全力少年
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 高校生活最後の春だった。
 いや、半月ちょっと前に卒業式を終えたばかりだから、正確にはもう高校生活とは言えんのかもしれん。だがまだ入学を果たしていない身としては大学生と名乗るわけにもいかず、なんとも中途半端な身分だな。
 それでもまぁ、あと数日のうちには堂々とそう名乗れることが確定しているわけだから、気楽なものだ。灰色の受験生活を戦い抜いて勝ち得たこの少しだけ長い春休みを、多少の不安を抱えつつおおむね期待に胸を膨らませて、のんびりと堪能してもバチはあたらんだろう。
 ま、堪能中と言っても、毎日ごろごろと漫画読んだりテレビ見たりゲームしたりしてるだけなんだがな。さすがの親も、とりあえず名の知れてる大学に現役合格という(俺としては)破格の快挙をなしとげた息子に何の文句も言わないので、わりとやりたい放題に過ごしている。なのでその夜、玄関のチャイムが訪問者の訪れを報せたときも、俺はリビングのソファにだらしなく座り、ニュース番組で中継される開花し始めた桜の様子なんぞを眺めているところだった。
「キョンくーん、おともだちー!」
 中学生になってもまだその呼び方を改めようとしない我が妹が、元気よく来訪者の名を告げる。思いがけない名前を聞いて、俺はつい眉をしかめてしまった。
「……なんの用だ? こんな時間に」
 時刻は、すでに夜の9時をまわっている。あまり他人の家を訪問する時間として適しているとは言えないだろう。でもまぁ、そいつがそんな非常識な時間に我が家を訪ねて来たことは以前にもあったから、そこは驚くには値しない。が、そのときの用件が用件だったので、つい警戒心も湧くというものだ。
「どうかしたのか」
 玄関に突っ立っている男の姿が目に入るなり、俺はそう聞いていた。
 そいつは以前来たときと同じように、俺に向かってにっこりと笑顔を見せ、やぁ、と言った。
「こんばんは。少しお話があるので、そこまでおつきあい願えませんか」
「……なんかろくでもないことじゃねえだろうな?」
「さて。あなたにとっては、いい報せなのではないかと思いますが?」
 相変わらずの回りくどい言い方で気障に肩をすくめつつ、そいつ……古泉一樹は、俺を夜の散歩へと誘いだしたのだった。


 古泉と会うのは、卒業式以来だ。
 正確には、卒業式後にやったSOS団卒業パーティという名の宴会がお開きになって、駅で別れて以来。こいつとは当たり前だが進学した大学が別なので、これきりで疎遠になっちまうのかもなと、漠然と思ったことを憶えている。
 ちなみに、俺とハルヒと長門は同じ大学へと進学した。さすがに学部は違うがな。朝比奈さんは去年、とある名門女子大へと進学し、現在も女子大生ライフを満喫なさっておられるはずだ。卒業後もSOS団で集まって何かするたびにマメに顔を出してくださるので、今のところ朝比奈さんとは疎遠にはならずに来ているが、今後はその集まり自体がどうなるかわからんしなぁ。
 前方を歩く古泉の足取りは軽い。以前行った歩道橋にでもまた行くのかと思えばさにあらず、止まらないその足は近所の河川敷へと向かっていた。振り返りもせず黙々と進む古泉の背中を眺めつつ、俺は報せってなんだろうと考える。
 ま、こいつが持ってくる報せなんて、十中八九ハルヒ関連のことに間違いないんだが。それにしたって、去年のちょっとした大規模な事件以来、ハルヒのあの力は減少傾向にあるって言ってたのに。また何かあったとでもいうのか?
「やぁ、このあたりは開花が早いようですねぇ」
 ふいに聞こえた古泉の声に、顔を上げる。河川敷の桜並木は、確かにさっきテレビで見た中継のそれよりだいぶ開花が進んでいるようで、すでに枝の半分ほどを覆う花が月明かりに照らされて白く光っていた。
「風が涼しくて、気持ちいいですね」
 そうかね。俺としては少々肌寒いような気がせんでもないが。しかし、自分が寒さに弱いのは重々承知であるので、古泉にとってはちょうどいいのかもしれんと、何も言い返さなかった。
 座りませんか、と古泉は俺を促した。河川敷の土手にさっさと腰を下ろした古泉の隣に、俺も座り込む。土手に生えた下草は夜露に濡れているらしく、ちょっと冷たい。
 俺が腰を落ち着けたときには、奴は足を伸ばして胸を反らし、空を見上げていた。つられてちらりと視線を上空に向けると、半月より太めの月がちょうど桜の花の間から見えた。
「いい夜ですねぇ……」
「んなことはどうでもいい。早く用件を話せよ」
「まぁまぁ。せっかくの夜桜じゃないですか」
 なんだか妙なテンションだな。にこにこして鼻歌でも歌いそうな勢いなのに、あまり上機嫌には見えない。
「すっかり春だなぁ……。そういえば憶えてますか。一昨年の春は大変でしたよね」
「ああ。ちょうど佐々木の事件が起こった時期だったな。世界が分裂したり」
「思えばあれが最後の大事件の発端でしたね」
「まぁ、発端といえば発端だな」
 古泉はぽつぽつと、そのあとに起こったことについて語り出した。愚痴めいたものではなく懐かしい思い出として、みたいに。いや、まだそんな思い出になるほど昔の出来事ってわけでもないと思うんだがな。
「そうですか? なんだかすごく昔のことの様な気がして」
 卒業して、高校生じゃなくなったせいですかね、と古泉は苦笑する。
「僕たちももう18歳。大学生ともなれば、多少なりとも大人として認められる年齢です。こんな風に夜中ふらふら歩いてても補導されないし、自動車免許だって取れるし、アダルトコンテンツだって見放題ですし」
「ア、アダルト……って、お前」
「ああ、そうそう。それと男性はこれでやっと、結婚が可能な年齢になるんですよね。おめでたいことです」
「はぁ?」
 くすくすと一人で笑ってる古泉は、浮かれているように見える。けどどこか自暴自棄な感じもするし、言ってることもなんだかちぐはぐだ。
「つきあいきれん。用事がないなら帰るぞ」
 埒があかないので、俺は溜息をついて立ち上がろうとした。が、支えとして地面についた手をいきなり引っ張られ、バランスを崩して古泉の方へと倒れ込んでしまう。
「っぶねぇな! 急に引っ張ん……」
「話はまだ、終わってませんよ?」
 胸の中に抱き込まれるような姿勢で、至近距離から囁く声を聞く。やめろ、無駄にいい声を耳元で響かせんな。あと顔が近いし息が多いんだっていままでも何度も……ん?
