夢で逢えたら
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                                                                    【お題】夢で逢えたら

 毎夜訪れるその夢は、不思議、としか言いようのないものだった。
夢の中、僕は何故か坂の上にある県立高・北高の制服を着て、毎日のようにあの文芸部の部室に通っている。
 だがおそらく文芸部の部活動ではありえない。それらしき活動をしている場面に遭遇したことはない。その部屋には、やはり北高のセーラー服に身を包み、長いはずの髪を肩の辺りで切りそろえた涼宮さんと、どういわけか可愛らしいメイド服を着た朝比奈さん、窓際の椅子に腰掛け、黙々と本を読み続ける長門さん。そして、僕の正面の席に座って、毎日のように僕とボードゲームをする“彼”の姿があった。
 これはきっと、あれだと思う。
去年の年末に遭遇した、曰く、「別の世界から来た」という“彼”が語った、彼の世界の“SOS団”の活動。

 去年の年末、僕と涼宮さんは、奇妙な体験をした。
光陽園学院に通う僕と涼宮さんの前に、ある日突然、ジョン・スミスと名乗る彼が現れ、僕たちに妙な話を聞かせたのだ。
 別の世界から来たとか、その世界では僕は超能力者なのだとか、涼宮さんが神様なのだとか、とても正気とは思えない話をさんざん聞かせたあげく、彼の語る“SOS団”の仲間を文芸部室に集合させ、そしてわけのわからない言葉を残し――彼は消えた。
 文字通り、彼は僕らの目の前から、煙のようにかき消えたのだ。
僕らはさすがに一時は混乱し、パニックも起こしたものだが、数日後には涼宮さんは何かを納得したようにすっきりとした顔で、私たちもSOS団を結成するわよと宣言した。
 メンバーは、あのときに部室に集まった4人プラス、涼宮さんが北高に乗り込んで発見した“彼”。
 ただし彼は、あのときの僕らの前から消えた“ジョン”ではないようだった。
問い詰める涼宮さんに向かって彼は、風邪で3日ほど寝込んでいたからあの日は学校に行ってないし、お前らの事なんて知らんと言い張った。
証拠のつもりで、僕が借りたままだったジャージと体操着を渡してもやはり半信半疑だった彼だけれど、もともとそういう性質なのか涼宮さんが強引に誘うと、SOS団に入ること自体はあっさりと承知したのだった。

 それからというもの、僕らは時折集まっては、映画を見たりカラオケをしたりテスト勉強をしたりといった活動を続けている。
 最初の頃こそ、こんな活動になんの意味があるのだろうと思っていたが、今ではまぁ、学校外の友人が出来たことは悪くないなと思っている。進学校である光陽園には、あまりハメをはずして遊び回る友人などいないし、それよりなにより、いままで不機嫌な顔でいることの多かった涼宮さんが、毎日とても楽しそうだから。



「古泉くん! 今日は放課後あけといてね。S0S団の活動日よ!」
「はい、承知しました。今日はどちらへ?」
 長い髪を風になびかせ、涼宮さんは腕を組んで北高方面を指さす。
「決まってるじゃない。もうすぐ夏休みだから、計画をたてるのよ! いくら2年生だからって、夏期講習だけで夏休みが終わるなんて、まっぴらだわ!」
 キラキラと輝く笑顔で、涼宮さんはそう宣言する。去年の夏、僕が熱心に誘わなければ図書館にすら出向こうとしなかった彼女とは大違いだ。
渋々といった顔で僕につきあっていた去年の彼女を思い出し、目の前の笑顔のまぶしさに目を細めながら、僕はなんでだろうとまた思う。
 僕は、彼女のことが好きだったはずだ。
 季節外れの転校生だったというそれだけの理由で、側にいることを許されていた。
でも最近はそんな属性にもすっかり飽きられ、彼女の現在の興味が、僕よりももっと不思議な存在である“彼”に移っているとわかっているのに、僕はそのことをあまり悲しいと感じていないのだ。
 普通なら、失恋にも等しいこんな事態に、憤りを感じたり悲しみに暮れたりするものではないだろうか? それなのに僕は、奇妙なほどにあっさりとその事実を受け入れて、まぁ、しょうがないな、なんて思っている。
 そして、その代わりに……。

