つきあってません。
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  その日、予報にはなかった突然の土砂降りに遭遇した彼は、誰にともなく悪態をつきつつ雨の中を走り、目についたパン屋の軒先へと飛び込んだ。
 本日のデートのために新調した服も、気合いを入れてセットした髪もびしょ濡れの台無しだ。まぁ、デートの相手には先ほど清々しく振られたばかりなので、台無しになろうがどうしようが一向にかまわねえんだがなと、ヤケクソで独りごちる。
「くっそ……やみそうにねえな」
 飛び込む店を間違えたなと考える。せめてコンビニにしておけば、ビニール傘の1本くらいは買えただろうに。だがあいにくと視界に入る範囲には、傘を売っていそうなコンビニもスーパーも雑貨屋も見あたらなかった。
 季節はそろそろ初冬と言っていいあたり。このまま雨に濡れていては、風邪をひきかねない。入学当初からつるんでいる同じクラスの友人ならきっと、大丈夫だろバカは風邪ひかねえっていうし、なんてことを言いそうだと思ったが、さっきから立て続けにくしゃみが出るあたり、その保証もいまいち信用しきれない。
 さぁ、どうするかとつぶやいたとき、背後にあった店内へと続く木製の扉が、ガランとベルの音を立てて開いた。中から出てくる人のために、彼は立ち位置を少しずらした。
「……谷口?」
 と、いきなり聞き慣れた声で名を呼ばれてびっくりした。
 振り返るとそこには、さっき思い出していた同じクラスの友人が、パンを詰めた袋を抱えて立っていた。本名は知っているがそう呼んだことはほとんどないので、いつも通りにあだ名で、とりあえず挨拶してみる。
「よう、キョンじゃねえか。奇遇だな」
 すると変わったあだ名のその友人は、やっぱりいつも通りのしかめっ面で、何してんだこんなところでと言った。
「見りゃわかんだろ? せっかくの週末だ。デートに決まってんだろうが」
「そのわりには連れの姿が見えんようだが? まだ夕方前だってのに」
「うるせーほっとけ。そういうキョンは買い物か? お前んちこのへんだったっけ?」
「アホか。俺んち来たことあんだろが」
 そういえばそうだったと思い出す。北高に入学当初からなんとなく気があって、もう一人の友人とともにずっとつるんできている。2年に上がってからもたまたま同じクラスになったので相変わらずつきあいは続いており、だからキョンの家にも何度か遊びに行ったことがある。確かに、こことは全然違う駅だったはずだ。
 じゃあなんでここにいるんだと問い返そうとしたが、キョンにじろじろと全身を眺めまわされて、居心地悪く身じろいでしまった。男に見られるのはあまりいい気分はしない。女の子なら大歓迎だが。
「びっしょびしょだな。風邪ひくぞそのままじゃ」
 あれ、予想が外れたななどとは口に出さず、傘持ってねえんだよと肩をすくめる。天気予報も信じられない世の中なんてと適当に吹いていたら、キョンは店先の傘立てに置いていたらしい自分の傘を抜いて溜息をついた。
「しばらくやみそうもねえし、しょうがないからちょっと寄ってけ」
「んあ? どこへ? お前んちまでは遠いだろ?」
「いいからついてこい。ああ、傘はさすがに1本しかないから、俺と相合い傘だ。すまんな」
 キョンは片手でパンの袋を抱え直し、もう片手で傘をひろげて谷口をうながした。実際、そろそろ震えがくるほど身体が冷えはじめていたのは事実だったから、谷口は首をかしげながらもありがたくその申し出に従ったのだった。
 その後、彼はそのことを深く後悔することになるのだが……その時点では、彼には知るよしもなかったことである。