 なんだこの、不穏な匂いは。
 知ってるぞこの匂い。金曜日の終電間近のすし詰め電車のサラリーマンや、午前様のうちのオヤジがオフクロにドヤされてるときなんかにぷんぷん匂ってくるあの。
「古泉、お前……酒飲んでやがるな?」
「…………」
 足取りもしっかりしてたし顔にも出てないし、言動も普段とほとんどかわらんから気がつかなかった。が、至近距離で様子をうかがえば、古泉の野郎あきらかに酩酊状態だ。しかもこの匂い、ちょっと相伴したとかそんなレベルじゃないぞ。
「ベロッベロじゃねえか……」
「いけませんか?」
 ヒック、なんてしゃっくりすると、余計にアルコール臭が漂う。よく見ればなんだか、目つきも据わりまくってるぞコイツ。
「僕だってもうおとななんですからね、お酒ぐらい飲んだっていいでしょうが」
「アホか。酒はハタチからだろ」
「あれ、そうでしたっけ。じゃあ結婚もハタチから?」
「ちげーよバカ」
 あーもうダメだこいつ。どうしちまったんだ一体。
 こいつとはSOS団として旅行だのパーティだのいろいろやったが、こんな状態になってるのを見たのははじめてだな。まぁ、いつも古泉は手配係で仕切り係で、しかも大抵は機関のお仕事中だったから、他の連中がはめ外して騒いでても、一人冷静にそれを眺めてるような奴だったが。
「ったく。どこで飲んで来たんだ、こんなに」
「えーと、機関のみなさんと、お花見をしまして……」
 まぁ、そんなとこだろうと思ったよ。あーもうあの人たちは……。
「未成年にこんなに飲ませて、何考えてんだよ」
 ふらふらしてる身体を支えてやりつつ、ぶつくさと愚痴る。そりゃ、こんだけ飲んでりゃ、少し寒いくらいの風が気持ちいいだろうさ。
 古泉は、ふふ、と笑って、また桜を見上げた。
「まぁ、いいじゃないですか。今日のお花見は機関≠フ解散式も兼ねていたのでね、さすがに歯止めの効かない方も多かったんです」
 ……おい、ちょっと待て。
 耳に入ってきた言葉が、脳に届いて意味をなす。なんだって? 今、古泉は何を言った?
「解散、式……?」
 俺に意味が伝わったと了解した古泉の笑顔が、やるせない微笑みに変わる。ざわざわと夜風に桜がざわめくのを聞きながら、俺はじっとそいつの次の言葉を待った。
「そう、解散式です。つまり涼宮さんのあの力が、とうとう完全に消滅したのだ、ということですよ」
 喜んでいるような、悲しんでいるような、惜しんでいるような、ホッとしているような、どうとも取れる……いや、それらすべてが混ざりあってるみたいな、複雑な口調で古泉はそう言った。
「未来側ともTEFI側ともコンタクトを取り、確認しました。涼宮さんの能力は彼女からもこの地球上の誰からも完全に消滅し、今後監視の必要なしと判断されたんです」
 なので機関も、事実上解散することとなりました。一応、連絡先として小さな事務所は残しておきますけれど。そう古泉は説明して、大きく溜息をついた。
「今日のお花見でそれが正式発表となって、みんなで祝杯をあげたんですよ。我々は世界を守りきったんだって。……まぁ、本当にそうだったかは不明ですし、もちろん僕たちだけの力というわけでもないんですけどね、今日くらいはそういうことにしておいていただくということで。それでみなさんもどこか箍がはずれたみたいに、笑ったり泣いたりすごい状態で……僕はこれでも、途中で抜けて来たんですよ。大事な用事があるからと言って」
「大事な用事……?」
 少し躊躇ってから古泉は、遠慮がちに俺の肩に額をあててうつむいた。いつもなら顔が近いと払いのけるような距離だが、さすがに今はそんな気にはなれない。
「約6年続いた僕の任務も、これでようやく終了しました。なので、あなたに……」
 ……ああ、そうか。わざわざ俺に、報告しにきてくれたんだな。大事な用事って、それか。
「…………」
 古泉は、そうだとも違うとも言わなかった。手を伸ばして肩に乗っている頭に触れ、くしゃりと薄い色の髪を撫でてやる。と、小さく身体が揺れた。
「うん、ありがとな。――お疲れさん、古泉」
 古泉はやっぱり何も言わない。ただじっと俺の肩に顔を伏せたまま、黙って撫でられている。1回だけ鼻をすするような音が聞こえたがそれだけだ。今日くらいもっと甘えたっていいんだぜと言おうかと思ったが、俺もなんとなく黙って髪をなで続けた。
 風に桜がざわめく。
 五分咲きの桜はまだまだ頼りなくて、満開の花時の吸い込まれそうなほどの迫力はない。ただ静かに、可憐な姿を夜の中で咲き誇るのみだ。
 肌寒い早春の風に揺れる白い花を、俺は古泉の隣で眺め続けた。


 どれだけの時間、そうしていただろう。
 そろそろ寒くなってきたなと、俺はいまだ俺に寄りかかりぱなしの古泉を見下ろした。やけに静かだとは思っていたが、理由はすぐに判明した。
「おい、古泉。寝るなこんなとこで。重いんだよ」
「んー……」
 いつの間にか古泉は目を閉じて、寄りかかったままの姿勢で器用に船をこいでいやがった。ゆすってやったらかろうじて目は開けたものの、なんだかぼーっとしたままゆらゆらと上体をゆらしている。
「起きろホラ。もう帰って寝ろよ、お前」
「……立てません」
「ったくもう!」
 この酔っぱらいが!