「古泉くん?」
「あ、はい」
「どうしたのぼーっとして」
「すみません。ちょっと夢見が悪くて、寝不足なんですよ」
 涼宮さんはちょっと眉をよせて、僕の顔をのぞきこむ。怒ってるみたいな表情だが、心配してくれているのだということは知っている。
「だいじょぶ? 今日は活動、やめておく?」
「いえ、大丈夫ですよ。僕も、ひさしぶりに彼らに会いたいですし」
「そうね。テスト期間中は、さすがに活動できなかったものね!」
 心底楽しそうな笑顔に微笑み返しながら、僕は胸の内だけで、あまりひさしぶりという感じはしないんですけどね、とつぶやいた。



 ああ、またこの夢だ、と夢の中で思う。
 現実の彼らと会うことがひさしぶりと思えないほど、くりかえし見ている夢が、また僕を訪れている。夢の中の感触は相変わらず、夢とは思えないほどくっきりと鮮やかで、そのときの自分の感情すらリアルに感じられる。
 ちなみに夢の時系列はバラバラだ。夢の中で僕らは、夏休みの旅行にいったり、プールにいったり、文化祭の発表物らしき映画を撮ったり、スキーに出かけたりしているが、必ずしもその行事を季節の巡る通りに夢見るわけでもなかった。
『あなたの番ですよ』
『おう』
 毎日あの部屋で行っているらしい活動は、僕の場合はほとんどが彼とのゲームと雑談に費やされている。よくも飽きないものだと夢のこちらの僕は思っているのだけど、夢の中の僕はその時間を何よりも大切にしており、またこのうえない幸せを感じているらしいということがひしひしと伝わってきていた。
『王手だな』
『あ……っ』
『待ったはナシだぞ。そうそう甘い顔は見せないからな』
『う〜ん、参りました』
 夢の中の僕はゲームには極端に弱く、大抵は負け戦だった。それでも、胸の中の幸福感は消えない。だが、それはゲームが好きなせいかというと、どうもそれだけではないのだ。

 どうやら僕は、目の前のこの彼のことが好きらしい。
しかもそれは友人としてではなく、まごうかたなき恋愛感情での“好き”なのだ。
すぐ身近に涼宮さんもいるというのに、しかも彼女以外にも申し分ない美少女が2人もいるのに、僕の恋心はまっすぐに、同性であるはずの彼に向いていた。
 最初にそれに気づいたときは、そんなバカなと否定した。いくら異世界とはいえ、男に恋心を抱くなんてありえない。あまりに動揺したせいで、こちらの彼と会うときも妙にぎこちなくなってしまい、彼にお前どうしたと不審がられたものだ。
 だが続けて夢を見るうちに、だんだん僕にもわかってきた。
夢の中の僕は、どうしようもないほどに、世界の全てに絶望していた。
理由はどうやら、あのとき彼が説明してくれたあちらの涼宮さんの持つ力と、あちらの僕が所属するなんらかの組織にあるらしい。はっきりとした因果関係はわからないが、僕は世界にも人生にもカケラも意義を見いだせないまま、ただ誰かの望むままにそれまでの数年間を生きていたようだった。
 そして高校に入って出会ったのが、元凶たる涼宮さんと“彼”だったのだ。
そのあたりの事情や事件のすべてを夢でなぞったわけではないので、何が起こり、僕らがそれにどう対処したのかの詳細はわからない。ただ僕は、夢に登場するその時点で、彼らと出会う前に抱えていた絶望に折り合いをつけ、それなりに楽しい日々を送っており、そのすべてが彼のおかげであると感謝しているのだ。
 その気持ちがいつしか恋心に変わり、だが告げることも出来ずに、それでも側にいられることに幸せを感じている。涼宮さんを想っていた頃の自分と大差ないその態度に、我ながら苦笑を禁じ得ない。