 キョンが谷口をともなって入っていったのは、新しめのマンションだった。
 誰ん家だここ、と谷口が考えているうちに、キョンはオートロックのエントランスを電子キーで開けてエレベーターで上階にあがり、並んだドアのひとつを躊躇せずに開けた。
「ただいまー。そこで谷口拾ったぞ」
 キョンは奧の方へ向けてそう言い、靴を脱いで部屋にあがっていく。谷口は玄関先に立ったまま、なんとなくキョロキョロとあたりを見回した。
 どうみてもファミリー向けのマンションではないなという感想を抱く一方、あまりに勝手知ったる有様で遠慮のないキョンの様子に、もしや奴の彼女の部屋なのではと勘ぐった。
 おいちょっと待ていつのまに、俺様を差し置いて相手は誰なんだ相手は、涼宮か? いやあいつは確か自宅だし、なら長門有希か、朝比奈さんだったりしたらとりあえず殺そうなどと考えていたら、リビングへ続いているらしいドアが開いて、部屋の主らしき人物がキョンを出迎えた。見覚えのあるその顔に、思わず拍子抜けする。
「おかえりなさい。お客様ですか?」
「おう。雨に降られて困ってるみてえだったからさ」
 あがれよと言われたが、谷口は靴を脱ぐ前にとりあえず確認した。
「えーと……古泉? 涼宮団の?」
 呼ばれた本人はにっこりと笑い、SOS団ですよと律儀に訂正した。
「いらっしゃいませ。谷口さん」
 まぁ、そうだよなと谷口が半ば納得半ばホッとしていると、キョンは古泉にパン屋の袋を渡し、後ろを見ないまま親指で谷口を指し示す。
「谷口になんか着替え出してやってくれ。俺の服でいいから」
「はい。下着もいりますか?」
 キョンがこちらを見たので、ぶるぶると首を振った。幸いまだ、下着までは濡れていない。Tシャツの1枚も貸してもらえれば充分だ。キョンは古泉にいらんらしいとその旨を伝えてから、谷口を手招いた。
「とりあえずシャワーでも浴びろ。服は乾燥機かけといてやる」
「お、おう。サンキュ」
 手招きに応じて洗面所に入ったら、キョンはタオルを手渡してきて、奧のドアを指さした。着替えは洗濯機の上に置いとくぞと言うのにうなずき、手早くシャワーを浴びる。申告どおり洗濯機の上に置いてあったTシャツとスエットのズボンを着てリビングに行ってみると、部屋の中にキョンの姿は見えなかった。代わりに家主たる古泉が、テーブルでマグカップにコーヒーを注いでいた。
「やー、すまねえな。助かったわ」
 いつもの調子でそう言って、適当に床に腰を下ろす。ぐるっと見回した部屋はおそらく1LDKと言ったところだろう。なかなかの良物件だが、気になるのは家族の気配が感じられないことだ。3つあるマグカップのひとつをカフェオレに仕立てている古泉に、そのあたりを突っ込んでみた。
「まさか、ひとり暮らしなのか?」
「ええ。両親は、仕事の関係で外国に住んでいますので」
「おお、うらやましいな。連れ込み放題じゃねえか」
 ちょうど、ひとり暮らしに憧れる年頃だ。親の目から離れて、夜更かしもゲームもやり放題、彼女とだってひと目をはばからずいちゃいちゃできて最高だなと言い募ると、古泉は肩をすくめて苦笑した。
「実際してみると、そういいものでもありませんよ。家事は面倒だし、誰にも何もいわれない代わりに、けっこう寂しいですしね。それに、あいにく彼女もおりませんので」
「えっ!? いないのか? 特進組イケメン野郎のくせに」
「あなたもご存じの団活動と、アルバイトが忙しくてそれどころではないんですよ」
「もったいねえなぁ、おい。俺がお前だったら、もー毎日とっかえひっかえ酒池肉林の大ハーレムを目指すとこだぜ?」