 肩を貸して引っ張り上げてやったらようやく立ち上がったが、ふらふらと危なっかしいことこの上ない。さっきまでは全然平気そうな顔してやがったくせに、一気に酔いがまわったらしいな。やっかいだが、このまま放置するわけにもいかん。が、だからと言って未成年の酔っぱらいを、両親も妹もいる我が家に連れて帰るのもダメだ。妹の教育上、非常によろしくない。
 そんな諸々の事情を鑑みた結果、しかたなく俺は通りまで出てタクシーを拾って古泉を乗せ、一緒に乗り込んで家まで送っていくことにした。まったく世話の焼ける。
 古泉の家は知らなかったが、酔っぱらいの口からなんとか住所だけは聞きだした。あとは運転手とカーナビにまかせ、タクシー代は本人の財布を懐から拝借してすまして(俺は小銭しか持ってなかったからしょうがない)、肩を支えて小綺麗なマンションの一室まで連れて行った。
「うっわ」
 リビングに足を踏み入れた途端、思わずうめいた。なんだこのカオス。せっかく広くてよさげな部屋なのに、そここに脱いだ服やら雑誌やらタオルやら紙くずやら空いたペットボトルやらわけのわからんものやらが転がってて、ひどい有様だ。どうやら一人暮らしらしいが、一体どうしたんだこれ。空き巣でも入ったのか?
「いえ……片付けるの、苦手でして」
「てことは、これが常態か」
「はぁ……」
 ワンルーム構造らしく、部屋の隅にベッドがあった。
 俺のよりだいぶ上物そうなそいつはシングルよりちょっと大きめだったが、掛け布団はやっぱりぐちゃぐちゃで、上にシャツやら靴下やらがたくさん放置してある。他にどうしようもないのでそれらを床にはたき落とし、本来ベッドの上に置くべき物体、というか古泉を転がした。水がほしいとうめくので、仕方なく冷蔵庫開けるぞと断ってからキッチンに足を踏み入れた。
 うん、そうだろうとは思ったが、本当に見事に何もないな。シンクまわりにはかろうじてオモチャみたいな小さいまな板と包丁があるだけで、あとはろくに道具が置いてない。冷蔵庫の中も、ジュース類と調味料だけだ。冷凍室には氷すらないが、そのかわり各種冷凍食品がぎっしり詰まっている。そのへんを探しても、山のようなインスタントラーメンはあったがコップは見つからなかったので、ミネラルウォーターのボトルをそのまま持って行った。まぁ、500mlボトルぐらいなら、ラッパ飲みに支障はないだろう。
「すみません……。ありがとうございます」
 億劫そうに身を起こしてベッドの上に座り直した古泉は、何の疑問ももたいない顔で、ペットボトルに直接口をつけて豪快に水を飲んだ。案外、いつもこうしてるのかもしれんな。なんか家でもストローとか使ってそうなイメージだったんだが、けっこう意外だ。
 意外といえば部屋の様子もそうだ。古泉のいつもきっちりとした優等生っぷりから予想するに、部屋は整理整頓が行き届き、飯だって毎食バランスを考えたメニューを、ちゃんと自炊してそうな感じだったんだが……どうみても正反対だろこれは。
「ま、そんなもんか。お前も普通の高校生男子だったんだな」
「何がですか。何気に失礼ですね」
「ははっ。怒るなよ。普通っぽくていいんじゃね」
 親近感が湧くと同時に、3年も親しくつきあっておきながら、俺は古泉のことを何も知らなかったんだなと思う。たぶん他の誰よりも、時間的にも内容的にも一番近いとこにいて、一番深くつきあってきたんだろうにな。
 機関のこととか生い立ちだとか、そういった事は結局知らないままだ。だけどこいつが、背中を預けるのに値する男だってことだけはわかっている。それだけ知ってりゃ充分だと思うし、間違ってないとも思うが、こういう面をもっと前に知ってたら、もしかしたら今とは少し違うつきあい方もあったかもしれん。所在なげにペットボトルのフタを開けたり閉めたりしてる古泉を見下ろして、俺は惜しいことをしたなと心の内だけでつぶやいた。
 でも、そうか。
 例の任務とやらが終了したってんなら、今のこいつはもう正真正銘普通の人間だ。いままで隠してたことをどこまで話してくれるかはわからんが、今後は腹蔵なくつきあえる、あたりまえのただのダチってことになるんじゃねえか。
 それなら焦ることはない。これからこいつの、こんな感じの意外な一面を知って、いままでとは違うつきあいを模索してけばいいのだ。
「……どうかしたんですか? 人のこと、変な顔してじろじろと」
「悪かったな。もともとこんな顔だ」
 ま、どっちにしろそのあたりは後日、日を改めてだな。こんな酔っぱらい相手じゃ話にならん。今日のところは退散するか。
「んじゃとりあえず、俺は帰るな。ちゃんと着替えて寝るんだぞ」
 そのままだと風邪引くからなとお節介を言い置いて、俺が踵を返そうとした――その時だ。
「うわ……っ!」
 いきなり腕をつかまれて、すごい力でぐいと引っ張られた。抵抗する間もなく、ベッドの上に仰向けに引き倒され、次の瞬間には古泉が俺の上にいた。手足を押さえつけられていて、身動きが取れない。
「な……」
 なんだ。何が起こったんだ。何が何だかわからず呆然としている俺の真上から、古泉が覆い被さってのぞきこんでいる。ものすごく距離が近くて……非常に、心臓によくない構図なんだが。
