最終兵器彼氏
00

  ※これはギャグです!

「すみません、今日は出来ません……っ」
「は?」
 押し倒されたソファの上。のしかかってくる身体を断腸の思いで引きはがし、僕は苦渋に満ちた声でそう告げた。彼はわけがわからないといった顔できょとんとし、やがて心配そうに眉を寄せる。
「どうしたんだ? どっか悪いのか?」
 まぁ、そう聞かれるだろうなとは思っていた。
 基本的に僕が彼からのお誘いを断ることなど、寝る暇もないほど時間がない場合と、体調が悪いとき以外はありえない。平日とは言えまだ夜は浅く、夕飯も食べ終わり、課題で忙しいとは言ったが寝る暇もないほどではないのはばれているのだから、時間ではなければ体調かと、彼がそう考えるのは順当だ。
 が、今日に限って言えば、実はどちらでもない。
 本音を言えば、すぐにでも彼の服を引っぺがして乗っかって、舐めて咥えて突っ込んでめちゃくちゃにしたい。なにせ彼と会うのは5日ぶりなんだから、いろいろたまっているものだってある。それでも今日の僕は、そうするわけにはいかない事情があり、さらに言えばその理由を正直に告げるわけにもいかないのだ。
「それが……悪いと言えば、悪い、かと……」
「えっ。なんだよ、どこだよ」
 心配そうに眉を寄せる彼の視線からまるで恥じらう乙女のように顔を逸らし、僕は不承不承、言わなくてはいけない表向きの理由を告げる。信じますよ、長門さん。本当にこれで、問題が解決できるんでしょうね!?
「……たなく、て」
「ん? なんだって? 聞こえねえ」
「だから……たない、んですっ」
「聞こえねっつの。もっとはっきり言え」
 彼の口調にいらつきが混じる。しかたなく僕は、彼の肩をがっつりつかみ、間近で一息に言い切った。

「だから! 勃たないんですってば!」

「え……っ。たたない、って……何が」
「ナニがですよ! 何度も言わせないでくださいっ」
「はぁ……」
 ……ああ、やめてください、その哀れむような目は。
 かなり切実に、死にたくなりますから……っ。



 ことの起こりは、今週頭の日曜日のことだ。
 その日の朝、いつも通りの時間に目を覚ました僕は、まだ半分以上が眠りの中にある意識の中で、ぼんやりと今日は日曜日だったはずだと考えていた。軽く寝返ってうっすらと目を開け、目の前に最愛の恋人の寝顔を見つけて、それが間違いのない記憶だったと確認する。
 高校を卒業し、お互いに大学へと進学して半年とちょっと。
 高校2年生の夏あたりから恋人として交際をはじめた僕らは、卒業後もつきあいを続けることに、お互い異論はなかった。春休み中に引っ越すことになっていた僕はぜひ彼と同居したいと思っていたのだが、彼の方は主に金銭的な理由から家を出ることが許されず、いまだ実家に住まってそこから大学へと通っている。
 そういうわけなので、以来僕らの週間スケジュールは、平日は用事がない限り大学からまっすぐ彼がこの部屋にやってきて終電間際まで入り浸り、週末は土曜の昼頃やってきて泊まってゆくというものになっている。
 なので、彼が僕の隣で眠っているからには、今日は日曜日なのだ。
 それならもう少し、この心地よい微睡みに浸っていよう。そう考えて僕は、むき出しになっている彼の裸の肩に布団を掛けなおし、もう一度目を閉じた。彼は少し身じろいでうーんと声を漏らしたが、目覚める様子はないようだ。ゆうべはちょっと無理をさせてしまったから、疲れているのかも。さすがに3回はやりすぎでしたね、すみませんと、心の内だけで彼に謝罪した。
 そのまま僕は、また眠ってしまったらしい。うわっ、という彼の叫び声で、再び目を覚ました。
「……どうしました?」
 枕元に置いてあった携帯を食い入るように見つめ、彼はベッドの上に身を起こしている。下着も穿いていない素っ裸だが、そんなことを気にしている余裕はないようだ。
「やっべぇ、寝坊した!」
 そう叫んで彼はベッドを飛び降り、床に散らばっていた服を身につけはじめた。まだ寝起きでぼんやりしている僕は、今日は日曜なのにとその様子を眺める。
「今日は大学は休みですが……」
「馬鹿野郎、ゆうべ言っといたろうが! 待ちあわせだよ!」
 待ちあわせ……? その単語をつぶやいたとき、ふっと、昨日うちに来たときに彼が言っていた言葉が耳によみがえった。今日は泊まってくけど、明日は約束があるんだ。すまんな、と、確かにそんなことを言っていた気がする。
 そうだ。それで、寝坊するわけにはいかんから今日はあんまりしつこくすんなよと言われ、それなのにいざはじめるとやっぱりつい我を忘れてしまって、3回めが終わったあとにさんざん叱責されたのだった。確か。
「ああ……」
「だからしつこくすんなって言ったのに! お前のせいだからな!」
 顔を洗いにあわただしく洗面所へと駆け込む彼の罵声にも、さすがに返す言葉は探せなかった。