『古泉、聞いてんのか』
『はい、聞いてます』
 ふと気がつくと、夢の情景は、いつのまにか切り替わっていた。どうやらさっき部室で将棋を指していたシーンから、季節すらも変わっている。下校中らしく、僕の隣には彼がいて、前方を涼宮さんたち女性3人がはしゃぎながら歩いていた。
さっきまで夏服だった制服はいつの間にか冬服へと変わっており、彼はその上に、見覚えのあるモスグリーンのジャケットを着て、ブルーのマフラーに顎を半ば埋めていた。
『上の空で聞いてんじゃねえよ。それでどうなんだ』
 何が、と僕は思ったが、夢の中の僕は本当にちゃんと聞いていたらしい。前方の3人が話に夢中になっていることを確認してから、彼の耳元に顔をよせて、かまいませんよ、と囁いたのだ。ああ、そんなに近づいたらまた彼が嫌がる……とあせる僕の思った通りに、彼は、近ぇよ! と僕を押し返した。が、その顔がなんだか赤い。
 ――どうも様子がおかしいぞ、と思ったのはその時がはじめてだった。
『……んじゃ、着替えてから行く、から』
『泊まられますよね?』
『いちいち聞くな!』
 なぜだかますます顔を赤くしてそっぽを向く彼の横顔に、僕の胸の中にふんわりとあたたかなものが沸き上がる。なんだろうこれは、と思っている僕にかまわず、夢の中の僕はなんと、ふいに触れあった彼の手を……きゅっと、握ったのだ。
 すると彼はあろうことか嫌がりも怒りもせず、だがさらに顔を背けてつぶやいた。
『やめろ。気づかれたらどうすんだ……馬鹿』

「……っ!」
 ふいに目が醒めた。ガタッと椅子が鳴り、周囲の視線を浴びて、僕は今が授業中だったことを思い出した。幸いにも教師は所用で出ており自習中だったので、怒られるようなことにはならなかったが、僕の前に座る涼宮さんが、振り返ってめずらしいわねと言った。
「古泉くんがうたた寝なんて。寝不足って言ってたけど、そんなに悪い夢だったの?」
「いえ……まぁ。あんまり憶えてないんですが」
 心配してくれる涼宮さんに、曖昧な返答を返しながら、僕は顔に昇ってくる熱と激しく鳴り響く鼓動をもてあましていた。なんだ今のは。今のやり取りはまるで……。
「古泉くん?」
「だ、大丈夫です」
 彼女の顔がまっすぐに見られず、僕はあわてて下を向いて、開いていた参考書を読むふりをはじめた。



