おやすみ、僕の
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 キョンならお休みよ、風邪ですって、という涼宮さんの一声は、僕がいつもの団室に入り、ぐるっと部屋の中を見回した途端に発せられた。
 そりゃあもちろん、僕が部屋に入って最初に思ったのは、彼がいないな、という感想だったのだけれど、いろいろ見透かされた気がしてドキッとした。まぁ、よく考えてみれば、このせまい部室の中にいつもの顔ぶれが一名足らなければ、最初に抱く感想は誰だって同じだろう。僕の胸の内の何かが見透かされて言われたというわけではない。はずだ。
「そうですか。最近、寒いですからねぇ」
 薄着でもしていたのでしょうかと適当なことを言いつついつもの席に腰を下ろすと、正面の団長席に座っている涼宮さんは、つまらなそうな顔でシャープペンをまわした。
「たるんでるから風邪なんかひくのよ。キョンのくせに生意気だわ」
 SOS団の雑用係としての自覚が足らないわよね! と悪態をつく彼女に苦笑を向けてから、僕は内心は心配しているのだろう彼女の代わりに、ひとつの案を提示した。
「では、彼の看病にいきましょうか? 団活のあとにでも」
 以前、長門さんが病に(実際は違うのだが)倒れたとき、全員で彼女の部屋に押しかけて、やれ食事だやれ薬だと甲斐がいしく世話していたことを思い出す。今回もまたそのつもりなのだろうと思い差し出した提案は、だがひょいと肩をすくめた涼宮さんに、考えて見ればあたりまえの理由で却下された。
「ううん。メールしてみたら、母親がいるから大丈夫だって」
「ああ……」
 そういえばそうだな。彼は家族と暮らしているのだし、普通に考えれば世話は母親がしてくれるはずだ。ひとり暮らしの長門さんや僕とは違う。
「まぁ、そうですね。親御さんにお任せした方が、彼も安心でしょうし」
 ちょっと残念な気もする、なんて思う気持ちを押し隠し、いつも通りのポーカーフェイスでうなずいたその時、胸ポケットの中で携帯が震えた。
 一瞬ヒヤリとしたが、閉鎖空間の気配は感じられない。では機関からの緊急連絡かと急いでメールを開くと、差出人は思いがけなくも、たった今まで話題にしていた彼≠サの人だった。
 内容はといえば、いつも通りに素っ気ない簡素な文で『団活終わったらなんか食うもの買って来てくれ。消化のよさそうなやつ』とだけ書いてある。僕は、おや? と首を傾げた。看病してくれる人はいるはずなのに、なぜだろう。
 お家の方はどうされたのですか、と返信してみたら、さらに戻って来たメールには、あと水とかポカリとかも頼むという返事になっていない返事が書いてあった。なので僕は団活が終わって女性陣と別れたあと、首をひねりつつも頼まれたものを買って、彼の家を訪ねたのだった。


