永遠を探してる
02
 頭を冷やして思い返してみれば、彼と一緒にいた女性の正体はすぐに思い出せた。
上京してしまった彼女とはここ数年来会っていなかったし、最後に見た頃とは髪型も服装の感じも変わっていたからピンとはこなかったが、あの女性は彼の妹さんに間違いない。
 彼氏がいるとも聞いたばかりで、歳ももう25,6のはずだから結婚話が出ていたっておかしくない。兄を付き合わせてウェディングドレスを見に行ったとしても、少しも不自然なところはありはしないだろう。
 結果として、僕の記憶は正しかった。弁当すら買うことを忘れてマンションに戻ると、玄関先には彼の靴と並んで女性用のパンプスが置いてあった。ただいま、とリビングに入ってみたら、さきほど見た女性がちょうど帰り支度をしているところだったのだ。
「あっ、こいずみくんだ! 久しぶりー!」
 そう言って目を輝かせる彼女は、声を聞いてみればもう間違えようもない。出会った当初は小学生で、数年前最後に会ったときは大学を卒業したばかりだった彼の妹さんは、すっかり大人の女性となってはいたが、その天真爛漫な性格は変わっていないようだった。
「お久しぶりです。お元気そうですね」
 わーい、とはしゃいだ仕草で腕に抱きついてくる彼女ににこやかに挨拶すると、彼が苦り切った口調で苦言を呈した。
「こらこら。婚約者もいる若い女性が、気安く別の男に触るんじゃありません」
「キョンくんてば、お堅いなぁ! いいの。こいずみくんは、もう一人のお兄ちゃんみたいなものだもん!」
「だからいつまでもその呼び方はな……」
「キョンくんはキョンくんだもーん」
 彼の苦言に耳も貸さず、彼女は、ね、と首を傾げて僕を見る。
 僕が苦笑してうなずくと、満足したらしい彼女は、それじゃ帰るねと言ってソファに置いてあったバッグを手にした。そして、こいずみくん玄関まで送ってと僕の腕をとった彼女に、なぜか僕はそのまま玄関まで、来た道を引きずり戻されることとなった。
 靴を履いて振り向いてから、妹さんは上目遣いで僕を見上げた。
「こいずみくん。キョンくん、本気でお見合いする気みたいだけど……何かあったの?」
 心配そうな、少しだけ責めるような口調で、彼女は言う。そういう聞き方をするとなるとやはり……。
 リビングの方をちらりと伺ってから、彼女は僕を手招いて、耳もとに顔を近づけた。
「キョンくんと古泉くんが、ホントは恋人同士だってことは知ってるの。それで、何があったかはわかんないけど、キョンくん怒ってるみたいだから」
 ああ、やはり気づいていたんですねと確認を取るのは心の内だけに止め、僕はただうなずいてみせた。
「わかってます。今回は僕が全面的に悪かったんですよ。つい、彼を怒らせるようなことを、言ってしまって。何度も謝ったのですが、なかなか許してもらえないんです」
「そっかー。キョンくん、本気で怒るとガンコだからねぇ」
 彼によく似た仕草で肩をすくめ、妹さんは溜息をつく。そして腰に手を当て人差し指を立てて、言い聞かせるような口調になった。
「詳しいことは聞かないけど、早く仲直りしてね。あたしは、キョンくんには、お見合いの相手より、古泉くんの方が断然お似合いだと思ってるから!」
 きっぱりと言い切ってから、彼女はにこりと優しい笑顔を見せる。
「何があっても、あたしはふたりの味方だからねっ!」
 それだけ言って彼女は、じゃあまたねと手を振って帰っていった。カチャリと閉じたドアを見つめながら、僕はただ心からの感謝を込めて、ありがとうございます、とつぶやくのが精一杯だった。
僕たちの小さな味方からの激励は、決意を言葉にしようとしていた僕の背中を、力強く押してくれたのだった。