 誰かさんの真似をしてやれやれと嘆息して見せていたら、背後から頭に衝撃が降ってきた。ごす、と後頭部にチョップを入れられ、ローテーブルに突っ伏す。
「アホなこと言ってんな」
 痛てえとうなる谷口を一顧だにせず、キョンは古泉の向かいに腰をおろして、当たり前のようにミルクたっぷりのマグカップに手を伸ばす。
「ああ、古泉。湿っぽかったから、中のタオル替えといたぞ。あと、そろそろトイレットペーパーがない」
 後頭部をさすりさすり谷口は、キョンのその報告と廊下の方から聞こえる水音から、便所行ってたのかと察した。報告された方は、ブラックのコーヒーに口をつけ、うなずいている。
「そうですか。予備ももうないはずですし、買い出しにいかないといけませんね」
「明日、日曜だしホムセン行くか。めずらしく団活ねえんだし」
「そうですね。ではついでに、この間割ってしまったあなたのお茶碗も買いましょうか」
「確かゴミ袋とシャンプーもなかったと思うぞ。ああ、あと麦茶な。やっぱ冬でも、メシんときは欲しいよな」
「……なあ」
 じっとふたりの会話を聞いていた谷口が、思わず口をはさむ。と、まったく同じタイミングでキョンと古泉がこっちを振り向いた。
「なんだ?」
 軽く引きつつ、谷口は訊ねる。
「いや、あのよ……まさかキョン、お前ここに住んでんのか?」
「は? いや、住んじゃいないぞ?」
 な? と同意を求めるキョンに、古泉も不思議そうな顔でうなずく。だが谷口は、実はここについた直後から、ずっと思っていたのだ。
 合鍵携帯、着替え常備、あまりに勝手知ったるふるまいっぷり。さっき見た洗面所にはちゃんと二人分の歯ブラシが用意してあったし、コーヒーの好みくらいなら何度も一緒に飲んでいれば憶えるかもしれないが、生活用品買い出しの相談などはまるで同棲中のカップルとか新婚夫婦のようだ。
 谷口の疑わしげな目つきに気づいたのか、キョンが腕を組んで首を傾げる。
「いや、着替えは泊まることが多いから置いてあるだけだし、合鍵は寝てるとこ起こしちゃわりいからもらってるだけだぞ。あと荷物持ちくらい、普通するだろ? ペーパーとか使わしてもらってんだから」
「そんなもんかぁ?」
 いまいち納得できない様子で、谷口は首を傾げた。だがまぁ、一人暮らしのダチがいたら、ついつい入り浸っちまうもんかもなと思い直す。キョンは単に、律儀なだけなのだろう。
 そうやって自分をなんとか納得させ、ひとりでうなずいていたら、キョンが対戦しようぜと携帯ゲーム機を出してきた。なので彼はそこでとりあえず頭を切り換え、ゲームに没頭することにした。
 ――が、没頭できたのは、はじめのうちだけだった。
 谷口とキョンが対戦している間、古泉はノートを広げて勉強を始めたようだった。さすがに特進クラスともなれば毎日の予習復習が欠かせないのかご苦労なこったと感心して、手元のボタンを連打する。だが、ぎゃあぎゃあと騒ぎながら何戦か終え、古泉が何か言った気がして顔をあげたときに目に飛び込んできた光景に、ぎょっとしてボタンを押す手が停止した。
「重いですよ」
「力入れてねえぞ?」
「入れてないから重いんですって」
 何がといえば、キョンの足だ。ゲームを、床に座りベッドによりかかってやっていたキョンは、いつの間にか足が届くあたりに背を向けて座る古泉の肩に、両足を乗せていた。しかも重いと文句を言いつつ古泉も、別にその足を降ろさせようとはしていない。ノートと教科書から目を離さず、シャープペンを走らせる手も止めやしない。
 なんだこれ、と谷口が思っていたら、ようやく古泉が肩に乗ったキョンの足に視線を向けた。
「うわ。爪がずいぶん伸びてますね。靴履くと痛くないですか」
「あー、そうな。ちょっとな」
「まったく。変なとこで無精ですよね、あなた」