「なんだよ古泉……痛てぇよ、離せって」
「……帰らないでくださいよ。一緒に飲み直しませんか?」
 俺の抗議に耳も貸さず、古泉はそう言った。思わず眉をしかめて何を言ってんだと返したら、古泉はにっこり笑顔になった。けど、伊達に3年見続けてきたわけじゃないからな、そいつが本心からの笑顔じゃないことくらいはわかるぜ。
「まぁまぁ。確か冷蔵庫に、森さんと新川さんが前に来たとき置いてった、ビールか何かあったはずです」
「お前な……未成年だって言ってんだろうが」
「いいじゃないですか少しくらい。祝杯につきあってくださいよ」
「いいかげんにしろよ。お前だって、そう酒に強いわけでもねえんだろうに」
 大げさに溜息をつき、軽く睨みつけてやる。が、古泉のエセ笑顔にはヒビひとつ入りやしない。
「あなたほど弱くもないですよ?」
 1年のときの孤島合宿では大変でしたよ、と古泉はクスクスと笑った。やめろ忘れろ。ほじくり返すな。あれは俺のまごう事なき黒歴史だ。
「楽しかったですよね、あの合宿。せっかくの僕らの仕掛けを、あなたにあっさり見抜かれてしまったのには参りましたけど」
「お前のシナリオが甘かったんだろ」
「それを言われてしまうと、身も蓋もないですが。……まぁ、涼宮さんには気に入っていただけたようなのでよかったです」
 やけに陽気に、古泉は笑い続けている。どうでもいいが、いつまでこの体勢なんだ。押さえられてるのは手足だけだから別に重くはないが、どうみてもこれ、押し倒されてる図だろう。気色悪い。
「ご挨拶ですね、気色悪いとは」
「うるせぇ。いいからどけコラ。この酔っぱらいが」
「あははっ、ホントに素っ気ない人ですよねあなた」
 愉快そうに笑い続ける古泉は、相変わらず俺の抗議は無視で、どこうともしやがらない。マジでどうしてくれようこの酔っぱらいと思いつつ目を逸らしていたら、ふいにピタリと笑い声が止まった。
「――ねぇ」
 いきなり、声のトーンが変わった。見上げた古泉の顔からはいつの間にか、笑みどころかいっさいの表情が消えている。なまじ整っているから、そんな風に無表情に見つめられるとちょっと怖い。
「お前、どうし……」
「任務が終了したっていうことの意味、わかりますか」
 無表情に俺を見下ろす古泉は、俺の言葉を遮ってそう言った。俺は眉間に皺を寄せ、唐突になんだこいつはと思いつつ返答してやる。
「だから……もうハルヒのために、お前があれこれする必要がなくなるんだろ?」
 ハルヒの機嫌をとったり、退屈しないよう孤島ミステリーツアーを画策したり、あの灰色空間ででかい何かと戦ったりしなくてすむんだろ。めでたいことじゃないか。
「そう。そういうことです。つまり僕はもう、彼女の側にいる必要も理由もない。そしてそれは同時に、僕があなたの側にいる理由もなくなった、ということなんですよ」
「え……」
「涼宮さんの力の安定ため、鍵≠見守るのが僕の役割でした。だから、涼宮さんの力が消滅した今、その役割も終わるのが必然です。あなたとは、進んだ大学も違う。ここも引っ越す予定なので、同じ駅を使うこともないし住む場所も遠くなるでしょう。そうしたらあなたとは縁が切れて、たぶんきっともう会うことも」
「な、何言ってんだよ。任務なんてなくたって、ダチだろ俺らは」
 いきなり極端なことを言い出した古泉の言葉を遮る。
 まったく何を言ってんだ。さっきだって俺は考えてたんだぞ。これから、任務のなくなったコイツと普通の友達としてつきあっていこうって。それに……そうだ、お前だって、いつだったか言ってたじゃねえか。いつかそのうち、完全に対等な友人として俺と昔話を語る日が来て欲しいとかなんとか。
「これからは任務とか関係なく、普通に会って遊んだりすればいいだろ?」
「…………」
 至近距離で見る古泉の表情は、いくら言っても納得したようには見えない。酔ってるせいかやけに潤んだ瞳が、無表情の中でかすかな光を映して揺れている。ふと眉を寄せたら、少しだけ表情が生まれて、俺はやけにホッとした。
「無理ですよ……」
「なんで」
「だってあなた、涼宮さんと同じキャンパスに通うんでしょう。これから」
 は? なんだっていきなりハルヒが出てくる。なんの関係があるんだ?
「ありますよ。涼宮さんだってもう子供じゃないんです。だから今後はちゃんとそれなりのおつきあいをしようと思うだろうしそうなったらあなただってもう18歳で結婚できる年齢なんだしそれなら」
「はぁ? おい、何を言ってんだおまえ。めちゃくちゃだぞ」
「どこがですか。だってそんなおふたりとどんな顔して友達づきあいができるっていうんですか。そりゃ僕だって大人ですけどでも僕は」
 あー……だめだこりゃ。言ってることはまともに見えたが、やっぱ酔ってるわこいつ。支離滅裂だ。こうなったらもう、ハイハイと聞いてやって、さっさと寝かしちまうに限る。
「ああもう、わかったわかった。古泉、お前は酔ってるんだ。今日はもう寝ろ」
「酔ってませんよ」
「はいはい、そうですかー。酔ってないなら、今お前が言ってた無茶苦茶な論理について解説してみろってんだ」