 本格的に、困ったことになったなと思ったのは、放課後にいつものファミレスで北高組と合流してからだった。
「おう、涼宮と古泉。久しぶり」
「こんにちわ、涼宮さん、古泉くん」
「お、おひさしぶり……です……」
 朝比奈さん、長門さんと共に現れた彼は、当たり前だが夢の中の彼と同じ制服姿で、ついあの彼とダブらせてしまう。部活で使ったらしい書道のセットを持った朝比奈さんと、相変わらず彼の背後から恥ずかしそうに顔を出している長門さんににっこりと笑顔を向けつつ、僕は彼と目をあわせられないでいた。
「こんにちわ。今日はお三方とも掃除当番ではなかったんですか?」
「まぁな。……長門、ほら奥に座れ」」
「う、うん……」
 内気な長門さんを彼と朝比奈さんで挟むように座らせたせいで、自然に彼は僕の目の前の席に陣取ることになった。しかたなく微妙に視線をそらしながら、さっそく涼宮さんがぶち上げる夏休みの予定とやらを拝聴する。
「あたしたちは夏期講習が入ってるけど、あんたちはそういうのないんでしょ? あ、みくるちゃんは受験生だからあるのかしら。でも、キョンと有希はヒマよね!」
「何気に失礼だなお前。俺たちにだって予定はあるぞ。なぁ、長門?」
「え……あ、うん……一応……」
「何よ、デートでもするのあんたたち」
 ひゃあっ、という声を上げて、長門さんが椅子から落ちそうになる。真っ赤になって必死に首を振っている彼女の肩を、彼は落ち着けと言いつつ叩いた。
「涼宮、そういう冗談は長門がびっくりするからやめといてやってくれ」
「あんたって、ときどき有希の父親かなにかみたいよね」
「ほっとけ。……古泉、お前まで何をむせてんだ」
 気管に入ったコーヒーにげほげほとむせかえる僕に、朝比奈さんが心配そうにハンカチを差し出してくれる。ふいうちだったな、今のは。
「すみません。ボンヤリしてたもので」
「古泉くん、寝不足なんですって。夢見が悪かったそうよ」
 フォローのつもりなのか、涼宮さんがそう説明してくれた。心遣いは嬉しいが、今の僕にはかえって逆効果だ。あの夢をまたもやまざまざと思い出して、さらに彼の顔が見られなくなり目をそらしてしまう。
「夢ぇ?」
 彼の表情が興味深げなそれになって、ちょっと意外な気がした。他人の夢の話など、避けたい話題の上位に入る類のものだろうに。どんな夢なのか、なんて突っ込まれる前に、僕はあわてて席を立った。
「すみません。ちょっと手を洗ってきますね」
 彼の視線から逃げるように、僕は店の奥にある男子トイレにかけこみ、手のついでに顔までをばしゃばしゃと洗って溜息をついた。
 バカみたいだ。デート、なんて単語に動揺して。
彼の長門さんに対する態度が、異性というよりは妹とか娘とかに対するものに近く思えるというのは、僕も涼宮さんの意見に同意だ。だが長門さんの方はと言えば、間違いなく彼に好意を抱いているようにみえる。デートと認識していなくても、一緒にでかける約束があったりするんだろうか、と一瞬のうちに想像が巡って、思わずむせかえってしまったのだ。
 そう。涼宮さんへの気持ちに整理が着くと同時に……というか、おそらく整理がついてしまった原因だと思えるのが、“彼”への妙なひっかかりだった。

 きっと僕は、夢の中の自分に引きずられているのだと思う。
夢の中の僕が持っている、激しい執着とも言えるような彼への気持ちを追体験しすぎ、僕自身にもフィードバックされているのだ。
じゃなければ納得できない。こんなの。
涼宮さんを想っていた気持ちと似ていて、でも微妙に違う彼へと向かう感情。
僕は涼宮さんへのそれは恋だと思っていたけれど、だったらこれはなんなのだろう。
 紙タオルでごしごしと顔と手を拭き、じっと鏡の中の自分をにらんでいると、背後のドアが開くのが鏡越しに見えた。入ってきたのは、彼だ。
用を足すため個室に入るのかと思いきや、彼がそのまま僕の背後に立ったので、僕は何事かと振り返った。
「あ、洗面台使うんですか? すみません、今どきます」
 だが彼は、ふるふると首を振った。
「違う。古泉……ちょっと話がある」
「え……」
 こんなところまで追ってきたということは、涼宮さんたちには聞かれたくない話なのだろう。どこか思い詰めたような顔で見つめられ、僕の心臓はにわかに騒ぎ出す。
 さっき言ってた、夢の話だけどな、と彼は切り出した。
「ひょっとしてなんだが……お前、夢で俺と会ってるか」
「……っ!」
「いや、正確には俺じゃない。お前も涼宮も北高にいて、朝比奈さんも長門も一緒におかしな部活をやってる……たぶん、前にお前たちが話してくれた、年末にお前たちの前に現れた俺が本来属している世界の、俺だ」
 この説明でわかるかといぶかるように首をかしげ、彼は先を続けた。
「俺はここしばらく、その世界の俺たちがいろいろ騒動を起こしたり、あるいはなんでもない日常を過ごしたりする、そんな夢を立て続けに見てる。ごく普通……にしちゃちょっと騒がしすぎるが、まぁ楽しい高校生活の夢だったんだが……こないだからどうも、妙な成り行きになってきてな。なんというか、団内の人間関係が、こう」
 彼の視線が、とまどうように泳ぐ。僕が黙っていると、何か思い切ったように、彼は息を整えて顔を上げた。
「つまりだな。あっちの世界の俺、とお前が」
「手を……っ!」
 思わず声を荒げてしまって、僕ははっと手で口をふさいだ。彼は目を見開いて、驚いた顔で僕を見ている。いまさらやめるわけにもいかなくて、僕は続けた。
「……つないだくらいで、そんな関係とは、限りません」
 彼は何も言わずにじっと僕を見ていたが、その額に徐々にシワがより始めた。
「そうか。やっぱりお前は見てんだな、同じ夢。朝比奈さんと長門は心当たりがなさそうだったし、涼宮もやっぱり反応ナシだったのに、なんでお前だけ……」
「……知りませんよ」
 洗面台に寄りかかり、目をそらして下を向く。彼は溜息をついてもう一度、そうか、とつぶやいた。
「でもそれじゃ俺の方が、少し夢が進んでるんだな。お前の反応があれだったから、てっきりもうそこまで見てるのかと」
「どういう意味です?」
 意味深なセリフに顔をあげたら、彼は困ったように笑い、肩をすくめた。
「まぁ……次に、夢で俺に逢えばわかるさ。たぶんな」