「おう、古泉……すまんな」
「だ、大丈夫なんですか、起きたりして」
 彼の家についてとりあえず呼び鈴を鳴らしてみるも、なかなかドアは開かなかった。どうしたのかと思っていたら、結構な時間待たされてから、ようやくパジャマ代わりのスエットに袢纏をはおった彼がドアをあけて出迎えてくれた。どうやら立ち歩くのが困難らしく、壁に手をつきつつふらふらしている。顔は赤いし、ボンヤリしてるし、おまけにひどい鼻声だ。どこから見ても、かなり重篤な風邪っぴきに相違ない。
 あがってくれというのでお邪魔すると、家の中は彼以外の人の気配が感じられず、シンと静まりかえっていた。
「……お家の方はどうされたんです?」
「ん、ああ……ちょっと出かけてる」
 こんな状態の彼を置いてか、と思ったが、何かはずせない用事があったのかもしれない。さすがに高校生の男子ともなれば、風邪ぐらいなら少々放置しても大丈夫というのが、世間一般の認識なのかも。
 部屋につくと、彼は力尽きたようにベッドに倒れ込み、億劫そうに袢纏を脱ごうともがいた。あわててそれを手伝うと、すまんと言いつつ布団にもぐりこむ。はぁ、と吐いた息は病的に熱かった。
 メシ買ってきてくれたかと聞かれたので、僕はコンビニの袋から、レトルトのお粥や野菜スープなどを取り出した。それと頼まれていた水とポカリ、風邪には有効と言われるビタミンCを摂るためのミカンやリンゴなどなど。
「サンキュ。実は、朝からろくに食ってなくてさ。食欲はないんだが、何か食わんと治るものも治らんし」
 力なく苦笑する彼の言葉に、僕はびっくりして目をしばたたいた。いくらなんでも、放置されすぎじゃないか。
「どうしてそんな……。確か、涼宮さんにはお母様がいるから看病はいいと」
「アホ。恥ずかしいだろ、同級生の女子に看病されるとか」
「はぁ……」
 とりあえず、お粥でもあっためてくれと言われ、僕は階下のキッチンへと向かった。料理は得意ではないが、さすがにレトルトをあたためることくらいは出来る。ちょうどよさそうな器を探してごそごそしながら、不謹慎にも僕は、なんとなく嬉しさを感じていた。
 病人のはずの彼がなぜ放っておかれているのかは不明だが、こんな窮状で彼は、僕に助けを求めてくれたのだ。涼宮さんでも、長門さんでもなく。たとえそれが、女性にみっともない姿を見られたくないという思春期の男子らしい見栄からの選択だったとしても、頼られて嬉しくないわけはない。
 ――と、いうのも実は僕たちは、つい先日からいわゆるおつきあい≠ニいうものをはじめた、恋人同士であるからだった。

 まぁ、そうは言っても本当のところ、彼が何を考えて僕の告白を受け入れてくれたのかはわからない。かなり切羽詰まった様相だったろう僕の勢いに押されたのか、それとも絆されてくれたのか、もしかしたら単なる好奇心だったのかもしれない。
 キスもたくさんしたし、セックスも数回したけれど、それ以外のときの彼の態度は友人だったころと何も変わらず、恋人なのだからとかなり過剰になった僕からのアピールを、いつも嫌そうな顔で受け流す。僕をどう思っているのですかと問い詰めたことはないが、単なるセックスもするちょっと親しい男友達、くらいの位置づけなのかもしれない。
 いや、むしろ、恋人らしいやりとりをするのがそういうときだけという点から見れば、セックスしたいから付きあっているという可能性もなきにしもあらずだ。
 ついそこまで想像を巡らせて、僕は思わずキッチンの床にしゃがみこんでしまった。自分の考えに自分で落ち込んでいれば世話はないが。
 ピピッと電子音が鳴って、レンジがあたための終了を知らせてくれた。僕はお粥の入った器に洗い物のカゴに入っていたレンゲを添えて、彼の部屋へととって返した。
 彼の思惑がどうだろうと、とりあえず今は、僕は彼の恋人として頼りにされている。いつもは何かと彼の世話になることが多いから、お返しできることは素直に嬉しいことだし、精一杯看病を勤めさせていただこう。
「はい、あーんしてください」
「って、いいから! 自分で食うから!」
「いいじゃないですか。ほら、あーんって」
 抵抗する彼の口元に、適度に冷ましたお粥がのったレンゲを近づける。照れくさいのかさんざん逡巡したあと、彼はやっと口を開けてくれた。……が。
「うわ!」
「あ、すみません!」
 うまく口の中に入れられず、スエットの胸元にお粥をこぼしてしまった。意外と難しい。食べさせる方にも技術がいるんだな、これ。
「ああ、いいって。汗かいたから着替えようと思ってたんだ。粥は自分で食べるから、そこの戸棚からパジャマ出してくれ」
 慌てて拭き取ろうとした僕を止め、呆れたように溜息をついて、彼がそう言ってくれた。僕はしょんぼりと立ち上がり、ドアの横のクロゼットを開けて、積んであったパジャマらしきものを取り出して渡した。
 これじゃいけない。よし、気合いを入れ直そう。
「では、着替えるなら下着もついでに……あ、そうだ。身体拭きますか? 汗かいたんでしょう?」
「ん、まぁ、それはそうなんだが……」
「ちょっと待っててくださいね! 用意してきますっ」
 あと氷枕か何かないか、探してみよう。それと、風邪薬と。とにかく、彼の世話を堂々と焼ける機会などそうはないから、出来る限りのことをして差し上げねば。
「というわけでまずは、身体を拭くタオルとお湯と……」
 いろいろ算段をつけつつ再び階下に戻り、そこではたと足を止めてしまった。なんというか、彼の母上はとても片付け上手らしく、お湯を沸かそうにもヤカンが、蒸しタオルを作ろうにもハンドタオルが、一体どこにしまってあるものか見当がつかない。具合の悪い彼に逐一聞くのも気が引けるし、これはとにかく手当たり次第に見てみるしかない、よな?