 リビングに戻ると、彼はソファの上にスーツを出してブラシをかけていた。普段はあまり着ないような、高級な生地と仕立てのものだ。背後に立つ僕の気配には気づいたようだったが、手を止めも振り向きもしない。
「帰ったか?」
「はい。相変わらず、明るくて可愛らしい方ですね」
 こちらを見ないままで、彼は肩をすくめてみせる。
「いつまでも子供っぽくて、兄としちゃ心配だよ」
「ご婚約されたんですか?」
「ああ、式は来年の春だと。あの馬鹿うかれやがって、俺はウェディングドレス見るのにつきあわされたんだぞ」
 ああ、やはりそうだったのか。彼はショーウィンドウの外にいた僕には気づかなかったようなので、さっきのことに言及するのはやめておいた。かわりに彼の手元をのぞきこみ、言わずもがななことを聞いてみる。
「……それは、日曜日に着ていかれる衣装ですか?」
 ピクッと彼の手が一瞬止まり、すぐに何事もなかったように動き出す。
「まぁな。仕立ててから数回しか袖を通してないから、ちょっと手入れしてやらんと」
 その頑なな横顔を見つめ、僕はこの期に及んで怖じ気づく心を奮い立たせる。決心したはずだ。今更、ためらってどうする。
「あの……そのことであなたに、お願いがあるのですが」
「ん?」
 体勢を整えてそう切り出しても、彼は振り返らない。僕は黙々とブラシをかけ続ける背中に向けて、息を深く吸い込んでから、その言葉を告げた。
「お見合い、行かないでください」
 彼が手を止め、ようやく顔を上げて振り返った。その顔は、無表情としかいえないほど、感情の色がない。怯まずに、僕は続けた。
「あなたの未来の選択肢をせばめたのではという思いは、やっぱりどうしても消せません。だから僕は、お見合いという別の幸せの可能性を探りに行くあなたを、止めることができなかった。僕たちの間に、形式を整える手段が無い以上、それは仕方のないことだとあきらめてもいたんです。……でも」
 そんなものは、僕の卑怯な逃げ口上だとさっき悟った。彼の意志を尊重しなければなんて、ただの綺麗ごとにすぎないのだ。
「――僕は、あなたをこの先もずっと離したくない。たとえあなたが本当に、あたりまえの幸せ≠望んだとしても、全力でそれを阻止したい。……あたりまえの幸せなんかよりもっと、僕はあなたを幸せにするつもりだから」
 ひと息に告げた僕の宣言に、彼は面食らった顔で目を見開いている。あきれているのかもしれない。
「こいず……」
「もちろん!」
 何か言おうとした彼を遮り、僕はさらに言い募る。
「タダで、とは言いません。僕にチャンスをください。なんでもかまいませんから、どうか僕に、あなたを止めるチャンスを!」
「…………」
 彼は再び口をつぐんで、しばらく何事か考え込む素振りをみせた。と、やがてソファから降りて立ち上がり、玄関の方へと歩いて行く。戸棚を開ける音がしたかと思うと、しばらくガサゴソと中を漁っている気配を感じ、やがて彼は何やら薄い大きめの箱を持ってリビングに戻ってきた。
「んじゃ、これな」
「……こ、れは」
 彼がテーブルの上に置いたのは、今となってはなつかしいオセロの箱だった。もう何年も開けていなかったが、引っ越しのたびに捨てずにちゃんと持ってきていたのか。
 彼は箱の中からボードとコマを取りだし、ちゃんと揃っているかを確かめながら言う。
「俺たちの間で、賭けと言えばこれだろう」
「まぁ……そうです、よね」
 ほれ、と彼はコマを半分僕に渡して、あの頃と同じように、真ん中のマス目に黒を上にしたコマをふたつ置いた。そして、どうするんだと目だけで僕に尋ねてくる。僕はコマを握りしめて、悲壮な面持ちでうなずいた。
「わかりました……。ではこれで僕が勝てば、あなたはお見合いに行くのをやめてくださるんですね?」
「まぁな」
 軽い調子で彼はうなずき、左手で頬杖をついて右手でコマを弄ぶ。
「で、俺が勝った場合はどうしてくれるんだ?」
「あなたの言うことを、なんでも聞いてさしあげますっ」
 為せばなる! と根拠のない気合いを入れつつ、僕はボードの真ん中に白側のコマを置いた。負けることの許されない勝負が今、はじまろうとしていた。