 熱が上がる。
身体の奥から、指の先から、際限もなく。
組み敷いた腕の中、目をきつく瞑った顔を上向かせ、その唇を貪った。
舌を伸ばして絡め取る彼の舌は、積極的にうごめいて水音をたて、息と唾液を奪っていく。
どれだけ絡め合い貪り尽くしてもまだ足りなくて、息を継ぐ間も与えずにさらに深く、唇を重ねた。
『こ……いずみ……っ』
 かすれた声で名前を呼ばれて、ぞくりと背筋を痺れが走る。
愛おしい。
愛おしすぎて、胸がつまる。
好きだと思う気持ちが頭の中でふくれあがって、狂いそうだ。
すべてが欲しくて、どれだけ奪っても足りなくて。
せめてひととき、彼を独占するため、僕は彼の中に楔を打ち込んだ。
『ひぅっ……!』
 声になりきらない彼の声が耳朶をくすぐる。背にまわされた手の指が、痛いほど肌に食い込む。その痛みさえ、僕はこの上ない快感と感じていた。
 ――夢のこちらの僕は、これが前回の、手を繋いだあとに続く成り行きだと理解できている。一度自宅に帰った彼が、制服や勉強道具を持ってひとり暮らしの僕の部屋にやってきて、しばらく後にこうなった。
 初めてではない。
彼ももうこうなることを承知の上で、ちゃんとシャワーをすませてから訪ねて来ている。
慣れているとは言い難いものの、彼の身体は僕の愛撫に素直に反応し、指が肌をなぞるたびにびくびくと震え、熱い息がその唇からもれる。耳たぶを甘く噛めばじれったそうな顔をして、僕の首に腕をからめて自分からキスをねだった。
 ぎこちなく差しだしてくる舌を吸い、深く深くからめあう。彼は唇の端から唾液と吐息をこぼしながらさらに深く口づけて、泣きそうな声で僕を呼んだ。
 夢を見ている僕自身はそっちの趣味はカケラもないはずなのに、不快どころか、そんな彼の姿にひどくそそられ、あがりっぱなしの興奮を隠せない。低くもれる、男にしか聞こえようのない喘ぎ声も、硬くて張りのある肌も、細い腰も、屹立して透明な液をこぼす自分と同じソレさえも、愛おしくてすべてを自分のものにしたくてたまらない。
 本当に、どうかしてる。
打ち込んだ楔を奥へとねじこみ、抜ける寸前まで引き出してまた押し挿れる。
そのたびに彼はあられもない声を上げ、僕にしがみつく腕に力がこもる。吹き出す汗がからみつき、僕らの身体をつないでいる。なんだか、今にも融けて混じり合いそうだ。
 やがて僕ははじけるような解放感とともに彼の中に精を注ぎ込み、彼は息を詰めて白濁を僕の胸のあたりに吐き出した。