「大丈夫か、お前」
「申し訳ありません、お騒がせして」
 結局僕は、目的のものを用意して二階に戻るまでに、食器を2つ割り、キッチンの床を水浸しにし、タオル類の入ったカゴをひっくり返し、吊り戸棚から降ってきた缶詰で額を打ち、右手の人差し指と中指を火傷した。
 なんとか散らかしたものを片付けて二階に戻って、彼の身体を拭いて着替えてもらったが、どうも彼には階下で僕がいろいろやっている音が聞こえていたらしく、心配でまんじりともできなかったようだ。計ってもらった熱はかなり高くて、これでは本当に、看病に来たのか悪化させに来たのかわからない。
「どうも僕は、こういうことには不慣れで……」
 手配とか根回しとか事務処理とか、そういうことは得意なのだが、一方で身の回りの世話のような細やかな作業は苦手だ。生来の不器用さが身に染みる。
「壊した食器は、後ほど弁償させていただきますので……」
 身を縮めて謝罪すると、彼はベッドに横たわったまま、大きく溜息をついた。まったくお前は……と呆れた声を漏らす。
「もう何もしなくていいから、そこに座ってろよ」
「はい……」
 何もするなと言われてしまった。つまり、動き回るのは迷惑だと言われたも同然だ。
 しかたなく彼の枕元に座り込み、しょんぼりと肩を落とす。まったく僕は、せっかく彼に頼られてここに来たというのに、何をやっているんだ。きっと彼も、こんなことなら呼ぶんじゃなかったと後悔していることだろう。窮状を助けることもできないのではもう、恋人だなんて胸を張って言えやしない。
 ……今日はもう帰ろう。帰って、部屋で一人で反省しよう。
「僕、今日は帰りますね。こんなことじゃ、かえってあなたに迷惑かけてしまう」
 下を向いたまま立ち上がったら、彼がびっくりしたように身を起こした。額に置いていた濡れタオルが落ちたようだが、僕は顔をあげられないまま、鞄を手に取った。
「これ以上僕がここにいたら、かえって悪化させてしまう。ご家族も、そろそろ戻られる時間でしょう?」
 それではお大事に、と会釈して、うなだれたまま部屋のドアに向かった……その時。
「待……っ」
 焦ったような声とともに、ドタッという音が聞こえて振り返る。彼が、ベッドからずり落ちていた。
「だ、大丈夫ですか!」
 あわてて鞄を投げ出し、彼を抱き起こす。ともかくベッドの上に戻そうとしたら、ぎゅっと制服の襟元をつかまれた。
「あの」
「帰んな。座ってろ」
「で、でも僕がいても何も……。かえってご迷惑を」
「違う。何もしなくていいって、そういう意味じゃ、なくて」
 相当熱があるのか、彼の顔は真っ赤だった。僕の襟元をつかんだまま、彼は眉を寄せて目を逸らす。
 えっと……そういう意味ではなくて?
「何も、しないでいい、から……側にいろっていう……」
「……えっ?」
「だから……ただ、いてくれって言ってんだよ……!」
 なんのために呼んだと思ってんだ、と、彼は小さな声でぼそぼそと言う。僕がもう一度、えっ? と聞き返すと、彼は僕の胸に赤くなった顔を押しつけ、馬鹿野郎がとつぶやいた。

