瞳閉ざさず愛を語ろう
01

 明日、機関≠フ慰労会があるんですと伝えたとき、彼はソファで読んでいた新聞から顔を上げて、そうか、行ってこいとうなずいた。
 金曜日の夜、夕食を終え入浴もすませて、あとは寝るだけという夜のひととき。テレビ欄のある側から読むクセのある彼が、ちょうど半ばまで読んでいた新聞を膝におろし、穏やかな表情を向ける。
「久しぶりなんだろ? 機関の人たちに会うのも」
「ええ、そうですね」
 涼宮さんの力が弱体化し、しかも海外へと留学している現在、機関はほぼ開店休業の状態だ。イギリスでの涼宮さんの監視員と機関の事務所(これもかなり縮小された)の職員以外は、ほとんどの人たちが本来の仕事の方で忙しくしているから、顔をあわせるのは確かに久しぶりだった。
「森さんが電話口で、大学生ならお酒解禁ね! と、張り切っていたので、少々不安なのですが」
「はは。そりゃ確かに怖いな。潰されないよう、気をつけろよ」
「はい、それはもう。そういうわけですので、明日の夕食は一人にしてしまいますけど、すみません」
 普段はバイトやゼミや実験などですれ違うことが多い分、僕らは週末はなるべく一緒に夕食を取るように心がけている。なので、土曜日の食卓を一人にしてしまうことは心苦しかったのだが、彼は新聞に視線を戻しながら、ああいや、そういえば俺もと言った。
「今日、谷口に合コンの頭数が足りないから来てくれないかって、電話で頼まれたんだ。行く気はなかったんだが、週末の一人メシは確かに味気ないし、顔出してくっかな」
「ご、合コン……ですか?」
「まぁ、単なる数あわせだろ。男女の頭数を同じにするのが、合コンマナーなんだとよ」
 幹事もいろいろご苦労だよな、とさして興味もない様子で彼は言う。
 そう、本当にそれほど興味がないのは知っている。もともと彼は、こういった分野に年相応と思えるほどの情熱は持っていないのだ。……だけど。
「うわ! いきなり何しやがる!」
 床に座っていた僕がいきなりがばっと抱きついたので、彼はバランスを崩してソファからずり落ちそうになった。離せコラと言ながらもがく手をものともせず、僕はぎゅうぎゅうと彼にしがみつく。
「心配です……」
「何がだ。ちゃんと最初に、本命いるからって断るぞ。主に飲み食いしにいくだけだ」
「でも……合コンでお持ち帰りとか、聞くじゃないですか。よく」
「アホか。お前、俺がそんなことすると思うのかよ」
 憮然、と言った様子で、彼は僕をにらみつける。僕は真剣な顔で、違いますと言い返した。
「お持ち帰りされないように°Cをつけてくださいって言ってるんです! だってあなた、お酒弱いじゃないですか。飲み過ぎて酔ったあげくに誰かに言い寄られて、知らないうちにお持ち帰りなんてことになったらと思うと心配で心配で」
「それこそアホか! 俺がそんなにモテるわけねえだろうが。そんな心配、するだけ無駄だってーの」
「…………」
 ああ……そういえば、そうだったな。
僕は彼を抱きしめたまま、眉を寄せて、ふぅとわざとらしく溜息をついた。彼は、本当に本気で、そう思っている人だった。忘れていた。まったく、鈍感にもほどがある。
「…………ほんっとうにあなたって人は、ご自分のことがわかってないんですねぇ」
「はぁ?」
 仕方ない。これまでにも一度ならず繰り返した彼への讒言を、またも繰り返さねばならないようだ。どうして彼は、こんな明白な事実を理解してくれないんだろう。
「いいですか。これまでにも何度か言いましたが、また言わせてもらいます。あなたはご自分で思っているよりはるかに魅力的だし、モテる人なんです。しかも質の悪いことに男女双方に。さらに自覚がないせいで、今時セキリュティソフトのひとつも入ってないパソコンよりも無防備ときてるから、僕としては気が気じゃないんですっ」
「俺も何度でも反論させてもらおう。お前は何をアホなことを言ってるんだ」
 これだけ僕が言いつのっても、やっぱり彼の反応はいまいちだ。とうとう足まで使って僕の抱擁から逃れながら、寝ぼけるのもいい加減にしろと、顔をしかめた。
「こんな、どこからどう見ても平凡そのものの俺のどこが魅力的だって? 告白されたことすら全然……ああ、ハルヒのアレがあるか」
 入学当初のゴタゴタを思い出したのか、彼はちょっとため息をついて新聞を広げる。
「まぁ、ハルヒは相当変わった女だしな、好みも変わってるんだろうよ。それ以外といえば、そこの物好きなエスパー少年がしてきたくらいだぞ」
 まぁ、それで俺的には必要充分なんだが、なんて、再び新聞に目を落としながらさりげなく殺し文句を吐く彼。――ああもう! だからそういうところが、モテの大要素なんだってことがどうしてわからないんですかこの人はっ!
 僕が言葉もなく身もだえていると、彼はしばらく黙り込み、やがて広げた新聞の向こうからちょっと顔をのぞかせて、なにやら言いたげにこちらを見た。
「な、なんですか?」
「いや……俺に関しては世迷いごとだが、お前は……な。モテるし……。慰労会って、女の子もけっこうくるんだろ?」
「え、まぁ、そうですね。わりと」
 不審げな顔でうなずく僕にちらりと視線をよこし、歯切れ悪く、彼はつぶやく。
「お持ち帰りとか……される、な……よ?」
 それだけ言って、さっと新聞の影に隠れてしまう直前に、僕の目には真っ赤に染まった彼の顔がしっかりと焼き付いた。
 わかってもらいたい。自制心にはかなりの自信を持つ僕ではあるが、さすがにこのメガトン級爆撃の前にはなすすべもないということを。
「うわ! ちょ、古泉!」
「もうホントにあなたって人は〜〜〜〜〜〜〜っ!」
「バカやめろいきなり何しやがるっ!」
 結局、僕の理性はあっけなく敗北を喫してしまい、後先考えずにソファに押し倒したところに怒った彼の鉄拳制裁を浴びるはめになったのである。



