祈りのかたち
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 ほんのちょっとだけと思いベッドに転がったら、思いの外しっかり眠ってしまったらしい。目が覚めて枕元の時計を見ると、とっくに家を出ている予定の時間だった。
 あわてて飛び起き、手早く支度して駅に向かう。まぁ、もともと早めに到着するように予定を立てていたから集合時間には間に合うと思うが、あまりギリギリだと彼を遅刻させてしまうかも知れない。なぜか彼は、SOS団での待ち合わせでは僕がどんなに時間を調節しても、必ず最後に到着することになっているのだ。
 冬休みに入っても、涼宮さんは毎日元気に僕らを振り回していた。だがその元気の裏側に、少しの寂しさが混ざっているのを僕は知っている。二回目の冬休み。これが終わって三学期が始まれば、すでに推薦で進学する大学が決まっている朝比奈さんは、ほとんど学校に来なくなるからだ。
 だから、年の瀬も押しせまった今日、31日。みんなで二年参りに行こうという彼女の提案は、予想の範囲内だった。
 昨日の不思議探索の解散時に言い渡されたというその計画を、電話で伝えてくれたのは彼だった。僕は昨日の探索の最中、突如発生した閉鎖空間の処理のために、早々に抜けざるを得なかったので、彼に伝言が託されたようだ。23時集合、1分たりとも遅れることは許さないわ!だとよと、彼は涼宮さんの言葉を忠実に再現してくれた。なのに、情けなくもこの有様だ。いくら機関の仕事に忙殺されたからといって、寝坊するなどたるんでいると言われたら反論できないだろう。
 大晦日らしく、真夜中だというのに混み合う電車の車窓に映る自分の顔を眺め、僕は心中で密かに反省をした。



「すみません。遅くなりました」
「めずらしいわね。古泉くんがギリギリなんて」
 5分前にいつもの待ち合わせ場所に駆けつけると、やはり彼はまだ到着していなかった。いつもなら、文句を言いつつも10分前には来ているはずなのに、やはりこうなってしまうらしい。
 白いダウンジャケットに身を包み、腕を組んで仁王立ちしている涼宮さんに、うっかりうたた寝してしまいましてと正直に申告すると、古泉くんでもそんなことあるのねと、ものめずらしげな視線をいただくことになった。
 彼女の後ろには、淡いピンクの上着を着た朝比奈さんと見慣れたダッフルコート姿の長門さんの姿もある。長門さんのコートの中はまさか制服だろうかと考えていたら、涼宮さんのはずんだ怒声ともいうべき声が聞こえた。
「キョン! おっそい!」
「すまん。出がけに妹に、連れてけと駄々をこねられた」
 振り返るとそこに、全力疾走してきたのか額に汗を浮かべて息を弾ませている彼の姿があった。走って暑くなったらしく、モスグリーンのジャケットの前を開けて、セーターの襟元をパタパタさせて風を送っている。
「それはしょうがないけど、遅刻は遅刻よ! 今日もキョンのおごり決定ね!」
「ああ、もうわかったって。だが、言っとくが、賽銭は自腹じゃないと意味ないからな」
「そこまでおごらせようなんて思ってないわよ! バカ!」
 今日のお二人の舌戦も、相変わらず絶好調だ。微笑ましくて思わず笑うと、彼は僕の方をじろりと睨んでくる。僕は両手をあげ、大仰に肩をすくめて見せた。
 ……と、ふいに彼の表情が変わる。僕は、なんだろうと彼の視線を追い、自分の失敗を悟った。あわてて隠そうと試みたがすでに遅く、彼につられて振り返った涼宮さんの目が見開かれる。
「どうしたの古泉くん、その腕。包帯なんて巻いて」
 ああ、最近の僕は本当にたるんでいる。家を出る前に、ほどいてくるつもりだったのに。仕方なく僕は、腕の包帯を袖で覆うようにしながら、なんでもない調子で答えた。
「ああ、コレですか。昨日、ちょっとうっかりしましてね。かすり傷ですよ」
「昨日って……バイトだって、早めに帰ったわよね。なにか危ない仕事なの?」
 内心、ヒヤリとする。確かにこの怪我は、昨日の閉鎖空間でガレキにはさまれて負ったものだ。最近の神人は、彼女が募らせている寂しさに比例するかのように、数も多く動きも活発で、その分怪我人も増えている。
 が、僕は完璧に表情を取り繕って、首を振った。