「なんでお前までついてくるんだよ」
「さすがに申し訳ないと思いまして……直接、お詫びを」
 携帯で待ちあわせ相手に連絡をとったあと彼は、大慌てで身支度をした。
 時間がないながら適当な格好ではその相手に悪いと思ったらしい彼が、それなりに丁寧に身なりを整えている間に、僕も素早く外出着に着替える。高校の頃は起床後3分で出動、なんてこともめずらしくなかったから、早着替えは得意なのだ。だから、彼が靴を履いて玄関を飛び出すときには、すでに僕は先にドアを開けて彼を待っていた。一緒にマンションの廊下を走りながら横目で僕を見る彼に、苦笑してみせる。
「ご心配なく。お詫びをしたら、すぐに退散しますよ。デートの邪魔はいたしません」
「デートじゃねえっての」
 不機嫌そうに言い捨てる彼の横に並んで、駅までの道を急ぐ。急行電車に飛び乗り、席は空いていたが座りもせずに、イライラと携帯で時間と車窓を交互にながめて数十分。目的の駅に着き、ダッシュで改札を抜けて待ちあわせの場所まで走る彼の後ろについて行くと、前方の植え込みの前によく見知った姿を見つけた。あれが本日の彼の待ち人、ならぬ待たせ人だ。
 彼は足を止めず、息せき切って走りながら、その人物に向かって手をふった。
「――長門! すまん、遅れた」
 その声に、読んでいたらしい本からすっと顔をあげたヒューマノイドインターフェイスの彼女は、無言のままで目の前に足を止めた僕らを見上げる。そしてゆっくりと彼と僕を交互に眺め、首を傾げた。
 高校の頃よりは格段に表情豊かにはなったものの、相変わらず言葉は少ない。が、彼にはそれでも充分に彼女の意志は伝わるらしい。少し妬ける。
「ホント悪い。ちょっと寝坊してな。こいつのせいだってことが明々白々なもんだから、ひとこと詫びがしたいんだとさ」
「すみません、長門さん。ゆうべ、つい僕がわがままを言って夜更かしさせてしまって……。本当に申し訳ありません」
 とにかくそう告げて、彼女に頭を下げた。長門さんはじっと僕に視線を注いでいる。怒っているのかどうかはよくわからないが、1時間以上も待たせてしまったのは事実なので、とにかく謝るしかない。
 まだ黙ったままの彼女に、彼は親指で僕の方を指し示す。
「長門。恨み言くらいいってやっていいぞ。ホントにこのアホが悪ぃんだから」
 まぁ、確かにその通りなのだが、ここまで言われるとなんとなく反発したくなってくる。彼だって、なんだかんだと言いつつも僕の愛撫には積極的に応えていたし、繋がっている最中も腰に足をからめて、ずっと気持ちよさそうな声をあげていたんだから。
「返す言葉もありませんが、あなたにも責任の一端はありますよ? 結局のところ、嫌がらなかったんだし」
「何回もダメだっつったってーの! 節穴かお前の耳は!」
「ダメとか嫌とか、あなたいつも言うじゃないですか」
「そういうのとは違げえ! つか、こんなとこで大声で話す内容じゃねえ!」
 彼がちらりと視線をやるのにつられて、僕も長門さんを見た。表情は変わっていなかったが、あきれられているようにも見えた。
「な、長門?」
「長門さん……?」
 無表情のまま溜息すらつかずに、彼女はくるりと踵を返した。
「いい。気にしないで」
 すたすたと歩いて行く先は、目的地だと聞いていた図書館だった。慌てて彼女を追いかけようとする彼に、それでは僕はこれでと告げる。わかったあとでな、という彼の返事にうなずいて、僕は彼の背中を見送った。


 SOS団のメンバーとは、今でもときおり集まっては遊んだり飲み会をしたりと、縁が続いている。中でも彼と長門さんは、同じ大学の同じ学部に進んだこともあって、頻繁にふたりで図書館や古書店めぐりをしているらしい。
 それを知ったときはかなり穏やかならざる気持ちになったものだが、たまにそのデート≠ノ混ぜてもらい、ふたりのやりとりを見ていれば、どう見ても彼らの関係は兄妹のそれ……どころか、下手をすると親子のそれに近いという事実が明らかだった。しかも双方、それで全然かまわない様子なので、無駄な嫉妬をするのはやめたのだ。
 ――まぁ、高校のときからそんな感じではあったよな……。
 出てきたついでにと駅前の本屋に入り、好きな作家の新刊を探しながら心の内でそうつぶやく。言葉で確認したことはないのだが、錯覚や願望というわけでは、たぶんないと思う。一時期は確かに、長門さんの中にも彼への恋情があるのだと感じたことがあったのだが……はて、一体いつごろから印象が変わっていたのだろう。
 目的の本を購入し、あとはどこかそのへんで昼食でも食べて帰ろう、とあたりを見渡した僕は、そこでぎょっと足を止めた。目の前に、さっき彼とともに図書館へと消えたはずの長門さんが、僕の方を向いて立っていたからだ。
「な、長門、さん……? なぜここに……」
「彼には、トイレに行ってくると告げて出てきた。古泉一樹。話がある」
「はぁ……」
 長門さんも嘘をつくのだな、などとどうでもいいことを思いつつ、僕は彼女にうながされてビルの谷間へと足を踏み入れた。ビルとビルの狭間に出来た空間には、人の気配は感じられない。たぶん、非常口すらない壁に囲まれたここは、都会の死角とでもいうべき場所なのだろう。
 そんな推理小説のタイトルみたいなことを考え、足を止めた彼女に声をかける。
「長門さん? お話とは……」
 くるっと振り向いた彼女が、凪いだ湖みたいな瞳で僕を見据える。思わずたじろぐ僕に長門さんが告げたのは、まさに度肝を抜かれるような言葉だった。