 と、まぁ、そんなすったもんだがありつつ、翌日の土曜日、僕は予定通りに機関の慰労会に出席した。
 したはいいのだが、合コンに行っているはずの彼のことを考えると気が気でない。やっぱりなんとしても止めるべきだった、いやそもそも僕がこの慰労会に来なければ、彼がそんなものに参加する気になんてならなかったのになどとぐだぐだ考えて、ついついあまり得意なわけでもないアルコールを過ごしてしまった。
「うっぜぇ」
「うるさいです」
 最初は考えるだけだったそんな思考が、酔ううちに愚痴となってこぼれていたらしい。隣の席からは、情け容赦ゼロの悪態が返ってきた。
 カウンター席でくだを巻く僕の隣に物好きにも陣取っているのは、元生徒会長の彼だ。会ったのは彼の卒業以来ひさびさだが、相変わらずな人だ。眼鏡は確か伊達だったはずなのに、今も愛用してるのはどういうことなんだろう。気にいったのか。
 そんなどうでもいいことを考えながら、僕は嫌そうに眉をしかめる会長の横顔をにらみつけた。
 高校在学中、会長(今さら名前で呼ぶのも気恥ずかしくて、今でも彼のことは会長≠ネのだ)には、ちょっとしたことから僕の片想いを知られてしまった。その時はしまったと大いに焦ったものだが、なぜか彼は機関に報告することもなく、ただときどきそれをネタにからかったり他愛もない脅しに使ったりするだけだったので、僕はいつしか彼に愚痴めいたものを吐くようになっていた。会長も、めんどくさいの興味ないのウザいのと悪態をつきながら、それでも僕を追い返すことはなかったものだから、今から考えてみればけっこう彼に甘えてしまっていたかもしれない。
 今日も、僕が愚痴る一言ごとに罵詈雑言を返しつつも、隣の席から立とうとはしないでいるので、つい僕の口もすべりがちだった。
「一応、行くなとはいいませんでしたよ、すごく言いたかったですけどっ! 彼の行動を束縛する権利は、僕にはありませんし!」
「たかが合コンだろうが。飲み会とかわんねーよ」
「そうですけど……」
 だって心配なんです、とカウンターに置いた両手に額を当ててうなる。だってあの人は、あまりにも自分の魅力をわかっていなさすぎる。
「確かに彼は、涼宮さんみたいに何人もの異性から告白されたとか、朝比奈さんみたいに校内にファンクラブがあるとか、長門さんみたいに崇拝者……ああ、主にコンピ研の部員たちですけど、そんな連中を擁しているとか、毎年バレンタインに紙袋3つ分のチョコをもらうなんてわかりやすいモテ方はしてませんでしたけど。僕が把握してただけでも、彼のことを好きだった人間なんか、片手の指じゃ足りなかったですよ」
 あなたも知ってますよね、と振ってみると、会長は咥えていた煙草の煙を吐き出し、知るか、とどうでもよさそうに答えた。
「男の魅力になんぞ興味はない」
 しかも紙袋3つ分って自分の事じゃねえかさりげなく自慢するな質の悪い、と言い捨てて、ショットグラスに入ったウィスキーをあおる。かなりキツイ酒をけっこう飲んでいるはずなのに、顔色も変えていない。本当に可愛げがない。
「自慢じゃないですよ! そんなことより今重要なのは、彼が自分自身について鈍感すぎるっていう事実です。あんなに格好良くて可愛くて魅力的な人がそれだけ鈍感で無防備って、あぶなっかしくてしかたないと思いませんか!」
 はいはいわかったわかった、と、子供をあしらうような口調で同意してから、会長は煙草を咥えたまま、視線で周囲を指し示す。
「どうでもいいが声がでかいぞ、古泉。一応、機関の連中には秘密なんだろうが」
 思わず僕はむっとして口をつぐみ、グラスに残っていた氷をかみ砕いた。背後の特設ステージでは有志による出し物が演じられており、ほとんどの人たちの目はそちらに集中しているものの、確かにどこに目や耳があるかわからない。
 会長は短くなった煙草を灰皿に押しつけて、面白そうに僕の方へ視線をよこした。
「まぁ、あいつが自分をモテないと思ってるのは仕方ないんじゃないか。お前らが妨害してたんだろうが? あいつにコナかけようとする連中をさ」
「まぁ……それはそうなんですけど……」
 あの頃の彼の傍らには、涼宮ハルヒという強烈な存在が常にあり、SOS団という突拍子もない団には他に2名の美少女が在籍していた。さらに言えば、普通の生徒が近づきがたいと思う程度には団そのものも悪名高かったから、もともと彼に積極的なアプローチを仕掛けようとする勇気ある人物は少なかった。
 が、それでもと接近を試みる輩は、僕ら“機関”が陰でこっそりと排除を敢行していたのだ。涼宮さんの心を揺るがさないように、ひいては世界を壊さないために。
 それは大変申し訳ないことではあるのだが……それでも彼を恋愛的事件から遠ざけていた一番の要因が、彼自身のすさまじい鈍感っぷりにあることは、まったく否めないと思うのだ。