『……お前……がっつきすぎだろ……明日も学校あんのに』
 やがて、ぐったりと手足を投げ出して息をついていた彼が、かすれた声でそう言った。
『あなただって、そうされたくて来たんでしょうに』
 ふふ、と小さく笑って僕は言う。お見通しですよ、と囁くと、彼はむっとしたままこちらに背を向け、ふざけんなとつぶやいた。顔が赤いのは見なくてもわかる。
『2週間もご無沙汰しやがったのはどこのどいつだ』
『僕ですね。……忙しかったとはいえ、申し訳ありませんでした』
 素直に謝意を告げながら、背中から抱きしめて耳もとに口づける。くすぐったかったのか、彼はひゃっと身をすくめて笑い、わかってりゃいいんだと言ってくれた。
 胸の中に、あたたかな気持ちと泣きたくなるような感情が、ないまぜになって沸き上がる。
 しあわせだ、と夢の中の僕は思う。
くすぐったさに身もだえる彼の耳を甘く噛み、まだ熱い身体を抱きしめる。
頭の隅っこに漠然とした不安はあるものの、僕はただ、圧倒的な幸福感に酔いしれていた。

 目を覚ましたときに最初に思ったのは、ああ、これか、だった。
ファミレスのトイレで彼が言っていたのは、このことか。彼はすでに、この経緯までを夢に見ていて、夢の中の僕らがすでにそういった仲であることを知っていたのだ。
「……っ」
 下着に独特の不快さを感じる。恐る恐る上掛けをはいで下着の中をのぞき込み、絶望的な気分になった。何をやってるんだ僕は。この歳で。
 時計を確認すると、まだ夜明けには早い。幸い僕も、両親の仕事の都合でひとり暮らしだから、隠れてこそこそ下着を替えるなんてことをしなくてすむのはよかったが、まったく情けないというかなんというか……。
(こ……いずみ……)
 ふいに、夢の中で聞いた彼の声が耳によみがえって、ぞくっとした。
不快や悪寒のそれではない。リアルな声と感触とが再生され、全身をかけめぐる。
残念ながら僕にはまだ女性との経験はなく、ましてや男とのそれなんてあるはずがない。
それなのに五感全てがくっきりと鮮やかなのは、やはり異世界の僕が経験していることが、僕に伝わっているということなのか。
「く……」
 だめだ。振り払おうとすればするほど、夢の感触がまざまざとよみがえる。
腰のあたりがざわめいて、落ち着かない。
ほどなく僕は観念して、自らの手で処理すべく下着に手をかけることとなった。
脳内で再生されるのは、やはりというか、夢の中で見た彼の痴態の数々だった。



