瞳閉ざさず愛を語ろう
02

 さて、諸君。
 ある程度の年齢を越えた男なら誰だって、したいな、と思うことはままあると思うのだがどうか。いや、女にだってあるかもしれんが、とりあえず俺は男なので、男に限定させてもらおう。他意はない。
 ああ、この場合のしたい≠ヘ、もちろんセックスのことだ。
 特定の相手がいない場合は、自力と妄想ですますか、もしくは金銭的対価を支払って目的を果たさせてくれる相手のところへと赴くなどするのだろうが、俺の場合は幸い特定の相手=Aすなわち恋人が存在している。つきあって何年もたってる倦怠期カップルならどうかわからんが、そういう相手がいる以上、セックスしたい=恋人と抱き合いたいになるのは当然の帰結だろう。とりあえず今んとこ俺は、恋人である古泉以外とセックスしたいとは思ってない。
 だから俺にとって、その欲求を満たすのは比較的楽な課題であるはずだった。
 まぁ、したいなと頭で思ってはいても、それを口に出せるかどうかはまた別問題だ。古泉のやつは割と臆面もなく、したいと思ったらその旨をはっきりと言ってきたり、抱きしめてキスなりなんなりしてから、続きの許可を取ってきたりする。
 が、俺はそういったことがどうにも苦手で、せいぜいがソファに並んで座っているときにぺたりとくっつくとか、寝支度をして引っ込んだあとの古泉の部屋に押しかけるくらいが関の山だ。しかしながら今までは、そこまですれば大体、古泉の方で察してくれていた。ずるいなと思わんでもないが……それは今後の課題ということで勘弁してもらいたい。
 一体誰に向かって弁解してんだかよくわからなくなったが、とにかく今までは古泉はそれで察してくれていたし、1度も拒まれたことはなかった。拒むどころか、身体を重ねるようになってもう数ヶ月たつというのに、俺がそういったそぶりを見せると、動揺としか言えないような態度でおたついたあげくに、蕩けそうに幸せな顔で手を伸ばしてくるのが常で、コイツはいつまでこんな初な反応を繰り返すつもりなのかと、半ば呆れ、半ば嬉しく思うばかりだった。

 が、それなのに、だ。
すまん。前置きが長すぎたな。ここからが本題だ。つまり2週間くらい前あたりから、古泉の様子が少しおかしいのだ。なんというか……簡単に言うと、避けられているような気がする。
 何かの拍子にふと目があうと、今までは大抵、にっこりと笑顔が返ってきた。もしくはなんですか、と問うような視線。そのままそらさずにいると、どうしました? と機嫌よく話しかけてくるのが普通だった。
 が、この2週間ほどは、目があうとすっとそらされる。バツが悪くてというようなものではなく、ただ目があった瞬間、凍り付いたような無表情になって、自然な感じをよそおいつつそらすのだ。本人はさりげないつもりかしらんが、ぎこちなさ過ぎる。
 部屋でくつろいでいるときも、いつもなら意味もなく俺の身体のあちこちを触ってはうざいと怒鳴られ、それでもめげずにベタベタとスキンシップをとりたがる。いちいち反応するのがめんどくさくなって放置すれば、これ幸いと抱きついてきたり押し倒そうとしたりするので、そのたび腕っ節に物を言わせるのが日常茶飯事だったのだが、お察しの通り、この2週間はまったくそんなこともない。
 日常生活レベルの接触ならもちろんある。不自然に触るのを避けたりしているわけではないのだが、これまでがこれまでだっただけに違和感バリバリだ。
 そして……えーと、説明するには少々抵抗がなくもないんだが……これがおかしなことの最たるものなのだから仕方ない。
 つまりだな。この2週間、奴は一向にセックスの誘いをしてこないのだ。
それまでは、間が3日空くことなんて、試験中とか実験中で時間が取れなかったり、俺がバイト等でずっと遅かったりというもっともな理由があるとき以外はありえなかった。
だが今は、ちょうど実験が一段落しており、俺も今週はそれほどバイトのシフトを入れてない。……にも関わらず、だ。
 そうなると、まぁ俺も男だから、たまったりもするわけだ。せっかく相手がいるのに自分で抜くのもなんなんで、先日、夜中に古泉のベッドにもぐりこんで寝間着をひっぺがしてみた。そのときは、さすがに拒否はされなかったが……たったの1回だけで終わったあと、すぐに奴は俺に寝間着を着せて、明日も講義があるんでしょうゆっくり寝てくださいね、なんて言って部屋を追い出しやがったのだ。

