瞳閉ざさず愛を語ろう
03

 ダメだ。
そろそろ死にそうだ。

 お前は重すぎる、という会長の言葉は、その後もずっと僕の頭から離れなかった。
 言われてみれば……というか言われるまでもなく、僕は彼の恋人になれた嬉しさのあまり、色々なものを見失っている気がする。
 もともと、ルームシェアを開始するとき、自分が暴走してとんでもないことをすることを恐れて、わざと忙しい学科を選んだくらいだ。当時は僕と彼は普通の友人同士だったから、そのくらいしなければ、無頓着にして無防備な彼に対する自分の理性に、まったく自信が持てなかったのだからしょうがない。物理的に接触を減らす以外に、対抗手段は思いつかなかったのだ。
 だって僕は、あまりに彼が好きすぎる。
 それはもう高校の頃からわかりきっていたことで、望みはまったくない、むしろ彼にとっては迷惑だし、涼宮さんや機関や世界に対しては裏切りにも等しいと思いながらも吹っ切れない自分に、何度愛想が尽きかけたかわからない。
 そして、どんな奇跡が起こったのか彼の恋人となることができた今。少しは落ち着くかと思いきや、どう考えても前よりひどくなっている気がしてならない。自制心なんかとっくにはじけ飛んで、自分でも病気なんじゃないかと思うくらい、彼に溺れっぱなしだ。
 彼がレポートを書いていてもテレビを見ていても家事をしていても、ふとした仕草が目に入るたび心臓が高鳴って熱が上がる。彼が目の前にいないときさえ、何かのはずみで彼のことが頭をよぎり、いてもたってもいられなくなってしまう。今、どこで何をしているんだろう、誰と話をしているんだろう、誰と触れあっているんだろうなんて考えると、もうその想像上の誰かへの嫉妬がこみあげてしまい、はっと我に返って自嘲することの繰り返し。本当に、我ながらどうかしてる。
 そんな気持ちで接していれば、その強すぎる想いが彼に伝わらないわけはない。彼はとても心のキャパが広いから、今のところはそれをおおらかに受け止めてくれてはいる。だがこのままではいずれ、会長が言ったとおり、彼の息が詰まってしまう日が来るかもしれない。猫だってかまいすぎると、こちらを嫌って逃げていくものだし。
 そうならないためにも、子供っぽい熱情だけで押すような恋愛からは早々に脱却し、ゆったりと余裕を持った大人の恋愛をめざしていくべきだろう。これから先、彼とともに歩む予定の人生は長い……いや、長くしたいのだ。願わくば。
 だから僕は、過剰な愛情表現を押さえ、落ち着いた大人の態度で接するべく努力をはじめた。それが2週間前のことだ。ベタベタしすぎないように、鬱陶しくならないように控えめな行動を取ろうとするものの、彼が視界にはいるとどうしても顔がニヤけてしまう。声が聞こえれば振り返ってそちらに行きたくてたまらないし、近くに寄って来られれば手を触れずにはいられない。
 しかたがないので、なるべくさりげなく視線をはずし、少しだけ触れるのを我慢した。こんな状態でがっつかない自信がないから、しばらくセックスも控えるようにしたら、気を遣ってくれたのか彼が誘ってくれたけれど、しつこくしないようにするのは相当な精神力が必要だった。
 もともと僕らのセックスは、彼の身体に相当な負担を強いているはずだ。優しくて忍耐強い彼は僕の誘いをいつも拒まないでいてくれるけれど、これまでの僕のペースはきっとかなりキツかったと思う。だからたぶん、頻度を落とした方が彼的にも楽でいいはずなのだ……が。

 だけどもう限界だ。
彼に近づきたくて触りたくて抱きしめたくて、どうしようもない。
彼不足の禁断症状で死にそうだ。
彼と長く一緒にいたいがための努力なのに、これじゃストレスで僕が先にどうにかなってしまう。