 ちょっと待っててくださいと言って、古泉は席を立つ。キョンはゲーム画面から目も離さずに、んーと返事をした。古泉はすぐに何かを手に戻ってきて、キョンの足下に座り込んだ。ゲームのことも忘れ、何をする気なのかとじっと見つめる谷口の目の前で……なんと古泉は、キョンの足の爪を切り始めたのだった。
「くすぐってえ」
「少し我慢してくださいよ」
 キョンは相変わらずゲーム画面を見たままだ。なんだこれ、ともう一度谷口がつぶやいたとき、彼の手元から重苦しいSEが聞こえた。ゲーム画面の中で、彼の使っていたキャラクターが、いつのまにか戦闘不能になっていた。
「なにしてんだよ、谷口。……谷口?」
「え、ああ。わりい」
「対戦中にボンヤリしてんなよ」
 しょうがねえなと溜息をつかれてしまい、なんとなく理不尽な気分に襲われる。キョンの足下では左足の爪を切り終えたらしい古泉が、次は右足に取りかかろうとしていた。引っ張られてひっくり返そうになり、キョンはやっと抗議の声をあげる。
「片足だけひっぱんな」
 そこなのか、と、谷口は心の中だけで突っ込んだ。



 爪を切り終えたあとは、丁寧に爪ヤスリで整えるところまでし始めた古泉の様子から目を逸らし、必死にゲームに集中しようと努力しているうちに、いつのまにか時間が過ぎた。
 メシ食ってくかと聞かれ、そういえば今日はデートの相手とディナーとしゃれ込むつもりだったので(高校生の身なのでせいぜいファミレスだが)、親に夕飯はいらんと言ってあったのを思い出す。ひとりでファーストフードというのもむなしいので、ごちそうになることにした。
「んじゃ、今日は寒いし三人分だし、鍋にでもするか」
 そう言って立ち上がったのはキョンだった。キッチンへと向かっていく背中に、意外な気持ちで声をかける。
「キョンが作んのか?」
「おう。たいしたもんは作れねえけどな」
 俺のエプロンどこだという声に、こないだ洗ったじゃないですかと古泉が答える。やがて無事に発見したらしく、続いて調子っぱずれな鼻歌とともに、慣れた様子で包丁を使いはじめる音がしてきた。しばらくするとキッチンからの方から古泉と呼ばれ、返事をした古泉は心得た顔でテーブルを片付けて、どこからか卓上コンロを持ってきてセットしはじめた。
「ずいぶん用意周到じゃね? 一人暮らしのくせに」
「冬はわりと多いんですよ。鍋とか焼肉とか」
 どう考えても一人用の食事メニューではないな、と漠然と思う。
 黒のシンプルなエプロン姿のキョンが鍋を持ってやってきてコンロに掛け、何も言わずに役割分担して夕飯の支度をする姿を呆然と眺める谷口の頭には、昼間自分で考えた同棲とか新婚カップルとかの言葉が渦巻いていた。そんなばかな。いやでもまさか。
 やたらと野菜の種類が豊富な鍋をつつきながら、ついふたりの様子を観察してしまう。
「おい、古泉。しいたけ避けんな」
「よ、避けてません」
「見てんだよ。好き嫌いすると大きくなれんぞ」
「これ以上、どこを大きくしろっていうんですか」
「屁理屈言ってると、もうアレ作ってやんないぞ。お前の好きなやつ」
「えっ、そんな。酷いです!」
 ならちゃんと食えと、キョンはしいたけを古泉の取り皿に入れる。涙目で嫌々それを口に運ぶ古泉の姿ににやにやするキョンを見て、谷口はなんともいえないむずがゆさに落ち着かない。手元のグラスに手を伸ばしたキョンが、あ、と小さく言ったとたん、古泉が床に置いてあった麦茶のポットを取り上げてキョンのグラスについだのを見て、谷口はついに我慢しきれなくなった。
「なぁ、お前ら……」
「ん?」
 また、まったく同じタイミングでふたりが振り向く。眉をしかめてしばしためらい、谷口はふたりを見比べておそるおそる訊ねた。
