神の箱庭
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 どう考えても俺はおかしい。
 頭がいかれているとしか思えない。

 少し前までは、俺はごく平均的な、ごく当たり前の高校生だった。
 長い長い坂の上にある北高に通う2年生。成績は少々低空飛行、特に際立った才能もなく、部活にも委員会にも所属していない。容姿だって、イケメンというわけではないがものすごく不細工ってほどでもないという、まぁ、有り体に言えば十人並みだ。残念ながらいまだ彼女もおらず、放課後は同じクラスのダチと、ゲーセンやらカラオケやらで時間を浪費する平凡な日常を送っている。
 そんな、どこをどう切り取ってもきわめて普通の高校生≠フサンプルみたいな存在が、俺というやつだ。強いて言えば、キョンなどというちょっと変わったあだ名で呼ばれてるってのが、特徴と言えなくもないかな。
 ――が、そんなフツーの高校生男子たる俺が何をどう間違えたのか、ひと目ぼれ、なんてものをした。しかもその相手というのが振るっている。
 なんと、男だ。
 そいつはいつも黒い学ランの第一ボタンまできっちりとめ、少し明るい色の髪をさらりと風になびかせて歩く。長めの前髪がかかる顔は、そのへんのテレビや雑誌のアイドルくらいなら蹴散らせるんじゃないかってくらい綺麗に整っている。
 が、いくら顔が整っていようと髪が柔らかそうだろうと、性別・男だ。間違いない。そして俺は、生まれてこの方、同性に恋愛感情を抱いたことなど一度もない、正真正銘のヘテロだ。これも間違いない。にも関わらず俺は、そいつに惚れてしまったのだ。これも……しつこいようだが、間違いない。
 俺はいまだに、そいつの名前すら知らない。制服を見れば、坂の下の進学校・光陽園学院の生徒だってのはわかるが、それ以上のことは不明だ。学年すら。
 出逢ったのは……いや、あっちは俺のことなど憶えてないだろうから、俺が知ったのは、というべきかもしれんが、ともかく初対面は1ヶ月前だ。別に、なにか劇的なことがあったわけじゃない。駅前の交差点で俺が落とした携帯を、あいつが拾ってくれたってだけだ。
「落としましたよ。あなたのでしょう?」
「あ、ああ。すまん。ありがとう」
「いいえ」
 たったこれだけの短い会話だ。あいつはそう言ってにっこりと笑い、踵を返して線路沿いの道を歩いて行った。本当に、たったそれだけだ。
 だけど、その背中を見送りながら、俺は思っていたんだ。

 ――あの男は、俺のものだ、って。

 なんの疑いもなく、そう確信していた。
 な? いかれてるだろ?



 授業が終わると俺は、HRもそこそこに教室を飛び出し、学校をあとにする。駅前に目立たないよう立って、うちより少し終りが遅いらしい光陽園の生徒たちが、線路沿いの道をぞろぞろと下校してくるのを待ち受ける。
 あいつはいつも数人の女生徒にかこまれ、楽しそうに話をしながら歩いてくる。あの中に彼女でもいるのかと、すれ違うふりでじっと観察してみたが、特に親しそうな相手はいないようだ。というか、俺の願望込みの印象かもしれんが、どちらかというと姦しい女どもに囲まれて、迷惑そうにすらみえた。
 駅につくと、あいつは女どもに手を振って、ひとりで駅の中へと入ってゆく。どうやら電車で通学しているのはあいつだけらしいとは、追跡初日に確認済みだ。俺は何気ないふりであとを追って改札をくぐり、さりげなく背後に立って同じ車両に乗り込む。
 実を言えば、俺自身は自転車通学だ。電車に乗る必要など本当は無い。だがこの時間の車両はわりと混雑するので、気づかれないよう近くに寄るには最適なのだ。
 電車が動き始めると、俺はほとんどの場合背中合わせで、時には大胆に前を向いて、あいつのすぐ側に寄る。俺の平凡な顔がそうそう印象に残るとは思えないが、憶えられるのも困るので顔はあわせない。ただその、学ランをきっちり着た背中の近くに立ち、体温とか息づかいとか、あと妙に甘ったるい匂いとかを感じるひとときを過ごす。
 あいつが降りる駅に着くと、俺も降りて、間を十二分にとって後ろを歩く。帰宅の道筋も目的地のマンションもすでに調べてあるから、見失ってもすぐ追いつける。あいつはいつも途中でコンビニに寄り、弁当やらカップ麺やらを買って帰る。どんな事情があるのか、高校生のくせに一人暮らしらしいというのは、そんな様子からの推測だが、たぶん間違っていない。
 俺はあいつがマンションに戻り、エレベーターに乗り込むところまでをじっと見守る。エレベーターの階数表示が止まるところまで見届け、バルコニー側にまわって灯りがついたのを確認してから、踵を返して駅に戻り、最初に乗り込んだ駅まで帰って自転車をとってきて帰宅する。こんなことを、毎日やっている。
 ああ、何も言うな。わかってるぞ。自分が、立派なストーカーだってことは。
 もちろんストーカーらしく、隠し撮りだってたくさんしているさ。携帯のロックをかけたフォルダの中には、ストーカーの名に恥じないほど何十枚もの写真データが、ぎっしり収納されている。何枚かはプリントアウトもして、大事に机の奧に保管し、ときどき取り出して眺めることも当然する。
 だって、必要なんだ。男だからな。しょうがない。
 ……わかるだろ?