「この世界は現在、再びループしている」

 えええええええええええええええええええっ……!
「そ、それは……まさかっ」
「今日を含めて、来週土曜日までの2週間。これがすでに、4500回くらい繰り返されている」
 思わず目眩がした。よみがえる高校1年の夏休み、15498回繰り返された2週間の記憶。意識にわだかまる既視感。どうにもできない焦燥と倦怠。見つからない脱出口。迷い込んで出られない迷路のような――。
 あれをまた繰り返すのか、と重くのしかかる絶望に沈みそうになったそのとき、長門さんがあっさりと言った。
「だが今回は心配ない。ループ回避のカギはすでに見つかっている」
「ほ、本当ですか!? それは、一体どんな」
 そこで僕は、おかしいと思わなくてはいけなかったのだ。長門さんが嘘までついて彼をさしおき、僕なんかにその事実を告げに来たことを。だが冷静になれば思い至っただろう疑問に、そのときの僕はまるで気づかなかった。
 長門さんは表情を変えず、淡々と答えを口にした。
「今回のループの原因は、あなたたち。ふたりの仲がよすぎるせいで、涼宮ハルヒのイライラが募り、力が発動した。あなたたちには、これから2週間の性的接触の自粛を要請する」
「……は?」
 さらっと言われたそれに、耳を疑った。あなたたち、というのはおそらく、僕と彼のことだろう。自粛? 自粛というと?
「いままでの4500回ほど、あなたはその条件のクリアに失敗した。今度はがんばって」
 ……って、ちょっと待ってちょっと待って! そんなのアリなんですか! マジで!
「だ、だっておかしいですよ長門さん!? そもそも涼宮さんの力はここ2年ほど、まったく観測されていなくて」
「消滅は確認されていない」
「それはそうですけど! あと、僕らの関係はもう……」
 そうなのだ。彼女の力が弱まり、ほぼ感知できないレベルになっておよそ2年。その間に、隠していた僕と彼の本当の関係は。
「涼宮さんは、僕が彼とおつきあいしていることをご存じですし! そういった、いわゆる身体の関係があることも、ぜんぶ知ってるじゃないですかっ!」
 言わずにすませることは出来ないと、彼女にすべてを打ち明けたのは卒業式のあとだ。どれだけ罵られてもと覚悟して告白した僕たちに、彼女は半ばあきれた顔で、そんなのとっくに知ってたけど、と首を傾げた。そして、まさかばれてないと思ってたの? うけるわーと豪快に笑い飛ばしてくれたのだ。
「そんな彼女がまさか、今更僕らの仲に不満なんて……」
「惚気うざい」
 は? 今、なんと?
 なんか、長門さんらしくない言葉を聞いたような。気のせいかと顔を上げると、彼女は何事もなかったような顔で僕を見上げている。聞き違い、か?
「残りあと13日と半日。今度こそ、性的接触禁止に成功して欲しい」
 淡々とそう繰り返す彼女に、僕はしばし逡巡したあと不承不承うなずいた。しかたない。それがカギなのだと言われれば、従うほかにないではないか。
 まぁ、大丈夫だろう。今までもレポートや実験が忙しくて、そのくらい間が開いたことくらいある。彼に理由を説明し、期間中の訪問を差し控えてもらえば……。
「彼に理由を言うことは推奨できない」
 なんですと?
「そういうわけにはいきませんよ! 僕らは愛しあっている恋人同士なんですから、理由もなく2週間も拒否なんてできるわけが」
「自慢うざい」
 えっ? また妙な言葉を聞いた気がしたが聞き返す前に、長門さんがとんでもないことを言いだして、それどころではなくなった。
「勃起不全の状態であると言うといい」
 ぼっ……ってあなた。
「勃起不全とは男性の性機能障害の一種であり、陰茎の勃起の発現あるいは維持ができないために性交が充分に行われない症状のこと。原因は主に加齢、もしくは心因性、器質性、薬剤によるものなどが」
「知ってます知ってます知ってますからどうかやめてください女性の口から言われるとものすごい生々しいですっ!」
 蕩々と説明をはじめた彼女の言葉を大慌ててさえぎり、僕はとにかく話を先に進めた。なんで僕が、そんなふりをしなければならないのだって?
「不安になった彼が涼宮ハルヒに相談することによって、彼女の不満は解消される」
「はぁ……」
「だからがんばって」
 それで言いたいことは全部だとばかりに、長門さんはくるりと踵を返した。あとは振り向きも躊躇いもせず、すたすたと来た道を戻って行ってしまう。
 あとには、呆然とたたずむ僕だけが残された。