 はず、なの、だが。
「しっかしなぁ……」
 パシ、と彼の置いた黒が、白の陣地を削ってゆく。さっき、なんとか取り戻したばかりの、白のコマが次々と裏返る。
「あ、あ、あ、ああっ……!」
「なんでも言うこと聞くなんて、でかいこというからさ」
 あいているところに白を置き、パタリとふたつのコマだけを白くする。
「もしかしたら、高校の時に負け続けてたのはわざとだったのか、と一瞬思ったんだが」
「あっ……、そこダメぇっ!」
 パタパタパタパタ、と、盤面がさらに黒く染まった。空いているマスはあと数カ所。緑のはずの盤面は、すでに8割が黒く染め変えられている。
「悩んでんじゃねえよ。もうそこしか置くとこないだろうが」
「でも……僕……っ、もう……」
「ほい、これでラスト」
「んっ、ああ……っ!」
 最後のマスが埋まったとき、そこにはもう数える必要がないほど見事に、黒に占拠された盤面が広がっていた。彼はふう、と溜息をついて肩をすくめる。
「……本っ気で、弱かったんだなお前。あといちいちAVみたいな声を出すのはよせ」
 ガックリと肩を落とし床に手をつく僕に、彼のあきれたような声がかけられる。確かに高校時代の僕の勝率は2割を切っていた。……が、まったく彼は容赦がない。
「あなたとのゲームは、あのころの僕にとっては、1日のうちで最も重要な行事だったんです。いつだって全力投球でしたよ……」
 落ち込んだ姿勢のままそう言いながら、僕はどうしようかと途方に暮れていた。負けられない戦いに惨敗した男に、残されているのは敗走の道だけだ。
「まぁ、接待ゲームってわけじゃなかったのはわかったぞ。本気で、負けてたんだな」
「どうせ僕なんて、負けっぱなしの人生ですよ……」
 妙に楽しそうな彼の声にさらに落ち込む。そうやって、せいぜい敗者をあざ笑っていればいいんだ。勝率2割弱では最初から無謀な戦いだったんだから、勝者はその権利を大いに行使すればいい。
「約束ですからね。どうぞ、お見合いにでも披露宴にでも行ってください。負け犬は出家の準備でもすることにしますから」
 その前にやはりここは、お見合い会場に乗り込んで花嫁奪還を試みるべきだろうか(もちろんこの場合の花嫁は彼の方だ)。それこそが定番というものだろうが、あとがどうなるかはあまり考えたくない。
「そうヤケになるなって、古泉」
 カタカタとコマを片付ける音にかぶって、彼がそう言った。顔をあげてみると、手にしたコマを弄びつつ、彼がニヤリと笑う。
「俺が勝ったら、俺の言うことをなんでも聞くんだったな」
 僕は投げやりな気分で、両手を広げて上に向け、首を振る。
「あー、はいはい、そうですね。なんなりと。でも後生ですから、あなたの結婚式の司会とか友人代表スピーチとかは勘弁してくださいね」
「バーカ」
「あいた」
 彼の手元から、何かが飛んできて僕の頭に当たる。床に落ちたそれは、彼が手にしていたオセロのコマだった。拾い上げたそれを眺めつつ頭をさすっていると、そこをめがけて次々にコマが飛んで来る。
「い、痛いですって。やめてください、コマなくしますよ!」
「うっせぇな。……なんでも言うこと聞くんだろ。だったら、お前の書類用引き出しの一番奥に隠してある、アレを俺によこせ」

「……っえ」
 
 思わず、固まってしまう。引き出しの奥の……というと。
「なんで……知って……」
「誰が部屋の掃除してると思ってんだ? 落ちてる書類片付けてりゃ気がつくだろう普通。サイズもぴったりだったし、刻んであるのはお前のイニシャルから俺のイニシャルへだし、俺のなんだろ、アレは。さっさとよこしやがれ」
 ほら、いいから取ってこいと追いやられ、僕は寝室に入ってベッドサイドの書類用棚の奥から、小さなビロード張りの箱を持ってきた。以前、居酒屋で上司にからまれたとき、年上の同僚から言われて、とにかく買ってみたものだ。買ったはいいものの渡すことがどうしてもできずに、しまいこんだままになっていた。