 家族が全員出かけている日曜日、もしくは全員が寝静まった深夜。鍵をかけた自室のベッドの上が、それらの写真を使用≠キる場所だ。
「……はぁ……っ」
 机の奥から取り出したそれを見つめながら、ジーンズの前をくつろげる。下着をずらし、半勃ちの自分のそれを握り、ゆるゆるとしごく。
 写真の中で、真面目な横顔を見せているあいつ。その顔が振り返り、俺を見上げて名前を呼ぶところを想像する。顔を赤らめ、潤んだ瞳で見つめてくる。その唇が、舌が、俺の身体を這いまわり、その指が俺の股間をなでるところを思い描く。
“――さん……”
 耳元で囁く声を聞いた気がして、思わず溜息が出た。すっかりかたくなって熱く脈動するソレに、あふれてきた先走りをからめつつ、くちゅくちゅと音を立てて強めにしごいた。息があがる。びくびくと身体が細かく痙攣する。
「こっち、も……」
 いつのまにか、胸の突起が痛いほどに尖って、シャツの上から存在を主張していた。ゴソゴソと裾から手を滑り込ませ、そろりと触れると、痺れるようなもどかしい快感が伝わって、腰がびくりと跳ねる。
 ココがこんなに気持ちいいなんて、つい最近まで知らなかった。あいつの舌がここを舐め歯を立てるのを想像しては、コリコリと指先でこねたり押しつぶしたりを繰り返し、すっかり開発しちまったみたいだ。乳首を刺激するのと同時に前をしごく手をはやめると、気持ちよすぎて腰が浮く。すすり泣くみたいな声が漏れる。
“力を抜いて……”
 想像の中のあいつは、俺のを片手で弄びつつ後ろの方へと指を伸ばす。現実の俺もその想像にあわせて、邪魔になったジーンズと下着を脱ぎ捨て、写真を枕に置いてベッドに俯せた。右手で前をしごきながら左手を、今度は後ろへと這わせてゆく。
 少し周辺をなでてから、震える手で枕元に置いてあるハンドクリームのチューブのフタをあけ、たっぷり指にとる。もう一度後ろに伸ばした指を、ぐぷ、という音をたてて中にもぐり込ませた瞬間、ふぁ、という妙な声が出た。右手でつかんでいる前のソレが、びくんと震えて硬度を増す。少しずつ慣らしてきたそこは、最近ようやく指1本くらいなら、楽に入るようになってきていた。
「あっ……んっ、あ」
 体温であたたまったクリームが溶け、指の動きがスムーズになってきた。俺はうつぶせのまま腰を高く上げ、人様には絶対にお見せできなようなポーズで、前と後ろを同時に刺激する。
“そろそろ、挿れますよ……”
「っあ、あ、ああ……っ」
 想像の中のあいつのものが、中にはいってくる。あくまで想像だから、もちろん痛くも苦しくもない。ただ気持ちいいだけだ。
 後ろへの刺激だけでは、まだいけない。だからほどほどに中を刺激しつつ、前を強くしごく。両方の刺激が相まって、たまらない感覚がこみあげる。目の前がぐるぐるまわる。
「んっ……もっと、おく、に……っ」
 そう。これも、いかれてると思うことのひとつだ。
 あいつと寝てるとこを想像するとき、なぜだか脳内の俺は……いわゆる女役というか、つっこまれる側なのだ。妄想の中で俺はいつも、あいつのをあらぬところに受け入れ、悦楽の声をあげて腰を振っている。逆を想像しようとしても、どうにもこうにもうまくいかない。経験がないせいかと思うんだが、受け身側だって別に経験があるってわけじゃないのになぁ。
“どこに、出して欲しい?”