 ――つまりそういう深い事情があり、僕は今現在、こんな状況になっているわけなのです。ご理解いただけたでしょうか?
「…………」
「……あの」
 ああ、沈黙が痛い。疑うような、哀れむような彼の表情が、ものすごくいたたまれない。微妙な、としか形容のしようない顔で僕を見ていた彼の視線が、やがてゆるゆると僕の股間へと向かった。うんまぁ、そうですよね……。
 今、僕のそこは、見た目は通常のおとなしい状態になっているはずだ。その状態を保つために、僕はさっきから必死に素数を数え数式を唱えているのだし、いざというときに少しでも目立たないようにするため、用意しておいたスポーツ用のきつめのサポーターを、さっき隙を見てトイレで着用してきさえしたのだ。
 長門さんにとんでもない話を聞かされた日曜日から、とにかく会いさえしなければいいのだと、レポートを理由に彼の訪問を断った。先述のとおり別にそういったことがないわけでもないので、このまま逃げ切れるかと考えていたのだが甘かった。5日がたった今日、金曜日。ふいに彼がアポなしで、僕の部屋を訪ねてきたのだ。
 忙しそうだからろくにメシ食ってねえだろ、と、彼の母上が作ってくださったお総菜と彼自身が握ったというおむすびの詰まったタッパを抱えて来てくれた彼の心遣いは、本当に涙が出そうになるほど嬉しかった。と、同時に今現在の自分の状況を考えあわせると、別の意味で涙が出そうになった。
 幸い、彼と会うことができないイライラをどうにかするために、部屋いっぱいに教科書やら未整理の書類やらレポートやらを広げていたので、言い訳を疑われることはなかった。
 が、食事をいただきお茶を飲んで一息ついたところで、めずらしく彼が積極的に身を乗り出してきてくれたのだ。ちょっとくらい息抜きしたって罰はあたらんだろ、と、普段ならそれだけで暴走必至な、少しだけ恥ずかしそうな破壊力抜群の表情で僕を押し倒してきて……このありさまなのである。
「な、なんで……?」
 さわさわとジーンズの上からなでてくる手を止める。あまり触られると感触でばれる。それに、きつめに押さえているのでもし勃ってしまったら、うん。すごくすごく痛い。マジで。
「たぶん、ここしばらく忙しかったせいだと……」
「医者とかは?」
「いえ……以前、あまりにも多忙を極めた時期にもこういうことはあったので、しばらく様子を見てそれでもダメそうなら診察してもらいますよ」
「そっか……」
 彼がじっと僕を見つめながらうなずく。やがて彼は下を向いて、もじもじと何か言いたけな様子を見せた。
「念のため聞くけど……俺、に、飽きた……とかじゃ、ないよな?」
「そ、それだけはありえませんっ! 天地がひっくり返ろうと地球が逆回転しようと、僕があなたに飽きるなんてことだけはっ」
「わかった、わかったって。一応聞いてみただけだ。疑ってねえよ、そのへんは」
 苦笑いと照れ笑いが混じったような表情で、彼が肩をすくめる。こんなことで彼への想いを誤解なんてされたら、それこそ冗談じゃない。そんなことがあるならかまわず、僕はあと1万回だろうがループを繰り返してやる。
 鼻息も荒くそんなことを考えていたら、彼の手が再び僕の下半身へと伸びてきた。さっき見せてくれた死ぬほど可愛らしいもじもじとした仕草で、彼は視線をあわせないまま小さく囁いた。
「試しに、その……俺が、してやろっか……? く、口で、とか」
 思わず、股間を押さえて悶絶するはめになった。やばい。なんだこれ。なにこの凶悪な生き物。殺す気か。
「ど、どうした古泉」
「い、いえ……っ! なんかキたような気がしたんですがっ!」
 あわてて数式を頭の中で展開して、なんとか冷静さを取り戻す。やっぱダメだったのかとしょんぼりする彼の様子に、罪悪感がちくちくと僕を苛む。と同時に、なんて理不尽なのだという憤りがぐらぐらと沸き上がった。
 彼が自らしてくれようという貴重な申し出を、なぜ必死で断らねばならないんだ。萎えた状態でまるで反応しないモノをあなたに見せるのは恥ずかしくてなんて言い訳を、どうして力説せねばならないんだ。
「まぁ、あんまり気にするなよ」
 帰りがけに彼は、軽く唇を触れあわすキスをして笑ってくれた。
「無理しなくてもさ。俺は、お前と一緒にいられるだけで満足だから」
 じゃあな、と手を振って彼が帰っていったあと、僕は服を着たままバスルームに飛び込み、乱暴にサポーターを脱ぎ捨てて、シャワーの中で立て続けに数回抜いた。
 性的接触は禁止されたが、さすがにこれは禁じられてはいない。はずだ。
「まったく……」
 ぐったりとバスルームの壁に寄りかかって座り込んだまま、シャワーヘッドからザァザァと流れ出る湯を頭から浴びながら、僕はつぶやいた。下半身のみまるだしの状態で、髪からシャツまでぐっしょりと濡れそぼって、深く溜息をつく。
「勘弁してくださいよ……」