「どこが無茶苦茶ですか。なんでわからないんだ」
「わかるわけねえだろ、酔っぱらいの論理なんて。ほら寝た寝た」
 覆い被さる身体を押しのけ、起き上がろうとする。うー、なんて唸ってる古泉はだが、頑としてそこをどこうとしなかった。
「わかりました。じゃあ言うとおりにしますから、かわりに僕のわがままを聞いてくれませんか」
「わがまま?」
「はい。ひとつだけ、お願いを叶えて欲しくて」
 それは、お前自身の願いなのか? めずらしいな。いままで七夕の短冊にだって、一貫して世界平和だの家内安全だの、毒にも薬にもならないようなことしか書いたことがないのに。
「そりゃあ僕にだって、願い事のひとつやふたつはありますよ……」
 それは、なんかけっこう興味があるな。
「まぁ、とりあえず言ってみろ。俺にできることなら聞いてやらんことも……っんう!?」
 言葉の途中で、唇をふさがれた。なぜか古泉の唇でもって、だ。
 呆然としてる間に一度離れ、もう1回。まだ反応できないでいるうちに、唇の間に生温かいものが侵入してきて、舌に触れた。ぞくっと背筋に電流みたいなもんが走る。とたんに鼻孔をかすめる強烈なアルコールの匂い。
「んっ……っう、ちょ」
「……黙って」
 囁く声が、鼻先をかすめる。顎を捕らえられてもう一度重なった唇が再びこじ開けられ、入り込んできた舌が今度こそ本格的に俺の舌をなぶりはじめた。逃げようとしてもしつこくからめとられて、ぞくぞくする感覚が掘り起こされる。アルコールの匂いのせいで、なんだかくらくらしてきた。
「っ馬鹿、離、せって!」
 やっと我に帰って、なんとか唇をもぎはなす。ごしごしと唇をこすりながら、俺はキッと古泉を睨みつけた。
「おっ、おま、え……冗談は」
「お願い、聞いてくださるんでしょう……?」
「って、何を……」
「セックスを、させてください。1度だけ」
「はぁ!?」
 泣き笑い、みたいな表情だった。その割に目が据わりまくってるのを見て俺は、ああ古泉の奴、酔っぱらいどころか前後不覚なくらい泥酔してやがると確信した。でなきゃ、んなこと言い出すわけないもんな。
 だってそうだろ? なんだよそのお願い。童貞捨てたいのか知らんが、ずっと憧れてた女子に思い切って頼んでみるならともかく、なんで俺だ。
「お前な……頼む相手、間違ってるぞ」
「間違えてませんよ」
「だって、俺だぞ? 男だぞ? それともお前、そっち系なのか」
 そりゃ、顔が近いなとかやけにスキンシップ多いなとは思ってたがまさか……って、あれ? そういや俺、いつのまにそういうのが気にならなくなったんだろう。今だってキスなんかされて、しかも舌からめるのって相当すごいやつだと思うんだが、別に気持ち悪いとかそういうのはない。ただびっくりしただけだ。……おかしいよな?
「そっち系かなんてわかりません。人を、そういう意味で好きになったの初めてだし」
 はぁ、なるほど。って、なんか今すごいことさらっと言ったな。
「す、好きって」
 古泉は一瞬目を見開き、長い睫毛をしばたたかせたあと、困ったようにくすっと笑った。人の上に覆い被さったままの姿勢で、器用に肩をすくめる。
「ああ……全然気がついてなかったんですね。もちろん必死に隠してたのでそれでいいんですけど、本当にあなた、そっち方面には鈍感ですよねぇ。まぁ、もし敏かったら、SOS団が3年間無事に続いたかはわかりませんけど」
 意味がわからん。
 思わずぽかんとしてたら、古泉はにわかに真顔に戻った。と言ってもやっぱり酒が入ってるからか、頬が上気して目が潤んでてなんか可愛いんだけども。
「冗談でも間違いでもありません。さっきから言ってるじゃないですか。僕はあなたが好きだから、同じ大学に通って涼宮さんとおつきあいをはじめるんであろうあなたと、これ以上友達づきあいなんてできないって」
 は? いや、初耳なんだが?
「あなたが好きです。本気です。涼宮さんの力がどうだろうと、あなたは涼宮さんのものだって知ってますけど、それでも好きなんです。ずっと前から」
 真っ正面から言われて、もう言葉が出ない。じわじわと顔が熱くなる。だって、ここまではっきりと、こんなに強烈に告白されたのなんて生まれてはじめてなんだ。そりゃ相手は男でしかも古泉だけど、こうまで情熱的にかき口説かれたらさすがにときめくだろ。……ときめく!?
 何言ってんだ俺。だから相手は古泉だって言ってんだろが。性別男なんだって。俺はそっちの趣味は皆無だ。バイですらない完全なヘテロだ。そのはずだ。
「や、ちょっと待て、こいず……」
 み、と言った唇をまたふさがれた。しかもそっちに気を取られてる隙に、いつの間にか手がシャツの中にもぐり込んで脇腹をなぞり、ジーンズの上からあらぬところをまさぐりはじめる。うぁ、やば……っ!
「あ……」
 気がついた古泉が俺の口腔内を侵略する舌の動きを止め、嬉しそうな声を漏らした。ちくしょう。どうせ勃ったよ。キスされて舌とか入れられてあちこち触られて、相手は男なのに、古泉なのに、気色悪いどころかあっというまに勃起しましたよ悪かったな節操なしで! 仕方ないだろ若いんだから!