「いえ、とんでもない。昨夜、カップラーメンを作ろうとしたときに熱湯をこぼして、ちょっと火傷しただけですよ。大した傷じゃないんですけど、袖が当たるとヒリヒリするので保護しているんです」
「そうなの? 古泉くんらしくないドジねぇ。気をつけなさい。あたしの目の届かないところで、怪我や病気なんかしたら許さないから!」
 腰に手を当て、涼宮さんはキツイ口調でそう言った。心配してくれているのだとわかって、僕の口元もついゆるんでしまう。
「はい。肝に銘じておきますよ、団長殿」
 僕の答えに満足したのか、涼宮さんはうなずいて踵を返し、それじゃ行くわよと道路の先を指差した。目指すは、去年も行った地元の神社だ。彼女のあとを小走りで追う朝比奈さんと、急ぐでもない歩調で歩く長門さんを見送り、僕は残るもう一人を振り返って、行きましょうと促した。
「はぐれますよ。急ぎましょう」
「……ああ」
 彼の表情と口調は、さっきの僕の説明にまったく納得していないことを物語っていた。



「……お前にしちゃ、抜かったな」
 彼がそんなことを言ってきたのは、無事にお参りをすませて、おみくじを引いたりお守りを買ったりという行事を一通り堪能したあとのことだった。ふるまわれた甘酒を揃っていただいてから、女子組はお手洗いに行った。彼女らを待つために、人通りの少ない場所に二人で立っていると、隣で彼がぽつりと呟いたのだ。
「なんのことです?」
 いつも通りローテンションな彼が、周囲にはわからないほど微妙に機嫌が悪いことには気付いていた。理由にも思い当たるところはあったが、今追求するわけにはいかないので、知らないフリをしていたのだ。
 そんなことがわかるくらいには僕らのつきあいは長く……そして、深い。僕らの友人としてのつきあいは2年目の半ばを越え、それが友人の範疇を飛び出して、人に言えないようなものへと変化してしまってからも、半年以上が経過しようとしている。
 彼は惚ける僕の答えをものともせず、淡々と言い返してきた。
「その怪我だ。昨日のってことは、本当はあの灰色空間でやったんだろが。ハルヒに気付かれちまうなんて、まったくもってお前らしくもないドジだな」
 彼は手をポケットに入れたまま、マフラーに顎を埋めた姿勢で白い息を吐いていた。視線は足下の砂利に向いたままだ。
「そうですね、確かに失態でした。待ちあわせ前に、包帯ははずしてくる予定だったんですが……遅れそうになったのでつい」
 いけませんねと苦笑していたら、ふいに彼が顔を上げ、怪我をしている方の腕を強くつかんだ。ずきりと痛みが走って、つい顔を歪ませてしまう。
「……何がかすり傷だ。やっぱり、かなりひでえんじゃねえか。包帯外せるほど治ってないだろ」
「大丈夫ですよ、これくらい。いつものことですし」
 さりげなく彼の手を避けて、コートの上から傷を撫でる。確かに、傷はかろうじて縫わずにすんだ、というレベルのものだったが、痛み止めももらったのでなんということはない。
「傷の痛みは、けっこう慣れるものなんですよ。あの空間で戦い始めてもう何年もたちますし、努力の賜物ですかねぇ……って、痛たたたたたたっ! あしっ、足踏んでますっ!」
「うるせえ、わざとだ」
 冷たい地面の上に佇んでいたせいですっかり冷え切り、強張っているつま先を思い切り踏みにじられて、思わず悲鳴が漏れた。痛いと言ってもやめてくれない彼は、もはやどこからみても怒り心頭といった様子だ。
「新年早々、ほんっと腹立つな、お前は!」
「な、何がですか」
「努力の方向性が間違っとる。頑張るなら、怪我をしないよう気をつける方向に頑張れってんだ!」
「は、はいっ! わかりました! わかりましたから、踏むのやめてください……っ!」



 ようやく彼が足をどけてくれ、僕は涙目でしゃがみこみ足指を靴の上からさすった。まったく容赦ない攻撃に、まだつま先がじんじんしている気がする。
「ちっとも慣れてやしねぇじゃねーか」
 フン、と鼻を鳴らして、彼はそんな僕を冷たい目で見下ろしている。
「傷の痛みとは違うじゃないですか……」
「うるさい。屁理屈をこねんな」
 頭上から落ちてくる声が本当に厳しくて、僕はかなり本格的に彼を怒らせてしまったのだと思った。旧年が除夜の鐘とともに過ぎ去り、新しい年が始まったばかりというときに幸先が悪い。まぁ、自業自得ではあるのだが……。
