ずっと
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 乗り継ぎの駅のホームで、メールのチェックをしようとしてはっとした。
思い返してみたら、マンションを出るときに携帯電話をポケットに入れた覚えがない。もしやと思いコートやジーンズのポケットを探るも、やはり携帯の姿はどこにも見あたらなかった。
「……たぶん、ソファの上に忘れてきた、かな」
 仮眠から醒めて出かける支度をするとき、そこに放り投げた記憶がある。おそらくそのあと、携帯のことを失念したまま、出てきてしまったのだろう。
 どうするべきかと考えたとき、乗り継ぐ予定の電車がホームに入ってきて、やむなくそれに乗り込んだ。いまさら取りに戻るわけにもいかない。そんなことをしていたら、彼との約束の時間に遅れてしまう。
 まぁ、一日くらい携帯がなくてもなんとかなるだろう。
ドアに寄りかかって流れる景色を眺めながら、僕は気楽に肩をすくめた。



「いいことじゃねえか」
 いつだったか、彼と待ち合わせての外出のとき、同じように携帯を忘れたことがあった。こんな失態初めてですとボヤいたら、彼は肩をすくめて笑い、そう言ったのだ。
「携帯忘れても、支障なくなったってことなんだろ」
 大体俺は、お前の携帯嫌いなんだ、と言う彼の言葉に、そのときの僕は首を傾げた。携帯が嫌いだという人はよくいるが、僕の携帯限定だというのは何故だろう。
「デザインでも、お気に召しませんでしたか?」
「違げぇよ」
「着信音がうるさいとか?」
「違げって」
 意味がわからず食い下がると、彼は辟易したように眉をしかめた。そして盛大に溜息をついて、ったく、流せよそういうのはとそっぽを向いた。
「お前の携帯はな……お前を縛ってる鎖みたいに見えるからだ」
「え……」
「だってなぁ。いきなりそいつが鳴るときは、大抵はバイト≠フ呼び出しじゃねえか。呼び出し受けたりお伺い立てたり定期連絡したり、機関とのやり取りはおおむねそいつでしてるだろ。いつだってお前の首根っこをつないでる見えない鎖みたいな気がして、嫌なんだよ」
 背中を向けて早足で歩きながら、彼はそう言い捨てる。僕はそれに追いすがって隣に並び、でもなんと返せばいいのかわからずに、少し低い位置にある彼の横顔を見おろした。彼はそのまま前方をにらむように見据えたまま、吐き出すように先を続けた。
「……だから、最近ハルヒの力が弱まって、呼び出されることも減って、お前が携帯を忘れるくらいに油断していられるのは、いいことなんだろうって話だよ」
 そこまで思い出してから、それが高校3年の夏のことだったと気づく。ちょうどその頃涼宮さんは、卒業とともに海外への留学を決めていて、その準備で頭がいっぱいらしく、理不尽なフラストレーションを爆発させるヒマなどなかったのだ。
 そして卒業までの半年の間には、涼宮さんと長門さんの留学決定や、僕と彼の大学入試など様々な変化が訪れるも、ついに涼宮さんの力は復活の兆しをみせなかった。畢竟、僕のバイト≠煌J店休業中の様相を呈し、携帯が呼び出しのために鳴ることも目に見えて減った。彼が鎖と呼んだそのツールは、少しずつその体をなさなくなっていったのだが……。

 ――本当に、必死だったな。あの頃は。
 つらつらと当時を思い出しながら、つい笑いがこぼれる。
確かに、エージェント必須のツールとしての携帯電話の役割が薄れつつあるとは、僕も理解していた。が、それでもその時の僕は、それを手元から離すのは絶対に嫌だと思っていた。
 別に携帯依存症だからとか、時計代わりだからという理由ではない。ただ当時の僕にとってはその小さなツールだけが、表向きはただの友人同士として振る舞わなければならず、つかず離れずの距離を保たなければならない彼と、恋人として繋がっていられる唯一の手段であったからだ。
 人目のあるところでは囁けない愛の言葉も、メールでならいつでも彼のもとに届けられる。寂しくなったときには、通話ボタンを押せばいつでも彼と話が出来る。そんな他愛もない彼との絆に、僕は必死ですがりついていた。
 まぁ、実際に思うたびにそんなことをしていたら、彼にうざがれること間違いなしなので実行する気はまったくなかったものの、いつでもそう出来る手段を持っているということに、僕は心のよりどころを作っていたのだった。
 そういえばその事実は、後日彼に説明するはめになったっけ。無理に聞き出しておきながら彼は、予想通りにものすごく嫌そうな顔をして、ホントにお前はうっとおしいなと暴言を吐いた。が、その後しばらくすると、ろくなストラップもついていなかった彼の携帯が、ウォレットチェーン式のストラップでベルトに固定されるようになった。彼は何も言わなかったが、僕が気づいたことを見て取るとあわてて目を逸らしたので、やはりそのことには特別な意味があったのだと思う。