 俺の反応に気をよくしたのか、古泉の奴はさらに大胆に俺のシャツをたくし上げ、首筋やら鎖骨やら、さらに胸の……あれだ、ちくび、やらに舌を這わせはじめた。普段は存在すら忘れてるような胸の突起部分を舐められ軽く咬まれて、ちゅうと吸い上げられると腰の辺りに言いようのない衝撃が走る。上がりそうになる声を必死にかみ殺し、シーツをきつくつかんで耐えていたら、古泉の手はカチャカチャと音を立てつつ器用にベルトをはずし、あっというまにジッパーを下げ、するっと下着の中に侵入した。冷たい手に急所をつかまれ、思わすひっ、と声を漏らす。
「ま、てコラ古泉っ! さすがにこれは、シャレにならん……っ!」
 ピタと手が止まった。……いや待て俺。落ち着け俺。なんか惜しいとか思うな俺。必死に心を落ち着けて、俺は真上にある古泉の顔を見る。やってることはえげつないくせに、古泉は寄る辺ない子供のみたいな頼りなげな表情で、じっと俺を見下ろしていた。
「ダメですか……?」
 いやだから、でかい図体して、その捨てられた子犬みたいな目はやめろ。認めたくはないがもともと俺は、こいつの顔は、顔だけは好きなんだ。その顔を真っ赤に染めて、そんな必死に、全力で俺を求めてるみたいに、ああもうやめろやめてくれ、やばいから。なんかおかしなものが目覚めそうだからっ。
「ずっとずっと抑えていたんです。あなたは世界の鍵で、涼宮さんの大事な人で、僕なんかが手を出すどころか、想いを寄せることすら許されない人で……。だけど、もういいはずだ。今だってあなたは遠い人だってわかっているけれど、少なくともそれが世界の破滅に繋がることだけはないはずだから、もう僕は我慢しない」
「こいず……」
「恋人になって欲しいなんて、そんなことは望まない。無理だってことはわかってるから。だからほんのひと時だけ、心はいらないから身体だけ……僕にください」
 古泉の視線が灼けるように熱い。熱くて熱くて、溶けそうだ。
 そんな無茶な要求なんて普段なら2秒で却下に決まってるんだが、今の俺はなんかおかしい。古泉のまなざしとか声とかがあまりに真摯であまりに本気で、それがぐいぐいと胸に迫ってきてもう俺はダメだ。もうこれ以上抵抗しきれない。絆されそうだ。
「そんなに、好き、なのか。……俺のことが?」
「すきです。もう1年のときからずっと、どうしようもないくらいすきで、ずっと触りたくて、抱きしめたくて、でもできなくて」
 赤くなった目の縁に、涙がにじんでいる。感情のコントロールができなくなってるのか。なんかのぼせたみたいにぼーっとする。ああ、もしかしたら酔っぱらい古泉にさんざんキスされたせいで、酒臭い息で俺も酔ったかな。きっとそうだ。
「え……と、その」
 思いつめた古泉の必死な形相を見返した途端、胸がきゅうと締めつけられた。なんなんだろうな、これ。同情かな。それとも憐憫? ああもう、どうでもいいか……。
「いっ、1回、だけ……なら」
 古泉の顔が見てられなくて、顔ごと目を逸らして早口でつぶやいた。
 言っちまった。馬鹿か俺は。
 ええい、もうあれだ。酔った勢いってやつだ。
「こ……っむぐ」
 直後に噛みつくみたいにまたキスをされて、さっきまでのどこか躊躇いがちだったそれとは大違いの勢いにびっくりした。侵入してきた舌が、まさに蹂躙といった勢いで俺の口腔内をむさぼる。息すら出来ない。引っ張られたシャツからボタンが飛んで、ほとんど引きちぎられるように服をむしり取られた。
「ま……、待てっ……て!」
「いやです」
 きっぱりと拒否して、また唇をふさがれる。
 すごいくらくらする。ホントに酔ってるな俺。……何にかはわからんけど。


「っひ、あ……っ!」
 我慢しきれずに、俺は古泉の口の中に2度めの射精をした。
 1度めは手でしごかれてあっけなく達してしまい、続けて耳やら胸やら臍やらじっくり舐められてる間ソコは放置された。そして、さんざん焦らされたあげくに咥えられて舌と唇とで翻弄され、身も世もない叫び声をあげて2度めの絶頂に導かれたのだ。
 酸素が足りなくて息があがり、目の前は涙でかすんでる。どこもかしこもすでにぐちゃぐちゃだ。俺は何もかも初めてだってのに、この野郎、手加減しようとすらしない。
「こ、いず……」
「…………」
 顔をあげた古泉の喉が、ごく、と何かを嚥下した。舌で、飲みきれなかった白濁のついた唇の端を舐め、飛沫が飛んだのか腕にも舌を這わせてるのを見たら、じわりとまた涙があふれてきた。なんだろうな。別に悲しいわけでも嫌なわけでもないのに、涙が止まらない。
 古泉は俺の頬に触れ、涙のたまった目尻に唇を寄せて囁いた。
「……かわいい」
「な、に言ってんだばか」
 この馬鹿はやっぱり酔ってやがんだ。熱に浮かされたみたいな顔で、もう尋常じゃない目つきで、俺の一挙手一投足を見逃すまいと見つめ続けてる。
「んっ……」
 もう何十回目かわからないキスをまたされる。食いつかんばかりに舌を貪られながら必死に息をしてるうちに、いつの間にか古泉の手はまた俺の、後ろ、の、部分に触れる。
 たぶん、そこをほぐそうとしてるんだろう。俺が痛がるたびに手を引っ込め、なだめるように他のとこをあやして、また少しずつそこに指を入れてくる。最初は痛いやら気持ち悪いやらだけだったんだが、だんだん慣れていくのが自分でもわかった。
「っ、あっ、うあ!」
 いままでで一番、奧まで指が入った。と思った途端に、どこかをこすられてすごい衝撃がきた。背筋を通って、脳をつらぬく強烈な快感。な、なんだこれ。
「気持ちいい……?」
「や、なん……これ、っうあ!」
 ビクッっと身体を跳ね上げる。どうしようもない感覚に身をくねらせ、あまりの気持ちよさに声と唾液が漏れるのを止められない。何度かイッた気がするがそれでも快感は止まらず、古泉の指が抜けていったときは抜くなと叫んでしまった。
 ごくりと喉の鳴る音が聞こえた。必死に息を継ぎつつ、瞑っていた目をうっすらとあける。ぐっと古泉が唇を噛んだのが見えたと思うと、乱暴に両膝をつかまれた。