 しょんぼりとしゃがんだままでいたら、何やらポケットをごそごそしていた彼が、ほら、と言って僕の額に何かを押しつけた。ガサ、と紙の感触。
「な、んですか?」
「やる」
 差し出された物を受け取ってみると、それは白い和紙の袋だった。真ん中に赤い紋章と、この神社の名称が書いてある。これは先程、お参りのあとにおみくじを引きに行った社務所で、みんなで買った……。
「お揃いで買ったのとは別だ」
 そっぽを向いたままの彼を横目に中を見てみると、確かにそれはみんなで買った成績向上のお守りではなかった。青っぽい袋の表面には厄除守≠ニいう縫い取りがある。
「これは……」
 お守り袋についている金色の小さな鈴がチリチリと鳴る。思わず呆然と、表面のその文字に見入ってしまった。
「これを、僕に……?」
 よっぽど怒っているのかと思った彼の態度は、よく見ると怒り半分、照れ半分であるのがわかった。横顔とその耳が、寒さのせいでも甘酒のせいでもなく赤いのに気付いて、じわじわと胸の中があたたかくなる。嬉しい……ものすごく、嬉しい。
「ありがとう、ございます……こんな」
 声を震わせる僕に、彼はそっぽを向いたまま大げさなんだよと呟いた。
「なんのお守りにすればいいのかわからんかったから、適当に選んだんだ。健康も交通安全も違う気がして」
 お守りの入った台紙には、病や災いのない平穏な日々を送れるように≠ニ書いてあった。用意した側の意図するところとは違うかもしれないが、彼がその一文に何を思ってこれを選んでくれたのかが痛いほどにわかって、涙が出そうになる。
「いえ……大切にします」
 両手で包み込み、ぎゅっと胸に抱き込んだ小さなお守り袋は、なんだか熱を発している気さえする。伝わってくる彼の気持ちが、そう錯覚させる。
 気がつけば彼が、そんな僕をじっと見上げていた。
「……さっき俺が言ったこと、ちゃんと守れよ」
「さっき……」
「怪我を、しない方向に努力しろって奴だ。痛いのを我慢するんじゃなくてな」
 その声は、怒り気味だったさっきとは打って変わって、寂しそうな響きを持っていた。思わず彼の顔をまじまじと見てしまう。と、彼はちょっと戸惑ったように眉を寄せた。
「なんだよ。お前が頑張るしかないだろ。……俺には何もできないんだから」
「そんな、ことは」
「くやしいことに事実だ。ハルヒの機嫌を取ればなんとかなるなら努力もするが、どうにもならないことも多いからな……そういうときは俺には、お前が無事に戻ってこれるよう祈るくらいのことしかできねえんだ」
 吐き捨てるようにそう言って、彼は目を伏せた。低い声には少しの寂しさと、大きな憤りが混じっている。
「だから、頑張ってくれよ古泉。俺のとこに、ちゃんと帰って来い」
 ああ、僕はなんという幸せ者なんだろう。年の初めから、この世で一番好きな人から、こんな嬉しい言葉と気持ちとをもらえるなんて。
「……はい。必ず、あなたのもとに戻ります」
「ん。約束だ」
 心からの誓いを口にすれば、彼はまたポケットに手を戻して頷いた。満足そうに微笑む赤い頬。寒いのか縮こまらせているその身体を抱きしめたくてたまらなくて、でもこんなところで行動に移すわけにもいかず、僕は少し考えた。
「あの、ちょっと贅沢を言っていいですか」
「ん? なんだ」
「先ほど、どのお守りにすればいいかわからなかったとおっしゃってましたが……」
 つまり彼の願いは、僕が戦場から無事に帰還するように、というもののはずだ。
「ぴったりのお守りのことを、祖父から聞いたことがあるんです」
「え、そうなのか?」
「なんでも太平洋戦争の時、招集された兵士が戦場に赴く際に、恋人や奥さんからもらってお守りにしたものがあるのだとか。無事に、帰って来られるようにと」
「へぇ……そんなのがあるのか」
「はい。もしあなたがよければ……そちらも、いただいても?」
 実のところ、その由来から正しく解釈すれば、それは女性のものでなければ意味がない。が、まぁ、愛する相手のものであると考えればかまわないのではないかと思う。もともと科学的な根拠などがあるわけでもなく、こじつけやゴロあわせのようなものだ。要するに、鰯の頭もなんとやら、である。
