だって夏だから
00
 連日、うだるような暑さが続いていた。
 今年の夏は例年よりも猛暑日が多く、なんて毎年聞くようなテレビの予報もそろそろ聞き飽きて、多いからなんだというんだと理不尽な悪態をつきたくなってくる。
 アスファルトから立ち上る熱気が陽炎のようにゆらめく夏空の下、蝉時雨の中をかいくぐって、ようやく自宅にたどりつく。鍵を開けてドアを開くと、一瞬風が吹き抜けた。ああ、バルコニーの窓が開いているのかと考えるのと同時に、イコール同居人が在宅しているのだと思いいたって、それだけで幸せな気持ちになった。
「ただいま帰りました」
「おう、古泉。おかえり」
 バルコニーに続く掃き出し窓を全開にして、扇風機をかけているリビング。声は聞こえたが、いつも彼が座っているソファには姿が見えない。どこにいるのかと思いつつリビングに足を踏み入れたら、キッチンの方から冷蔵庫を閉める音が聞こえた。
「そちらにいらっしゃいましたか」
「ん。お前もコーラ飲むか?」
「はい、いただきます」
 了解、という返事とともに、彼は再び冷蔵庫を開けたようだ。ガラガラと氷をかきまわす音を聞きながら自室にカバンを投げ入れて、すぐにリビングへと戻った。
 強烈な日射しが作りだす濃い陰影がベランダの床に落ちているのを眺め、ソファに腰掛けようとしてそこにうちわが落ちているのに気づく。これで彼がパタパタと仰いで涼をとっていたのかと思うと、なんとなく微笑ましくてふっと笑みがこぼれた。

 彼と一緒に暮らすようになって、初めての夏。
 大学も夏休みに入り、二人して部屋で過ごす時間も最近は増えたが、暑くても彼はあまりエアコンを使おうとしなかった。主に電気代が高くなるからというのが理由だけれど、エアコンに頼り過ぎの生活は健康上よくないという、彼の母上の教育の賜でもあるようだ。人間、暑いときはちゃんと汗かかないと体機能がおかしくなるんだぞ、とは、この夏の初め頃に、なぜエアコンを使わないのかと尋ねた僕に、彼が返してくれた答えだった。ひとり暮らしだった高校時代の夏、まさに一日中をエアコンかけっぱなしの部屋に閉じこもっていた身としては、誠に耳が痛い。だから僕は暑さが本格的になってきた今も、エアコンのオンオフの権限を彼に一任したまま過ごしていた。
 そんなことを思い出しつつソファに坐ってうちわを弄んでいると、両手にコーラの入ったグラスを持って、彼がリビングへと戻ってきた。
「当番ご苦労さん。暑かったろ、外」
「ええ。なんだか暴力的、という形容をしたくなるのがわかるような暑さですね」
「こんな中を記録取りにいかにゃならんとは、実験も大変だな」
「研究室に泊まり込みじゃないだけ、よかったですよ」
 ほら、と彼が渡してくれたグラスを礼を言って受け取り、冷えた炭酸を喉に流し込む。舌に刺激的な液体は、汗をかいてかわいた身体に染み渡るようだった。
「ふぅ……生き返ります。それにしても、暑いですねぇ」
「まぁ、夏だからな」
 立ったままでグラスの中身を半分ほども一気にあおった彼が、グラスをテーブルに置いて僕の隣に腰を下ろした。手をこちらに伸ばしてちょいちょいと指を動かしたので、気づいてその手にうちわを返す。それで自分をあおぐのかと思っていたのに、彼は何を思ったのか僕の方へとバタバタと風を送り、面白いものを見たような顔をした。
「ははっ、さすがのお前もこの暑さにはかなわないか」
「何がです?」
 何のことだろうと目をしばたたいたら、彼はうちわで僕の前髪を浮き上がらせようとするように下からあおぎはじめた。風にあおられ剥き出しになった額に視線を向けて、ひひひ、とちょっと意地悪な笑い声をたてる。
「汗びっしょりかいてるぞ。やっぱお前でも、暑いと汗かくんだなぁ。高校のときとか、なんだかいっつもデオドラントだったからさ。どういう体質なんだって不思議だったんだよなー」
 言いながら彼はあおぐ手を止めて僕の肩に手を置き、ぐいと首筋に顔を近づけてきた。そして、うわ、汗臭えと言い放ってニヤニヤと笑う。……ちょっとそれは、ひどくないですか。
「そりゃ僕だって汗くらいかくし、かいたら汗臭いに決まってますよ」
 手にしていたグラスの中身を一気に飲み干し、空のグラスをいささか乱暴にテーブルに置く。肩におかれたままだった彼の手を振り落とす勢いで、僕はソファから立ち上がった。
 いきなりどうした、と、彼がきょとんとした顔で見上げてくる。そんな彼にシャワーを浴びて来ますとだけ言い捨てて、僕は大股にリビングを横切り、着替えの用意もせずにバスルームに飛び込んだのだった。