「……っと」
 はっと我に返って、なつかしさにほころんでいた顔を引き締める。思い出し笑いも大概にしないと、まるで不審者か酔っぱらいだ。いくら周囲が正月気分で浮かれていると言っても、さすがに通報されるようなことになってはシャレにならない。
 そう。とにもかくにも、本日は1月1日。
 北高を卒業し、大学に進学してから迎えるはじめてのお正月。これから僕はひさしぶりに彼と待ち合わせて、2人で初詣に行くのだから。
 年末はどうせ一人きりでヒマだったのだから二年参りにでも行けばよかったのだろうが、ついだらだらとテレビを見ながら年を越してしまった。今年導入したコタツという文明の利器は、本当に魔物だ。気がつけばそのままうとうとしてしまい、明け方にようやくベッドに入って仮眠をとって、起きたらもう昼過ぎだった。まぁ、これはこれで日本の正しい正月の姿かもしれないなと、腕時計で時間を確認しながら、僕は独りごちた。
 それにしても、携帯を忘れて外出するのはこれで何度目だろう。
以前は四六時中肌身離さず、バスルームにまで持っていったくらいだというのに、近頃は部屋の中でどこに置いたかわからなくなることも日常茶飯事だ。
 本当に、我ながら執着がなくなりすぎとは思うのだが、これが時の流れというものだろう。僕だって、いつまでも変わらぬままではいられないということだ。



 目的地の最寄り駅に降りてみて、思わず立ち止まる。
「しまった……」
 なんとかなるだろうと軽く考えていたけれど、駅に集う初詣客の多さに愕然とした。
 もちろん人波でごった返していることはあたりまえの話なので、それ自体をどうこう思ったわけではない。むしろそれを見越して、臨機応変に人の少ないあたりで待ち合わせようと、ちゃんとした待ち合わせ場所を決めていなかったことを思い出したのだ。
 お互い駅についたらメールをしあって、よさそうな場所で落ち合う手はずだった。それなのに、肝心の携帯を置いてきてしまうとは間抜けだった。
「さて、どうしたものか……」
 携帯を忘れたという事実すら、伝えることができない。昔は駅には伝言板が置いてあって、待ち合わせの連絡を書いたり、XYZと落書きをしたりしたものだと聞いたが、今ではそれは駅から消えて久しいという。第三者に伝えてもらうにしても……僕と彼のことは、いちおう秘密となっているので誰かに頼むわけにもいかない。まぁ、最悪長門さんに伝えてもらうという方法はあるが、それは本当に最終手段だろうな。
 この有象無象の人間たちの中から、たった一人を見つけ出すなんて至難の業だ。SOS団の女性陣くらい華やかに人目を引く容姿の持ち主ならともかく、彼は中身は別として見た目は実に平凡な、特に目立ったところもない、ごく普通の少年なのだし。
 僕は途方に暮れたまま、とりあえず改札を抜けて、ぐるりとあたりを見回した。

