真夏の夜の夢
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  ――暑い。とにかく暑い。
 ぼんやりと眠りと覚醒の狭間をたゆたいながら、頭に浮かぶのはその単語のみだった。
 ごろんと寝返りをうって、足下にからみついている夏掛けを蹴っ飛ばす。額から流れる汗が閉じた瞼の上を伝って滴り、うっとおしい。それでも起きる気にはならなくて、俺は再び寝返りをうって仰向けになった。
 チリン、と窓に吊してある風鈴が音を立て、風が少しだけ吹き込んでくる。気持ちいい風だと思いつつ、俺の意識はまた眠り方向へと向かってゆく。ここのところ連日の熱帯夜で、眠りが浅いのだ。なんだか、いくらでもこうして寝ていられる気がする。
 そのとき俺の耳に、カチャという音が聞こえた。半覚醒の状態でも俺の意識はそれを、玄関の鍵がまわった音だと正しく認識する。ついでドアの開く音、廊下を歩く誰かの足音。ああ、家主のご帰還だ。
 こんな夜に、古泉も大変だな。会議なんだか例の空間の処理なんだかは知らないが、ハルヒが現在進行形で起こしているトンデモな事態の対処に追われてるんだろう。ただでさえ、ハルヒの無茶ぶりな夏休みスケジュールに、毎日振り回されてるって言うのにな。
 今回で一万五千……何回目だったっけ?
 繰り返し、繰り返される夏の二週間。積み重なるループに、現れ消える既視感。そりゃ記憶だって混乱するさ。
 古泉が使ってるのか、洗面所の方から水音がする。聞いているうちに、また眠気が忍び寄ってきた。ああ、もう……眠い。眠すぎる。

「……さん。起きて下さい」
 軽く揺さぶられて意識が浮上し、いつのまにかまた眠っていたことに気付く。うー、と唸り声を上げたら、また上から声が降ってきた。
「もう遅いですから……そろそろ帰らないと」
 うるさいな。俺はこのままここで寝たい。泊めろ。
「ダメですよ。お家の方が心配するでしょう?」
 半分眠ったまま、俺はまた寝返って枕にしがみつく。
 何をいまさら。ゆうべ、俺を帰してくれなかったのはお前だろうが……眠いっつってのに、しつこくしやがって。俺が今日、こんだけだるくて眠いのは、ゆうべのアレのせいだぞ間違いなく。
「なんですか? よく聞こえません……寝言かな」
 俺の声を聞き取ろうとするように、古泉が口元に耳を寄せてくる。さらっとした感触の髪が頬に触れ、少しだけ汗の匂いが混じった柑橘系シャンプーの香りが、鼻孔をくすぐる。あーもう、汗までいい匂いってどんな体質だ。むかつくわ。
「ほら、起きてください。明日も、涼宮さんたちと集まる予定なんですから寝坊しては……まぁ、もっとも」
 くす、と小さく笑う声が耳元で聞こえた。
「あなたが遅刻することさえ、彼女にとっては好ましいイベントらしいですけどね」
 ……お前な。それが、仮にも恋人、を起こすときのセリフなのか。無神経にもほどがあるぞこの甲斐性なしが。
「……こいずみ」
「はい? 目が醒めましたか?」
 俺は目を閉じたまま、ちょっと来いと古泉を手招いた。近づいてくる気配を感じ、身を乗り出してきたところを、ガシリと首に手を回して捕獲する。ついで、ぐいと引き摺り倒して、キスをかましてやった。
「っう!?」
 一瞬硬直した古泉の身体は、俺が続けて唇の間から舌をねじこんでやったあたりでジタバタと暴れ出した。
「ちょ、待っ……何を、いきなりっ」
 無理やり俺を引きはがし、手の甲で唇を押さえている古泉の顔は真っ赤だった。いきなりってお前な。
「いまさらキスくらいで、なに驚いてんだ。ゆうべだって、俺たちは」
「ゆうべ……?」
 真っ赤なまま、眉を寄せて首を傾げる古泉。なんでそんな、幽霊を見るみたいな目で俺を。
「そう、だろ? 俺たちは昨日の夜も、ベッド……で……」
 急激に、目が醒めた。同時にさーっと血の気が下がっていくのがわかる。……ヤバい。
「昨日って……あなた、僕の部屋に来たのは、今日が初めてですよね……?」
 そうだ。俺たちは……俺と古泉は、そんな仲じゃない。ただの友達で、ただの部活仲間だ。キスとか、それ以上だとか、したことなんて一度もない。何で俺は、そんなとんでもない勘違いを。
「……すまん、古泉。寝ぼけてた」
「寝ぼけて? あなたは寝ぼけると、人にディープキスをするんですか?」
「すまん……俺は帰る」
 古泉から目を逸らしたまま、慌ててベッドから降りた。荷物のことすら忘れて、そのまま逃げるように玄関へと向かう。だめだ、今は古泉の顔がまともに見られない。
「待って」
 だが、靴を履こうとしたところで、古泉とっつかまった。すごい力で手首を掴まれ、ドン、と音をたててドアの横の壁に押し付けられる。
「痛ってぇ……」
 痛みに顔を顰めても、古泉は謝りもしない。だが至近距離に来た古泉の、これ以上ないほどマジで、これ以上ないほど真っ赤な顔を見た途端、今、奴はそれどころじゃないのだとわかった。
「もしかして……あなたも、なんですか」
「な、何が」
「記憶です。いつかの夏の……僕たち、が」
 それだけで、充分だった。
 全部わかった気がした。あれもこれも、ただの夢ではなかったということ。俺と古泉の中に積もる記憶の残滓、その意味のすべてが。

「よかった……間に合った」
「……何が」
 俺の身体を抱きしめて、古泉は低い声でささやいた。なんだか、今にも泣き出しそうな声だな。
「終わる前に、思い出せた。明日は三十日だから、ほんの二日間でも、あなたと恋人として過ごせる……」
 近づいてくる唇に目を閉じる。知らないのに知っている、感触と温かさ。二度目のファーストキスを受けながら俺は心に深く決意を刻む。
 二日間で足りるわけがない。俺がどれだけの間、この想いをこじらせ続けてきたと思ってる。お前だってそうなんだろう? 古泉。
「そうですね……。この夏休みが始まる前からですから、かれこれ六百年ほど」
 キスの合間に、古泉はそう言ってまた、泣きそうな顔で笑う。だから絶対だ。
 今度こそ、俺はこのループを終わらせる。
 一万五千四百九十八回目の、この夏を。



                                                   END
(2013.8.18 up)
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夏ならやっぱりエンドレスエイト、と思って書いたありがちな小話でした。