「……力、抜いて」
「んっ……で、も」
 どうやれば力が抜けるのかなんてわからない。耳朶にキスをされてついでに軽く歯を立てられて、ガクッと身体を支えていた腕が崩れた。と思ったとき、俺の中に何かがじわりと入ってきた。
「あ……っあ、こ、いずみ、こいずみ……っ」
「…………っ」
 すごく苦しい。しかも痛い。だけどなんか、満たされてく感じがする。
「こい、ずみ……っ」
 相変わらず古泉の視線は、食い入るように俺に向けられたまま離れない。名前を呼ぶたびに苦しそうに眉がしかめられて、でも歓喜しているのが俺の中に入ってるものでわかる。
 伸ばした俺の手を、古泉の手がとらえる。握った手を支えに腰を進め、ぐっと奧まで押し込んで、それでどうやら全部が俺の中におさまったらしい。ぎゅうっと抱きしめられて、耳元で溜息が聞こえた。
 そのままの状態で、古泉は肩で息をしていた。時折小さな声を漏らし、身動きせずに何かに必死に耐えている。
「……動か、ない、のか?」
 こいずみ、と囁くと、汗ばんだ身体はふるりと震えた。かき抱く腕に力がこもる。
「動くと、終わってしまいます」
 1回きりなのに、と、絞り出すような声。まぁ、確かにその約束だが……。
「んなこと言ってもな……いつまでも、このままってわけには」
「……いやです」
「こいず……」
「いやだ」
 そうは言っても、古泉の我慢の限界が近づいてるのは俺にだってわかる。腰が揺れて、ビクビクしてるし。
「んん……っ」
「っ……あっ! 待っ……」
 俺の肩を強くつかんで耐えようとしているその顔が、なんだかいじらしくてかわいいなと思ったら、つい締め付けてしまったらしい。焦ったように叫んで涙目になってる古泉の唇に、衝動的に口づけた。
「ふぁ……っあ」
 俺の方から舌を入れて、逃げようとする舌をからめとる。そうしながら今度は意図的に締め付けてやったら、さすがに耐えきれなくなったようだ。泣きそうな顔で、古泉はやっと腰を動かし始めた。
 肌と肌のぶつかる音と、いやらしく響く粘液質の水音、古泉の喉から漏れる息と声。つながってるそこ自体はそうよくもないんだが、それら聴覚への刺激と目の前に見える上気した顔だけでも充分だ。
 真っ赤な顔で、目尻に涙なんか浮かべて、じっと見つめる潤んだ瞳。蕩けそうに気持ちいいと訴えてるのに、終わりが見えるのが切ないと泣いてもいる顔。
 あきらかに限界を越えた酒量が、こいつの自制心とかろくでもない思い込みとか、つまらんプライドとかをいい感じに壊してくれた。俺のことが好きで好きでたまらないって、その瞳と表情が叫んでる。全身で俺を求めてる気持ちが、伝わりすぎるほどに伝わってくるんだ。
 なんかこれ、もうどうしようもなくね?
「んっ、こいず、みっ……俺、っ……!」
「っあ、僕、も、もう……」
 いやだ、と駄々っ子みたいに叫ぶ声を聞いて、しょうがないやつだと胸の内でつぶやいた。


 疲れ切った身体に鞭打って、とにかく家に外泊するとの電話だけは入れたはずだ。
 翌朝、枕元に転がってた携帯の発信履歴を確認し、間違いなかったとホッと胸をなでおろした。まぁ、親はそれほど心配はしないんだが、妹がうるさいからな。
 ゆうべはとにかく電話だけをなんとかすませて、身体を投げ出す勢いでベッドに倒れ込んでから3秒で寝付いた自信がある。着替える気力もなかったんで、俺自身も、一緒のベッドで隣に寝てるやつも一糸まとわぬ姿のままだ。まだ全身ダルいし、あちこちが痛てぇ。あと腹がくだり気味なのはどうしてだ。冷えたかな。
 ちなみに、いまだ暢気に寝息を立ててる同衾相手は、俺が電話しているときにはもうとっくに夢の中だった。というか、終わって俺の中から抜いた直後に、ばたりとベッドに倒れて動かなくなったのだ。
 まさか死んだかと一瞬焦ったが、よく見ればただ爆睡しているだけだった。まぁ、あれだけ泥酔してる状態で、無茶としか言いようのないことをしたわけだからな。そりゃ気絶もするだろうよ。
「ホント、ばかだなぁ、お前って……」
 どんな夢を見てるんだか、苦しそうにしかめられてる眉間をつつく。うー、と唸りながらもまだ、古泉は起きる気配を見せなかった。
 俺のことが好きだったって? ずっと前から? 3年間も我慢して、何食わぬ顔で親友≠やりつつ、俺とハルヒの仲を取り持とうとしてたわけか。確かにこいつの立場じゃ、告白することも俺から離れることもできなかったろうが……そりゃかなり辛かったんじゃないのか。
 そう考えるとなんだか、胸がざわざわする。
 ってことはやっぱりゆうべ思ってたとおり、これは同情か憐憫なんだろうか。表面だけ見たら古泉なんて、イケメンだわ優秀だわ万事に卒がないわで、可哀想に思ったり守ってやりたくなるような要素なんて皆無なんだが……俺はいろんな事情を知ってたせいか、なんだか放っておけないとは、ずっと思っていた気がする。
 でもなぁ、冷静に考えたら、そんなもんでできるような事じゃないよな。あんな痛くて苦しくて恥ずかしいこと。しかも全然嫌でも気持ち悪くもなかったんだが……これが他の男だったらってちょっと想像してみたら、即却下だった。だめだ、考えただけで鳥肌が立つ。
 ということは、だ。よく考えろ、俺。
 理性の箍がはずれた古泉のものすごい告白に、ときめいたのは何故だ。全身全霊で俺のことが好きだって、俺の全部を欲しいって気持ちをぶつけられて、断り切れなかったのは? その上あんなことされて、今だってあちこち痛てえってのに、それでも後悔の気持ちが湧かないのはどうしてだ。
「あーもう……ホント、どうしようもない……」
 溜息とともにそうつぶやいたとき、古泉がうーんと唸って寝返りをうち、俺に背を向けた。その声が止まったなと思ったら、次の瞬間ものすごい勢いで飛び起き、すぐに頭を抱えて痛たたたたとうずくまる。うん、見事な二日酔いだな。
 しかも、俺が呆れて黙ったまま眺めてたら古泉の野郎は、頭を抱えて首をひねりつつ、夢……? とかつぶやきやがった。アホか!