 と、ふいに視線が、ある一点に吸い寄せられた。
 コンコース内のかなり離れた場所にある柱の影から、ジャケットを着た人物の肩が見えている。後ろ姿というほどには姿が見えない上、ジャケットにも見覚えがない。なのに僕の視線は、その人物からいっかな離れようとしなかった。
 もしやと思い、僕はその肩をじっと見つめたまま、駆け寄った。これでもしも人違いだったら、今度こそ不審人物と思われても仕方ないほどの勢いで、ぐるりと前に回り込む。……と。
「うおっ、びっくりした! なんだよ古泉!」
 そこに立っていたのは、間違いなく彼だった。
 携帯を片手に、いきなり姿を現した僕に驚いて目を見開いている。着ているジャケットは、やはり見覚えのないものだが、どうやら買ったばかりの新品らしい。僕はそれだけ見て取ると、思わずほうっと大きく息を吐き出した。
「……よかった」
「なんだよ。駅に着いたんならメールくらいよこせ。っていうかお前、よく見つけられたな、こんなわかりづらいところに立ってたのに」
 ぱたん、と携帯のフリップを閉じ、彼はあきれたようにそう言う。僕が肩をすくめて、実は携帯を部屋に忘れてしまいましてと言い訳したら、彼はますますあきれた口調で溜息をついた。
「またかよ。お前、ほんっとに最近よく忘れるよな、携帯」
「あは、すみません。つい」
「ま、俺はお前の携帯嫌いだからいいけどさ。それにしても、前は気持ち悪いくらい執着してたってのに、変われば変わるもんだよな」
「フフフ、僕だって成長するんですよ」
 だって僕が執着していたのは、携帯そのものではないから。ただ、彼の恋人でいられる場所が欲しかっただけだ。それがたとえ、ネットワーク上だけであったとしても。
 だからこそ……この頃の僕は、携帯の存在を忘れてしまうのだ。
「でもほら、携帯で連絡なんかしなくても、あなたのことならすぐに見つけられるみたいですから、僕」
 たとえ何万人、同じ年頃の人間が集まっていようとも、きっと僕は一目で彼を見つけ出すことができると、たった今確信した。どんなに容姿が平凡だろうと目立ったところがなかろうと、僕にとって彼は、本当に他の誰とも存在自体が違っていて、すべてが特別なのだ。いつだって僕の感覚の全部が、ただ彼だけを感じている。
「なんだか、さらに携帯の必要性を感じなくなってきちゃいましたよ。ますます持ち歩くのを忘れそうです」
「何言ってやがる。待ち合わせ以外にもいっぱいあるだろ、使い道なんて」
「ああ、愛の言葉をメールで伝えたりとか」
「アホか! 何時頃帰るか教えたり、買い物頼んだりとかいろいろあるだろうが! 大体、一緒に住んでんのに、なんでわざわざメールでなんだ。そんなことは直接……」
「言っていいんですか?」
 はっと我に返ったように、彼が言葉を飲み込んだ。真っ赤になった顔をあわててそむけて踵を返し、ほらお参りにいくぞと早足で歩き始める。
「もう、照れなくたっていいじゃないですか」
「うるさい! さっさとお参りして、家に帰るぞ。寒いんだから!」
「あ、今日はこちらに戻ってこられるんですね?」
「年末年始と実家にいたからな。そろそろいいだろ。オフクロと妹にはもっといろと言われたが、あまり家をあけると同居の人間が餓死しかねんからと断ってきた」
「ひどい言われようですねぇ。カップ麺くらいなら、僕だって作れますよ。それに正しくは、同居ではなく同せ……」
「あーもううるさいうるさいうるさい! 黙れ!」
 怒ったような口調でわめきつつ、彼はずんずんと初詣客の人波をすり抜けて参道を歩いて行ってしまう。僕はあわててそのあとを追いかけた。
「あ、ちょ、待ってください!」

 新しい年を迎え、大学への入学と同時に始まった僕と彼のルームシェアも、10ヶ月めに突入する。彼と24時間、恋人として過ごせる場所を手に入れた僕は、きっとますます携帯電話への執着をなくしていくだろう。が、僕としてはいまさらもう、ネットワークだけでの繋がりに戻る気などさらさらない。
「待ってくださいって! はぐれちゃいますよ」
「ほら、そんなときこそ携帯の出番だろ?」
「いえ、どんな人混みだろうと、ひと目であなたを見つけ出す自信はありますけど」
 振り返った彼のしてやったり顔にしれっと肩をすくめてみせると、彼はムッと眉をしかめる。
「だったらはぐれたって平気なんだろうが」
 ああもう、そんなことで拗ねないでくださいよ。可愛いなぁもう。
「平気じゃないですよ。はぐれてる間の時間がもったいないじゃないですか!」
「はぁ?」
「だって2日も会えなかったんですよ? やっと2人きりになれたのに、はぐれてる場合じゃないでしょう」
 さりげなく隣に並んで手を繋ぐ。と、彼はあわててその手をふりほどき、再び足を速めて先へと歩いて行ってしまった。
「ほんっと、新年早々うっとおしいなお前! 一体どこが成長してるってんだ。携帯に執着しなくなったってだけで、どっちかっつうと退化してるぞ」
 だからそんなことないですって。
 そんな悪態をつくあなたが、激しく照れてるんだってこととか、たぶん少し先で足を止めて待ってくれているだろうってことがすぐにわかるくらいには成長してますよ。

 思った通りに少し先の鳥居の下にいた彼と、僕は連れだって参拝の列の最後尾へと並んだ。今年は何を願うんだと聞いてくる彼に、僕はいつもと同じですと笑顔で答える。
 彼と出会ってから4年。携帯への執着は変われど、初詣で神様に伝える僕の願いはまったく変わっていない。
 だって他には何ひとつ、叶えたいことなんてあるわけないから。

 ――今年もどうかずっとずっと、彼と一緒にいられますように。



                                                   END
(2011.01.07 up)
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なんかぐだぐだ。
携帯電話を忘れて外出しましたってだけの話だったんですが。

とりあえず、今年もこんな感じでお送りします。
よろしくお願いいたします。