 これだけ妙な反応をされれば、ああ、何かあったなと思うだろ。普通。



「2週間前か……何かあったっけな?」
 リビングのテーブルでレポートをやっつけながら、思い出してみる。
ちなみに今日は講義がないので朝からのんびりモードだ。いつもならそんな日はバイトを入れているのだが、今日は人手が足りているとかで休みになった。古泉は例によって大学が忙しくて、今日もはたして帰ってこられるのやら微妙なところらしい。
 テーブルの上に置いてあった携帯を手にとって、カレンダーを開いてみる。先々週の土曜の所に予定が書き込んである印が入っていて、それを見てすぐに思い出した。

 そういや先々週の土曜は、古泉の機関≠フ慰労会だかがあったはずだ。
 俺も谷口に誘われて合コンに顔を出したが、適当に飲んで食ってしゃべって、適当に切り上げて帰って来た。女の子の何人かは、ついでなんだろうが俺の携帯の番号を聞いて今度遊ぼうと誘ってくれたけど、バイトで忙しいんでと断って教えずにおいた。まぁ、忙しいのはホントだし、バイトがない日くらいは古泉とゆっくりしたいんでな。
 古泉の方は、日付が変わった頃に、したたかに酔って帰ってきた。あいつは俺ほど酒には弱くないはずだが、強引にすすめられると相手によっちゃ断れないんだよな。機関の飲み会なら、森さんあたりに注がれたら飲めませんとは言えないだろうよ。
 そう思って、玄関に入るなり靴も脱がずにへたりこんだ男に飲みすぎだ馬鹿と言ったら、つぶやくような声で、すみませんとろれつも怪しい声で謝られた。
「森さんに……飲むまで許さないと言われて……」
 やっぱりか。俺は溜息をついて、冷蔵庫からミネラルウォーターを持って来てやった。古泉が喉を鳴らしてそれを飲んでいる間に、そのへんに転がった上着と荷物を拾い上げる。
 ふと手が止まったのは、出かけていったときには持っていなかったはずの紙袋の中に、見覚えのある色彩があったからだ。なんだろう、と中に手をつっこむと、古泉があわてて手を伸ばしてきた。
「あ、そ、それは……!」
 引っ張り出してみたそれは、やはり見慣れた北高のセーラー服だった。出てきたのは上着というか上半身の部分だったが、ちゃんとミニスカートやリボンタイなどもそろっている。しかもなんか、微妙にでかいような。
「古泉、お前……」
「ち、違うんですっ! 余興のひとつも見せろと言われて、なにも用意してなかったので困っていたら森さんがコレ着て歌でもうたってみろって……」
 しどろもどろで言い訳する顔を見るに、それは本当のことなんだろう。このサイズなら、筋肉がついているとはいえ細身の古泉なら充分に入ると思う。中性的としか言いようがなかった高校時代ならいざしらず、すっかり大人の男の体つきになった今のこいつに、似合うかどうかはともかくとして。
「そりゃ災難だったな。……で、なんでわざわざ持って帰ってきたんだ?」
「わかりません……。だいぶ飲んだんで、帰りがけあたりの記憶が曖昧で……」
 タクシーの中で気がついたら、覚えのないこの紙袋を抱えていたという。俺はふーんとうなずいて、セーラー服を持ったまま古泉を見下ろした。我ながら、冷たい声だったんじゃないかと思う。
「そういやお前、コスプレもの好きだもんな。無意識に欲しくなったんじゃねえの」
「違いますよ! 誤解ですっ! 僕は別にコスプレなんて……」
「人のエプロン姿に欲情しやがったのは、どこのどいつだったっけな」
「あれは……!」
 つい先日のことだ。オフクロにもらったフリルのエプロンで飯を作ってた俺に、帰って来るなりいきなり襲いかかってきたことがあった。曰く、エプロンの下のタンクトップと短パンが見えなかったせいで、裸エプロン以外の何ものにも見えなかった、んだそうだ。キッチンで立ったまま、かなり派手にやられて、しばらくダルかったのを憶えている。
「あれは……疲れてて……」
「別にお前の性癖に文句はつけんがな。人それぞれだし。――だが」
 セーラー服を袋に戻し、まだ座り込んだままの酔っぱらいのヒザに投げる。そして腕組みをして見下ろしつつ、めいっぱい優しい笑顔を作って、きっぱりと宣言した。
「俺 は 着 な い か ら 。絶 対」
 誤解ですよぅ〜と嘆く姿に背を向けて、俺はさっさと自分の部屋に引っ込んだ。
しばらくの間は、シャミが開けろと要求してるときみたいなカリカリという音がドアの向こうから聞こえていたが、それもやがてやんだ。どうやらあきらめたらしいと判断してから、俺も自分のベッドに入ったのだった。