 想像の中のあいつが、エロい声で囁く。
「中に、ぜんぶ……っぁ、ああ……っ!」
 想像の声に律儀に答えを返しながら、中に注がれてるとこを想像した。熱いモノが、どくどくと俺を満たす。その熱さえ感じられる気がして、俺は派手に射精する。後ろが収縮し、指をぎゅうとしめつけた。
 終わった後は、後ろからそろりと指を抜き、飛び散った精液をティッシュで拭う。だるい身体をベッドに起こして、はぁと息をついた。
 ここまでやっても、まだなにかものたりない、なんて考えてる俺は、もう終わってるな。いろいろと。



 ああ、今日もだ。
 帰り道で待ち伏せながら、俺は眉を寄せて首を傾げた。最近、あいつの行動が変わってきているせいだった。
 しばらく前から、まず取り巻きの女生徒が姿を消した。ひとりで下校するあいつはのんびりと線路脇の道を歩き、そして毎日、俺が待っている場所の向かいにあるコンビニに入る。何か目当てがあるのかはわからない。たいていは雑誌のコーナーで漫画雑誌なんかを立ち読みし、しばらくすると店を出て駅に向かう。電車に乗ったあとは、席があいても決して座らない。以前はそんなこともなかったんだが……まぁ、俺としてはその方が、側に寄りやすいんで助かるけどな。変化の理由はわからない。気分を変えたくなっただけかもしれんが、なんとなく気になる。
 ああ、気になるといえばもうひとつ。最近になって、やけに俺の周囲で見かけるようになった女のことがどうにも引っかかる。
 ショートカットで小柄な、うちの学校の女生徒だ。外で見かけるときは白のダッフルコート、校内では学校指定のカーディガン。気がつくとこっちを見ていてときどき目が合うが、そうなっても目を逸らそうとしない。が、話しかけてくることもない。無表情で、じっと俺を見るばかりなのだ。見覚えはあるような気はするんだが。
「ありゃ、6組の長門有希だ。俺的評価じゃ、Aマイナスってとこだな」
 谷口に聞いてみたら、余計な情報付きでそう教えてくれた。惚れたのかと聞かれたからよく目が合うのだと正直に答えたら、リア充呼ばわりされた。冗談じゃない。とにかく今、俺はあいつを追いかけるので手一杯で、そんなことに回す時間も気力も皆無なんだよ。
「あ……」
 そんなことを思い出しつつコンビニの外から様子をうかがっていたら、あいつがレジの女とにこやかに話しているのに気づいた。……そういえば、この頃はいつもあの子がレジにいるな。
「まさか……」
 彼女が、目当てなのか? それで取り巻きを遠ざけて、毎日このコンビニに寄っては話しかけるチャンスを狙ってる?
 たぶん年上……大学生くらいだと思う。近くで見たことはないから、可愛いかどうかは判断できない。年上好みだったのか……というか、やっぱりあいつは普通に女の子が好きなんだよな。そりゃそうだ。
 あまりに当たり前のことにショックを受けて呆然としていたら、あいつの姿を見失った。はっと我に帰って追いかける。たぶんまっすぐ駅に向かってるはずと予想して急いだけれど、思わぬところで信号に引っかかり、ホームに到着した直後に電車が出て行った。ちくしょう、間に合わなかった。
 ……と、悪態をついて電車を見送った後、視線をめぐらせてびっくりした。ホームのいつもの場所にあいつがいたからだ。なぜだか、今のに乗らなかったようだ。
 何をしていたのかは知らないが、どうやらあいつも乗り損ねたらしい。よかった、とつぶやいて、俺は次に来た電車の同じ車両に乗り込んだ。
 ドア前の手すりを握って立ち、あいつは窓から外を見ている。この角度なら気づかれまいと、俺はそっとその横顔を盗み見た。
 次の駅に到着し、そこで乗り込んできた団体さんのせいで車内の乗車率が上がる。どこかの学校の生徒達の大群だ。押し流されるままに、俺はあいつの背中に近づいた。
 ふわりと、いつものあいつの匂いが鼻をくすぐる。近くなった横顔に、さっきのコンビニでの光景が頭をよぎって、胸がずきりと痛む。つい自暴自棄な気持ちが湧いてきて、いっそ痴漢でもはたらいてやるかと心の中でつぶやいた。
 ま、そうは言ってもたいしたことをするわけじゃない。単に、偶然を装って背中に密着してみるだけさ。
 電車の揺れにまぎらわせ、背中に頬をすり寄せる。すべすべのコートの布地は冷たいけれど、甘い匂いを強く感じる。目を閉じて息づかいにあわせて動く背中に意識を向けると、心臓の鼓動が聞こえる気がした。
 なぁ、本当に、あのレジの女が好きなのか? 遠目で見ただけだけど、可愛いかどうかはわからんけど、たぶんお前につりあうほどじゃないぞ。それでも、ああいうのが好みか? 俺じゃダメなのか……って、そりゃ当たり前だな。
 こいつは俺のなのに……なんて、またいかれた思考が脳内にはびこる。俺はもうダメかもしれん。そろそろ病院に行くべきなのかも。行くとしたら何科かな。精神科?