 高校時代、SOS団を構成する僕ら五人の人間関係は、いたってわかりやすいシンプルなものだった。何故と言えば、涼宮ハルヒ、長門有希、朝比奈みくるという校内でも指折りの美少女三人と、性別的な問題には目を瞑ってもらいたいのだが、この僕、古泉一樹の四人の好意のベクトルが、すべて彼≠ミとりに向いていたからだ。
 隠しに隠していたうえ、あまり一般的でない僕の想いはともかく、涼宮さんたち三人の好意は、誰が見たってあきらかだった。それなのに彼は、彼女らのその想いを華麗にスルーし続けた。
 曰く、
「ハルヒ? あいつは恋愛感情なんて精神病の一種だなんて言ってる奴だぞ?」
「朝比奈さんほどのお方が、俺なんかにどうこう思うわけがないだろうが」
「長門のあれは、刷り込みみたいなもんだろうよ。ヒナ鳥が最初に見たものを親だと思うような」
 と、こんな調子だ。
 恐るべきは、彼のこれがすべて本気であることだろう。涼宮さんに関しては、本当は恋愛感情があるのではないかと思っていたのだが、これは僕の誤解であったことがすでに判明している。それは、実は彼にはずっと、他に片想いの相手がいたからで……その対象が僕であったことは、未だに信じられない気持ちでいっぱいではあるのだが、同じように彼に片想いしていた僕の想いにもまったく気がついていなかったのだから、やっぱり彼は鈍感の極みだ。