「バカか、お前は」
 カウンターの隣の席から、あきれかえった声が聞こえる。
つっぷしたまま顔を向けると、ショットグラスを片手に煙草を咥えた会長が、眼鏡の向こうから冷たい視線で見下ろしてきた。
「バカとはなんですか、失礼ですね」
「バカをバカと呼んで何が悪いのかわからんな」
 いいかげんに煮詰まりきった今日この頃、誰かに吐き出したくなって、ならばそもそもの原因となった人物こそが愚痴を聞かせるのにふさわしいと呼びだした相手だ。もらった名刺に書いてあった携帯の番号に電話してみたら、気軽に承諾されたのは意外だったが、いささか人選をあやまったと思わざるを得ない。
「涙ぐましいと思ってくれないんですか。あなたのしてくださった忠告……だかなんだかわかりませんが、あの一言で僕なりに考えてがんばってるのに」
「ああ、いちおう忠告のつもりだったぞ? 我ながら大盤振る舞いだと思ったんだがなぁ。お前が、俺が考えてた以上のバカだったことが判明しただけだったとはな」
「だからバカっていわないでくださいっ!」
 ロックで頼んだウイスキーの氷がろくに溶けないうちに立て続けに飲んだせいか、いきなり酔いがまわった気がする。ぐらぐらする視界の向こうの会長は、どうみても面白がっているように見えた。やっぱり人選を間違ったな。
「マスター……お水ください……」
 冷たい水をもらって一気に喉に流し込むと、少し意識がしっかりする。たぶん2杯目あたりのグラスをゆっくりと傾けながら、会長は煙草の煙を吐き出して肩をすくめた。
「しっかしお前……任務≠ニやらからはほぼ離れたも同然だってのに、相変わらずだな、その極端から極端に走るクセ」
 僕の話から一体何を読み取ったのか、会長はそんなことを言う。
「確かに俺は、重すぎるから少し引いてやれとは言ったが、無視しろという意味じゃないぞ? その前のめりに暑苦しすぎる過剰な思い入れを、少し手加減してやれとアドバイスしただけだ。一歩分、引いてみるくらいの芸当がなんでできないんだよ」
「何を言ってるんですか。おっしゃるとおり、ほんのちょっと引いただけですよ。少しだけ、見ないように触らないようにしてるだけです」
 バカかお前は、とまたくりかえして、会長はまた煙を吐き出す。
「話聞いてるだけで、不審な態度丸出しだ。あいつの方は、かなり怒ってるとみたね」
「あいつとか馴れ馴れしく呼ぶのやめてくれませんか。――別に怒ってなんていませんよ。彼はどちらかというと淡泊な方ですし……かえって鬱陶しくなくていいくらいに思ってるかもしれません」
 言ってみたら、本当にそんな気がしてきた。高校の頃、彼は僕のことを想ってくれていたとは聞いたが、うざいのキモイの鬱陶しいのという反応もほぼ本心なのだと言っていた。だってお前、何するにも近けぇんだよいちいち! だ、そうだし。
「お前……言ってて空しくないのか」
「もう慣れました……」
 遠い目をしてつぶやけば、会長はやれやれと言わんばかりに肩をすくめる。
「マゾだな」
「違いますっ! あっ、でも気にしてくれてる節はありますよ?」
「ほう? どんな風に」
「実験とかで遅くなったとき、今まではもう寝ちゃってることが多かったんですけど起きて待っててくれて、しかも夕飯どうしたのか心配してくれたりとか。あと僕が電話で話してたりすると、寂しいのか、じーっとこっちを見てたりするんですよー。なんか嬉しいですよね」
 それは、ここ数日の彼の変化だった。もしかしたら、すこーしだけあけてみた距離に気がついて、それに寂しさを感じてくれたのかもと思うと、ちょっぴり嬉しい。だけど、僕がそんなことを思い出して浮かれていたら、いつの間にか会長が目を見開いてこっちを見ていた。珍しい表情だ。なんというか……珍獣を見てるみたいな?
「な、なんですか?」
「いや……」
 やがて会長は、ニヤリという人の悪そうな笑みを浮かべた。そのうち、くっくっくっ、と堪えきれないように声をもらして笑い出す。
「……ホントに失礼な人ですよね、あなた」
 どう見ても、いい意味の笑いではないそれに、もやもやしたものを憶えて手元のグラスの中身を干す。話しているうちに氷が溶けて薄まったウイスキーは、ずいぶんと水っぽい味がした。
 会長は悪びれもせずに、ニヤニヤしたまま頬杖をついて僕に視線をよこす。
「お前は本っ当に、あいつにベタ惚れなんだな」
「なんですか、そんな今さらなことを唐突に」
「そうか。自分にカケラもそんな気がないから、わかんねぇのか」
「はぁ?」
 何か言いたいことがあるなら、はっきり言って欲しい、僕のそんな気持ちを読んだように、会長は眼を細めながら意味深に、その起きて待ってるとか電話中に見てるとかって話だがなと言い出す。
「どう考えても、浮気疑われてるだろ、ソレ」
「…………………………は?」
 浮気? 誰が?
 ……僕が?
「まぁ、無理もないんじゃないか。それまで四六時中ベタベタまとわりついてたやつが急に距離置き始めて、目をあわせりゃ逸らす、近寄れば逃げる、しかも2週間もセックスレス。誰だって疑うだろうよ」
「え、だってそんな……」
 そんなの、まるっきり頭になかった。だってこの世に、彼より可愛くて綺麗で格好良くて優しくて素敵な人間なんているはずないし。そんな恋人がいるのに、なんでわざわざ浮気なんてする必要があるのか。
「……まぁ、お前が本気でそう思ってんのは知ってるけどな」
 げんなり、という形容詞がぴったり来そうな顔でつぶやく会長を無視し、僕はグラスの中で溶けかかる氷を凝視する。
 僕はただ、我ながら重すぎる愛情を少し抑えて、彼を大事にしたかっただけだ。彼との関係を長く続けるために、彼の負担を減らしたかっただけなのに、それで浮気を疑われては、本末転倒もいいところだ。
「僕はどうすれば……」
 途方に暮れてつぶやく声にも、返ってくる言葉は容赦がない。
「知るか。だからお前はバカだというんだ」
「だってもとはと言えばあなたが」
「人のせいにするな。お前が勝手にやり過ぎたんだろうが。それより、こんなとこで油売ってていいのか?」
 はっ、と我に返り、隣でグラスを傾けている発言者に視線を向ける。つまらなそうな顔で彼が揺らすグラスの中、氷がカラリたてる音が耳につく。
 そういえばそうだ。こんなところでこうしてる場合じゃない。絶対ない。
「……すみません、会長。急用ができました。僕、帰ります」
 ガタンと音をたてて、背の高いスツールから滑り降りる。あわただしくサイフから札を何枚か抜いてカウンターに置いてから、僕から呼びだしておいて申し訳ありませんと頭を下げた。
「わかったわかった。さっさと帰れ」
 あきれた顔で言いつつ、会長は軽く肩をすくめて、なつかしい仕草で僕を追い払うように手を振った。
「すみません。いずれ埋め合わせを」
「どうでもいい。早く行け」
 素っ気ない口調で言い捨てながらも、伊達眼鏡の向こうに見える目が意外と優しいことを僕は知っている。本当に、よくわからない人だ。
「では、また」
 そう言い置いて店の出口に向かおうとする僕にはもう見向きもせず、会長はただひらひらと手を振りつつ、ゆったりと紫煙をくゆらせていた。