 ぐるぐると考えていたそのとき、電車がガタンと大きく揺れた。
「うわ!」
 つり革につかまってなかったせいで、よろけそうになる。踏ん張ろうにも、足下にもあまり隙間がない。やばい転ぶ、と思ったところを支えられた……というか、抱きとめられた。目の前にいた誰かの、胸の中に飛び込む形になっちまったようだ。
「痛って……」
「……大丈夫ですか?」
 耳元で聞こえた声に、どくんと心臓が大きくはねた。一気に頭に血が上る。あわてて見上げると、俺を抱きとめてくれたのは……名前すらいまだ知らない、俺の想い人だった。
「ご、ごめ……」
 あせって離れようとしたが、電車の中はぎゅう詰めだ。背中をぐいぐいと押され、離れるどころかますます密着せざるを得なくなる。少しだけ高い位置にある顔を見上げると、そいつは苦笑をたたえて肩をすくめてみせた。
「動けませんね。しょうがない。しばらく我慢しましょう」
「あ、ああ」
 やばい。心臓がばくばくする。
 いつの間にか俺たちは、ドアと座席の端っこの手すりが直角をなす空間に押し込まれていた。俺はちょうど、そいつの腕の中に抱かれる形になっている。身長差の関係で、耳に息がかかってこそばゆい。
「電車の中、暑いですねぇ……」
 物憂げに、耳元で囁く声。想像の中で何度も、エロいことを言わせたのと同じ声。頭に血が上る。息が耳にかかるたび、髪が頬に触れるたび、香りが鼻孔をくすぐるたび、ぞくりと下半身に疼きが走る。やばい。本当にやばい。
 身動きがとれないながら、俺は必死に下半身を離そうとした。反応してるのがばれたらやばい。これじゃ本当に変態だ。
 と、またしても電車がゆれた。俺の後ろに立ってる誰かが、ぐいぐいと背中を押してくる。ダメだって! 触っちまうから! と必死に抵抗した俺の努力もむなしく、俺のそこがそいつのちょうど腿あたりにすりつけられることになった。
 本当……さいっあくだ。
「…………」
 視線を感じた。見られている。確認するみたいに、触れている脚が動いて俺のそこを押した。
「……あっ」
 つい声が漏れて、慌てて口を塞いだ。バカか俺は。
 涙が出そうになる。この状況、どこからどう見ても変態どころか変質者だ。まぁ、もともとストーカーだから、そう間違ってないかもしれないが。
「……あなた」
 ほとんど息だけみたいな囁き声が、耳元で聞こえた。俺は思わず目をぎゅっと瞑る。どんな罵声を受けるだろうと身構えたが、言われたのはもっとずっと最悪なことだった。
「ここしばらくずっと、僕につきまとっている人ですよね……?」
「……ぇ」
「学校の帰り道、僕のあとをつけて……マンションの下から、僕の部屋を見てるでしょう? 毎日、毎日」
 全身の血がさがった気がした。身体が、凍りついたように動かない。
 全部、ばれていた。どうしよう。どうしようもない。
 そのとき、ちょうど電車が停止した。すぐ近くのドアが開く。いっそ、腕を振り切って逃げようかと考えた。
「来なさい」
 だが、そんな俺の考えを読んだかのように、そいつは俺の腕をつかみ、電車から引きずり下ろした。まだこいつの降りる駅ではないはずだが、躊躇いも迷いもしない。すごい力で引っ張られて、俺は為す術もなくついてゆくことしかできなかった。駅員とか警察に突き出されるんだろうか。痴漢の罪で? それともストーカーかな。
 泣きたい気持ちで、俺は見知らぬ駅の中を引っ立てられていった。



 駅員のいる改札も鉄道警察の詰め所も素通りし、そいつが俺を連れて行ったのは構内の端っこにあると思われる便所だった。
 乗り降りのルートからはずれているためか、周囲に人通りがほとんどないその男子便所の、さらにいちばん奥の個室の中に突き飛ばされる。蓋の閉まった洋式便器の上に倒れ込むと、そいつも中に入ってきて後ろ手に鍵をかけた。
「携帯、貸してください」
「え?」
「持ってるでしょう? 以前、拾って差し上げましたよね」
「お前……」