 そんなことをしていたためか、翌日の放課後、校門の前にいた彼の姿を見たとたん、僕はまわれ右をして逃げ出したくなった。
 悪いことに今日は涼宮さんが所用で先に帰ってしまったから、僕は1人きりで帰宅しようとしているところだったのだ。僕をみとめて片手を上げる彼から逃げる勇気も、無視する気概も持ち合わせがなくて、僕はどうも、と曖昧に笑って彼に近づいた。
「涼宮は?」
「お家の用事だとかで、先に帰られました」
「そっか。ちょうどよかった。つきあえ」
 それだけ行って踵を返す彼の後を、しかたなく追っていく。どこか、喫茶店かファミレスにでも入るのかと思えば、彼は人気のない公園の中へと足を踏み入れ、ベンチに腰掛けて僕を手招いた。
「あんま、人に聞かれたくない話だろ?」
 やっぱり、あのことか。3人掛けのベンチの端と端に座り、お互いに目をあわせないまま、話を切り出したのは今日も彼だった。
「見られたか。続き」
「はい……」
「そっか。俺の方はさらに進んだぞ。こっちの時間に追いついてきたな」
「まだ僕らは……そんな、関係のまま、なんですか?」
「ああ。別れる気配もねえな」
「はぁ……」
 青春のあやまちみたいなものかと思っていたら、どうもそれどころではないらしい。
確かに僕の方の想いは並々ならぬもののようだったが、彼の方もそうなのか。
「どうだった」
「はい?」
 気がついたら、彼は組んだ脚の上に頬杖を突いて、僕の方を見ていた。
「感想。してるとこ、夢で体験したんだろ」
「……っ!」
 いきなり何を聞くんだ、この人は。悪趣味な。そんなこと言えるわけが……。
「……あなたは、どうだったんですか」
「質問返しかよ。……まぁ、俺はちょっと驚いたかな。俺の方が女役だとは思わんかった」
 お前の方が女みたいな顔してるのにな、背は高いけど、なんて、なんでもないことのように言って、彼は笑う。突っ込むところはそこなのかと、わざと論点をずらしてるように感じてムッとしていたら、彼はそのまま足下へと視線をおろした。
「夢の中の俺はさ、嬉しいと思ってたよ。なんて言うのかな……こいつの望みを叶えてやれて嬉しいって。もっと望んで欲しいって、心底そう思ってた」
 感じていた、漠然とした気持ちを思い出す。
世界のすべてに絶望して、なにもかもあきらめていたあちらの僕。
それなのにただひとつ、“彼”のことだけは、死にたくなるほど望んでいた。
「理由はいまひとつわからんがな、ただ古泉のことがすごく好きなんだってことだけは理解できた。理解できすぎて、俺まで影響受けそうなくらい」
「……引きずられてるだけですよ」
 あちらの僕らの想いに、ただ影響されているだけだ。こんな気持ち。
「てことは、お前もなのか」
「まぁ……」
 なぜ、彼はわざわざ、僕にこんな話をしてくるのだろう。夢の中でセックスした話なんて、お互いに気まずくなるだけなのに。
「夢の中で僕らがお互いをどう思っていようと、現実の僕らには関係ないじゃないですか。そりゃあ、性格とか考え方も似ているとは思うけど、気持ちまで同じとは……」
「うん。そうかもな。でも俺はもう、捕まっちまったみたいなんだ。夢の中の俺に」
 こちらを向かないまま、彼は僕の言葉を遮った。そして、続ける。

「――俺は、お前が好きだ、古泉」

 何を聞いたのか一瞬わからず、僕はその場に固まった。
じわじわと浸透してきた言葉を理解してから、ゆっくりと振り返ると、彼はさっきと同じ姿勢のまま、じっと地面を見つめていた。
「引きずられてるだけかもしれない。錯覚かもしれない。だがもう俺は、ごまかせないとこまで来ちまってるんだ。引き返せない。……けど、きっかけは確かにあの夢のせいだからな。そのことを黙っておくのはフェアじゃないと思ったから、話したんだ」
 ――だめだ。こんなのおかしい。
 僕は彼から目を逸らし、ベンチに深く腰掛けたまま、かがんで両手で顔を覆った。
「だって、こんなの錯覚に決まってるのに。ただ、夢の中の僕らに引きずられてるだけのはずなのに……おかしいだろ。どう考えても。どうしてこんな」
 ぶつぶつとつぶやき続ける僕に、顔を上げた彼が困ったように古泉、と声をかけてきた。
「何も無理に今、答え出さなくたっていいぞ? 聞かなかったことにしてもいいし」
 違う。違うんです。
僕はバカみたいにそう繰り返し、首をふった。
この気持ちは僕のものじゃない。夢の中の……異世界の僕のもののはずなのに。
間違ってるのに。錯覚なのに。なんでこんなに。