 さすがにその知識はなかったらしい彼が、要領を得ない顔で首を傾げている。
「よくわからんが、俺がやれるものならいいぞ。持ってけば……って、おい!」
 了承を得ると同時に、僕はすぐ横にあった建物の裏に彼を引っ張り込んだ。白壁と建物の間は、明かりも人の目もまったく届かない。
「古泉、お前何を……うわ馬鹿やめろ!」
「お守り、くださるんでしょう? じっとしててくださいね」
 建物の壁に押しつけきつく抱きしめて、片手で手早くジャケットとセーターをまくりあげる。カチャカチャと音をたててジーンズのベルトを外そうとすると、彼は悲鳴を上げて暴れ出した。声を上げると人が来ますよと囁いたら少しは声量が落ちたが、ジッパーを下ろしたらさすがにぎゃあと叫び声が上がった。
「な、何をしやがる、やめろこんなとこで!」
「すぐですから。暴れないで」
「ちょ、前を開けるな! なぜパンツに手を突っ込む! 馬鹿野郎、そんなとこつかむな! ……った! いっ、痛ってぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!!!」



 無理やりいただいたお守りを大事にハンカチに包み、胸ポケットに収めたとき、ようやく女性たちが戻って来た。どうやらお手洗いは、かなりの混雑であったようだ。
「待たせちゃったわね、キョン、古泉くん」
「ごめんなさい、寒くなかったですか?」
 すまなそうに謝罪する彼女たちにかまいませんよと微笑みかけ、僕はそろそろ帰りましょうかと提案した。涼宮さんはそうねと頷こうとして、僕の隣でうなだれている彼に気付いたようだ。
「どしたの、キョン。眠いの?」
「いや……」
 男の尊厳がどうとかぶつぶつ呟く彼にけげんな顔を向け、だがすぐに気持ちを切り替えたらしい涼宮さんは笑顔で言う。
「まぁ、いいわ。神様にがっつりお願い事もしたことだし、帰りましょ!」
 それから、後ろで白い息を吐いていた朝比奈さんと長門さんの肩に手を回して抱き寄せて、彼女はさらに声をはずませた。
「もちろんみんなの分もお願いしたわよ。あたしは団長だからね!」
 何をお願いしてくれたんですかと聞く朝比奈さんに、得意げに答える涼宮さん。
「有希が今年もいい本に出会えますように、みくるちゃんのおっぱいがもっと大きくなりますように!」
 ひゃあっ、と朝比奈さんが小さく叫んだのは、涼宮さんが言いながら胸のあたりを揉んだからだろう。
「キョンはあれよ、バカが治りますようにってお願いしといてあげたわ」
「うるせえ、よけいなお世話だ」
「古泉くんはイケメンにもっと磨きがかかりますようにってね! あとついでに腕の怪我が早く治りますようにともお願いしといてあげたから、もう怪我なんかしちゃだめよ。気をつけてね」
 彼女のまぶしい笑顔と優しい心遣いが、僕の心をますますあたためる。ああ、僕は本当に幸せ者だ。
「はい、ありがとうございます。とても強力なお守りも持っていますし、これで完璧ですよ」
「あら、ここのお守り? さっき、健康祈願のとかも買ったの?」
「いえ……もっと、御利益がありそうなお守りです」
「えっ、なにそれ!? どんなお守りなの? 見せて見せて!」
 涼宮さんの目が輝く。僕のその言葉が、彼女の好奇心に火をつけたようだ。僕が何のことを言っているのか察したらしい彼が、そわそわと身じろいだ。
「お、おい、ハルヒ……」
「何よキョン。落ち着かないわね」
 くす、と僕は小さく笑う。心配しなくても、まさか見せたりしませんよ。
「申し訳ありません、涼宮さん。このお守りは、人に見せると効力がなくなってしまうものなんですよ。なので、お見せできないんです」
 えー、そうなのつまんない、と口を尖らせている彼女の後ろで、彼がひそかにホッと胸をなで下ろしているのが見える。
 僕はちらりとこちらを見た彼に向け、ね? と口の動きだけで囁いて、こっそりとウインクしてみせたのだった。



                                                   END
(2014.1.19 up)
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