「もしかしてお前ら……つきあってんの?」
 だが、返ってきた反応は、やっぱりふたり揃っての「はぁ?」という声だった。
「何を言ってんだ、谷口。熱でもあんのか。男同士でつきあうわけないだろ?」
「つきあうって、交際とかそういう方面ですか? まさか」
 図星をつかれて焦っている風も、嘘をついてる感じもない。ただふたりして、怪訝な顔を見合わせている。
「だってなあ……なんか新婚カップルみたいだぞ、お前ら」
「どこがだ。そりゃ、ここにいる時間は長いがな」
「気の置けない間柄であることは認めますが……」
 ねぇ、という表情も、肩をすくめるタイミングもぴったりの息のあいっぷりだが、とりあえず本人たちにその気はさっぱりなさそうなので、谷口はホッとした。あっさり肯定されたり、真っ赤になってもじもじとかされたらどうしようかと思っていた。
「そうかー。いやぁ、あんまりにもラブラブに見えるからさー。ああいや、俺としては、お前がそっち方面に目覚めようが、友達やめたりはしないぜ? だけどなぁ。どんな顔してりゃいいか覚悟する時間が欲しいっていうか」
 行儀悪く箸を振り回して、谷口はそう言い募る。キョンはあきれた顔で、残り少なくなった鍋の具材に箸をつけながら言い返した。
「考えすぎだ。ちょっと仲がいいだけだろ、こんなの」
「ああ、まぁ、誤解して悪かったぜ。古泉も、すまねぇな」
「いえ……。僕も中学生の頃は友人が少なかったので、実はどの程度が普通なのかはわからないのですけど」
 古泉も鍋に手を伸ばし、にこにこと答える。そんなもんかと谷口は溜息をついて、もう一杯おかわりを要求しようと顔をあげた。
「あっ、古泉お前、最後の肉団子食いやがったな」
「これ最後だったんですか、すみません。食べます?」
「半分寄こせ」
 かじりかけの肉団子を箸でつまんで、差し出す古泉。キョンはまったく頓着せず、そのまま食いついた。そんな様を呆然と眺める谷口は、茶碗を持ったまま、どこからツッコめばいいんだこれと、途方に暮れるしかなかった。



「だから、つきあってねぇって言ってるだろうが。しつこいな」
「その体勢で言われても説得力がねえ」
 ベッドの脇の床に敷いた客用の布団の上であぐらをかき、谷口はすでに何度目かになる疑問を口に出して、その度にくらった否定をまた聞いている。
 夜半になっても雨がやまず、だらだらしているうちに帰るのが面倒になったので、勧められるままに泊まっていくことにした己の選択を、彼は今盛大に後悔していた。やっぱりつきあってんじゃねえの? という疑問を否定した彼のクラスメイトが今、部屋にひとつしかないベッドに入って肘をついているという現状を前にして、である。
「いちいち布団敷くの面倒だろ。シーツ2枚洗うのも大変だし」
 合理的判断の結果だとキョンが主張しているのは、彼の隣でこの部屋の主が彼とひとつの布団をかぶっているという状況だった。
 泊まるかと聞かれ、客用布団があるから大丈夫だと言われて、それじゃお前はどこに寝るんだと聞き返した自分は別に間違ってないと思う。すっかり腰をすえているキョンが帰る気がないことは明白だったし、見たところ部屋にはベッドが1台あるだけで、ソファもコタツもなかったのだから。ところが聞かれた方がきょとんとした顔で、決まってんだろと、あろうことかベッドを顎でしめしたのだから、思わず目を剥いたのも無理ない反応だったはずだと断言できる。
 だから、寝支度を調えていざ寝る段になり、すでに古泉が陣取っているベッドにキョンがもうちょっとそっち詰めろとか言いながら入っていったとき、思わずまた例の疑問を繰り返してしまったのだ。