 その週の週末は、彼は僕の部屋に泊まらなかった。
 土曜日は普通に訪ねて来たが、夕食後に今日は帰るからと言い置いて自宅へ戻ってしまった。日曜は外でデートをし、部屋には来ずにそのまま別れた。まるで高校時代に戻ったみたいな健全な週末デートもそれはそれで楽しかったが、彼が気を遣ってくれているのがよくわかって、とてもいたたまれない。
 週が明け、あと1週間の我慢だと胸の内で唱えつつ大学に通う。いろいろと鬱屈するものはあったが表面上はごく普通に、講義にも実験にも出席した。大学で親しくなった友人たちともそつなく雑談して過ごしたが、勘の鋭い女性たち幾人かには元気ないねと言われてしまった。まさか、セックスを禁じられて悶々としているだけですなどと言うわけにもいかず、なんでもないですと答えてやり過ごすしかなかった。
 実際、2週間くらいしなくても、なんということはないはずなのだ。ただ、彼は変わらず毎日部屋に来てくれるので、出来る状況にあるにもかかわらず我慢しなければならないのが辛い。軽くキスをしたあと、彼が見せるなんとなく物足りなそうな顔に煽られて、後先考えずに抱きしめたくなる。
 そんな彼に、そろそろ病院に行ってみないかと言われたのが木曜日だ。原因をはっきりさせた方がいいと思うと心配そうに僕を見る彼に、また罪悪感がこみ上げる。もう全部言ってしまいたいという欲求をこらえ、もうちょっと待って欲しいとなんとか伝える。来週には絶対になんとかなるはずですからと根拠も示せずに言い募る僕の言葉を、彼はどことなく不満そうに聞いていた。
 そして、その翌日の金曜日は、彼はうちに来なかった。
 用事があるから今日は行かないとのメールだけが携帯に届き、僕はホッとするのとしょんぼりするのと憤るのとが入り交じった複雑な気持ちを味わうこととなった。そろそろ彼も、平気な顔で僕の側にいるのが辛くなってきたのかもしれない。彼は淡泊な方ではあるけれど、それでも限界はあるのだろう。
 残りは、今日を含めてあと2日。我慢に我慢を重ねて、おかしくなりそうだ。無事にループを抜け出した暁にはもう、朝までといわず一昼夜まるまるフルコースで、寝食を忘れて抱きあおう。そう心に決めた。
 ループ回避の条件はなんだっけ? 長門さんは確か、彼が僕について涼宮さんに相談することで彼女が安心するとか……もしかして今日の彼の用事とは、涼宮さんに相談に行ってくれているのだろうか。それなら無事にフラグ達成ということになって、このループもなんとか……って ち ょ っ と 待 て!!!!!!
 涼宮さんに何を相談するんだって? 僕がどうやら、いわゆるEDになったらしくて、セックスができなくて困ってるって? 
(どうすればいいと思うよ? ハルヒ)
(えっと、浮気とかそういうアレじゃないのよね? そんな理由だったらぶん殴りに行くけど)
(違う違う。なんか体調が悪いらしいぞ)
(そうなの? じゃあとにかく休んで疲れをとって……精力アップするものとか食べさせればいいんじゃないかしら。マムシの丸焼きとか)
(丸焼き!? どこで手に入れるんだどこで!)
 なんだか会話が、リアルに想像出来てしまう。まさか彼は涼宮さんに、そんなことを話すつもりなのか。ループ回避の条件がそれだとはいえ冗談じゃない。しかもループから抜けるということは、その記憶が……僕がそんなことになったという不名誉な記憶が、彼女に残るということじゃないか!
「ああああああ……」
 講義の真っ最中に、いきなり頭を抱えて悶絶しはじめた僕を、隣の席の見知らぬ人が心配そうにのぞき込んでくる。大丈夫ですかと聞かれて我に返った僕は、いきなりひどい頭痛がと言い訳してそそくさと席を立った。
 その日の授業を終えて部屋に戻っても、誰に会いに行っているのですかと聞くメッセージは送れなかった。いつも通りの当たり障りのない内容のメールだけを送り、彼から戻ってくる他愛もないメールを読んで独り寝の夜を過ごす。そうしているうちに、だんだん開き直ってきた。
 なんとか今日を無事に乗り越え、明日はようやく土曜日。とにかく明日一日を乗り切れば、ループしているという世界は元に戻るのだ。涼宮さんのことはとりあえず置いておこう。問題が解決したあと、どうにかして挽回につとめればいいのだ。うん。
 あと1日。土曜日いっぱい我慢すれば大丈夫。楽勝だ楽勝。
 ヤケクソ気味にそうつぶやいて布団をかぶったとき、携帯にメールが届いた。彼からだった。内容は一行のみ。

 明日は、お前んち泊まるからな

 処刑宣言か、とこっそり思った。



 一応、煮え切らない断りのメールっぽいものは送ってみた。が、それに対して返信はなく、彼は宣言通りに昼を過ぎた頃に僕の部屋にやってきた。
 ひろげてあったレポートは、根詰めるのはよくないから今日一日だけ休みにしろと、彼に片付けられた。ものすごくせっぱつまってるようなのはないんだろ? と面と向かって聞かれて、嘘をつきとおせる自信はなかったからうなずいてしまう。これでもう、レポートに逃げることは出来なくなった。
「今日は俺がサービスしてやるから、お前はゆっくりしてろ」
 彼はそう言いながらエプロンをつけて昼食を作り、食後は買ってきたらしいプリンをデザートにお茶を入れてくれた。さらにその後僕をソファに寝そべらせ、レポートに追われてんなら肩とか腰とか凝ってるんだろと、マッサージまでしてくれる。まさに至れり尽くせりで、僕は申し訳なくなってしまった。
「あの……こんなにしていただくと、かえって心苦しいです……」
「気にすんな。俺が好きでやってんだから」
「でも……」
 たぶん彼は、僕の……状態、をなんとかしようといろいろ考えた末に、ついに今日、行動に出ることにしたのだろう。疲れているせいという僕の嘘を信じてくれての、このサービスなのだ。
 結果的に見れば逆効果な行動ではあるのだけど、彼の気持ちが嬉しくて涙が出そうになる。僕はマッサージしてくれている彼の手をつかんで起き上がり、ぎゅっと抱きしめた。
「あなたが気を遣ってくださるのは、とてもありがたくて嬉しいです。だけど……」
 全部嘘だなどとは、それでも言えない。ここでバラしてしまって、すべてだいなしになったら元も子もない。
 やっぱり世界を正常に戻すことは僕の使命だし、何よりもこのままループを続かせて、彼とともに歩んで行く未来を奪われるのは嫌だ。これから先も僕は、彼といろんなことを体験しながら、長い時をいっしょに過ごして行きたいんだから。
「……すみません。治ったら、今度は僕が思いっきり甘やかしてさしあげますから」
 今はまだ、そうとしか言えない。だけど無事にループを抜けたら、この2週間の分もしっかり埋め合わせをさせてもらおう。
「ごはんも作るし、デザートも用意するし、マッサージだってします。それと、もちろんセックスだって……」
 耳元で、とっておきの甘い声で囁いてみる。
「とろとろになるくらい、気持ちよくしてあげる」
「……っ、この、アホっ!」
 と、彼の顔がまたたく間に真っ赤に染まった。照れ隠しなのか勢いよく顔を押し返され、無理やり腕の中から抜け出されてしまう。
「お、俺はただ、疲れてるんなら慰労してやらにゃと思っただけだ! 別に、そーいうのを期待してるわけじゃねえ!」
 夕飯の買い物行ってくる! と彼は言い捨て、エプロンをテーブルの上に放りだして、走ってドアから出て行ってしまった。
 それから1時間もかかって、彼は買い物から帰ってきた。凝ったものは作れないからなと仏頂面で、カレーを作り始める。やがて日が暮れる頃、昼からじっくり煮込んだカレーができあがり、ライス大盛りの皿の上には牡蠣フライが乗っていた。滋養強壮にいいんだそうだとしれっと説明する彼の意図は、なんともはかりづらかった。