 憶えてるのか。あんなささいな、たった一度だけした会話なんて。
 思わず嬉しいなんて思っちまったが、今はそれどころじゃない。どうやら警察に突き出す前に証拠を固める気らしいと気づいて、俺は不承不承自分の携帯を渡す。受け取ったそいつはすぐにロックのかかったフォルダを発見し、俺にパスワードを要求した。しらばっくれるわけにもいかずに答えると、ロックを解除してフォルダの中身を見たらしいそいつが驚く声が聞こえた。
「すごいですね……僕ばっかり。よく撮りましたね」
「……最近は、撮ってねえよ」
 俺の方を見ていない写真ばかりなのが空しくなって、ここ数週間は隠し撮りはしていなかった。ただその分以前よりしっかり、細部まで対象を見ることに専念していたのだ。
……ああ、そのせいで気づかれたのかも。視線には、力があるというし。
「学校のそばの道と電車の中と……あれ、私服だ。どうやって撮ったんです?」
「それは……やすみの、日に」
 マンションの下まで行って待ち構えて、出てきたところを追いかけて撮影した。制服以外の、普段の姿がどうしても見たかったんだ。
「ふぅん……熱心ですね」
 ピッ、ピッ、と写真を送る音。きっと、全部消されちまんだろうな。そう思うと残念な気はするが、でもバックアップは取ってあるし、なんて考えてる俺はこの後に及んでさっぱり懲りてない。最低だ。
「ねぇ」
 ふいに呼びかけられ、顔をあげた。写真を表示させた携帯を俺の目前に突きつけ、そいつはにっこりと微笑んでいた。
「これ、集めてどうしてるんです?」
「ど、どうって……眺めたりとか……」
「いつ、どこでですか?」
 何の意図で聞かれているのか、わからない。しかたなく俺は、本当のことを答えるしかなかった。
「じ、ぶんの、部屋で……夜とか」
「へぇ……夜、ですか」
 すがめた目で見下ろされ、じわじわと頬が熱くなる。写真を見ながら、自分が夜な夜なしていることが頭に浮かんで気まずい。いたたまれない。
 ゆうべだって俺は、今あいつが触っているのそのディスプレイに写真を表示し、さんざん妄想し、あげくにぶっかけたりした。思い出すと、羞恥とともに密かな興奮を感じる。何も知らずにあいつがそこに触れているという、背徳的な悦楽。
 そんな俺の様子に何を思ったのか、そいつは身をかがめて俺に顔を近づけてきた。あとほんの少しで一次的接触すら果たしそうなその距離に、心臓がはねあがる。
「な……っ」
 至近距離で、にっこりと笑う顔。ドキドキする。
「か、お……ちけぇ、って」
「これ使って、してるんですか?」
 ふいをつかれて、思考が停止した。は? なんて、アホみたいな声しか返せない。
「この写真を見て、かたくしてるんでしょう? さっきの電車の中みたいに」
 あまりにも思いがけないことを言われた気がする。こいつが、こんな綺麗な、いやらしいことなんて何も知りませんみたいな顔したこいつが、急にそんな下世話なことを。
「うわ!」
 思考がついていけずにぽかんとしていたら、手が伸びてきて股間をするりとなでた。びっくりして後ずさる。が、すぐに腰が、水を流すレバーにぶつかってしまう。
「あれ、おとなしくなってる……もしかして、怖い?」
「や、め……っ」
「こうしたら、どうなるかな」
 そいつの、男にしては細い指が制服のズボンの上から俺のをつかんだ。強めに何度か擦られて、情けなくも俺のそれはすぐに反応する。形が、ズボンの布にくっきりと浮かび上がった。
「ふふ……勃った」
「やめろ……!」
 からかわれている……いや、嬲られている。そう感じた俺は、股間に置かれた手を押しのけて立ち上がろうとした。このままこいつを突き飛ばして、逃げてやる。携帯は取られたままだからすぐに素性は割れるだろうが、訴えるなら訴えればいい。どうなろうともう、知るもんか。
「どこへ行く気です」
 だが、再び俺の腕をつかんだそいつの力は、やたらと強かった。振りほどこうとしても、さっぱりはずれない。何か、格闘技でもやってんのか?
