こいずみいつきのつくりかた
00
 彼のパーカーを洗濯機に入れる前に、ふと気がついてポケットの中をチェックした。
ついこの間、この行程を省いたばかりに、ジーンズのポケットに入れっぱなしだったティッシュを一緒に洗濯してしまい、大惨事になったのを、かろうじて思い出したからだ。
 ポケットの中には紙切れが入っていて、ああ、調べてよかったと胸をなで下ろす。そのままゴミ箱に捨てる前に、僕はその紙がレシートの類ではなく、手帳を破いたものだと気付いて開いてみた。もしも、大事なメモか何かだったら大変だ。
「 水35L、アンモニア4L、石灰1.5Kg、リン800g、塩分250g、硝石100g、硫黄80g、フッ素7.5g、鉄5g・ケイ素3g、その他少量の15の元素……?」
 これは一体、なにをメモしたものだろう? 字は彼のものに間違いないのだが……。
「あのー」
「ん? なんだ、古泉」
 メモを持ったままリビングに行くと、ソファに座って新聞を読んでいた彼が顔を上げた。日曜日の午前、僕も彼も今日は仕事は休みで、完全なオフ日だ。
 彼と一緒に暮らし始めて、すでにかなりの年数が経過している。最初の頃は彼にまかせきりにせざるを得なかった家事も、僕がようやく人並みに出来るようになったため、ちゃんと分担してもらえるようになっていた。とりあえず、洗濯は僕の仕事だ。
 彼の目の前に件のメモを差し出し、僕はこれはなんのメモですかと聞いた。
「パーカーのポケットに入っていたんです。大事なメモなら、しまっておいたほうが」
「あー……これな」
 彼は新聞を閉じてメモを受け取り、苦笑した。
「これは、人体を構成する物質だ」
「は? 人体?」
「ちなみに出典は漫画だから、科学的に正しいかは知らん」
「はぁ……」
 人体を構成する物質? それはまぁわかったが、なぜ彼はそんなものをメモしたのだろう。人間でも作るつもりなのか。
「そう妙な顔をするな。別に人体錬成しようなんて思ってるわけじゃねえよ。そんなことしたら、持って行かれちまうらしいからな」
「も、持って……?」
 僕はそこで、よっぽど変な顔をしたのだろう。彼は吹き出して、あとで貸してやるから読めよと言った。その、出典元となった漫画のことなのだろう。
「こないだの飲み会で谷口がな」
「ああ、谷口さんと国木田さんと行った時ですね」
「うん。あいつ、相変わらずの調子でなぁ。愛が欲しい、人肌恋しいってうるさいから、さっさと彼女でも作ればいいと言ったら、作り方教えろと抜かすんでな。その場でググってメモしてやったんだ」
「これを、ですか?」
 それは、作る≠フ意味がだいぶ違うのではないだろうか……とは思ったが、もちろん彼はわかっててやったのだろうから、そこを突っ込むのは野暮というものだろう。僕はただ、彼とそのメモを見比べて苦笑した。
「意地が悪いですねぇ、あなたも」
「まぁ、さすがにふざけやがってとキレられたからな。一杯奢ってやったさ」
 叩き返されたメモをポケットに突っ込み、そのまま忘れていたのだと言いながら、彼は楽しそうに笑っている。そんな様子を見れば、そのことで深刻なケンカになったというわけでもなさそうだ。変わらずに仲がいいのだなと、ちょっとうらやましくなった。
「でも、人体ってこんな物質で出来ているんですね」
 あらためてメモを見ながら、化学式をいろいろ思い出してみる。学校を卒業して何年もたつが、意外と覚えているものだと考える僕を見上げつつ、彼はそうらしいなとうなずいた。
「それでその漫画の中では、この物質を使って人間を製造するんですか?」
「製造っつーか、錬成だけどな。漫画の中じゃ失敗して、なんかすごいもんが出来ちまったことになってる」
「なるほど。何か足りなかったものでも?」