 代謝が悪いのか、僕はもともと汗をかきにくい体質ではあったようだ。
 高校の頃、涼宮ハルヒの望むキャラクターを演じなければならなかった僕には、その体質はけっこうありがたかった。汗臭い古泉一樹なんて、涼宮さんの持つイメージに反する。涼宮さんが考えるさわやか男子高生のイメージを保つため、僕は気を充分に使い、マメにシャツを替えたり等の努力をして、常に彼曰くのデオドラント状態≠キープしてきた。
 が、さすがに一緒に暮らしていて、大学と彼のバイトの時間以外はほぼ毎日、至近距離にいる状態で、それを保つのはかなり難しい。しかも、本来の僕はそれほどマメな性格というわけでもないので、仕事だからと気を張っていたあの頃のようにしろといわれても無理な話だった。
「ただいま帰りました」
「おう、お帰り。今日も暑かったな」
「午後になって、ますます気温があがりましたね」
「ああ。さっき予報で今夜も熱帯夜だって言ってたな」
 そう言って彼は今日も僕に近づき、鼻をひくつかせる。そして、汗かいたみたいだな、ほっとくと染みになるからとっとと着替えて洗濯に出しとけと指示をしてくる。それに素直に従おうとしつつも、僕はもやもやとした気分を抱えざるを得なかった。
 ここのところの彼は、僕が外出から帰るたびに臭いのチェックに余念がない。汗臭いのがよほど我慢ならないだろうか。
 そういえばそんなCMがあったなと、余計なことを思い出してしまう。部屋の消臭剤のCMだったろうか。確か、旦那と3人の息子の汗臭さに辟易する奥さんの様子が、コミカルに描かれているものだった。……あれを買ってくるべきかな。
 僕だって、一応気にはしている。マメに汗を拭って顔を洗って、シャツも速乾性のものに替えて着替えだって頻繁にしている。が、それでも連日のこの暑さだ。汗をかくなと言われても無理だし、かけば汗臭くなるのだって仕方ないだろう。大体、そういう彼だって汗をかかないわけじゃないだろうに。
「ん、何を怒ってんだ?」
 黙ったままリビングにカバンを下ろした僕の様子に気づいたのか、彼が至近距離で顔をのぞき込んで来た。汗臭いなら、近づかなきゃいいのに。
「別に怒ってないですよ?」
「何言ってんだ、そんな拗ねた顔して」
「……暑いんですよ。エアコンかけないんですか?」
「あー、まぁ、まだこれくらいなら大丈夫だろ」
 ちらりと、開けたままの掃き出し窓の方を見て、彼は言った。午後の強烈な日射しは、今日もベランダの床にまぶしい光を反射させている。ぬるい風がときおり吹き込んではくるが、とても快適な気温とは言い難い。
「暑いですよ。汗びっしょりじゃないですか」
「暑いときは汗かいとかねえと、健康に悪いんだぞ」
 いつものその言葉に、今日はついカチンときてしまった。
「……嫌がってるくせに」
「え? ……っおい古泉、何をっ」
 肩をひきよせて腕をまわし、腰を抱き寄せて密着する。唇をかさねて舌でこじあけ、反射のように応えてきた彼の舌とからめあううちに、密着した部分から体温が伝わって、たちまち汗が噴き出した。
 ぷは、と唇をもぎはなした彼は、がっしりとホールドした僕の腕からのがれようと身をよじる。それをものともせずに抱き上げて、フローリングの床に押し倒した。
「ちょ、はなせ古泉、クソあっちい!」
「やです」
 ぐいぐいと押し返してくる腕をつかみ、ねじ伏せて床に縫い止め、もう一度深く口づける。しつこくしつこく舌をからませつつ、無防備なタンクトップの中に手をもぐりこませて胸の突起を軽くこねたら、敏感な彼の身体はビクリとはねあがった。
「んっ……は、もっ、わかったからっ! せめて窓閉めて、エアコンかけてしようぜ。汗まみれになっちまう」
「やですって」
「ってお前っ! なんなんだよもう!」
 暑っ苦しいっつてんのに! と騒ぐ彼のタンクトップはまくり上げたまま放置し、さっさと下着を半パンごとずりおろした。半勃ちの性器に舌を這わせて、弱いところを責め立てる。ひ、と息を飲んだ彼は、早々にあきらめて抵抗する気をなくしたらしかった。