 宣言通りに、彼は泊まっていくつもりのようだ。
 夕食の食器を片付けた後は、ゲームをやったりテレビを見たりとダラダラ過ごすのが、いつも通りの僕らの週末。そうするうちに、どちらからともなく互いの身体に手を伸ばし、触ったりじゃれあったりしはじめて、やがてベッドへとなだれ込むまでが僕らのいつも通り≠フコースだった。
 だがさすがに今日はそうは出来ないと心得ているのか、彼は僕の手が届かないソファに座ってテレビを見ている。気を遣ってくれているのだとわかっていてもなんだか寂しくて、僕は雑誌をめくりながら何度も壁の時計を眺めた。針はまだ10時前をさしている。時間がたつのが遅い。
「そういえば昨日は、なんのご用だったんですか?」
 ふいに、フラグは成立してるのかと心配になって、そう聞いてみた。普段、行動の詮索などしたことのない僕の質問に驚いたのか、彼がテレビ画面から離した目を見開く。
「昨日? えーと……大学の友達とちょっとな」
 言い淀む様子が意味深に思えた。もしその友達≠ェ涼宮さんでも、嘘はついてないことになる。学部は違うが、彼女も彼と同じ大学だから。それならなんとかフラグは成立だ。あとは今日いっぱい、僕が彼に手を出したりしなければループから脱出できる。
「そうですか……何か、相談ごとでも?」
「…………」
 うっすらとカマをかけてみる。すると彼は僕をじっとにらみつけるように見つめ、なぜかいきなり赤くなった。な、なんですかその、意味不明の反応は。
「べ、別になんでもねえよ」
 彼は手にしていたリモコンでテレビを消し、それをテーブルに放りだして、ソファから勢いよく立ち上がった。そして落ち着かない様子で、風呂入ってくると言い捨ててリビングを出て行ってしまう。一体なんなのだろうとは思ったが、やがてバスルームの方からシャワーの音が聞こえてきたので、僕は再び雑誌へと視線を戻した。
 今日という日が終わるまで、残りはあとほんの2時間。
 大丈夫だ。この調子なら乗り切れる。2週間のセックス禁止くらいなんてことはない。彼の魅力はそれはそれは凶悪だが、僕だっていつまでも盛ってばかりのガキじゃないんだから。たとえ彼が、あの犯罪的に可愛らしい仕草で誘ってきたとしても、きっと拒否することができる。……あと2時間くらいなら!
「こいずみ」
 ぐっと拳を握りしめて決意を新たにしていたら、急に名前を呼ばれた。はい、と返事して振り返った僕はそのとき、あまりに無防備だった。
 たぶん、ぎゃあとかひいとかとんでもない悲鳴を上げたんだと思う。ドアの前にいた彼の真っ赤な顔に、あからさまに拗ねたような表情が浮かんだ。
「……似合ってねえのは認めるが、なんだその幽霊見たみたいな反応は。失礼だな」
「ちっ、違っ……! そう、じゃなくて、あの、あなた、その服、いや服、というか違くて、それより、その下はどう、ああいや」
 もはや自分でも、何を言っているかよくわからない。たぶん赤くなったり青くなったりしているだろう僕を見下ろしながら、彼は組んでいた腕をほどいて身につけたソレの裾を少し捲った。ちらりとその下がのぞいて、僕はまた声にならない悲鳴をあげる。
「さすがにフリルとかレースとかついてるのは、持ちあわせがないんでな。いつものやつですまん」
 そう言いつつ、彼が愛用の黒いシンプルなエプロンの裾をひらひらさせる。身動きするたび、その頼りなげな布の下から健康的な素肌が見え隠れする。ということはやはり間違いない。彼はそのエプロンの下に、下着の1枚すら着用していないのだ。