「痛……離せ……っ」
「ダメですよ」
 ぐいと引っ張られ、耳元でそう囁かれる。あっという間にネクタイが抜かれ、それで手首を後ろ手に拘束された。また突き飛ばされて便器の蓋に座らされ、ネクタイの端が背後のパイプのどこかに固定されたらしい。動けない。
「何しやがる! ほどけっ」
 にらみつけると、そいつはまた笑った。
「怖がらなくていいですよ」
 一体何を、という声が震えたのが、自分でもわかった。すっと笑みを消し、そいつはきっちり止めていた学ランの第一ボタンをはずす。続けてふたつめ、みっつめ。その仕草がとんでもなくエロくて、思わず唾を飲み込んだ。
「何をって……」
 トイレの天井のライトを背負うシルエット。逆光の影を背負って、表情はよく見えない。声を抑え囁くように、そいつは言った。
「あなたが、したいと思っていることを」



「ひ……っ」
 冷たい手でいきなりつかまれ、悲鳴を上げた。
 躊躇いもせずに俺のズボンのベルトを抜き、ジッパーを下ろしてズボンを下着ごと引き下ろしたそいつは、俺が身をよじって避ける間もなくそんな暴挙に出やがったのだ。
「あまり声を上げない方がいいですよ」
 もう片方の手で俺の口を塞ぎ、そいつはまるで、自習中に騒ぐ生徒を注意するみたいな口調で諭す。
「気づかれてしまいますよ? トイレを使いに来た見知らぬ人に、ね」
 この野郎、品行方正な優等生にしか見えないツラして、とんでもねえ。裏に、こんな面があったとはな。
「この、変態野郎……っ」
「そんなこと言いつつ、すごい反応いいですけど。あなたのココ」
 わかってる。そいつの手がゆっくりと優しくしごいている俺のそれは、アホみたいにかたく脈打って、さっきからにちゃにちゃと耳障りな水音を発してる。どれだけ濡らしてんだ、俺。
「腰が動いてますよ……いやらしいな」
「だ、まれ……っ! 大体お前、なんで、こんな」
 犯罪だぞ、わかってんのか。
「あなたのしてたことだって、犯罪スレスレですよ? ……それに」
 親指が、ぐりっと強めに先端を弄る。あ、とあげた声は、我ながら気持ち悪いくらい欲情していた。アホか俺。強姦同然なのに、何を悦んでやがる。
「こんなに嬉しそうにして。同意でないと、誰が信じてくれますかねぇ……ホラ」
 もどかしいくらいゆるく握っていた手に、突然力がこもった。
「ん、あっ!」
 ぐちゅぐちゅと音を立て、幹をつかんだ指が激しく上下する。擦り上げる速度があがるにつれ、腰の奧の方から快感が噴き出した。あたまが、くらくらする。
「ひ、っあ、あ、あ……っ……!」
「ダメですよ……声、おさえて」
 耳元でそう囁き、ついでそこに舌を這わす。抑えろと言われて無理に口を閉じると、涙がじわりとにじんだ。耳朶をはんでいた唇が、目尻に移動して涙をすくい取る。聞こえる呼吸は荒く、頬にかかる息は熱い。こいつもどうやら、興奮してるらしい。
 こみ上げる。体の奧で、熱がくすぶる。今にも爆発しそうな。
「う、……っあ、やば……い、……っ」
 ぎゅっと、強くソレをつかまれた。びくびくと身体が震える。足に力を入れ、浮きそうになる腰を支える。もうだめだ。イク。
 ――と、あと一息というところで、しごいていた手がピタリと止まった。出口の直前でせき止められた熱に煽られ、身体が痙攣する。泣きそうな声が喉から漏れた。
「なんっ……、」
 そいつは無言だった。肩で息をしながら、何も言わずに上体を起こす。俺の先走りに濡れた手で学ランのボタンを全部はずし、慌てたようにベルトをゆるめてジッパーを下ろした。すっかり勃起してるそいつのものが勢いよく、そこから飛び出した。
「な、……んぐっ!」
 無言のまま、そいつは俺の頭をガシリとつかんだと思うと、それを俺の口の中に無理やりねじ込んだ。喉の奥に当たって思わずえづく。頭を固定されてかまわず乱暴に突き入れられ、うめき声しか出せなかった。
「舌、で……」
 欲情しきった声が頭上から落ちてくる。逆らう気もなく、俺は口内を犯されながら舌を使ってそれを舐めた。後ろ手にくくられたままだから、あごをつきだすような姿勢になって苦しい。