 考えてみれば、あの翌朝あたりからだったかな、様子がおかしくなったのは。
最初は、自分の性癖に関わるものを見つけられて気まずいのかと思っていたが、それにしちゃ長い。男同士だと自分のオカズの傾向についてなんてわりと定番な話題だし、俺は別に気にしちゃいなかったんだが。
 あの制服は、結局どうしたのかな。
 俺はノートPCを開いたまま立ち上がり、古泉の部屋に行ってみた。基本、俺たちは用事がなければ互いの部屋には立ち入らないが、俺はベッドでのアレコレのとき以外にも、放っておくと腐海になりかねない古泉の部屋にはときどき入って掃除をすることがある。古泉も自分のだらしなさはよくわかっているらしく、その点で文句を言われたことはない。
 絶対に見られたくないものがあったら、クローゼット横の棚だけは触らないと約束するからそこに入れておけと言ってあるので、そこに入っていたらどうしたものかと思っていたのだが、例のものは紙袋に入れたままで無造作に部屋のすみに放置してあった。俺は紙袋ごとそれをリビングに持ち出し、中身を出して自分の身体に当ててみた。……うん、充分入りそうだな。
 いや、着ねえよ? いくらあいつがコスプレ好きだって、なんで俺がそこまでやらにゃいかんのだ。大体、古泉ならともかく、どう考えても俺にこいつが似合うはずがない。そーゆープレイを期待されてるんなら悪いが、一気に萎えさせる自信があるくらいだ。
 ……ああ、でも、あいつは蓼食う虫≠セったな。古泉の目にはどうやら、俺はとても魅力的に見えてるらしいってのは、例のエプロン事件で納得した。物好きだなとは思うが、惚れた欲目ってのがあるんだろう。
 とするとだな、俺が探っていた性的アピールポイントの可能性ってのは、ここにあるんじゃないか? ピンクフリルの裸エプロンだのミニのセーラー服だの、女装系のカッコに倒錯的な色気を感じる質なのか、経験豊富すぎてもはやフツーのHじゃ物足りなくなってるのか、それとも……やっぱり、Hするなら女の方がいいってことなのかな。
 まだ倦怠期には早いと思う。はじめて身体をつないでから、セックスの回数こそけっこうこなしたが、まだ数ヶ月だ。だけど、そろそろ男の身体がもたらす快楽の限界に気がついて、女の子の身体のやわらかさとか、そんなものが恋しくなってるって可能性はあるかもしれない。
 なんと言っても、俺の身体はもうほぼ成人男性だからな。身体のどこにもやわらかい皮下脂肪はついてないし、顔だって、特に可愛いわけでもイケメンでもない。
 古泉は……いや、そこは俺もだが、もともと男が好きだったわけじゃないんだ。だからこそ、少しでも女っ気を感じさせる姿の方がそそるのだとしたら……。
「まぁ、しょうがない、か」
 性癖なんて、ホントに人それぞれだ。犯罪の類とか命や健康に関わるものじゃないかぎり、他人がどうこう言うものじゃないだろうよ。
 そんな風に考えをめぐらせ自分を納得させて、俺は乱暴に制服を紙袋に突っ込んでそのへんに放りだした。来週の資源ゴミの日に捨ててやろう。着せられちゃたまらんしな。いくらあいつがフリルやらスカートやらに萌える質だと言ったって、あきらかに似合わん俺がつきあう義理はない。……うん。

 ――でも、ここ2週間のあいつのおかしな態度の原因がそれだったとしたら、俺はどうすればいいんだろう。
 慰労会で何があったのかは知らない。だけどそこで何かがあって、それで俺の身体に嫌気がさして抱くのが嫌になったとか、そんな理由だったとしたら。
 そりゃあ、恋愛にセックスが必ずしも必要じゃないってのは、よく聞く話だ。でも反対に、セックスレスが離婚の原因になりうることだってあるじゃねえか。第一、俺はたぶんもう身体的にも、きっと古泉なしじゃいられない。
 俺はもう一度、転がしたセーラー服入りの紙袋に視線を向けた。乱暴に突っ込んだので、青いスカートの一部が袋からはみ出している。そちらに足を向け、俺はスカートをさらに紙袋の奥にぎゅうぎゅうと押し込んだ。
 どうすればいい。
 俺は何をどうすれば、あいつをずっと俺のもとに引きつけておけるんだろう?


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                                                      NEXT
(2011.07.24 up)
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まだ悩んでるキョン。
次は再び古泉のターン。