 会長の読みが正しいというのなら、僕はまたとんでもない失敗をしたことになる。百戦練磨な会長のことだから、その予想は当たっている可能性が高そうだ。
 大通りまで走りタクシーを捕まえて、可能な限りのスピードで家路を急ぎながら、僕は考える。
 僕の恋人たる彼は相当に心が広いうえに、感情をあまりあからさまにはしないタチだ。浮気を疑ってはいても決定的な証拠をつかむまではと考えてくれているのだろうか。だとしたら、なんでもない様子ながら、実は内心ではかなり怒っているのかもしれない。
 まずは、きちんと謝ろう。浮気なんて、した事実もするつもりもカケラもないけれど、誤解させるようなことをしたのは悪かったと思うから。それから誤解を解いて、この2週間の分までしっかり抱きしめよう。僕の想いが、あやまたずにすべて、彼に伝わるように。
 タクシーから降りて、まっすぐに部屋を目指す。今日は特に何か用事があるとは聞いていないから、彼は家にいるはずだ。カギを開けるのももどかしく、部屋の中に飛び込むとリビングに彼の姿はなかった。
 一瞬、もう遅かったのか? という考えが脳裏をよぎる。僕が浮気していると思った彼は、僕に愛想を尽かしてさっさとこの部屋を出て行ってしまったのか。
「いやいやいや、落ち着け。落ち着くんだ」
 人の気配のないリビングは照明が灯ったままだし、気がつけばテレビもつけっぱなしだ。皓々とテレビと照明をつけたまま彼が出かけるわけはないから、間違いなくこの家のどこかにはいるはずだ。ならばあとは自室だろうと見当をつけ、早足でそちらに向かう。ドアをノックして彼の名を呼んでみると、案の定、中でガタガタと派手な音がした。痛っ! という彼の声が聞こえ、僕はあわててさらにドアを叩く。
「ど、どうかしましたか! だいじょぶですか?」
「な、んでもないっ! 足ぶつけただけだ、気にするな!」
 なぜか開かないままのドアの向こうから、彼が応える。明らかに痛みをこらえている口調に、にわかに不安が押し寄せた。
「どこかケガしたんですか。ここ開けて、見せてください!」
「いいから! ちょっと向こういってろ!」
「ダメです! 骨折でもしてたらどうするんですっ!」
「やめろ、あけんなっ!」
 部屋の鍵は普段からかける習慣がないせいか、開いているようだ。僕は彼が押さえているらしいドアのノブをつかんで、思い切り引っぱった。少しの抵抗とともに、ドアが開く。勇んで飛び込もうとした僕は、だが、ドアの向こうにいた彼の姿が目に入ったとたん、思わず動きを止めてしまった。
「おかえり古泉……早かったな」
 バツの悪そうな顔で言う彼は、なぜか……北高のセーラー服姿だった。


***************



                                                      NEXT
(2011.07.24 up)
BACK  TOP  NEXT

お馬鹿さん(笑)

次はキョンのターン。
エロです\(^o^)/