「それで、結局お前はあの男にどうして欲しいんだよ」
 内密な話をするからと遠ざけておいたバーテンを呼んで同じものを作らせてから、会長はそう言った。どうみても面白がっているその口調にイラつくのを隠しつつ、僕もおかわりを要求する。
「別に……どうなって欲しいとは……」
「あの男がモテを自覚したら、相手に不自由しなくなるってことじゃねえのか。知らんぞ、遊びまくるようになっても」
「彼は、そんな人じゃないですよ」
 自分がモテることを自覚したからといって、彼が相手をとっかえひっかえするようになるとは思えない。どちらかというとそういったことを面倒がるタイプだと思うし……それに今の彼は、僕以外の相手を考えられないくらいには、僕を好きでいてくれているだろうから……と、思うくらいの自惚れは許して欲しい。
「そうですね……ちょっと自覚してくれるなら、その……無意識に魅力を振りまくのを、やめていただけたら嬉しいな……と」
 プッと、会長がいきなり吹き出した。飲みかけのグラスをカウンターに置き、額を片手で押さえて堪えきれないような笑いをもらしている。
「……なんですか。相変わらず失礼な人ですね」
 憮然と言い返す僕に、会長はまだ笑いながら肩をすくめた。
「常々思ってたが、本当にバカだなお前は。要するに、あいつがお前以外の奴にイイ顔みせるのが嫌なんだろう? 束縛する権利はないとか殊勝なこと言ってるが、本音を言えば、鍵のついた部屋とか箱とかに詰めて、しまっときたいんじゃないのか?」
「…………っ」
 言い返せない。そんな妄想は、高校の頃から何度となくくり返し済みだ。
片想いだった頃はもちろんのこと、想いが通じて彼のすべてを手に入れてもなお……いや、そうなってからはかえって、そんな考えが頭から追い払えない。バカバカしい、非現実的だと思いつつ、世界にもし僕と彼のふたりきりだったら、なんて考え始めると止まらない。
 言葉に詰まった僕を、細めた目でニヤニヤと見ていた会長は、やがて新たな煙草を咥え火を付けて、煙とともに息を長々と吐き出した。
「……相変わらず、重たい奴だな、お前は」
「…………」
 妙に真摯な声色に驚いて、無言で顔をあげた。会長は煙草を咥えた口元をゆがめ、苦笑いのような、見ようによっては哀れむような表情を浮かべていた。
「お前がそんなんじゃ、いずれあいつの息が詰まっちまうぞ。もうちょっとゆとりを持ってやれよ。10代のガキじゃないんだから」
「それはどういう……」
「しつこい男は嫌われるってことだろ。せいぜい鬱陶しがられて捨てられんようにな」
「…………っ」
 何か言い返してやろうと、グラスを置いて身体ごと会長の方を向いた瞬間、背中にドサリと重みがかかった。さらに首に誰かの腕がからみつき、ぐいぐいと絞められる。
「なーにーやってのよーこいずみー、おとこどーしでこそこそとー!」
「もっ、森さん……?」
 背中から抱きつき……というかのしかかって人の首を締め上げているのは、やっぱり森さんだった。しかもかなりというか相当酔っている。酒豪と言っていほどなのに、いったいどれだけ飲んだんだ、この人。
「ちょ、苦しいですって! 離してください」
「なによー、あたしの酒がのめないっての−?」
 いつ酒を勧められたのやら、もうあきらかに自分が何を言ってるのかわかっていないようだ。僕は首を締め上げている腕を必死ではずし、さすりながら振り返った。
「ちょっと飲み過ぎですよ、森さん。大体、女性がそんなべろべろになるまで……」
「うーるさいっ! そんなこといってるひまがあったら、あんたも余興のひとつくらい、してみなさいってーのー! ほら、来なさいこいずみー!」
「わあっ! や、やめてくださ……会長っ!」
 さっさと他人のふりを決め込む薄情者に、無駄と思いつつ助けを求めてみたが、もちろんこちらを見もしない。ずるずるとすごい力で引きずられつつ恨めしげににらみつけると、ちらりと視線をくれた眼鏡の向こうの目は、完全に笑っていた。
 ちくしょう、と声に出さずに悪態をついて、僕はそのままステージ方面へと引っ張られていった。

 だけど、お前は重すぎる、という会長の言葉は、それから酔いを深めるごとにぐるぐると頭の中で渦を巻いた。
 自分の執着が激しすぎることなんて、とっくの昔から知っている。
 もし自分がこんな想いを寄せられていたとしたら、きっと息苦しくなって、逃げたくなるだろうことも、楽に想像できる。
 どうすればいい。
 せっかく手に入れることのできた奇跡のような宝物を、僕はどうしたら、ずっと手放さずにいられるんだろう?


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                                                      NEXT
(2011.07.24 up)
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なんとなく納得できずにお蔵入りになっていたもの。書いたのはだいぶ前です。
会長好き過ぎるだろ自分。

次はキョンのターン。