「何が夢だ、馬鹿野郎」
 思い切り背中を蹴っ飛ばす。悲鳴を上げてつんのめった古泉は、恐る恐る振り返って、俺と目があうとその場に凍りついた。
「…………あれっ?」
「あれっじゃねえよ。腰とケツと腹がすげえ痛いんだがどうしてくれる」
 しばらく口を開けてぽかんと俺を見つめてた古泉は、やがて我に帰って、しどろもどろに弁解をはじめやがった。
「それは……大変申し訳ないこと、を……。あの、僕、昨夜はしたたかに酔ってしまって……ついその」
 なんだその死にそうな顔と声は。青ざめてるのは、二日酔いのせいってだけじゃなさそうだな。……ま、あんまりいじめるのも可哀想か。
「冗談だ。合意だったんだから、気にすることはねえよ」
「合意……」
 そうつぶやいて、今度は赤くなる。忙しい奴だ。気を取り直したのか、古泉はちょっと無理やり気味に笑顔を作り、俺に向かって頭を下げた。
「では、お言葉に甘えて、双方合意の上での行為だったということで。それを踏まえて、お礼を言わせてください。昨夜は僕のわがままを聞いて下さり、ありがとうございました。このことは誰にも言わず胸にしまって、僕の一生の思い出にします」
「あー……それについてなんだがな、古泉」
「はい?」
「1度だけって話だったよな、確か」
 首を傾げて俺を見る古泉。おかしいなぁ、こんな背も俺より高いしガタイもいいし、どこ見たって正真正銘の野郎だってのに、なんでかわいく見えるんだろう。目か頭が腐ってんのかな。ホントにもう、どうしようもない。俺、おかしいわ。
 こんな台詞を自分から言っちまうんだからもう、相当イカレてるだろ。
「えーと……お前がよければ……また、してもいい、ぞ」
「えっ……!?」
 古泉はびっくりをすぐに通り越し、心配そうな顔になった。どうかしちゃったんですかと、心底気遣う様子をみせる。確かにどうかしてるかもしれんが、とりあえず正気だぞ俺は。
「あの、それは……セックスフレンド的な……?」
「俺がそういうことができるタイプかどうかは、お前が一番よく知ってんだろうが」
「それは……まぁ。え、でもそうすると」
 だからそういう意味だよ、わかれよアホ、とそっぽを向きながら言ってやったら、古泉は即そんな馬鹿なとか返して来やがった。誰が馬鹿だ。
「だってあなたは……涼宮さんと」
 あー、そういやゆうべもなんか言ってたな、支離滅裂だったが。俺とハルヒが同じ大学に入ったからおつきあいを始めるとか18だから結婚できるとか、なんでお前がそんなこと決めてんだって話だよ。
「で、でも」
「酔っぱらいのたわごともいいかげんにしろ。俺とハルヒはずっといいダチで、これからもそれは変わらん。そうだな、位置的には佐々木と同じかな」
「でも……」
 そう言ってやっても、古泉は納得できないって顔だった。
 うん、まぁ、わかってはいるつもりだ。機関の方針とお前の考えでは、世界の安定のためには俺とハルヒがくっつくことが大前提だったのは知ってるし。お前が、俺とハルヒはお似合いだとか、実は好きあってるに違いないとか思い込んでたのも知ってる。
 だからたぶんお前は今回のお願い≠さよならのかわりにして、俺の前から消えるつもりだったんだろう……ってことにだって、俺は気がついてるんだよ。昨日言ってた大事な用事≠ニやらは、それだったんだろう? まったく、お前らしい。
 だけどよく見ろ、古泉。俺とハルヒがどうこうならなくったって、世界は今安定してる。ハルヒはちゃんと精神的にも成長して、あんなろくでもない空間で怒りや不満を爆発させなくても大丈夫な大人になったんだ。もうお前が気に病むことなんてない。
「それにな……」
 ベッドの上に身体を起こして、泣きそうな顔をしてる古泉の頭に、ぽんと手を乗せる。髪のさらさらした感触が、気持ちいい。
「ハルヒにとってお前は大事な仲間なんだから、必要なくなったなんてことはないぞ。俺にとっても、もちろん長門や朝比奈さんにとってだってそうだ。任務なんてなくたって、ずっと側にいていい。理由はただ、好きだから、でいいんだぞ」
 古泉の唇が震える。まるでそれを隠そうとするように、古泉はいきなり俺の身体に腕を回して抱きしめてきた。裸の肩に顔を埋めてじっとしてる背中に腕をまわし、片手でさらに頭を撫でてやった。
「だから、俺も同じなんだ。――古泉、俺はお前の側にいたい」
 ぎゅっと、古泉の腕に力がこもる。息苦しくなるくらい強く抱きしめられたから、馬鹿ちょっとゆるめろと背を叩いた。
「あなたのその、好き、は……友情ではない方の好き、だと思っていいんですか? 昨夜あんなことをしてしまって、絆されているだけという可能性は」
「うん、その可能性は皆無じゃないな」
 率直に言ってやったら、古泉の奴は目に見えてがっくりと落ち込んだ。
「そこは、そんなことはないと断言して、感動させてくださるところじゃないんですか……」
「だって、目が醒めてから考えはじめて、そうかなぁと思ってまだ数十分だぞ。未知の感情で手探り状態なんだ。……だからまぁ、そのへんは」
 顔をあげさせて、キスをする。ちゅ、と唇だけを触れあわせて、笑ってやった。
「お前が、俺を全力で絆し続けてくれれば問題ないと思うぞ?」
「……難しいですね」
 眉間に皺を寄せ、古泉は生真面目に考え込む。一度ゆるめた腕を今度は腰にまわして俺の身体を引き寄せ、ふっと口元に笑みを浮かべた。
「ではとりあえず、また泥酔してみればいいでしょうか?」
「だから、酒はハタチからだって言ってんだろうが」
 バーカ、とつぶやいて、軽くデコピンを食らわしてやる。痛いと言いつつ離れようとはしないアホ野郎に、俺は目を閉じてもう一度唇を寄せた。
「……酒くさっ」
「す、すみません……」
 なんて色気のないことを言い合いながら、俺たちは今度はしっかりと、唇を重ね合わせたのだった。





                                                   END
(2012.10.21 up)
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キョン先生の全力絆されっぷりをご堪能ください!
桜の季節にあわせて書こうと思っていたのですが、あんまり桜関係なかった。