「普通、男同士で一緒のベッドにははいらねえだろ……」
「本人同士が気にしてねえんだからほっとけよ」
「いや、でもな? せまくねえの? 古泉は?」
「僕は、もう慣れたので別に……」
 女の子同士なら身体も小さいし、絵面的にも華があって可愛いものだと思う。が、男同士でははっきり言ってむさくるしい。それは確かに古泉は中性的なイケメンだし、キョンだって平凡の域は出ないが見た目は悪くない。だがしかし……いやいや、そういう問題ではない。決してない。
「いちいちめんどくせえな、谷口。親しい間柄って言ったら、惚れた腫れたしか思いつかんのかお前は」
「だってなぁ……」
「たいしたことじゃねえだろこんなの」
 苦々しくそう言われると、だんだん自分が間違っているような気にもなってくる。友達同士、一緒のベッドで雑魚寝するくらいなんということもないだろうか。
「知らん。もうデンキ消すぞ。さっさと寝ろ」
 問答無用とばかりに部屋の照明が消され、あたりが暗くなった。降り続ける雨の音だけが聞こえてくる中、谷口はしかたなく客用布団に潜り込む。
 うん、そうだな。修学旅行のときなんか、適当に畳に布団敷いて適当にみんなで転がって寝てたしな。あれと似たようなもんだよな。普通普通。と、無理やり気味に自分を納得させる。よし、明日は起きたらさっさと帰るぞと決めて、寝返りをうって目を閉じた。
 うわっ、という小さな声が聞こえたのは、その直後だった。
「ちょ、冷たいです」
「寒いんだからしかたないだろ」
 ボソボソと、囁くような会話が耳に届く。嫌な予感がじわりと押し寄せた。
「だからって、パジャマの中に手をつっこむのやめてください」
「冷え性なんだよ。手足が冷たくて眠れん」
「ひゃ! 足! 足、間にねじこむのもやめてくださいって」
「おお、あったけえ」
「僕だって手は冷たいんですからね、ほら」
「うっわ! マジ冷てえな。おい、縮むからやめろ」
「足からめるのやめてくれたら離してあげます」
「ふは、そこくすぐったいって」
「わざとですよ……って、そこは卑怯ですっ!」
「ふふふ、油断したな」
「こらっ」
 囁くような声と含み笑い。ごそごそと身動く気配。ギシギシとベッドが軋む音。
 谷口は頭から布団をかぶり泣きそうになりながら、いままで一度も存在を意識したこともない神様だか仏様だかを本気で恨んだ。
 俺が一体、どんな悪いことをしたというのだ。
「もー……とりあえずお腹はやめてください。くだりそうです」
「しょうがねえな。まぁ、暴れてるうちにあったまってきたし、こっちで勘弁してやる」
「誰の身体ですか、まったく」
 タスケテ、という谷口の心の悲鳴は、誰にも届かないようだった。

 ***

「ジェイソンとか貞子とかそんなちゃちなもんじゃあ断じてねえ、もっと恐ろしいものの片鱗を味わったぜ……って、谷口がさ」
「……へぇ」
「まぁ、谷口のことだから、しばらくほっとけば忘れると思うけどね」
 ごちそうさま、と空になったペットボトルをゴミ箱に投げ入れて、国木田はそれじゃ僕、教室に戻るねと言って踵を返す。その背中を、キョンは渋い顔で見送っていたのだが、数歩行ったところで国木田は足を止め、振り返った。
「で、つきあってるの?」
 ふいうちで問われて、一瞬言葉につまった。
「んなわけねえだろ」
 かろうじてそう切り返したら、国木田は、ふぅんと納得したようなしないような返事をして、去っていった。それが、今日の昼休みのことだ。
 団活のあと、当たり前のように古泉の部屋に上がり込んで、買ってきたペットボトルのフタを開けたところでその一幕を思い出した。顔をしかめてボトルを睨むキョンの姿に気がついた古泉が、不審そうに首を傾げる。