 つまりこれは、まごうかたなき男の夢のシチュエイション。
 その名も、はだかエプ

「…………っ」
 ダメだ。とても最後まで言う勇気がでない。2週間の禁欲の果てに、なんというご褒美が待っていたのか……って、しまった! まだ日付が変わってない!
 恐ろしいことに気がついて硬直する僕に、彼が近づいてくる。そんな大胆な格好をしているくせに、彼も実はかなりの恥ずかしさをこらえているようだ。赤く染まった頬に困ったような笑みを浮かべ、上目遣いで僕を見上げる。
「こういうの、ガラじゃねえんだけどさ。いつもと違う格好とかしてみるといいって、聞いた、から……その、どう……だ?」
 どうだってそんなの……!
 無防備な素肌にまといつくシンプルなエプロン。彼が身動くと胸当ての横からほの赤い乳首がちらちらのぞき、ミニスカートより少し長いくらいの裾から見える生足を、恥ずかしいのかもじもじとさせている。恥じらいに染まって潤む瞳がじっと見つめて僕をあおり、少し汗ばんでいる素肌もほんのりと上気して、風呂上がりのいい香りを漂わせる。
 扇情的とか蠱惑的とか、そんなチャチなものではない。間違いなく彼は、僕を殺しにきている。
 いや、でも。ダメだ。まだダメだ。
 まだループの2週間は終わってない。ここで誘惑に負けてしまったら、せっかく我慢した日々が無駄になる。だからここは、ぐっとこらえなければいけない。素数でも数えて、耐えきれ古泉一樹……!
「こいずみ……?」
 首を傾げた彼の手が、そっと僕の股間をなでた。
 下半身に、ずくんと衝撃が走った。無理やり押さえつけているそこが、僕の意志に反抗する。っていうか痛た、痛たたたたた……っ。
「これでも勃たないかな……」
 腰が抜けたように床に座り込む僕のそこを確認するように、彼がのしかかってくる。
 布一枚で前面がかろうじて隠れているだけだから、後ろはもちろん丸出しだ。めくればもちろん前も全部見えるけれど、彼が恥ずかしそうに手で裾を引っ張っているから見えない。一生懸命隠そうとする仕草がまた、たまらない。
 片手を使えない不自由な姿勢で僕の足をまたごうとしてバランスを崩し、エプロン越しに彼のそれが足にこすったらしい。彼はあっと小さく叫んで、身を震わせた。耐えるように目をつぶり、はぁっと熱く息をつく。
 いけない。早く素数を数えなければ。冷静さを取り戻すんだ、僕!
「やばいな……この格好」
 情欲に染まる目元で僕を見上げた彼が、肩をすくめてつぶやいた。
「お前を興奮させるより先に、俺の方がどうにかなりそうだ」
「…………っっ!!」
 いけない、素数を、素数、素数……そすうって、なんだっけ?
 頭の中で、何かが切れた音がした。次の瞬間にはもう何もかもが消し飛んで、僕は彼の肩をつかみ、床に押し倒していた。
 こんなファイナルウェポンに、一体誰が対抗できるというのだ。
「こいずみ……っ」
 視界の端に、ちらりと壁の時計が引っかかる。今日が終わるまで、たぶんまだ1時間以上あるはずだったが、そのときの僕の頭の中にはもう彼を貪ること以外、何も残ってはいなかった。



 ――ああ、やってしまった。
 長門さん、すみません。やっぱり僕には無理だった。
 彼にあんなに素直に求められて、最後まで抗うことなんてできない。今の僕は、こと彼に関しては、昔からは考えられないほどに堪え性がなく強欲だ。彼のすべてを手に入れたい。何一つだって取りこぼしたくない。……だからおそらくは今回も、世界はループするのだろう。あの夏と同じように。
 2週間分の飢餓を埋めるかのように、狂ったみたいに彼を抱いた。
 ベッドに移動する手間さえ惜しくて、場所はそのまま床の上。いつもなら使うゴムすら無視。彼の中に何度も出したけれど、彼もダメだとは言わなかった。おかげでエプロンはすぐにどろどろになったが、もったいないからはずさないと言うと、彼はあきれたみたいに笑ってくれた。
 何回したか覚えていない。体力の限界が来てようやく彼の身体を離したときには、もう腕をあげるのさえ億劫だった。
 床の上に並んで転がったまま、僕らはしばし言葉もなく、荒い息を必死で整えている。
 一体、今は何時だろう。今回の僕らの時間は、あと何分残っているのか。あともう一度、彼にキスをする余裕くらいはあるだろうか。
 僕はだるい身体をようやく寝返らせて、壁にかかった時計を見上げた。ぼんやりと汗でにじむ視界のせいで、なかなかピントがあわない。えーと……。
「……1時20分!?」
 泥のような疲労も忘れ、思わずがばりと身体を起こす。だるかったはずの腕で身体を支えてもう一度見直しても、確かに時計の針はとっくに午前0時を越え、すでに日付が変わっていることを示していた。
「うお、3時間もたってんのか……そりゃ疲れるはずだな」
 僕の叫びの意味を誤解した彼が、溜息とともにそう言った。間違いない。彼にもちゃんと記憶はあるようだし、普通に地続きの日曜日が巡って来ているらしい。一体、どういうことなんだ。
 もう一度、ちゃんと日付と時間を確認しようと、床を這いずってローテーブルの上の携帯に手を伸ばす。と、メールが一通届いていることに気がついた。着信時間は、00:01。差出人は……長門有希?
「な、長門さん……!?」
 あわててメールを開けてみる。そこにあったのは、絵文字のひとつもない、彼女らしい簡潔な文面だった。