 汗まみれ上等だ。
 真夏のこんな気温の室内で、エアコンもかけずにからみあっていれば、2人ともそうなることは必然というものだろう。それでいいとも。
 えーと、なんだっけ。こんな状況を表す慣用句があったような。
 ――ああ、そうそう。
 死なばもろとも、かな?



 ぱたぱたと床で音をたてそうなほど、額から汗がしたたり落ちる。
 何度も目に入りそうになっては拭うけれど、それもキリがない。額のみならず全身を濡らす汗が、重なりあった肌をつないでいた。
「んっ……ぅ……あ……っ」
「……っと」
 床についた膝が、その汗でずるりとすべりかける。あわてて腕で身体を支えたはずみに、僕のソレが彼の中の思わぬ場所をえぐったらしい。気持ちよさそうな声をあげていた彼がいきなり息を飲み、びくんと身体をのけぞらせた。
「うぁ! や、……っ」
「ここ、いいんですか……?」
 答えはなかったけれど、すいぶんとよさそうな顔をしていたので、その部分をさらに重点的に突いてみる。すると彼の喉から、引きつるような声が漏れた。
「ひ、ぁあ、んぁ……っ」
「ふふ、……気持ちよさそう」
「やっ、め、もう、いいかげんに……っ!」
 そう言って後ずさろうとする身体を、さらにきつく抱きしめる。しっとりどころじゃなく汗まみれの肌同士が密着したけれど、もう不快だのなんだのという域は通り越した。混じり合うほど互いの汗にまみれて、熱に煽られて、現実感すら薄れていく。このまま、熱したバターみたいに溶けてしまいそうだ。
「……っあ、も、……っ!」
 痛いほどきつく僕にしがみつき、彼が息をつめて達する。何度目ともしれず吐き出した精液が、胸のあたりに飛んで汗とまじりあう。ビクビクと痙攣をくり返す彼の中にさらに幾度か押し込んでから、僕もイク直前に彼の中から抜いて、お返しとばかりにいつもは避ける彼の顔へと欲望を吐き出した。
 涙と汗ですでにどろどろの彼の顔を、僕の放った白い液が汚す。妙な征服感がこみあげて、こういう趣向を好む人たちの気持ちがわかった気がした。
 脱力した彼は、そんな扇情的な姿のままぐったりと床に転がっていたが、やがてゆるゆると、だるそうに腕をあげた。
「くっそ……」
 したたる汗と一緒に白濁をぬぐって、溜息とともに悪態をつく。まだ絶頂の余韻が残っているのか、自力で起き上がることはできないらしい。無言で手を伸ばすので、僕はそれをつかんで、彼が床の上で身体を起こすのを手伝った。
「お疲れ様です」
「…………」
 にっこりと笑って言ってみれば、彼は汗で張り付いた前髪をかきあげながら、こちらをじろりと睨みつけてくる。そして、フローリングの床と自分たちの惨状を見渡し、やれやれと肩を落とした。
「ったく、いきなり盛りやがって……ぐっちゃぐちゃじゃねえか」
 床は当然のこと、僕も彼も、全身まるで水をかぶったように汗みずくだ。これならもう、僕が汗臭いのどうのなんて、気にしていられまい。お互い様だ。
「あー、クソあっちい……」
「まぁ、夏ですからね」