 それは、小さな箱の中にふたつ並んだプラチナの……指輪、だった。

「ん」
 おそるおそる、箱から彼のサイズの方の指輪を取り出すと、彼は仏頂面のままで左手を突き出してきた。どの指にはめるべきか迷っていたら、彼は無言で器用に薬指をピコピコと動かしてみせる。
「あのっ、いい……んですかっ?」
「いいも悪いも、ここにする用に買ったんじゃねぇのか」
「その、つもりですけど……」
「今さら何を躊躇してんだよ、馬鹿」
 ふい、と彼が視線をそらす。
「さっき、あんな恥ずかしいこと言っといて、なんで今さら照れてやがる」
「さっき……?」
 するといきなり、それまでまったく平常通りだった彼の顔が、ぶわっと赤く染まった。耳まで赤い、とはまさにこのことだ。恥ずかしいのか顔を背けたままで、彼はボソボソとつぶやくように言い募る。
「ず……と離したくない、とか……僕が、幸せにする……とか……っ。どっからどう聞いても、プ、ロポーズだろうが……っ!」
「……………………ええっ!?」
 彼につられるかのように、急に顔が熱くなった。たぶん今の僕は、まさにゆでダコというしかないほど、真っ赤になっているのだと思う。
 僕らはしばらく、恥ずかしくて互いの顔も見られない状態で黙り込んでいた。
やがてどちらからともなく顔を見合わせ、お互い情けない顔で笑いあう。僕は彼の左手をとって、薬指に銀色のリングを差し込んだ。彼も無言のまま厳かに、お揃いのリングを僕の左手の薬指にはめてくれる。いちばん心臓に近いと言われる指を、僕らはお互いの手で目には見えない鎖で繋ぎあった。
「そんで、俺が言うのか」
「はい?」
「それでもいいけどな。どうする?」
 彼の質問は端的だったが、僕はふいに閃くように、彼の質問の意味を理解した。
そして彼の手をとって、いえ、言わせてくださいと微笑んでみせる。

「――結婚、してください。僕と」

 まるで泣き出す直前みたいな顔で、彼は口元に笑みを浮かべた。泣きたいのか笑いたいのかわからないあいまいな表情のまま、ぶっきらぼうに答えを返してくれる。
「ああ。……いいぜ、してやっても」
 うなずく彼の頬に、そっと手を添える。
ここには牧師も参列者もいない。教会ですらない、小さなマンションの一室だけれど。
許しを請う神さえも、僕は数年前に失ったままだけれど。
 瞳を閉じた彼の唇と自分の唇を触れあわせ、僕らはその日、永遠を誓うキスをかわしたのだった。