 ベッドに戻り、布団をかぶって濡れタオルを額に置いて落ち着いてから、彼が朝から放置されていた理由を話してくれた。実は彼以外のご家族は一昨日から旅行に出ており、帰るのはさらに2日後だという。留守番中に体調を崩した彼だが、せっかくの旅行に水を差すこともあるまいと、そのことを家族に伝えていないらしかった。
「一晩寝れば治ると、思ってたんだがなぁ……」
 そうぼやく彼は閉じていた目を開け、困ったように眉を寄せて、弱々しい微笑みを僕に見せた。
「朝起きたら、ますます熱が上がっててな。寒いし苦しいし気持ち悪いしで、なんだかすごく心細くなっちまって……でも、さすがに授業中に呼び出すわけにはいかんだろ」
 しょうがないからずっと携帯電話握ったままひたすら眠って、やっと放課後になったからメールしたんだと彼は言った。
「そんな……呼んでくだされば授業なんて」
「バーカ。優等生がサボリなんて、マズイだろうが」
 ずり落ちかけた額のタオルを戻し、彼は溜息をつく。
「まぁ、体調はめちゃめちゃ悪くて、かなりしんどいんだけどさ……今はちょっと嬉しいかな。一緒にいられるし。さすがにこの状態じゃ、えろいこと……は、できねえけど」
 しょうがねえよな、と言って笑う彼の頬に、思わず手を伸ばした。汗ばんだ頬はかなりの熱を持っていて、彼はお前の手、冷たくて気持ちいいと眼を細める。その声に、表情に、僕はなんだかたまらない気持ちになった。
 ああ、なんだか泣きそうだ。
 僕の一方的な想いだと考えていた。彼の方ははただ絆されただけ、もしくは好奇心だと。もしかしたらセックスだけが目当てかもとすら。……馬鹿だったな、本当に。

 そんなことは、全然なかった。
 彼は、僕が考えていたよりずっと、僕のことを想っていてくれた。セックスなんて抜きでも一緒にいたいと、そう考えてくれていた。
 ……好きで、いてくれていた。

「どうした。具合悪いか? まさかうつしちまったかな」
 心配そうな顔で伸ばしてくる彼の手を、握りしめる。大丈夫ですよと笑ってみせて、その手のひらにくちづけた。
「そんなこと気にしないで、あなたは少し眠ってください。手、すごく熱いですよ」
「うん……」
 きゅ、とその手を握りこんで、彼はうなずいた。目蓋が眠そうにしばたたかれる。
「なぁ、古泉……あのさ」
 何か言いたそうな彼の唇を人差し指でふさいで、僕は身を乗り出し、彼の額にキスを落とした。
「大丈夫。あなたが目を醒ますまで、僕はずっと側にいますから……安心して」
 そう約束すると彼は、心からの安堵を感じさせる微笑みを見せてくれた。そして目を閉じる直前に、こんなことを言う。
「起きたらリンゴ剥いてくれよ。あとあれ作れ。うさぎリンゴ」
 彼が求めるその果物が、彼にとってどんな意味を持っているか、僕は知っている。だけど僕は何も言わず、ただにっこりと笑って、ふたつめの約束にうなずいた。
「はい、了解です。――おやすみなさい」
「うん、おやすみ……ありがとな、古泉」
 目を閉じて、たちまち眠りに落ちていく彼の寝顔をじっと見つめる。
 安らかな寝息を聞きながら、今、この場所にいられることにこの上ない幸せをかみしめて、僕はそっと彼の髪をなでた。

 ――おやすみなさい。
   僕の、誰よりも大切なひと。


                                                   END
(2012.02.01 up)
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1/29のシティに無料配布本にして持って行ったもの。
ほんの数冊しか出なかったので、さくっとアップしてしまいます。

仕事は問題なくこなすのに、不器用な古泉もえ。