 内心、密かにほくそ笑みつつしれっとした顔でそう答えたら、容赦ない彼の蹴りが飛んできた。痛い、痛いですとわめきつつ、体をひねって彼の足技から逃げようと試みる。が、あっという間に肩をつかまれて引き寄せられ、両腕をガシリと首にまわして捕獲されてしまった。
 まだ汗もひいてない、濡れたままの肌同士が触れあう。そういえば、お互い汗だけでなく、精液やら何やらにもまみれたままだった気がするのだが。
「……ぐちゃぐちゃのままなんですが」
「いまさらだろ」
「まぁ、そうですけど」
 くす、と笑って彼の背中に腕をまわす。と、彼は僕の首筋にかじりつくように顔を埋め、まったくお前ってやつはと独りごちる。
「服はびっしょりだし、身体中ベッタベタだし……」
 そう言いつつも、彼はだるそうに僕に身をもたせかけたまま離れない。何をしているのかと思えば、僕の首のあたりに顔を伏せたまま、大きく息を吸いこんでいた。
「しかも汗臭ぇ」
 って、またそれですか!?
「失礼ですね! あなただってそんな汗まみれで、人のこと言えないでしょうが」
「俺のことはどうだっていいだろが」
「よくないですよっ。とにかく離れてください」
 引きはがそうと力を入れてても、彼は首にがっちり腕をまわして、すんすんと鼻を鳴らしている。もう……臭いと言いつつなんなんだこの人はっ!
「だからもー! なんだってわざわざかぎに来るんですかー!」
「うっせぇな」
 駄々をこねる子を諭すような口調で、彼が答える。
「好きな匂いだからにきまってんだろ。おとなしくしてろ」
 ……は?
「お前、いつもはなんかしらんが甘い匂いだからなー。まぁ、それも悪くはないんだが」
「えーと……」
「夏とこーいうときだけの限定モノなんだからケチケチすんな」
 言われた言葉の意味を理解するために、しばしの時間を要した。固まっている僕に気づいたのか、彼はやっと顔をあげ、首を傾げて僕を見ている。
 えーと、あれがそれでそういうことだとすると、もしかして彼は……。
「……汗フェチ?」
「アホ」
「あいた」
 思わず漏らしてしまったつぶやきに、後頭部への容赦ないツッコミが入る。ぱし、と、すごくいい音が響いた。
 なんだそれは俺は変態か、と、ぼやくのが耳元で聞こえる。そしてそのあとに聞こえた言葉は、彼が照れたときによく聞くぶっきらぼうな響きだった。
「お前限定だ、この馬鹿」
 やがて意味を把握すると同時に、僕はカーッと頭に血が上ってくるのを感じた。ただでさえ暑いのに、体温がさらに上昇した気がする。
 ……えっと、それってやっぱり?

「僕フェチですか」
「うるさい黙れ」


                                                   END
(2011.09.04 up)
BACK  TOP  NEXT

夏コミ無料配布にしようかと思ってたもの。
よって、夏のありがちなネタです。
ペーパーにする予定だったときは、エロシーンはまるっとカット(ドサチュン?)の
つもりでしたが、せっかくなのでちらっと入れてみました。

それにしてもうちのキョンくんは、声フェチで匂いフェチか……。