「嬉し、くて……死にそう」

 おかしいくらいに嬉しくて、心臓がドキドキと高鳴っている。頭に血が昇っているのか顔がすごく熱くてほてるし、足下の地面の感触がふわふわして変だ。どうしよう。
「古泉……?」
 心配そうにのぞき込んでくる彼を、反射的に抱きしめる。ちょ、待て! なんて騒ぎつつ逃れようとする身体をさらにきつく抱いて、ああそうかと思った。
涼宮さんを想っていたときとはちょっと違うけれど。
きっかけは、あまりにも妙なものだったかもしれないけれど。
これもたぶん、恋なのかもしれない。
「よく、わかんないです、僕」
 いつのまにか抵抗をやめた彼が、僕の胸の中に顔をうずめたまま、何が、と聞いた。
「だって、夢の中のあなたのことならともかく、こちらのあなたのことはまだ、あまりよく知らないし……。この想いが錯覚じゃないかどうかなんて」
「俺だってわかんねぇよ。でもまぁ、きっかけなんてなんだっていいんじゃないか。これから、お互い知っていけばいいんだし」
「そんなものですかね……」
「知ってく楽しみがあると思えばいいさ」
 そんな潔いことを言う彼の頬に手をかけ、上を向かせる。見上げてくる彼の顔は、耳まで真っ赤だった。うわ、やばい。すごい可愛い。
「あのっ、キス、してみていいですか」
「なんだそりゃ。お試しか」
 夢の中じゃ、さんざんしたんだけどな、と笑いながら、彼は目を閉じてくれた。その唇にそっと自分の唇を重ねてみる。あの夢は相当リアルだったけれど、やはり現実の感触とは違うみたいだ。なんだか、すごくドキドキする。
 ずいぶん長い時間口づけて、でも舌を入れる勇気まではでなくて、そのまま離れる。
赤い顔のままで照れくさそうな彼が、やばいなと小さくつぶやいた。
「な、何がですか」
「いや。……夢の中でするのより、何千倍も気持ちいいな、コレ」
 そのとき僕の胸の中に沸き上がったのは、夢の中の僕のものでなく、確かに自分自身の、“好き”という感情だった。



 それ以来、あの異世界での僕らの夢は、ぱったりと訪れなくなった。
聞いてみると、彼の方もそうだという。理由はわからないながら、これでよかったのだという気もする。
 SOS団での活動は続いている。
僕らがつきあっていることは最初のうちは隠していたが、勘の鋭い涼宮さんにはすぐにバレてしまった。どんな反応をされるのかと戦々恐々だったのだが、涼宮さんは晴れやかに笑って、うん、いいんじゃない、と言ってくれた。
「古泉くん、前より全然いい感じよ! SOS団の活動が滞るのは許さないけど、それさえ気を付けるんなら大いにやんなさい!」
 朝比奈さんも口先だけでなく心からよかったね、と笑ってくれ、長門さんは少し寂しそうだったが、小さな声でおめでとうと言ってくれた。ただ最近、時々僕らを見ながら何やらメモをとっているのが気になると言えばなるのだが。
 彼女らはそれまでと変わらずに友人として接してくれて、だから僕たちは相変わらず、5人で遊び回る日々を過ごしている。

「あっちの俺たちは、うまくいってんのかね。なんかいろいろ障害がありそうだったが」
「大丈夫じゃないですか。障害がある方が燃える、ともいうし」
 放課後に待ち合わせて、ひとときを一緒に過ごしながら、そんな話をした。
本屋に行ったり買い食いをしたり、デートとも言えないようなデートでも、彼と一緒だとどうしてこんなに楽しいんだろう。
「障害がないとダメなのか」
「そんなこともないですよ。僕は充分に、萌えてます」
「なんか今、字が違ってる気がしたぞ」
「気のせいですよ」
 わざとらしく明後日の方を向くと、馬鹿野郎との声とともに彼の容赦ない突っ込みが後頭部に入る。痛いですよと文句を言いつつ両腕を彼の首にまわしたら、彼は笑い声を上げて逃げだそうと身をよじった。
逃すまいと腕に力を入れて抱きしめながら、僕はあの夢について考える。
 もう二度と、あの世界の夢は見られないのかもしれないけれど、もしも、もう一度彼らに夢で逢えたら。

 とりあえず、この想いに気づかせてくれてありがとう、と伝えたいと思う。


                                                   END
(2010.09.12 up)
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京アニカレンダーに萌えすぎた結果の消失世界のお話。
エンター押さないif世界を考えたら、元の世界の古泉が可哀想すぎて、
泣きそうになったので、消失世界のふたりのお話です。

消失古泉は普通の男の子だと思うから、ちょっと子供っぽくて喜怒哀楽はっきりめ、
ときどき敬語が抜けちゃったりするといい。