「ん、く……っ!」
 ピタ、と動きが止まったと思ったら、いくとも出すともなんとも言わず、いきなり口の中に射精された。しかもわざわざ喉の奥の方に出され、むせかえってしまう。
 げふげふと咳き込む俺の前に、そいつがしゃがみこんだ。両手で頬を挟まれ前を向かされる。予想に反して、真正面に見えたそいつの顔は真っ赤で、潤んだ目で俺を見つめている。まるで、愛おしいものを見るみたいに。
「飲んで」
 とんでもないことを言われたのはわかった。けど、懇願するみたいなその願いを、断ろうって気にはまったくならなかった。
 俺は言われるまま、口の中に残っていたえぐい液体を、ごくりと喉を鳴らして飲み込んだ。それを見ながら嬉しそうに口元をほころばせてる様子に、俺も嬉しくなる。なんでだ。おかしい。俺の脳はとうとう、完全にいかれちまったようだ。
 その証拠に、両膝をつかまれ、割り拡げられるのにもなんの抵抗も感じなかった。すでに先走りでびしゃびしゃの俺の奥のソコに、そいつの指が入り込む。
「……いっ!」
 その一瞬はさすがに痛くて、つい声を上げた。が、何度か指が出入りするうち、俺のソコはすぐに苦痛を感じなくなる。まぁ、そこまでは、自分で慣らしていたせいかと納得もできるんだが、さらにさしたる苦もなくスムーズに2本目の指の侵入を許しちまうとは、俺の身体は、一体どうなっているのか。
 侵されている部分から、ぞくぞくと快感らしきものが這い上る。自分でしてるときの比じゃない。的確にポイントをえぐる指の動きが、死にそうに気持ちいい。なのに……何かが物足りなくて、俺は腰をくねらせた。
「っあ、もう……っ」
 渇望に、ヒリヒリと喉が灼ける。俺は欲しがってる。何を?
 朦朧とする俺の意志に関係なく、舌が勝手にとんでもないことを口走ろうとしていた。
「もう、なんですか……?」
 興奮にかすれた声で、そいつが囁く。俺が欲しがってるものが何かなんて、とっくにお見通しなんだろう。くちゅ、と音をたてて指が抜かれ、もっと太く、もっと熱いものが、そこにすりつけられる。何度も何度もつつかれて、そのたびに身体はびくついて声が漏れる。焦らされている。泣きたくなったけれど、それさえも快楽のための前戯としか感じられない。欲しくて欲しくて、喉が鳴った。もう我慢できない。
「ほしい、から……はやく……っ」
「何を……? もっと、はっきり言って」
 余裕なんてないくせに、声だって震えてやがるくせに、そんな言葉遊びを仕掛けてくる。だけど今の俺にだって、それにつきあってる余裕なんてあるわけない。
 ああ。いくらでも言ってやるさ。だってやっと手に入れた……いや、取り戻したんだ。
「はやく、お前の、を……挿れろ……!」
 そう叫んだとたん待ち構えていた勢いで、ぐっと、いちばん奥までねじ込まれた。瞬間、全身の毛穴が開く。腰の奥からゾクリと、耐えきれない衝撃が背筋を貫き、目蓋の裏でスパークがはじける。自分が勢いよく精液を迸らせたのがわかった。
「あ……、あっ、あ……っあ」
 一呼吸さえ入れられず、そいつは俺の腰に指を食い込ませて、ガツガツと打ち付けた。あまりに気持ちよくて、意識が混濁する。それでも、こえがおおきいです、とまた囁かれて、必死に歯を食いしばる。と、口が別のモノでふさがれた。そいつの唇が俺の唇をふさぎ、入り込んできた舌が舌をからめとる。キスしてる、と思ったら、ますます身体の奥がカッと燃え上がった。
「あなた、に」
 唇を離し、うわずった声で、そいつが言った。
「つきまとわれてると、知って……嬉しかった……」
 いっしょに帰ってたクラスメイトを遠ざけて、コンビニに入って駅前に立っているあなたの姿を確認して、今日は電車も1本わざと逃して、とうわごとみたいにつぶやく。俺はすっかりバカになった頭の隅で、ああそうなのかと納得した。最近のこいつの行動の変化は、そのせいだったのか。