「そのへんは漫画を読めよ」
 そうだな。ちょっと面白そうだし、貸してくれるというのなら読んでみようか。
 わかりました、あとで貸してくださいねと言って、僕はメモを彼に返した。さて洗濯に戻ろうと踵を返しかけたが、彼が僕をじっと見上げたままなのでつい足を止めてしまう。
「? なんですか?」
「ああ、いや。人体を構成してるのは石灰とかリンなのかもしれないが、それを食うわけじゃないしなぁと、ちょっと思っただけだ」
 肩をすくめつつ言う彼に、僕も同意する。
「まぁ、そうですね。実際に栄養となって肉体を作るのは肉とか野菜とか穀物ですし……そう考えると我々の身体は、食物で出来ていると言えるかもしれませんね」
 彼はソファの上で身体の向きを変え、胡座をかいて頬杖をついた。その顔に、ニヤリと人の悪い笑みが浮かぶ。
「そうすると、高校時代のお前の身体は、主にカップ麺と冷食とカロリーメイトで出来てたってことになるな」
 僕は思わず、うっと言葉に詰まってしまう。確かに、機関≠フエージェントとして北高に出向し、一人暮らしをしていたあの頃、僕の食事はほぼ毎日がカップ麺や冷凍食品や、酷いときはカロリーメイトのみという生活だった。自炊など、する技術も気持ちの余裕もなかった。
「し、失礼ですね。あれでもちゃんとお昼は、学食でそれなりのものを食べていましたよ」
 だが、古泉一樹≠フキャラ設定としてはあまり大食するわけにもいかなかったので、食べる量は控えめにしていた。正直、成長期の栄養的には、とても足りていなかっただろうとは思う。
「あの頃のお前んちの冷蔵庫はすごかったよなぁ。冷凍室だけ冷食でいっぱいで、あとは水と調味料くらいしか入ってなかったもんな」
「まぁ、それはそうでしたけど……でも、高校生活の最後の頃にはちゃんと」
 そうだ。高校生活が終わりに近づく頃には、僕の家の冷蔵庫にも様々な食品が入れられるようになっていた。肉や魚、豆腐やチーズなどの加工食品が色々とストックされ、野菜室に新鮮な野菜があふれていることすら、めずらしくはなかったのだ。
 それらを使って料理をし、僕のカップ麺生活を遠ざけてくれていたのは、誰あろう、彼だった。彼との交際が始まってから、僕の食生活は劇的に変化した。 
 そして僕は――。
「……ちゃんと、食事というものはおいしいものなのだと、実感していましたよ」
 彼の笑顔が、得意げなものになる。僕が言ったことの意味を察したのだろう。ちょいちょいと指先で招かれてソファに近づいた僕に、彼の手が伸びてきた。
 頬のあたりをさわっと撫でられて、くすぐったさに目をつむる。彼の手は頬から離れ、くしゃりと柔らかく僕の髪をかき回した。
「そうだなぁ。お前が、お前の両親からもらったものをのぞけばだが」
 笑いを含んだ彼の声に目を開けると、すぐ近くに彼の顔があった。こつん、と額同士がぶつかる。
「――今のお前の身体の8割は、俺が作った飯で出来てるよな」
 そんなことをひどく満足げに囁かれて、いきなり頬に熱がのぼった。その言葉はまるで彼に、だから自分のものなのだとでも言われているようで……なんだかすごく、恥ずかしい。ドキドキする。
 ふたりともがオフの、日曜日の午前。僕はちらりと時計を見て、まだ昼食にも全然早い時間であることを確認してから、そっと彼の肩に手を置いた。
 ――あとほんのしばしの間、洗濯をはじめるのを遅らせても、いいだろうか。


                                                   END
(2014.5.08 up)
BACK  TOP  NEXT

スパコミ無料配布ペーパー。
相変わらず、キョンくんの独占欲はわかりにくい方向に発露します。