「どうしたんです? そのコーラがなにか?」
「いや……そうじゃなくて、今日の昼休みに国木田がさ」
 国木田が言ってきたのは、やっぱり先日の雨の日のことだった。谷口に聞かされたらしいと話すと、怪訝な顔で、古泉もつぶやいた。
「……そんなにおかしいでしょうか、僕ら」
「うーん。国木田にもどう思うかって聞いてはみたんだがなぁ」
「なんて言ってました?」
 キョンはそのときの国木田と同じように、両手を広げて肩をすくめてみせた。
「そんなの、人それぞれじゃない? だとさ」
「参考にはなりませんね……」
 人それぞれと言われても、と古泉は途方に暮れた口調でこぼす。谷口に説明したとおり、中学時代は友達らしい友達がおらず、機関内の親しい人物は年上ばかりで、一般的な感覚がわからない。親友と呼べるほど親しくなった相手は、キョンがはじめてなのだと改めて聞いて、キョンも眉を寄せながら、俺もそんなに変わらんしなぁとうなる。
「中学の時の親友っつたら佐々木だからな。さすがに女子相手とは、勝手が違うわなー」
 もっとガキんときは、けっこうみんな一緒に風呂入ったり雑魚寝したりしてたが、あれと同じじゃねえのかと、本気で首をひねる。
「つきあってんのかとか、言われてもなぁ」
「まぁ、僕はあなたのこと好きですけどね?」
「おい、照れるよそういうこと言われっと。俺だって……嫌いじゃないが、友情だろ? これ」
「たぶん……というか、どのへんに境界線があるんでしょうね」
「さて……」
 実は同じことを、キョンも国木田に聞いた。人それぞれと言われても自分じゃ判断つかん、なにか判別法はないのかと。
「国木田が言うには……キス、とかがありかなしか、じゃないかってさ」
「キ、キス、ですか?」
「ああ……肉体的接触が許せるかどうかが、そういうの、の境界線だろうね、ってさ」
「はぁ……なるほど……」
「うん……」
 うなずきながらキョンの視線はつい、古泉の唇にいってしまう。
 もともと、ベッドを背もたれに隣り合わせて座っていたので、ちょっと顔を寄せれば接触できる距離だった。そんなこと言われると気になるよなぁと思いながらごく近くで見る古泉の唇は、薄くてあまり赤味はなくて、女の子のみたいに柔らかそうには見えない。触るとどんなかな、やっぱり冷たいのかななどとぐるぐると埒もなく考えていたら、それがすっと近づいてきたので反射的に目を閉じた。
 思った通り少し冷たかったのは、直前まで飲んでいたジュースのせいだろうか。
「…………」
「…………」
 軽く触れただけで離れ、至近距離で顔を見合わせる。古泉の顔は真っ赤といっていいくらいだったが、キョンも自分が相当赤くなっているのだろうと思った。ものすごい勢いで脈打っている心臓の音がうるさすぎる。くらくらして、倒れそうだ。
 思わず額に手を当て、いやいやいやと首を振った。
「ないな! うん、ないわ!」
 キョンの声に、古泉もはっと我に返ったようだ。
「そ、そうですね! なしですね、これは!」
 あわてていつもの笑顔を作り、うんうんとうなずいている。あははは、と互いに乾いた笑い声を上げて、なしだなしだと言いあっていると、またふたりの視線がぶつかった。
 笑いが不自然にとぎれる。視線が、はずせない。
「なん、だよ……」
「いえ……」
「黙るなよ……変な感じになる、だろ」
「あなたこそ……」
 気まずい沈黙を背負って、思わず目を逸らす。が、ちらっと隣をうかがった視線がまたかちあって、ふたりはどちらからともなくまた顔を寄せた。
