愛しているといってくれ
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「勇者スレって知ってる?」
 それまでの話の流れをぶち切って、涼宮ハルヒが唐突にそう言った。
 居酒屋の座敷席に、ふたりで居座って一時間。せっかく社会人なのだからと、ジュースと大差ない酒を出すチェーン居酒屋を避け、地酒が多く置いてあるこの店でかなり調子に乗った結果、彼女もめずらしく酔いがまわっている。
「勇者? ゲームのか?」
 高校時代からの腐れ縁、キョンという間抜けなあだ名で現在も呼んでいる同席者も、赤い顔で首を傾げた。
「スレってあれだろ、巨大匿名掲示板の……お前、そういうの見るんだな」
「見極める目を持ってれば、あれはあれで有効な情報源になるのよ……じゃなくて! 勇者スレってのは通称で、ホントは妻に愛してると言ってみる≠チてスレッドらしいわ。実行した人を勇者と呼んでるみたい」
 外国人と違って、日本の男ってあんまりそういうこと言わないのよね、まったく困ったものだわ! と腕を組んで憤慨する彼女は、今は仕事で一年の半分以上を外国で暮らしている。外国人の直截な愛情表現には最初のうちこそ戸惑ったようだが、今ではむしろ自分の気質にあっていると感じているらしい。
「しょーがねえだろ。日本の男はシャイなんだよ」
 クイと杯を傾けて嘯くキョンをじろりと睨みつけ、ハルヒは口を尖らせた。
「だから勇者スレよ! あんたはどうなの。勇者なの?」
「は?」
「ちゃんと愛してるって言ってるの、古泉くんに!」
 途端、キョンは酒を吹き出した。ちょっと汚いわねと文句をつけるハルヒの前で、げほげほと咳き込む。
「お、おま、なにを、いきなり……っ」
「あんたのことだから、どうせ言ってないんでしょ? ダメよそんなの! あたしをフッてくっついたんだから、ちゃんと言わなきゃ許さないわ。そして勇者になって、そのスレッドに書き込みなさい!」
 ドン、とテーブルに拳をたたきつけ、団長命令よ! と懐かしいフレーズ。待て待て待て、とキョンは大慌てで両手を振る。
「フッたってなんだ、初耳だぞ! お前、今までそんなこと一言も」
 む、とハルヒは眉を怒らせた。
「あんたってほんっっっっっとに鈍いわね! 高校の頃、あたしも有希もみくるちゃんも、あんたが好きだったでしょ! それなのに、あっさり古泉くんとくっついちゃって……よりにもよって古泉くんと!」
「馬鹿、声がでけぇ!」
「まぁ、それはもういいのよ。それ知ってから大学時代もずっとあんたたち見てて、ホントに好きあってるのは理解したから。応援したいと思ってるわよ」
 だから! とハルヒはテーブルに身を乗り出す。幸い、平日のその日は店内に客も少なく、聞き耳を立てている人はいないが、声がでかい。
「同じ立場だったんだもの、見てればわかるのよ! 古泉くん、ずーっっとあんたに片思いしてたんでしょ。同性だもの、あたしたちよりずっと苦しかったと思うし、今だってけっこう不安感じてると思うのよ。だからちゃんと、愛情表現してあげなさい! 花束持って! 抱きしめて! 世界で一番愛してるって!」
「アホか! とりあえず黙れ恥ずかしい!」
 あわてて黙らせようとすると、ハルヒはじっとりとキョンを睨みつけ、ますます口をとがらせる。目が完全に据わりまくっているのを見てキョンは、この野郎すでに泥酔してやがると確信した。
「むー……いいわよ待ってなさい」
 突然ハルヒはスマホを取り出して、なにやら操作しはじめた。ブラウザを立ち上げ、どこかのページを開いてから、ドヤ顔でキョンの目の前に突きつける。
「ホラ! 先人たちを見習って、勇者になるのよ!」
 そこが、件のスレッドであるらしい。キョンは仕方なくスマホを受け取ったが、彼自身もかなり酔っているのでさっぱり頭に入ってこない。必死に文字を追っているうちに、ハルヒはさらに酒の追加注文をして、キョンの杯にドボドボとつぎ足した。
「どう? 参考になるでしょ。言う気になった?」
「いや……無理だろ……」
「なんでよ! 飲みが足りないの!?」
 そう叫んで、空いていたお冷やのグラスに酒をつごうとするのを、キョンは必死に止める。
「それとも恥ずかしいの? 男らしくないわね。勢いに任せてすぱっと言えばいいじゃない! 古泉くんだって喜ぶわよ、絶対!」
「いや、だから……そういうことじゃなくてな」
「じゃあ何よ。何があるって言うのよ」
 不満がありありと噴出するハルヒの顔から目をそらし、キョンは何事か言おうとしては言いよどむ。やっぱり飲みが足りてないのねと、ハルヒが再び酒瓶を取り上げたところで、キョンはようやく観念したのか、言いにくそうにボソボソと弁解しはじめた。
「お前はあまり……知らんかもしれないが」
 何かを含むような言い方に、ハルヒは首をかしげる。
「古泉は、実は意外と臆病なんだ。いや、臆病っていうか……幸せ慣れしてないっていうか」
「古泉くんが?」
「ああ……特に、俺と今こんな状況になってるってことを、いまだに信じ切れてないぽいところがあってな」
「はぁ? もう大学卒業してからだって、何年もたってるのに?」
 だよな、とキョンは苦笑する。
「だから……俺がいきなりそんなこと言ったら、怯えさせちまうと思うんだ。何かあったのかとか、浮気とか、別れを言い出す前兆だとか……最悪、不治の病で死ぬんじゃないかとか、そこまで考えるぞあいつは」
「はぁ……」
 さっきハルヒが酒をついだ杯を、ゆっくりとかたむけつつキョンは言う。呆れたような、しょうがないなと言いたげな口調ながらその声にあふれる想いを、ハルヒは敏感に感じ取る。
 言葉の端々から、その表情から、こぼれ落ちる確かな……。
「……ずいぶんめんどくさいわね」
「だろ? めんどくさいんだ、あいつ。いくつになっても、ホントに手がかかりやがる。だからさ……そんな奴と一緒にいてやれるのなんか、俺くらいだろ」
 ぽろりとそんなことをこぼし、キョンははっと我に返った。自分が言ったセリフに自分で照れたのか、わたわたと目を泳がせる。そんな様子を眺めるハルヒの目つきが、つい冷えた。
「うわー……何コレひくわー」
「な、なんでだよ! お前が言わせたんだぞ!」
「そこまで言えとは言ってないわ。わー、あんた見る目が変わったわー」
「お前な!」
 真っ赤になってくってかかるキョンを指さし爆笑しつつハルヒは、何よ、何も心配ないじゃないと胸の奥でつぶやいた。
 なんとなくムカつくわね、と思う感情が、あの頃の恋心の残滓だと自分でもわかっている。そう冷静に分析できるくらいには、自分も大人になったのだ。
(有希とみくるちゃんにも、ちゃんと教えとかなきゃ。あのふたりはだいじょぶそうよって)
 たぶんこれが、引きずり続けていた初恋の本当の終わり。これでやっと、海外に移住する決心がつけられそうだと、こっそり思う。
「……でもやっぱり、たまには言ってあげた方がいいと思うの! 愛してるでもあいらぶゆーでもー」
「だから無理だっつってんだろが! しつこいぞ」
 まぁ、それでもちょっとくやしいから、当分はこのネタでからかってやろうと、ほくそ笑むハルヒだった。