 結果としては、そういうことなのじゃないかと、しみじみ思う。
 僕は確かに、負けることの出来ないオセロの勝負に、あっさりと敗北した。だが、にもかかわらずその勝負は、僕の決意と強い想いを彼に伝えることとなったらしい。
 もともと、彼がするつもり満々だったお見合いはもちろん断る前提で、いつまでも煮え切らない僕へのちょっとしたお仕置きのつもりだったようだ。僕のあの言葉に対する、彼の怒りぷっりがひしひしと伝わってくる。
「だってお前、俺が何を怒ってんかのすらわかってなかったろ」
 ベッドの中で、けだるくも心地よい余韻に浸るひととき、彼はそう言って僕をにらんだ。ぐったりとシーツにうつぶしていた身体を、億劫そうに寝返らせる。ああ、やっぱり事後の彼は色っぽすぎると懲りずに思いながらも、僕はその視線を受け止めた。
「そんなことは……っいえいえ、わかってないです。すみません、ごめんなさい」
 じろりと彼がさらににらみ付けてきたので、僕はあわてて謝った。適当なことを言ったら、さらに彼を怒らせてしまう。
「お前が、幸せ……だかなんだかを、俺から奪ったとかいうからだ。馬鹿野郎が、ふざけんな。俺は何も無くしちゃいないぞ」
 怒った口調で、彼は続ける。
「お前はどうも勘違いをしてるみたいだから教えといてやる。あの同窓会の時、俺は別にお前に告られてほだされたから、付きあうことにしたわけじゃないからな。あのときお前が言わなきゃ、別れ際あたりに俺が言ってたってだけで結果は変わらん」
「……へ?」
「だから今の生活は、俺が選んで、望んで、獲得した幸せなんだ。それを、無理やり他の選択肢を奪って押しつけたみたいな言い方されりゃ、腹もたつだろうが」
 言われたことを少しずつ理解して、あれ? という気持ちになる。……それじゃあれか、告白した時に彼が言った、今頃言ってんな、の今頃≠ニは、僕はてっきりさんざんキスしてからという意味だと思っていたのだがそうではなく、再会以前の……もしかしたら高校時代から数えての今頃≠セったということか?
 うろたえ気味にそう聞いてみたら彼は、ホンっっっとに今頃だなこの馬鹿! と蹴飛ばしてきた。痛いです……。
 胸の中に、じわじわと幸せが膨らんでゆく。抑えきれないほどにわきあがって、顔が熱くなる。幸せすぎて苦しいって、本当にあるんだな。
「一緒に暮らして、もう5年にもなるってのに……俺なんかとっくに、お前以外と過ごす未来なんか考えてもいないってのに、お前はまだぐだぐだ考えてやがんのかと思ったらもうムカついて」
 彼の手が伸び、僕の髪をさわりと撫でる。
「でもまぁ、勝負を申し込んできたときの必死さで相殺だ。ちょっと意地悪しちまったが、お前のあんな顔みたら、いつまでも怒ってなんていられなかったし」
 プロポーズは、嬉しかったし、と小声でボソリとつけくわえる。
 自分の言葉に照れたのか、髪を撫でていた彼の手が中に潜り込んできて、乱暴にぐしゃぐしゃとかきまわした。
「ちょ、痛い、痛いですって!」
「まぁ、負けてよかったんじゃねえの」
「って、何がですか。オセロ?」
 ああ、と言って彼は、ぐいと僕の頭を引き寄せて、鼻先が触れあわんばかりの距離で、またにらみ付けた。
「お前のことだ。俺が言い出さなかったら、この指輪、引き出しの肥やしにせずにおけた自信があるか?」
「いえ……」
 思わず、情けない笑みを返してしまう。
自信なんて、そんな。あるわけがない。もし彼にああ言ってもらえなかったら、十中八九間違いなく、この指輪はあのまま何年も引き出しの中で、日の目も見られずに燻り続けたことだろう。きっと。
「笑ってんなよ、まったく」
「はは、すみません。あなたのおっしゃるとおりだな、と思いまして」
「そこで全面肯定か。ホントにしょうがないな、お前はっ」
 ぐいぐいと髪を引っ張られ、痛さに顔をしかめたところで、軽く彼の唇が唇に触れた。めずらしい彼からのキスに、またテンションがあがってくる。彼の手首をつかんでさらに深いくちづけをかわしながら、僕は、そうだな、負けてよかったと心の中でつぶやいた。

 負けるが勝ち、という言葉がある。
この場合に使うのは少々違う気がしないでもないが、とにかく結果としてはそういうことなのじゃないかと、しみじみ思う。

 僕は確かに今日、大事なオセロの勝負にはあっさりと敗北した。
 だけどそのかわりに、彼と一緒にいられる未来≠ニいうとんでもなく貴重なものが賭けられた、人生最大の勝負には、これ以上ないほどの大勝利をおさめた、ということになるのだから。


                                                   END
(2010.09.26 up)
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リクエストSS お題「勝負に勝った古泉」でした。
勝ったというか、負けるが勝ちですが。すみません。

なんか、書いててすごく恥ずかしかったです……。