 ふたりの間にあった距離が、再びゼロになる。少し触れただけだったさっきよりもしっかりと、唇と唇を重ねた。温度と感触がはっきりと唇に伝わって、頭に血が上る感じがする。無意識に息を止めていたらしく、離れた後はふたりとも息が上がっていた。
「えっと……」
「うん……?」
 気がつけば、いつのまにか互いの腕をつかみあっていた。
 額をつきあわせ、とまどう表情で見つめあう。何を言えばいいかはわからなかったけれど、したいと思っていることはお互いになんとなくわかった。
「とりあえず……」
「はい」
 息が熱いな、とキョンは思う。たぶん、自分のも同じだろう。
「……もう一回、だ」
「そう、ですね……」
 古泉の腕がキョンの腰にまわり、キョンは古泉のシャツをつかんだ。微妙な身長差があるから、どうしてもそんな感じになる。目を閉じて唇を重ね押しつけあううちに、いつしか夢中で相手の唇を貪っていた。
「……んっ」
「ん、う……」
 だんだん麻痺してきた頭の隅でキョンは、ああこの角度はキスするのに、すごくちょうどいいんだなぁなどと、ボンヤリ考えた。

***

「よー、キョン。昼飯終わったのか」
 購買部で首尾よくコロッケパンを入手し、ほくほくと教室に戻ろうとしていた谷口は、前をゆくクラスメイトに気がつき、そう声をかけた。
「いや、プリント出しに行ってたから、これからだ」
「そっか。俺もほら、コロッケパンゲットだぜ〜!」
「そりゃよかったな」
 あの雨の日から一週間。恐怖体験の記憶も徐々に薄れ、もともと深く気にする質ではない谷口は、隣に並んで歩くキョンにいつもの調子で話しかける。
「早く食わねえと食いっぱぐれるぜ。弁当あんだろ?」
「今日はない。来る途中でコンビニ寄って来たんだ」
「へえ、めずらしいな。オフクロさん、寝坊でもしたのか」
「いや、今日は……」
 と、そこで背後から、耳慣れない名でキョンを呼ぶ声が聞こえた。そういえばこいつ、そんな名前だったっけなと思い振り返ると、廊下の向こうからやって来たのは古泉だった。
「どうした、古泉」
 ふたりの側に来た古泉は、谷口にも軽くどうもと会釈し、キョンに自分の襟元をさして見せた。
「あなた、僕のシャツ着てるでしょう」
「ん?」
 マズイと、谷口は咄嗟に思った。雲行きがあやしい。が、逃げるタイミングを逃してしまい、しかたなくふたりの会話を聞くはめになる。
「体育の着替えのとき見たら、こっちがあなたのシャツだったので……今朝、取り違えたんじゃないかと」
「んあ、そうか。朝、慌ててて、ベッドんとこにあったの適当に着たからな」
「僕にはあなたのサイズだと少々きついので、あとで取り替えてください」
「わかったわかった」
 ああなるほど。キョンの奴はゆうべもまた、古泉のマンションにお泊まりだったわけか。それで弁当がない、と。脱いだシャツはベッドのあたりに、二人分入り交じって置いてあったと、なるほどなるほど。
 それ、なんて事後の朝?
 はー、と大きく溜息をつき、谷口はまた言わずにはいられなかった。
「……なぁ。お前ら、やっぱつきあってんじゃね?」
 ビクッとふたりの肩が揺れた。くるりと、まったく同じタイミングでこちらを向いた顔は、ふたりとも心なし赤い。おい、ちょっと待てと思いっきり引いていたら、キョンと古泉は同じ拗ねたような表情で、再び同じタイミングで口を開く。

「「つきあってません」」

 もちろん声は、しっかりハモった。



                                                   END
(2013.1.27 up)
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つきあってませんよ? うん。
ネットで見た某SSから発想。