「――すみません涼宮さん。せっかくのお誘いだったのに、仕事が抜けられず」
 飲ませ続けた結果、キョンがすっかりつぶれたのはそれからさらに2時間後。大の男の酔っぱらいを女の細腕でなんとかするのは無理と判断し、ハルヒは電話でキョンの同居人を呼び出した。
 仕事で飲み会には来られないと言っていたが、そろそろ帰宅している頃だろうという読みが当たり、同居人の古泉はさっそく迎えに飛んでくる。
「ひさしぶり、古泉くん。キョンってば、相変わらずお酒弱いわねぇ」
 テーブルに並ぶ空き瓶にちらりと視線を飛ばし、古泉は苦笑する。キョンが弱いと言うよりハルヒが強すぎるのだとは、まぁわざわざ言うことでもないだろう。
「次の機会には、ぜひ僕もご一緒させてくださいね」
「うん、わかってるわ。……ほらキョン、お迎えよ」
「んあ?」
 ようやく目を開けたキョンは顔を上げ、ぼんやりとあたりを見回し、迎えの人物に気づいたようだ。大丈夫ですかとかがみこむ古泉に、キョンの表情がふにゃりとゆるむのを見て、ハルヒは決意を新たにする。
 飲ませても酔わせても、キョンが頑なに言うことを承諾しなかった言葉を、次回こそは必ずや言わせてみせる!
(次こそ絶対、目の前で言わせるからね! 首洗って待ってなさい。キョン!)
「だいぶ飲みましたね。ほら立って」
「おー……こいずみだー。愛してるぞー」
「はいはい。僕も愛してます。で、鞄はどこですか」
「……おいこらちょっと待て、あんたたち」
 これがツッコまずにいられるだろうか。ん? と振り返るふたりに、ハルヒはさらに激高する。
「キョン! なんなのあんた何を軽く言っちゃってんのさっきのご大層な理由は何なの古泉くんもなんなの軽すぎるでしょその受け答え!」
「は、はい?」
「愛してるって! 絶対言うの無理とか言ってたクセに!」
 は? と目を見開いた古泉が、憤慨するハルヒと半分寝ているキョンを見比べる。そして、何かを納得したようにうなずき、微笑んでみせた。
「ああ……素面のときはアレですけどね」
 自分にもたれかかるキョンを抱き直し、古泉はその顔を愛おしげに見下ろす。
「酔ってるときとか、夢中なときとかはよく言ってくださいますよ? ……理性がゆるまないと、本音が言えない人なんですよねぇ」
「夢中なときって……」
「これは、失礼。女性に言うようなことじゃなかったですね。えーと、いわゆるそういう時、です」
「 」
 難儀な人ですよね、と微笑む顔は、さっき古泉のことをめんどくさい奴だと言ったキョンの表情によく似ている。バカップル、という言葉をぐるぐると脳内に巡らせるハルヒを置いて、古泉はてきぱきと勘定をし、それではと頭を下げた。
「タクシーを待たせてあるので、僕たちはこれで。次は是非、長門さんと朝比奈さんもご一緒したいですね」
 それだけ言ってきびすを返し、キョンの身体を軽々と支えて、古泉は店を出て行った。その後ろ姿を見送ったハルヒは、帰るつもりで立った座敷に再び腰を降ろす。
「大将、お酒追加」
 スカートにもかかわらず座敷に胡座をかき、彼女は肘で顎を支え遠い目で虚空を見る。
ボソリとつぶやきが口をついて出た。
「……爆発すればいいのに……」
 ちょうどお酒を持っていった店員は、感慨深げにしみじみと言葉を吐いた客を、思わず二度見した。


                                                   END
(2014.8.28 up)
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夏コミの無料配布ペーパーでした。

毎回失恋させちゃってごめんハルヒ……と思いつつ、バカップルを観察する
(そしてヒドイめにあう)第三者視点ネタが大好きなのです。