「おかしい、ですよね、僕は、あなたの名前すら、知らないのに」
 抱きしめられ、俺の中で蠢くそれが角度を変える。内壁の一部がずるりとこすられ、脳を貫くような快感にのけぞった。
 声も出ないほど気持ちいい。はじめてのはずなのに、なんでこんなにいいんだろう。やっぱり俺、おかしい。
「なんでって、聞きました、よね……?」
 ずっと、したかったからというのが答えだと、身も蓋もないことを言う。
「だって、はじめて会ったとき、僕は思ったんです」
 ひときわ強く、腰が打ち付けられた。ぶる、と抱きしめる身体が震える。

「……なんでこの人、僕の恋人じゃ、ないんだろう、って」

 身体の奥に注がれる熱を感じて、俺はまた射精した。ぎゅうっと抱きしめてくる愛しい身体に頬をすり寄せ、薄れていく意識の中で、なんだ同じだったんだと思う。
 そして、かすれる声で叫んだ。
 そいつの……俺が知っているはずのない、そいつの名前を。

「――こ、いずみ……っ」

 はい、と耳元で応える声。
 続けてその声は――確かに、そいつが知らないはずの、俺の名を呼んだ。


********


「――7489回目の、エラーを確認」
 少女の唇が開き、まったく感情を挟まない声でそう宣言した。
 小柄な身体を包むのは、北高のセーラー服と学校指定のカーディガン。腰掛けた椅子の背には、白いダッフルコートが無造作に掛けられている。宇宙の深淵のような、あるいは凪いだ海のような、静謐な瞳はなんの感慨も映さない。
「あーあ。また失敗ね」
 彼女の後ろで、北高の制服に赤いマフラーを巻いた少女が、大げさな溜息をついた。
「違う学校にしてみても無駄だったみたいね、長門さん」
 長い髪を払って、面白そうにそう言う少女の方を振り向きもせず、長門と呼ばれた少女は座っていた椅子から立ち上がった。
「2時間36分後にリセット完了後、7490回目のシークエンスが開始される。朝倉涼子、記録の準備を」
「はいはい。バックアップ使いの荒い人ね」
 手に持っていたコートに腕を通しボタンを止めながら、朝倉涼子はふいに何かを思い出したかのように、フフフと笑った。ようやく振り返った長門有希の無言の問いに、微笑みながら首を振ってみせる。
「なんでもないわ。ただ、ループを重ねてやり直す≠スびに、雑になっていくなぁって思っただけよ。最初のうちはちゃんと、出逢って友達になってだんだん仲良くなってってプロセスを経てたのに、今回なんか名前を教えあう前にいきなりセックスしちゃうんだもん。あと100回くらい繰り返したらきっと、出逢ったその場でやりだすわよ、あのふたり」
「……朝倉涼子」
「はいはーい、ごめんなさい! でも涼宮さんもおかしな人よね。やり直すんなら、見ちゃった′サ場の前からにすればいいのに、なんでそうしないのかしら?」
 ダッフルコートを着る長門のカバンを持ち、朝倉は心底不思議そうに首を傾げる。長門は窓の外に視線を向け、ちらつきはじめた雪を眺めた。いつものように、この雪もループがはじまる30分前にはやむだろう。
「わたしの役目は、観測。涼宮ハルヒの精神活動についての推測は含まれない」
「まぁ、そうですけどね」
 しょうがないわね、と肩をすくめ、少女たちは肩を並べて部室を出て行く。文芸部、と書かれた教室を使っているのは、今は彼女たちだけだ。
「次こそは、二人が出逢わないルートをたどれるといいわね、長門さん。涼宮さんが作りたがってる、新たな世界のために」
 少しもそうは思っていない口調で言われた言葉を聞き流し、長門有希はゆっくりと、小さな部室のドアを閉めた。


                                                   END
(2013.12.21 up)
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書いたのはだいぶ前ですが、手直ししたので……。
ループものは、話を作りやすくてついつい書いてしまいます。