ミッションは失敗。
 この世界はループする。
 
 ……と、仮定して反省するべき。
 おつかれさま。 ゆき

「はぁ?」
 なんだこれは。仮定して反省って。おつかれさまって。どういう意味なんですか、長門さん!
 混乱して、声に出さずにそう叫んでから、ふいに冷静になった。……そういえば、今回の件は最初からどこか妙ではなかったか。
 長門さんが、彼を差し置いて僕に相談を持ちかけてきたということが、まずおかしい。しかも彼女はループの説明の際、4500回くらい≠ネどという曖昧な表現を使った。常ならコンマ以下まで正確なデータを示す彼女にしてはありえない表現だ。
 それでも僕があっさり長門さんを信じたのは、彼女がデタラメを言うはずがないという思い込みのせいであったが、あのとき僕は確かに考えたはずだ。『長門さんでも嘘をつくのだな』と。
「やられた……!」
 思わず脱力して、がくりと床に崩れ落ちる。彼女にはめられたのだと、やっと理解した。どうして彼女は、そんなことを。
「長門か? なんだって?」
 ぐしゃぐしゃのエプロン姿で床に寝そべる彼が、身体ごと僕の方を向いて、のんきにそう聞いてきた。まだ汗で湿った髪がふちどる顔は、情事の余韻をひきずって、たとえようもなく色っぽい。だけど僕はそんな彼の姿を堪能する気力すらなく、いえ別にと力なく首を振った。
「?」
 そんな僕の様子に彼はちょっと不思議そうな顔をしたが、まぁいいけどとつぶやいて、ごろんと仰向けに床に寝転がる。天井に向けて腕を上げ、伸びをしつつ長門といえばとまた言った。
「先週の日曜日、お前のせいで遅刻したあの日さ。実は長門の誕生日だったんだよな」
 はた、と僕は顔を上げた。
「誕生日……? 長門さんの?」
「ああ。まぁ、本当の誕生日はわからないらしいから、高校の時に俺が決めてやったやつだけどな。俺、遅刻のことですっかり忘れちまってて、悪いことしたなぁと思ってさ」
 ――そうだったのか……。
 彼女がとても楽しみにしていたのだろうそんな日に、僕は彼を遅刻させてしまったのか。しかもお詫びをと言いつつ、彼女の前でずいぶんと無神経な会話をしてしまった気がする。
 そうか。僕は彼女を、だいぶ怒らせてしまったのか。
「それでは昨日は、長門さんのところに……?」
「ああ。ものすごい巨大なパフェをおごらされたぞ」
 何を思い出したのか、彼が楽しそうな笑い声をあげる。床の上でころりと寝返って、その笑顔を僕へと向けてくれた。
「だから昨日は、その埋め合わせだったんだ。ついでに、お前のこともちょっと相談してな。まぁさすがに、体の調子が悪いらしいくらいにぼかしてだったんだけど……長門にはかなわんな。見透かされてた気がするぜ」
 いやまぁ、彼女自身が仕掛けたことなので、もちろんわかっていたんでしょうけど。
 とは言わずに、僕はただ小さく苦笑した。
「どうすりゃ元気になると思う? って聞いたら、普段と違うことをしてあげるといい、ってさ。具体的にはどんなんだって俺の質問への答えが」
 ひらりと、彼がエプロンの裾をつまんでみせた。なるほど。彼らしからぬ大サービスの発案者は、長門さんだったということか。
「ま、おかげでお前も元気になったみたいだし、さすが長門だな」
「はは。ええ、まぁそうですね……」
 とりあえず僕としては、苦笑しておくしかない。どうやらこの2週間、僕は彼女にさんざん振り回されてしまったようだ。まったく。僕らを翻弄するのは涼宮さんの十八番かと思っていたが、長門さんもやはり正しくSOS団のメンバーであったらしい。
 僕は携帯をテーブルに戻して、床に寝そべったままの彼の側へと近づいた。
「長門さん、いつのまにかメールの最後に、ゆき、と署名するようになったんですね」
「ん、ああ。そういえばいつからだろうな。可愛いよな」
 嘘をついたり腹を立てたり、僕らの仲を気遣ってくれたり。本当に彼女は、すっかり人間……いや、普通の女の子らしくなった。――次に長門さんに会ったとき、僕はどう対応すればいいのだろう。だましたことを怒るべきだろうか。それともやっぱり……。
 彼の頬に僕の手が触れると、彼はすりすりと頬を寄せてくる。そっと唇をなでながら、くすりと笑う僕に、彼がなんだという目を向けた。
「いえ。やっぱり僕は、長門さんにお礼を言うべきなのかなと、思いまして」
「お礼?」
「ええ。おかげであなたの、そんな素敵な姿を見られましたし」
 結果的に、2週間我慢したあげくのセックスは、たとえようもない気持ちよさだったし。
 そんなことを適当にごまかして言ったら、彼はたちまち真っ赤になった。
「すごくお似合いですし、そそります。またぜひ、やってくださいね」
「ばっ……! もう二度とするかっ!」
 そう言い捨てて向けた背を抱いて、そんなこと言わずにと囁いた。照れて耳まで赤くしている彼は、本当に可愛い。うん。やっぱり長門さんには、お礼を言うべきだな。

「ああ、エプロンがだめなら、次はメイド服なんてどうです? ご用意しますよ?」
「うるさいこの変態!」



                                                   END
(2014.3.30 up)
BACK  TOP  NEXT

何度も言いますが、ギャグです!

一応、K様よりのリクエスト
「娘ポジションの長門さんが、大好きなままキョンの恋人古泉に軽くイジワルする話」だったのですが。
だいぶ前に書いたまま、ちょっと納得いかない部分があって放置してました。