見せつけるようにしてやった。
「まぁ、見ての通り予想以上に似合わんことが判明したわけだ。笑いだけはとれそうだから、確かに余興にはいいかもしれんな」
 たぶん、ハルヒあたりは大喜びしそうだ。今後、何かでハルヒに一発芸を強要されたときの、ネタとしてとっておこう。そうしよう。
 それで、俺としてはもうコレは、宴会の持ちネタとして処理したつもりだった。が、いいかげん着替えようとソファから立ち上がったところを、いつのまにか近づいていた男に肩を押されて、また座り込むことになった。
「なんだよ古泉。いいかげん着替えさせ……」
「笑いだなんてとんでもない。よくお似合いですよ」
「はぁ?」
「それに……あなた、なんだか顔が赤いし、目が潤んでる」
 じっと見つめて来る目の中に、あきらかな欲情の色。ここ2週間、誘いのさの字も見せなかったくせに、なんなんだコイツ。やっぱり……そうなのか。
 さわさわと、セーラー服に包まれた肩や二の腕を古泉の手がなでる。閉じろと自分で言ったはずの足の間に身体を割り込ませ、セーラーカラーの襟元からのぞく首筋にくちづけてくる。さっき火がつきかけて不完全燃焼に終わった身体が、ぞくりと震えた。
 が、キスしてこようとする顔を、俺は思い切り押し返した。
「……? どうしました?」
「やっぱりお前、こういうのが好きなんだ」
「え?」
「なんでか知らんけど、ここしばらくその気になんなかったみたいじゃねえか。それが後ろめたくて、俺を避けてたんだろう? なのに、女装してみたとたんにこれってことは、やっぱ抱くなら女の方がいいってことなんだな」
 ま、中身が変わるわけじゃないんだが。残念なことにな。
「そういうことならそれで、かまわないけどな。ただ残念ながら、エプロンだろうがセーラーだろうが、たぶん俺は似合わないだろうから……」
 そう言ったとたん、ものすごい力でソファの上に押し倒された。ちょうど頭のあたりにクッションがあったから打たずに済んだが、身体の上に乗り上げられ、痛いくらいに腕をつかまれて身動きがとれない。
「な、なん……」
 反射的に、逃れようと身動きしながら、覆い被さってくる男を見上げる。途端に、視界に入った表情に驚いて、思わず目を見開いた。古泉はなんだか、今まで見たことのないような顔をしていた。怒ってるような、それでいて泣き出す直前のような。
「すみません。順番を間違えました。まずは謝らなくちゃいけなかったのに……。僕はやっぱり、やり過ぎたんですね。ほんの少しだけのつもりだったことで、あなたにそんな誤解をさせてしまうなんて」
 一体なにをやり過ぎたのかわからんが、それがここしばらく様子がおかしかった原因なのか? だがまぁ……別に今回だけのことじゃないしな。
「確かにここ2週間ほどが顕著だったが、前からそうだったんだろ? エプロン、好きそうだったしな」
「…………っ!」
 すると、古泉がめずらしくむっとした顔を見せた。ぎゅう、と、つかまれた腕にさらに力がこもる。
「いっ……」
「もう、いい加減にしてください。ここ2週間のことについては、僕が悪かったので謝ります。でもそんなことをした理由が、あなたより女性の方がいいからだなんて誤解は心外だ」
 ギリギリと締め付けられる腕が痛い。痛さに顔をゆがめても、古泉は手の力をゆるめなかった。逆ギレかよ。
「僕は、他の誰でもない……あなただからこそ抱きたいし、あなただからこそ欲情するんです。どんな格好をしていようがしていまいが関係ないのに、なんであなたはそれを、いつまでも信じてくださらないんですか……!」
 真剣なまなざしで、古泉は言った。近づくとアルコールの匂いはしたが、酔っているようには見えない。本当に本気で言ってるんだってことは伝わるけど、でも。
 強い視線に耐えきれずに目をそらす。
 信じろと、ただ言われたって。俺は。
「……無理だ、そんなの」
 俺のその言葉を古泉がどんな顔で聞いたのかは、わからない。ことさら無表情を装って、俺は続けた。
「物好きだなと、思うくらいが精一杯だ。お前も無理することないぞ。心と身体は別物だって、便利な言葉だってあるし」
「……っあなたは!」
 声をつまらせて、古泉は叫んだ。怒っているのか泣いているのかその声からは判断がつかないが、持って行き場のない憤りだけは伝わってきた。
 それからしばらく、古泉は何も言わなかった。腕をつかむ手の力は緩まない。それでも頑なに目をそらし続けていた俺の耳に、やがて聞こえてきた古泉の声はやけに固かった。
 この声は知ってる。
 泣きたいのを、こらえてる声だ。
「どうすれば、信じてもらえますか。……信じられるようにして差し上げられますか」
 こいずみ、と呼ぼうとした途端、噛みつくような勢いで唇をふさがれ、逃げる間もなく中に舌がねじ込まれた。
「んぅ……っ!」
 押しつけるようにふさがれ、侵略するような勢いで貪られるキスに、息ができなくなる。気がつけば上着の裾からもぐり込んだ手が、肌をなでまわしている。耳たぶを噛まれ中に舌が侵入してきたとたん、ゾクリと肌が粟立った。喉を這う唇に顎をあげると、天井についた蛍光灯の明かりが目を射す。ダメだ。明るすぎる。
「こいず……っ……でんきっ、明かり、消せ……」

「ダメです」

 何を言われたか、一瞬わからなかった。
古泉は顔を上げ、まじめな顔で、言い聞かせるような口調で続ける。
「今日はこのまま、あなたを抱きます。あなたの身体のすみずみまではっきりと見えるこの明るさの中で、僕がどれだけあなたの身体に欲情するか、ちゃんと見てもらわないと」
「……なっ……にを、お前」
「もう僕には、これくらいしか方法が思いつきません」
 情けない笑みを口元に浮かべて、古泉は、覚悟してくださいね、と言った。


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                                                      NEXT
(2011.07.31 up)
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こいずみはほんとうにおばかさんですね!